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2014年11月

リトリートの後は・・・

2014年11月27日(木) by キヨタカ

 いつも感じるけど、リトリートの後は、参加者のみならず主催者としての私やヨガビにも大きなエネルギーのシフトがある。

私に関して言うと、今回のリトリートが終了してからは、色々な分野で学んでいたそれぞれの知識や体験が、面白いように統合されつつある。

まだ現在進行形で、抽象的にしか言えないのが残念だけれど・・・

 

また支えてくれるスタッフの人たちも、リトリートの度に成長する姿が一目瞭然で、とても嬉しい。

毎回参加されているスタッフのOさんも、その一人。

非常にパワフルで、修行に対する情熱は誰よりも強い。

ただあまりにもエネルギーが強過ぎて、最初の頃はちょっと近寄り難い感じもしたのだが・・・

リトリートに来るたびに少しずつハートがオープンになり、今では別人のように愛に満ちたオーラを放ち始めている。

ブログに感想を書いてくれたので、一部を転載します。

* * Oさんの感想 * *

リーラスペースのリトリートから、先ほど帰ってきました。リトリートは一泊二日と短いものでしたが、とても有意義なリトリートでした。

今回のリトリートは再参加者が多く、一日目からとても落ち着いた雰囲気となっていました。

二日目にはとても深い沈黙のスペースが形成され、恩寵が降り注いでいました。

私個人としては、最後にハートの瞑想を行ったのですが、その時に今までより更に深くハートが開き、源泉と今まで以上に繋がった感じがしました。

ハート瞑想は40分くらい行っていたと感じたのですが、後で主催者のキヨタカさんから、1時間は行っていたと聞いてびっくりしました。

時間の感覚が、完全に無くなっていました。

最後のシェアリングの時間では、参加者の方々が、皆それぞれのI AMや恩寵を体験されていたようでした。

参加された方々が皆、日常で蓄積してしまったものが落ち、エネルギーが浄化され、意識が鮮明になっているのがよくわかりました。

私はシェアリングの時に、リトリートに来る前にマインドを揺り動かされる体験があり、それもまた恩寵であるということをシェアしたのですが、面白可笑しく話したのもあり、大受けに受けて笑いの渦の中で話していました。

それだけ話が受けたのも、話の内容だけでなく、私が更にハートフルになっていたからではないかと、スタッフミーティングの時に言われ、それはとても嬉しいことでした。

スタートに立つ

s2014年11月26日(水) by キヨタカ

『自分自身であること!/Just be as I AM !』

これこそが、私が分かち合いたいことの全てだ。

と、先日の日誌に書いた。

 

『キヨタカは、悟りとか真実を放棄したのか?』

と思う方もいるだろうけど、そういう事ではない。

悟りも真実も・・・空や無 、愛、至福、平和、叡智、勇気等々・・・。

魂が望む事は全て、『自分自身であること』から派生する副産物であり、自然に起こる結果だ。

結果が欲しければ、原因に働きかける必要がある。

本当の自分自身に目覚めて、妥協なくそれを生き始める事で、望む結果は自ずとついてくるのだ。

 

3年ぶりに参加されたYさんから、コメントを頂きました。

ありがとうございます。

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本当の自分自身である時、毎日が新しい冒険の旅の始まりとなります。

それは、スタートラインに立った時の、あのワクワク・ドキドキ感!

覚えていますか?

私たちがまだ感受性豊かで無垢で自然な子供だった頃・・・

どんな小さな出来事も、驚きに満ちた体験の連続であった事を!

『自分自身であること』とは・・・

『既にそうであった、あの頃の自分を思い起こすこと』

たったそれだけの事なのです。

ぜひまた、リトリートにお越しください。

* * * Yさんのコメント* * *

キヨタカさま、ヨガビジャさま、スタッフのみなさま、ご一緒させていただいたみなさまリトリートでは、ありがとうございました。

すべてに感動、感謝感謝!!でした。

ふらふらしていた私ですが、やっと揺るぎない思いでスタートに立つことができました。

スタートに立てたことが奇跡これしかないと。思い出した感覚でもあり、心の奥がとても喜んでいます。

シェアしてくださり、ありがとうございました。

キヨタカさんの24日のブログ、『自分自身であること!/Just be as I AM !』の決意じーんとしました。ありがとうございます。

また、リトリートに参加させてください。

いつも美味しいご飯、ありがとうございます。

食生活、見直しています。

リトリート終了

2014年11月24日(月) by キヨタカ

今年最後のリトリートが無事終了。

今回は殆どの方が再参加だった事もあり、それぞれの参加者の中でより深い『I AMの目覚め』が起こったようだ。

毎回必ず参加して頂いているAさんや、3年ぶりの参加となるYさん等々、確実に成長が起こっているのがわかり非常に嬉しい。

世間的には殆ど知られていないリーラスペースのリトリート。

「次回はもう少し世間受けするようにアレンジしよう!」

と思うのだが・・・

いざリトリートが始まると、毎回『I AMの基本原理』そのものに引き戻される。

 

7年ぶりに参加されたMさんと、リトリート終了後に雑談する機会があったが・・・

「あれから色々な場所で探求しましたが、リーラスペースで行われている事こそがI AMの本道であり、ここはとても貴重な場所です」

との、嬉しいコメントを頂いた。

 

今回のリトリートを通して、私が残りの人生で分かち合いたい事が何かが非常に明確になった。

それは悟ることでも、空になることでも、至福に満ちることでも、幸せになることでもない。

ましてや、 OSHOやフーマンやアジズのようになることでもない。

『自分自身であること!/Just be as I AM !』

これこそが、私が分かち合いたいことの全てだ。

Mさんからのメールをアップします。

* * *

キヨタカさんへ
ヨガビジャさんへ

こんにちは
 
素晴らしいリトリートありがとうございました
 
またリーラスペース のretreatに参加したいと言う
ハートの感覚を信頼し
今回参加させていただき本当に良かったです

最後のシェアリングでもお話させていただきましたが
アイアムのワ―クをしていただける
本当に大切な場所だと感じます
 
また食事も本当においしく食べさせていただきました

キヨタカさんヨガビジャさんとスタッフの皆様に
本当にありがとうございました

生きとし生けるすべてが深く平和でありますように

生きづらさに向き合って

2014年11月20日(木) by キヨタカ

先日、ある精神科のクリニックを紹介する番組をNHKで見た。
 
精神疾患というと、とかく隠したがるものだが・・・
 
このクリニックでは、患者同士が自分の「生きづらさ」をさらけだし、その対処法をみんなで考えるプログラムを実施している。
 
 
この番組を見て、
 
「患者さんも普通(?)の人もあまり大差はないな〜┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~」
と、しみじみ思った。
 
 
人は誰もがそれなりの精神疾患を抱えていて、それぞれが自分特有の「生きづらさ」を感じているのだろう。
 
精神疾患の患者数は今や320万人で、がん患者の2倍に達しているらしい。

アジズに言わせると、「マインドの構造そのものが巨大な精神病院であり、プレゼンスが目覚めて初めて病院から抜け出す可能性が生まれる」という。

        (「アジズとの対話」 P176ー177)
 
 
この番組を通して、リーラスペースが果たすべき役割を、再確認する事が出来た。
 
この番組に登場した勇気ある患者さん達や医師や大勢のスタッフ、そして番組の関係者に心から敬意の念を捧げたい。
 
身内に精神疾患を抱えているNさんにこの番組を紹介したところ、さっそく感想のメールを頂いたのでご紹介します。
 
ETVの紹介有り難うございます。
 
早速見させて頂きました。

ベテルの取り組みは、以前もTVで見たことがあるのですが、このETVの自分の症状を外側から見る、気付く取り組みはとても興味深いです。
 
それを他者にシェアーすることで、それぞれがまた自分自身への理解を深める。そして孤立から改善への道をたどる。

このような場はなかなかないのが現実なのですが、結局精神障害者も自分の症状に振り回され続ける事から、自分の症状に向き合う事で、背後にあるものに気づき、振り回されているものから解放されて行くと言う事なのでしょう。

自分の内側にすべての答えがある。
 
環境や他者のせいにしていたのでは、同じ所をグルグル回っているだけですもの。

なぜ私は、スッタモンダといつも大騒ぎしている(生きづらい)弟と兄弟としてのご縁を持って生まれたのか?

このETVをみて、その疑問にハッと気付くものがありました。

程度の差で、この疾患は深く穴を掘ってるだけなのでは?

行き着かなければならない所を見せたくれてるのでは?

でも、もう十分だから、自分の内側に入ろうよ〜。
そこにしか生き続けて行く道はないよ。

すべてが収斂し、一点となった感じです。

感情の波を乗りこなす

2014年11月19日(水) by キヨタカ

我々は誰もが、日常的に朝から晩まで”気づき”を使っている。
 
しかし通常は”気づき”の対象物の方向に意識のベクトルが向かっていて、”気づき”そのものに気づく事が出来ない。
 
意識の”覚醒”とは、意識のベクトルが反転して”気づき”それ自身に気づく事であり、意識の目覚め(プレゼンス)とはその事を意味する。
 
 
 『意識が目覚めれば、感情から自由になりますか?』
 
最近のスカイプセッションなどで、よく同じ質問を受ける。
 
 
昔は、『気づきが目覚めれば、全てから自由になる』と信じていた。
 
しかし 残念ながら、『意識そのものが目覚めても、感情から自由になる事は難しい』
というのが、最近の偽らざる答えだ。
 
 
感情とはエネルギー的なバイブレーションであり、痛み等の肉体的感覚に近い。
 
例えば「お腹が痛い」時、どんなに気づきに止まっても、痛みから自由になれないのと同じ理屈だ。
 
 
もっとも中には『気づきの天才』がいて、麻酔なしで開腹手術に臨んだ瞑想家もいる。
 
平然と切腹する事の出来た昔の武士なんかも、それに近いものがあるだろう。
 
 
しかし現代人は、切腹どころかちょっと包丁で指を切った程度で大騒ぎしてしまう。
 
現代人にとって、気づきだけで感情から自由になろうとするのは無理がある。
 
さらに、”気づき”の修練は男性原理にもとづいている。
 
平然と切腹出来る”気づき”の修行のみに偏ると、女性的な繊細な感覚を麻痺させる弊害も生じる。
 
 
現代人には、現代人に合った感情への対処法がある。
 
それが、ハートの機能だ。
 
ハートの言語は、たったひとつ。
 
”Yes!"
 
あるのもをあるがままに認めて、その存在を許すのだ。
 
たとえネガティブな感情がやってきても、それと戦わずにそっくり受け入れる。
 
ネガティブな感情と戦ったりコントロールしたりすると、疲弊してやがてその感情の波に巻き込まれてしまう。
 
その感情をあるがままに受け入れると、その波の上にヒョイと乗り上げて、やり過ごす事が出来る。
 
 
私の趣味は、ウィンドサーフィン。Middle_1234162136
 
ウィンドサーフィンの上手い人は、ウェイブ(波乗り)がその醍醐味となる。
 
身長の2〜3倍の波が押し寄せて来ても、それと戦わずにその波にヒョイと乗り、その波の力を利用して自由自在に遊ぶ事が出来るようになる。
 
 
嬉しい時は笑い、悲しい時は泣く。
 
それが人生の醍醐味だ。
 
”感情の波を乗りこなす”
 
それこそが、感情から自由になる最大のコツであり、ハートの機能だ。
 
 
ところで、”感情の波の乗り手”とは誰だろう?
 
それこそが、気づきの主体としてのプレゼンスだ。
 
プレゼンスが目覚めても、感情の波を乗りこなせるわけではない。
 
しかし、プレゼンスが目覚めない限り、 どんなにハートに働きかけても、感情の波を乗りこなせる日は来ない。
 
”乗り手”が眠りこけているからだ。
 
だからこそ、日々の瞑想でプレゼンスに目覚めている事が、非常に大切なのだ。

ワンピース

2014年11月18日(火)   by キヨタカ

 しばらく日誌からご無沙汰しているが、ヨガビの修善寺*裏*日誌の方は活況を呈している。
 
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昨日の日誌では、私とヨガビの数少ない共通の好みが、『漫画:ワンピース』である事が暴露されてしまったshock 
 
あの漫画には、子供時代の冒険心や遊び心、可能性の追求、友愛、ワンネス、真実の探求、反逆精神、 自由、希望、全一性、全身全霊、等々がイマジネーション豊かに描かれている。
 
 
 
これらの要素は、実はリーラスペースが提供する瞑想スペースと同じものだ!
 
 
本来”自由”な魂である我々は、思考や感情という牢獄に閉じ込められて、一生を終える。
 
しかし、周りの人々も同じ牢獄の価値観の中にいるから、閉じ込められている事にすら気づかない。
 
人生に苦しんでいる人は、幸いだ。
 
自分が牢獄に閉じ込められている事を知ったからだ。
 
牢獄をブッ飛ばして、自由を取り戻せ!
 
 
漫画では、剣士ゾロが牢獄を一刀両断にするだろうが・・・C8639ee7fea0ba2f_1024x1024
 
我々は気づきの剣を使い、思考や感情の闇を振り払う。
 
すると、牢獄とは無意識に自分が創り上げた幻想だった事を知るだろう。
 
 
そうすれば、あるがままの自分に寛ぐ事が出来る。
 
やがて恩寵の光が燦々と降り注ぎ、自分もまた『愛』であり『至福』であり『真実』であり『自由』と一体であった事を体感する。
 
すると 、人生は遊び心に満ちた冒険の旅へと変容するのだ。
 
それこそが、リーラスペースの提供するワンピース!
 
今週末、スピリチュアル剣士達が修善寺に集合し、 今年最後のリトリートが行われる。

破れ鍋に綴じ蓋?

2014年11月9日(日) by キヨタカ

 今年の3月から、ほぼ毎日日誌を書いていたので、しばらく休む事にした。
 
そしたら・・・ヨガビがほぼ毎日日誌を書き始めて、驚いている。
 
性格も嗜好も極端に異なる2人だが、相互補完的な役割を演じている事は以前から気付いている。
 
『破れ鍋に綴じ蓋』、なんだろうな〜( ̄Д ̄;;
 
 
ところで、修善寺*裏*日誌だけど・・・
 
写真も楽しいけど、『恩寵の扉が開くまで』補足説明シリーズが、なかなか面白い。
 
是非読んでください。

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