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2015年1月

温泉旅行

2015年1月30日(金) by キヨタカ

名古屋に住むヨガビの両親を訪問。

温泉旅行に行ってきた。

2人ともかなり高齢となり、寒い部屋に籠もりがちになっているので、連れ出す事にしたのだ。

 
あまり遠出するのもなんだから、名古屋から車で2時間程度という条件で調べた結果、
石鏡温泉に決定。
 
石鏡と書いて、「いじか」と読む。
 
私は知らなかったが、鳥羽のもう少し先にある眺望抜群の場所だった。
 
 
温泉に入りながら伊勢湾を一望に見渡せて、対岸の伊良湖岬も良く見える。1455_1_l
 
その間にあるのが、神島。
 
三島由紀夫の有名な小説”潮騒”のモデルとなった島だ。
 
 
夕食は、伊勢海老やアワビ、サザエ等の伊勢湾の美味尽くし。
 
贅沢な料理が並べてある紙製テーブルマットには、万葉集の歌が 。
 
Img_1398_5
潮騒(しほさゐ)に
 
伊良虞(いらご)の島辺(しまへ) 漕ぐ舟に
 
妹(いも)乗るらむか 荒き島廻(しまみ)を
(訳)
「潮流がさわさわとざわめく伊良虞の島のあたりを漕いでゆく舟に、今ごろ愛しいあの娘は乗っているのだろうか、あの波の荒い島の廻りを」
 
持統天皇の伊勢旅行にお伴した恋人を想い、都に残った柿本人麻呂が歌ったものだという。
 
恋人を一途に想う気持ちは、万葉の時代でも現代でも変わりはない。
 
”純真な恋”は、時代を超えた普遍的なものなのだろう。
 
三島由紀夫の小説の題名は、この歌から採用したそうだ。
 
 
高校時代に、”潮騒”を貪るように読んだ記憶が蘇る。
 
「その火を飛び越して来い。その火を飛び越して来たら」 少女は息せいてはいるが、清らかな弾んだ声で言った。
 
裸の若者は躊躇しなかった。

爪先に弾みをつけて、彼の炎に映えた体は、火のなかへまっしぐらに飛び込んだ。
 
2人が裸で対峙する、例の焚き火の名シーンなど、鼻血が出るほど興奮して何度も読み返したものだ。
 
あの頃は、実に純真だったな〜。
 
(今でも多少は純真だと思っているのだが・・・)
 
 
ヨガビによると、ご両親は親から無理やり結婚を押し付けられたので、愛とは無縁だ言うが・・・
 
余興で、数秘術の相性占いをしてみたら、『相性度はかなり良い』という結果に。
 
なんだかんだ言っても、こうして50年以上一緒にいる。
 
2人はきっと、深いところで愛し合っているに違いない。

いつだって’今’にいる

2015年1月26日(月) by キヨタカ

 今日、私は、’今’にいる。
 
昨日、私は、’今’にいた。Line
 
 
二十歳の頃も、私は、’今’にいた。
 
子供の頃も、私は、’今’にいた。
 
 
明日の今頃、私は、’今’にいるだろう。
 
80歳になっても、私は、’今’にいるだろう。
 
だから死んでも、私は、’今’にいるだろう。
 
 
つまり、私は、いつだって’今’にいる。

スタンスを変える

2015年1月23日(金) by キヨタカ

この絵は、「 シルエット錯視」と言われている。

 果たしてこの女性、時計回りに回転しているだろうか?

それとも、反時計回りだろうか?

Spinning Dancer.gif

 

時計回りに見える人は右脳派、反時計回りに見える人は左脳派と言われているが・・・

私の場合、最初に見た時は右回転にしか見えなかった。

どんなにじ〜っと見つめ続けても、左回転にはならない。

ところが、視点をいったん別のところにずらし、「スタンスを変えてから」、もう一度見てみた。

すると突然、反対方向へ回転し始めたたではないか!

しかも、もはや右回転している様には見えなくなってしまう。

 

この世は、ありとあらゆる錯覚と思い込みに満ちている。

しかも、いったん錯覚すると、そうでない見方がありえなくなる。

その典型が、宗教を巡る争いだろう。

「唯一の神」と言いながら、キリスト教とユダヤ教、さらにはイスラム教が生まれ・・・

そこから、カトリック、プロテスタント、ハシディズム、シャブタイ派、スンニー派、シーア派、etc・・・

さらにそこから、複雑怪奇に際限なく枝分かれしていく。

 

これは宗教特有の現象ではなく、マインドの本質的な構造そのものだ。

際限なく専門分野に枝分かれする西洋医学、際限なく微細な世界を探求する量子力学等々、あらゆる世界に見受けられる。

ロック音楽の一分野ヘビーメタルの世界ですら、スピードメタル、パワーメタル、ゴシックメタル、クサメタ等々・・・もう何が何だか分からない。

 

この錯覚から抜け出す有効な方法は、「スタンスを変える」ことにある。

対立する相手の立場に身を置くことで、両者を統合した新しい視点が生まれる。

瞑想とは、「気づき」という全く新しいスタンスをもたらす。

マインドのもたらした複雑怪奇な対立構造を解消させる、特効薬だ!

* *

ここからは、蛇足です・・・(^-^;

スケートボードとか、スノーボードなどの横乗り系のスポーツは、どちらの足を前にするかでスタンスを決める。

左足前がレギュラースタンス、右足前をグーフィースタンスという。

 

いったんスタンスを決めてしまうと、逆スタンスにスイッチするのは非常に難しい。

野球で右バッターに立つ人は、左バッターではほとんど打てなくなる感じだ。

スポーツの場合、逆スタンスにしてまで技を極めようとする人は稀だ。

 

私の場合、野球は左バッター、サッカーは左で蹴っていたから、明らかにグーフィースタンスのはず。

ところが、スケートボードに乗ってみたら、レギュラースタンスの方が乗りやすいことが分かった。

箸は左手、ペンは右手だから、スタンスが逆転しやすいのかも知れない。

 

幸い(?)ウィンドサーフィンはセールがあるので、両方のスタンスを使う。

方向転換をする度に、スタンスが変わるのだ。

だから、「スタンスを変える」練習には最適なスポーツだと、我ながら悦に浸っている。

餅は餅屋

2015年1月22日(木) by キヨタカ

 最近、キッチンの水道栓の締り具合が悪い。
 
築30年の家だから、あちこちガタがくるのも仕方あるまい。
 
たまたまカインズホームへ寄ったら、ちょうど手頃な水道栓があったのでさっそく購入する事に。
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しかし、サイズをちゃんと測っていないので交換可能かどうかいまひとつ確信が持てない。
 
そこで、売り場の担当者に相談。
 
キヨ:「築30年の家の水道栓だけど、交換可能ですよね?」
 
担当者:「自分でやるつもり?」
 
キヨ:「もちろん」
 
担当者:「脅すわけじゃないけど、古い家の水道工事をシロウトがやると水漏れ起こしますよ!」
 
話をしてみると、専門知識がとても豊富なので、不具合について相談したところ、
Img_1378
 
担当者:「ああ、それならケレップを交換すればO.K」
 
キヨ:「ケレップって何 ?」
 
・・・というわけで、ゴム付きケレップ(2個入り)を168円で購入。
 
水道栓の中の部品交換だけで、修理が完了した。
 
 
 
夕方は、イノシシ対策の続きとして、「有刺鉄線」を張ることに。
 
扱うのは初めてだったが、トゲトゲが邪魔で予想以上に扱いにくい。
 
雨が降りカッパを着ていたこともあり、衣服や小枝などに絡みつき悪戦苦闘。
 
カッコ良く、ピーンと張ることが出来ない。
 
予定時間を大幅に過ぎ、薄暗くなって視界も悪くなってしまった。
 
その結果、非常に見苦しい『結界』を張ることになった(;д;)
 
ま〜目立たない場所だから、これで良しとしよう。
 
 
しかし 水道栓といい、有刺鉄線といい、やはりこうしたものは専門知識を持った人の知恵を拝借したほうが能率が良い事を、今日は体験を通して学んだ。
 
餅は餅屋、刀は刀屋という事だろう。
 
Images_2 ちなみに・・・
 
山の事は樵(きこり)に問え
 
海の事は船子に問え
 
という諺もある。
 
そのうち・・・
 
瞑想の事はキヨタカに問え
 
と言われたいものである。

悔いのない人生

2015年1月21日(水) by キヨタカ

 先日、かなりご高齢の方から、『恋の悩み』の相談があった。

とても切実そうだったけれど、思わず「お元気ですね〜!」と微笑んでしまった。

 

一方この間は、まだ二十歳くらいの若者から、「エゴを落としたい」と相談を受けた。

純粋に真実を追求する姿が若者特有で、これまた微笑ましかった。

 

しかしよく考えて見ると、順番が逆だ。

若者は純粋に恋に悩み、老人はエゴを落として瞑想三昧の境地を味わうのがごく自然な姿。

 

しかし、人生はどうも順番通りに事が進まないようだ。

私自身、青春時代は「悟りを開きたい」という思いが強く、恋愛とは全く無縁だった。

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当時の私にとっては、『悟り』とはちょうど水戸黄門の『印籠』か教会の『免罪符』 みたいな感じで捉えていたような気がする。

「悟りを開けば、恋愛も自由自在」と思っていた。

また、サーフィンが大好きな友人がいて、よく「サーフィンをしよう』と誘われた。

私の方は、「悟ったら、サーフィンをしよう」と思い、いつも誘いを断っていた。

 

幸い恋愛に関しては、OSHOコミューンに長年滞在したおかげで、それなりの体験をすることができたので、悔いはない。

サーフィンに関しては、今頃になって、ウィンドサーフィンに夢中になっている。

人生、何歳になっても、やり残したものがあるとなかなか先に進めないようだ。

あの頃サーフィンに夢中になっていたら、今頃は全く別の趣味に夢中になっていたかも知れないが・・・

人生をやり直してみるわけにもいくまい。

 

今こうして振り返ってみると、その年齢に応じて一番夢中になれるものを見つけて没頭することが出来れば、一番自然に成長が起こると確信している。

もしあなたに「したい事がある」ならば、先延ばしする事なく、今すぐ全身全霊で取り組んで欲しい。

そうすれば、悔いのない人生となる事は間違いない。

露天風呂付き個室

2015年1月20日(火) by キヨタカ

 今日は、午前中イノシシ対策に追われた。Images

施設の庭への侵入を防ぐため設けた柵が、見事に破られてしまったのだ(ρ_;)

 

不要となった工事現場用の鉄製足場を使い、柵を補強。

かなりの重労働だった。

まだ完全ではないが、とりあえず今日の仕事はお終い。

 

午後はヨガビと、お気に入りの秘湯:『ほたる』へ出かけた。

とても安く借りられる個室があり、昔はパソコンを持ち込んでオフィス代わりに利用したりしていた。

 

久しぶりだったが、人も少なく静かな雰囲気が私たちには都合がいい。

Img_3523今回は思い切って『露天風呂付き個室』を借りてみた。

想像していたより、はるかに寛げる。

最近は、何処へ行っても我が家の様に寛げるので、ヨガビには羨ましがられているのだが・・・

それでも、良い場所を選べば、それだけ寛ぎも倍増する。

 

手前は床暖房の個室になっていて、すごく気持ちが良い。

10分程度うたた寝するつもりが、1時間近く寝てしまい、あっと言う間に制限時間となってしまった。

近々、また利用しよう。

命日

2015年1月19日(月) by キヨタカ

 Oshoblack 今日は、インドの神秘家OSHOの命日。
 
1990年の今日、私がインドのOSHOアシュラム滞在中に肉体を去った。
 
OSHOの荼毘の側で座り、一夜を明かしたのはつい先日の様な気もする。
 
『十年一昔(じゅうねんひとむかし)』という言葉からすると、2昔以上前の出来事だから驚く。
 
しかし、OSHOは時間枠の外側にいる。
 
だから、私にとってOSHOはいつだって”今”だ。
 
 
とは言うものの、OSHOに対するスタンスは時間とともに大きく変化した。
 
私が最初にOSHOに会いにアメリカへ渡ったのは、1983年の事。
 
大企業のサラリーマンとして順風満帆、しかし内面は砂漠のように乾いていた。
 
日本社会という枠組みの中でしか生きられなかった私を、全く新しい世界へと導いてくれた。
 
 
それはちょうど、小さな生簀で養殖されていたマグロをすくい取って、大海へ放してくたようなもの。
 
大海に放たれた私は、初めて”自由に泳げる喜び”を知った。
 
だから自分を自由にしてくれたOSHOを、なるべく大勢の人々に伝えるのが当時の私の喜びだった。
 
 
海は広大だ。E382ade383ace382a4e381aae9ad9ae38_2
 
その中を、自由自在に泳ぎ回っているつもりだった。
 
しかしそれはあくまで、”OSHOという海”の中での”自由”だった。
 
その事に気付くまでに、相当の年月が必要だった。
 
幸運な私はアジズやフーマンとの出会いによって、さらなる自由へと導かれた。
 
 
しかし今はもう、誰の弟子でも師匠でもない。
 
何の枠組みもなく、無条件にただただ、『 私が在る(I AM)』
 
OSHOを好きな人も、嫌いな人も、知らない人も・・・
 
 
Unknown_2
 
全てをそっくり包含している、存在という無限の広大な海。
 
それこそが、私にとっての大洋(Ocean)であり、オショー(Osho)なのだ。

神の戸を開く

2015年1月17日(土) by キヨタカ

20年前の今日(1995年1月17日)、私はインドはプネーのOSHOコミューンに滞在していた。

当時は、OSHOこそが我が人生の全て。

一年の半分は日本、残りの半分はインドで過ごしていた。

イベント企画に携わっていた私は、日本の瞑想センターと連日ファックスのやりとりをしていた。

そう言えば、あの頃はまだメールも全く普及していなかったのだな〜。

 

あの日も朝一番で、コミューンのファックス連絡箱をチェック。

OSHOカフェでコーヒーを飲みながら、センターから送信されてきた長文のファックスに目を通していた。Shinsai1

やっとファックスを読み終えて、最後にPSで書かれた一行を見て、目が飛び出るくらい驚いた。

PS.ところで、今朝早くに神戸付近で大地震がありました。

死傷者も多数出て、まだ町も燃えています!

 

当時、OSHOコミューンには200名ぐらいの日本人探求者が滞在していたと思うが、私は震災情報を知った最初の日本人の一人 だった。

日本人に会うと、手当たり次第に震災情報を伝え、特に関西方面から来た人にはただちに日本に連絡を取るよう呼びかけたのである。

 
それにしても、あの大震災を”PS”で伝えた担当者の心境が今だに不可解。
 
私だったら、仕事の内容はすっぽかして、震災情報を真っ先に連絡する。
 
彼は当時から、何があっても”泰然自若”たるものがあり、”大人物”の風格があった。
 
今は、社会的に大きな活躍をしている。
 
おそらく私以上の、本物の”珍種”に違いない。
 
 
実は、さらにもっと驚くべき”珍種”にも遭遇した。
 
私が震災情報を知って、たまたま近くを通った日本人のA君に話しかけた時の事だ。
 
キヨタカ:「大変だよ、神戸で大地震だって!」
 
A:「神戸で大地震? ああヤッパリネ┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~」
 
あたかも、既にその事を知っていたかのように、非常に冷静に反応するのである。
 
 
A君は、”オカルト神道マニア”で有名だった。
 
知る人ぞ知る、バリバリの超”珍種”だ。
 
後で、「ああヤッパリネ」とはどういう意味か聞いたら、”裏神道に”関する不思議な話を延々と話し出したのである。
 
彼の話を超要約すると・・・Showphoto
 
「震源地の淡島は、国生み神話で最初に生まれた島。
 
地震によって、再び”神”の”戸”が開かれたのだ。
 
・・・
既に天界ではその仕組みが出来上がっている。
 
いよいよこの地上界でも、神国日本が再誕生するのだ!」
 
と、熱く語るのである。
 
 
被災された方が聞くと、A君をぶん殴りたくなるかも知れない。
 
しかし確かに人類をその深い眠りから目覚めさせる為に、神は時として大災害という無慈悲な一撃を与える事がある。
 
神戸の大震災がその 第一弾だとしたら、東日本大震災はその第二弾かも知れない。
 
願わくば、一日も早く人類に目覚めが起こり、第三弾が不必要となりますように!
 
 
PS ところで、魂の目覚めを求める方々に朗報です。
 
  来る春分の日に、リーラ瞑想リトリートを開催します!
 
↑大切な情報を、PSで伝えるなんて、やっぱり私は”珍種”かも?

珍種

2015年1月16日(金) by キヨタカ

『当たるも八卦、当たらぬも八卦』とよく言われるように、占いを深刻に受け取ってはいけない。
 
しかし今まで、手相、顔相、タロット、星占い、チャンネリングや過去生リーディング等々を様々な人から受けている

別に占いに凝っている訳ではないが、人生を長く生きているのでその分多くなってしまったようだ(^-^;
 
受ける度に、結構当たっていたり、全く同じ事を言われたり、深い洞察が降りて来たりする事が多くて驚く。
 
 
実は先日、自然な事の成り行きで某占い師によるメール鑑定を受けてみた。
 
カバラ数秘術で占うと、私の現世の数字は33だという。
 
33は、かなりな珍種です。
 
まあ、周りの人々とは異なる人生を歩む人です。
 
・・・
 
また、遍歴人生を送りがちです。
 
自分が先生やリーダーになるならいいのですが、そうでないなら、人間関係がなかなか思い通りに行かないのでそれまでの所属関係から脱出してしまいます。
 
 
う〜む、よく当たっている!
 
数秘術と言っても、様々な流派があるらしい。
 
私がちょとだけかじった数秘術では、誕生数は6という事になっている。
 
6は 「愛と奉仕」がキーワードで、家庭的で堅実で安全第一・・・
 
どうも今まで歩んできた人生とは違うので、数秘術はあまりピンと来なかったのだが、33となると話しは違う。
 
『珍種』という言葉がとても気に入った。
 
 
少し33について調べてみたら、11とか22とかのゾロ目の数字はマスターナンバーと呼ばれるそうだ。
 
しかし肝心の『33』について解説されている本はほとんどない。
 
ある本によると、「波動が高すぎるので、この数字に適応できる人は実際にはほとんどいないから無視されている」のだとか(ρ_;)
 
 
33の数字を持つ者は、相当変わった人生を歩むと言う。
 
『普遍的な原理に基づいて行動するか、自我レベルの衝動に基づいて行動するか、絶えず試される数字』なので、様々な試練が待ち受けているらしい。
 
 
20代の頃に、『珍種』とか『試される数字』とか言われたら、人生を悲観してしまったかも知れない。
 
でも、今は違う。
 
『珍種』とか様々な試練』とか言われると、なんだかワクワクして嬉しくなってしまう。
 
某数秘術サイトでは、『スペシャルな大変人なのだが、変人と言われると喜ぶのが33の特徴』とある。
 
私の場合、33である事にほぼ間違いはあるまい。
 
 
ちなみに、オーラソーマの33番ボトルは、ドルフィンボトルと言われている。B0331
 
ボトルの解説がとても素敵だったので、そっくり掲載しよう。
 
この人は魅力的な優しい人柄で、地上に天国をもたらしたいと考えています。
 
他の次元と 接する方法を知っています。
 
自然を愛しています。
 
人生の謎を面白がっています。

結界を張る

2015年1月15日(木) by キヨタカ

 Where am I ?

私は何処にいるのか?

本当の私の居場所を発見する事、それが根本だ。

 

人は何かに所属していると、安心する。

私は会社員だ、セラピストだ、夫だ、妻だ、金だ、名誉だ、etc・・・

たとえ上司にこき使われても、クビになるよりマシだ。

 

しかし、現象世界に属するものは、全てうつろう。

会社は潰れ、クライアントは去り、離婚すれば夫でも妻でもなく・・・Img_0572

大金があって幸せな人は、金を失えば不幸となる。

地位や名誉に所属する人は、それを失えば地獄へ直行だ!

そもそも現象世界で安心を得ようとする事は、原理的に不可能。
 
砂上の楼閣とは、よくいったものだ。
 
 
しかしたったひとつだけ、来ては去っていかない場所がある。
 
それが、『今・ここ』という事。
 
それは、生まれた時もあったし、現在もあり、死ぬ時もある。
 
そこに所属すれば、絶対安心の境地を味わえるのだ。
 
 
残念ながら、それは形がないので対象物として認識できない。
 
認識の主体としてのプレゼンスが、所属する場のことだ。
 
だから少しわかりずらい。
 
 
そういう方は、方便として、自分の周囲に『畳半畳分』の見えない輪を描くと良い。
 
『今・ここ』の結界を張るのだ。
 
Kasuisaishizufan088 禅の世界観に、『起きて半畳、寝て一畳』というものがある。
 
『今・ここ』に結界を張れたら、禅の真髄をものにする事が出来る。
 
すると、あなたは驚くだろう。
 
『大安心の境地』が訪れるのだヽ(´▽`)/
 
 
禅の境地は敷居が高すぎる、と思う方は、猫に学ぶとよい。

Howtotrapacatcircle2

ガムテープを用意して、見えない結界を見える形で表現する。
 
後はその中に入れば、結果は自ずと明らか。
 
猫も驚く寛ぎが、あなたに訪れる。
 
猫に出来て、あなたに出来ないわけがない!!
 
 

 私は何処にいる?

2015年1月14日(水) by キヨタカ

 Where am I ?
 
「私は何処にいる?」という問いかけは、究極の問いだ。
 
エゴは、いつも過去や未来にいる。
 
けっして、「今・ここ」にいない。
 
「私は今・ここにいる」といくら強烈に思っても、そう思うエゴ自体が「今・ここ」にいない。
 
エゴは、時間軸が「過去→現在→未来」と水平線上にある。
 
だから、いくら「今・ここ」をマントラのように唱えても、意味がない。
 
 
水平線上の時間軸ではない、「垂直な次元」が開く必要がある。
 
それはあたかも、今あなたが立脚している床の底が抜け落ちるような感覚だ。
心身脱落!
 
 
すると、過去と未来の夢が消え去り、「永遠の今」という世界が顕れる。
 
過去もなく、未来もなく、焦りも不安も欲望もなく、安全で平和で喜びに満ち足りた世界。
 
そこに、本当の私は所属している。

自由を求めて

2015年1月13日(火) by キヨタカ

一昨日、フランス史上最大規模のデモが行われた。

”自由”こそ、人々が本質的に求めている最大のもの。

決して”自由”が侵害されてはならない。

 

しかし、いくら外的な自由が確保されても、それで自動的に幸せにはならない。

思考や感情に支配されている限り、その人はマインドの奴隷だ。

内的な”自由”の獲得は、ダイレクトに自分自身と向き合う必要があるから、デモンストレーションには馴染まない。

しかしぜひともこの”自由”を求めるエネルギーを 、マインドからの奴隷解放へとシフトしたいものだ。

 

瞑想とは、マインドの奴隷状態を解放する最大の武器。

瞑想が難しく感じるのは、一番最初だけ。

それはちょうど自転車に乗るようなものだ。F95183d7s

最初は乗ってもふらついて、すぐにコケる。

たった2つの車輪で走れるなんて、まるで信じられない。

瞑想のプレゼンス(気づきの主体)とビーイング(くつろぎの場)は、自転車の前後の車輪のようなもの。

プレゼンスとビーイングをバランス良く培う事で、やがてスイスイと人生を乗りこなす事ができるようになるだろう。 

51328913mimagenavi_2しかし、そこで満足してはいけない。

そこにハートが加わると、別の次元の乗り物となる。

それはちょうど、自動車のようなものかもしれない。

いったんその便利さを知ってしまうと、自転車時代に戻るのはとても難しい。

 

 

ところがさらに先がある。

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ハートの奥深くにある神聖な次元の扉が開くのだ。

すると、 恩寵の導きにより生かされている事を知る。

すると、あたかも自分に翼が生えた感じになる。

内的な自由という大空へ向かって、飛翔するのだ。

あなたの飛翔を阻むものは、あなた以外に誰もいない。

あなたが心から決意さえすれば・・・

やがて、内的な大空へ向かって羽ばたく時が訪れるだろう(* ̄0 ̄)ノ

大和魂も進化する

2015年1月12日(月)by キヨタカ

 一昨日、吉田松陰の大和魂について書いた。

  誤解のないようにしたいので、追記 したい。
 
あの日誌では、別に大和魂そのものを批判したわけではない。
 
時代が進化するに伴い、『大和魂も進化せよ』と言う事だ。
 
 
例の フランス紙襲撃テロの犯人だって、今頃はイスラムの天国でフーリーという処女達に囲まれながらこのように思っているはずだ。
 
かくすれば かくなるものと知りながら 
 
                 やむにやまれぬ イスラム魂
 
 
 
江戸時代に薩摩や長州などの藩への帰属意識しかなかった時代に、大和魂に目覚めさせた松陰は素晴らしい。
 
しかし今の時代に、大和魂で『日本再生』を目指すのは無理がある。
 
我々が帰属する所は、もはや国家や宗教でなない。

宇宙意識である普遍の私(Universal I AM)へと目覚める事こそが急務なのだ。
 
 
吉田松陰の魅力は、自分の主義主張のために命を惜しまなかった点にある。
 
幕府の取り調べに対してシラを切れば済むのに、自ら老中暗殺計画を吐露してしまった(@Д@;
 
ちょうどイエスの死に衝撃を受けて弟子たちがキリスト意識に目覚めたように、松陰の弟子たちにも目覚めが起こった。
 
やがて命を賭して、新しい時代の原動力として八面六臂の大活躍をし始めるのだ。
 
 
昨晩『長州ファイブ』という素晴らしい映画を見た。
 
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死罪を覚悟でイギリスへ密航した長州の5人の若者のストーりーだ。
 
左が本物、右が映画だが、とても良く作られている。
 
主人公として、有名な伊藤博文や井上薫ではなく、割と地味だった山尾庸三に光を当てたところも好感が持てる。
 
日本工業の父として知る人ぞ知る人物だが、盲唖学校等の障害児教育にも深く関わっていた人物である事を初めて知った。
 
 
5人それぞれが大河ドラマの主人公たり得る、波乱万丈のストーリーだ。
 
  こうした人物を雨後の竹の子の如く輩出させるとは、 さすがは吉田松陰(*゚▽゚)ノ
 
換骨奪胎して、松陰から学べる事は多い。
 
もちろん 宇宙意識に目覚める為に、命まで犠牲にする必要はない。
 
しかし 吉田松陰のクレージーさを上廻るくらいに、全身全霊で取り組む必要はある。
 
さらに松陰に欠けている、ユーモアとゆとりの精神も持ちたいものだ。
 
身はたとひ 修善寺の野辺に朽ちぬとも 
 
                    留置まし 宇宙魂 
 

 

ゆがんだ鏡

2015年1月11日(日) by キヨタカ

 真我はよく鏡に例えられる。
 
鏡はあるものをあるがままに映し出す。
 
しかし鏡が曇っていると、あるがままに映し出す事が出来ない。
 
だから、この曇りを払拭する必要がある。
 
瞑想は、そのための方便だ。
 
瞑想してマインドという曇りを払拭すれば、やがて真我としてあるがままの世界を享受する事が可能となる。
 
 
私の場合、子供の頃からのマンイドの条件付けがとても強かった。
 
だから、瞑想しても曇りを払拭するのに相当の年月がかかった。
 
しかし瞑想が効果的だった事は経験上断言できる。
 
 
しかし、どんなに瞑想しても真我が目覚めにくいタイプの人もいる。8ca80ddf3edc244a2d948ec4433993a4154
 
真我としての鏡自体がなんらかの理由で『ゆがんだりヒビが入っている』場合だ。
 
真我には、本来形がないのでゆがんだりしないはず。
 
正確に表現すると、『自我が形成する以前の胎児か新生児の時代に受けたトラウマにより、意識のコアが深く傷ついてしまう』という事だ。
 
こうした方々にとっては、見るもの聞くもの全てがゆがんでしまうから、この世は生きているだけで地獄になる。
 
「ただ生きる」という事に全エネルギーを消耗してしまうから、瞑想しても源泉から湧いてくるエネルギーなど幻想としか思えない。
 
 
 
側から見ると、一見可哀想にも思えるが、実はそうではない。
 
『目覚め』の観点からは、私なんかよりも遥かに素晴らしいポジションにいる。
 
生きる事に喜びがないから、自己価値も極端に低い。
 
「こんなしんどい人生はいつ終わっても構わない」と心底思っている。
 
だから、いずれ人生に絶望するポイントが訪れる。
 
すると、簡単に自我を手放せるのだ。
 
 
『目覚めた』と主張する人々の経緯を調べてみると、「よく自殺しなかったな〜」と感心してしまうような絶望的な人生を歩んだ方々がかなりいる。
 
人生に絶望する事は、あくまでも自我からの視点であり、真我からすれば姿を変えた恩寵なのだ。
 
人生が苦しくて一生懸命に瞑想しても解放が起こらない方は、このタイプかも知れない。
 
姿を変えた恩寵が燦々と降り注ぎますように!

吉田松陰

2015年1月10日(土) by キヨタカ

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 先日ふらりと近所の本屋に立ち寄ったら、吉田松陰関連の本が店頭に山積みになっていた。
 
NHKの大河ドラマの影響である事は間違いない。
 
 
私の青春時代は、考えてばかりいて行動が全く伴わなかった。
 
だから 当時は、吉田松陰みたいに「思考と行動」が一致している人が羨ましくて仕方なかった。
 
「東北の海防調査が必要」と考えると、脱藩してまで旅立ち・・・
 
「海外の知識が必要」と考えると、密航を企てペリー艦隊の黒船に乗り込み・・・
 
「幕閣要人の暗殺が必要」と考えると、弟子たちに決起を促し・・・
 
どう逆立ちをしても、あのクレージーな行動力は真似出来ない(ρ_;)
 
 
しかし今、松陰の倍の年齢を生きてみて、ようやく分かった。
 
「思考と行動」とを一致させようとしても、無理がある。
 
「思考」は「行動」の真の原動力とはなりえない。
 
 
本当の原動力は、思考を超えたところからやってくる。
 
  「思考」ではなく「無心」を、「行動」ではなく「無為」に寛ぐこと、その方が確実だ。
 
そして、その方が遥かに価値がある。
 
そうすれば魂の喜びに従い、自然に無理なく外側の行動も起こってくる。
 
 
魂からの行動を唱える人々は昔から大勢いる。
 
しかし、魂を思考レベルで解釈すると、その人の行動には無理が生じる。
 
江戸時代ならともかく、今の時代に吉田松陰の大和魂はいかがなものか・・・
 
大和魂をアラブ魂に置き換えると・・・
 
イスラム教の過激派と同じ匂いを感じてしまうのは私だけの偏見だろうか・・・?
 
 
新しい時代には、新しい改革が必要だ。
 
社会や政治の改革ではなく、自己改革こそが急務だ。
 
そしてそこから湧き上がる自然なあり方こそが、新しい時代を切り開くだろう。

他人の目

2015年1月8日(木) by キヨタカ

「対人恐怖症」で悩んでいるという方々に、時々お会いする。

他人の目が気になってしかたがない。

他者の視線を前にすると、極度の緊張状態となり、自然に振る舞う事が難しくなるのだ。

 

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実は 青春時代の一時期、私もこの症状に悩まされた。

今では、誰も信じてくれないだろうが・・・

他人の視線や思惑が気になってしかたなく、外出して買い物をするのも一大事だった。

 

しかしある日、とんでもない事実を発見した。

それまでは、無数の他者に囲まれた未知の世界の中に、不安に怯える小さな私が右往左往していた。

他人の世界で、恐怖におののきながら失敗しないように精一杯振る舞おうとしていたのである。

 

しかしよくよく考えてみると、他人が他人である事を認識しているのは、他ならぬこの私だ。

つまり、私が在る(I AM)から、他人が存在する。

他人とは、私という世界に登場するお客さんに過ぎない。

私こそが私という人生の主人公なのだ!

 

この新たな気づきは、非常に大きなものだった。

私の中で、主体と客体がグレンとひっくり返った。

そして、それまでの苦悩が一気に解放されたのである。

一夜にして、地獄がそのまま天国に早変わりだ。

 

残念な事に数週間後には、再び天国が地獄へと逆戻り(;д;)

それから再び天国が訪れるのには、長い長い時間が必要だった。

しかしこの世が地獄か天国か、それは自分次第なのだと体験的に知った事は大きかった。

おかげで、覚醒への道を歩み続ける事が出来た。

 

そもそもエゴとは、他人の目を通して形成された幻想に過ぎない。

青春時代に読んだ亀井氏の「愛の無常について」の中に、とても印象深い一節がある。

自己とは、自己の内部でなく、外部に閉じこめられている一種の「動揺」にすぎな いのではあるまいか。 

あるいは一の幻影。

 

人はそれぞれ背負っているカルマが違うので、それがいつ起こるか定かではない。

しかし 幻影から目覚めさえすれば、人はこの世の天国を謳歌できる事は確かだ。

雪上のミステリーサークル

2015年1月7日(水) by キヨタカ

 30年前のお友達、フランス人のvivianさんから下記の画像が送られてきた。

 
詳細な説明があるが残念ながら フランス語で意味不明(ρ_;)
 
TRES BEAU ! とても素晴らしい!というのだけわかったけど・・・
 

どうやら雪上でミステリーサークルが発見されたらしい。

 
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今年最初の、宇宙人からのメッセージだ!
 
これは一大事だから、さっそく修善寺日誌にアップする事にした。
 
 
 
 
だがその前に、念のためGoogleで自動翻訳してみたら・・・

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なんと、雪上アーティストSimon Beck氏の作品である事が判明。
 
新雪を求めて山の奥深くまで歩き、しかも何時間もかけて全て自力で足跡をつけて作品を仕上げるそうだ。
 
 
最初は、人間の仕業と知り拍子抜けしたけれども・・・
 
よくよく考えると、たった一人の人力のみでここまで素晴らしい形にするとは、実に驚きだ。
 
麦畑に不可思議なミステリーサークルを作って地球人を驚かせている宇宙人だって、びっくり仰天するに違いない(@Д@; 
 

NMN

2015年1月6日(火) by キヨタカ

 今回は10日間を実家で過ごし、先ほど修善寺に戻った。
 
「長いな〜」と思っていたが、過ぎてしまえばアッという間。
 
人生も、こんな風に過ぎて行くのだろうな〜。
 
 
私もいつの間にか、アッと言う間に還暦を迎えてしまった。
 
しかし本音を言うと、どうもあまり歳をとった感じがしない。
 
「最近ますます元気だから、120歳まで生きる感じがするヽ(´▽`)/」
 
と、冗談半分で人に語っていたけれども・・・
 
どうやら、本当にそうなる可能性が高い。
 
 
というのも、先日のNHKスペシャル「ネクストワールド第2回:寿命はどこまで延びるか」で、驚くべき内容が紹介されていた。
 
「先進国の寿命は1日5時間のスピードで伸び続け、30年後の平均寿命は100歳に達する」と、断定口調で語る。
 
 
さらなる驚きは、NMNという若返り物質。

Img_0047_3「NMNをネズミに投与したところ、2歳のネズミの細胞が生後6ヶ月の細胞にまで若返った」

「人間でいうと、60歳の老人が20歳の若者になるレベル」だとか・・・
 
私が飲めば、青春時代へ戻れるかも\(;゚∇゚)/
 
 
長寿を求める事は生物の本能とでもいうべきものだから、もちろん歓迎すべき事ではあるが・・・
 
しかし、よくよく熟考してみると・・・
 
苦悩や欲望に振り回されていいる人間が、寿命だけ伸ばしても、それで幸せになるとは到底思えない。
 
苦悩の期間が、引き延ばされるだけだ。
 
「長寿ノイローゼ」とか、「長寿ウツ」とかの、新しい社会現象が出てくるに違いない。
 
死にたくても死ねない、「不死の病」が蔓延する可能性だってある。
 
むしろ残り少ない1日1日を大切に生きて、いつ死んでも後悔しない生き方を最優先にしたいものだ。

満月

2015年1月5日(月) by キヨタカ  

今夜は、今年最初の満月。Img_1369
 
実家の屋根の上にも、大きな月が昇った。
 
満月の日のエネルギーは、とても強烈だ。 
 
私はサイキックな方面のエキスパートではないが、満月の日の前後はいつも非常に特別な感覚となる。
 
 
悟りと月との関係を調べてみると、満月の日に悟りを開いた人が一番多いという。
 
釈迦もOSHOも、満月の日に悟りを開いた。
 
交通事故や犯罪率と満月は相関関係がある事は、既に科学的に明らかにされている。
 
だから、悟りについても関係がある事は確かだろう。
 

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鎌倉の海蔵寺には、 底脱の井(そこぬけのい)という井戸がある。 
 
その井戸の側で、 千代能という尼僧が満月の日に悟りを開いた。
 
その時の歌が、石碑に刻まれている。
 
満月のある夜、お寺の井戸から水を汲み桶で運んでいると、桶のタガが外れてしまった。
 
その瞬間に、悟りが起こったと言う。
 
 
千代能がいただく桶の底脱けて

    水もたまらねば月もやどらじ

桶の水に映った月は、実相ではない。
 
それは、せいぜいステート オブ プレゼンスの状態で、プレゼンスをキープしようとしている私が残っている。
 
この桶の底が脱けて・・・つまり私が脱落して初めて、実相が明らかになるのだ。
 
 
アジズと出会った頃、「プレゼンスは始まりであって、まだまだ先がある」
 
と話していた事を、懐かしく思い出す。
 
「プレゼンスとは、水に映った月に過ぎない」
 
「 実相は、空に浮かぶ月そのもであり、それが魂だ」
 
 
なかなか上手い比喩だと感心していたら、アジズはさらにその奥を説明してくれた。
 
「月は実相ではあるが、本源ではない。太陽の光を反射しているに過ぎない。
 
本源としての太陽に相当するもの、それこそが普遍の私(Universal I AM)なのだ!」
 
 
願わくば今宵こそ・・・
 
恩寵の遍く光により、あなたの魂が神々しく輝き出しますように!

知らないのに知っている

2014年1月4日(日) by キヨタカ

 マインドは、『サバイバルの恐怖』がその根底にある。
 
先の事が心配でたまらない・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
 
自分を守るために、様々な知識や情報をかき集めて恐怖から逃れようとする。
 
 
ハートは、『愛と信頼』がその根底にある。
 
大いなる存在に生かされてる事を知っているから、ことさら安全を図ろうとしない。
 
先がどうなろうとも、全ては上手く行く事を信頼している。
 
知らないのに、知っているのだ。
 
だから、余計な知識は捨て去って、シンプルに生きる事が出来る。
 
昨日スカイプセッションを受けて頂いたAさんから、メールを頂きましたので転載します。
 
* * Aさんより * *
 
瞳なのに宇宙

光なのに深淵

一瞬なのにeterenal

無限の拡がりなのに中心の内側の奥底の底へguu---

一瞥なのに無量の愛

一つなのにall

無いのに確かにある

知らなかったのにしっていた


キヨタカさま
ありがとうございます
 
by A

リスクを冒さないリスク

2015年1月3日(土) by キヨタカ

 昨日は、瞑想を通した20年来の友人が来訪。
 
趣味や仕事について色々と語り、楽しいひと時を過ごした。
 
 
会話の中で彼が言うには、最近やりがいのある仕事のチャンスが舞い込んでいるとか。
 
正月早々、目出度い話だ。
 
しかし、もちろん成功する保証はない。
 
あまり若くもないから 無理しない生き方もある。
 
安いアパートにでも引っ越して、楽な仕事をして最低限の収入で満足する道を選んだ方が良いのか、意見を求められた。
 
 
リスクを冒して可能性に賭けるか、慎ましく安全な道を歩むか、誰もが一度は迷う人生の選択の問題だ。
 
どちらを選ぶべきか、決まった結論がある訳ではない。
 
要は、魂の声に従って生きるかどうかの問題だ。
 
 
しかし 彼の魂は新しい可能性にチャレンジしようとしていて、その潜在能力も十分備わっているのが明確だった。
 
だから、迷わずリスクのある方を選ぶようサジェスチョンした。
 
失敗して後悔する可能性はもちろんあるが、少なくともそこから新しい可能性が開くだろう。
 
さらに少なくとも魂の声に従ったという、何にも代えがたい充足感を得られる。
 
しかし、安全のために魂の声を無視してしまった場合の後悔は、拭い去るのが難しい。
 
 
その前日、NHKの新春スペシャル番組で、iPS細胞の山中教授が登場、「リスクを冒さないリスク」について語っていた。
 
「若い時は、失敗してもいいと思い無茶をした」20130904_1524750
 
「50過ぎた今は、残りの人生が少ないので先延ばしも出来ず、リスクを冒さないリスクを後で挽回できない。
 
だから、なおさら失敗してもいいと思い、無茶をし続けている」
 
というような事を語っていた。(言葉は不正確・・・)
 
 
友人に山中教授の話をしたら、彼もその番組を見て感動したと言う。
 
魂の声に従い、一歩を踏み出そうとすると、それを後押しする偶然の一致が色々と起こってくる。
 
それは、たまたまテレビを何気なく見ていたりとか、他人との何気ない会話の中でやって来る。
 
 
彼は、最近様々な状況の中で色々とサポートされているのを感じていると言う。
 
願わくば、魂の声に従い潜在能力を開花させて充実した人生を歩みますように!
 
そして 単に願うだけでなく、力の限り応援したい。

毎日が特別な日

2014年1月2日(金) by キヨタカ

新年の定番といえば、『今年の抱負 』

ちょうど良い機会なので、私も考えた。

 

『地上に天国の雛形を作る』というのが人生を貫く大きな抱負だが、ちょっと気負い過ぎなのでそれはさて置き・・・

『毎日が特別な日として過ごす』というのを、今年の抱負としよう。

 

初日(1月1日)は、人生初の元旦セーリングを敢行。

しかも、実家の近くの利根川だったので、極寒のウィンドとなった。

ちらほらと雪が舞う天候で、そのあまりの冷たさに通常の思考は完全停止!

期せずして、ノーマインドの極致を味わえた。

今年の抱負の初日としては、生涯忘れる事の出来ない特別な日となり、上々のスタートである。

 

古来より、寒中水泳 とか寒中稽古とかを真冬に行なうのが定番となっているが・・・001372acd73d0e793a2a16

マインドを強制終了して、意識を『今・ここ』へとリセットさせるには、絶大な効果をもたらす。

 

私の場合、毎朝お風呂に入る贅沢を楽しんでいるが、お風呂から上がる時に必ず冷水シャワーを浴びる事にしている。

『プチ滝行』の効果は絶大で、非常に簡単に意識が『今・ここ』へと目覚める。

 

すると、天国は既に成就しているのが自ずと明らかになる。

地上天国の到来だ!

そうすれば、『毎日が特別な日』なのである。

 

もしもあなたが、マインドの地獄からの脱却を切に願い、瞑想しても何の変化も起こらないなら・・・

近くの川か海に飛び込んだり、冷水シャワーを浴びてみると良い。

直ちにマインドが吹き飛んで、ノーマインドの天国を味わえる事だろう。

 

ただし、安全と健康状態を十分に配慮する必要がある。

川に飛び込んで警察沙汰になったり、冷水シャワーを浴びて心臓マヒを起こしても、

当局(リーラスペース)は一切関知しないから、そのつもりで( ̄Д ̄;;

新年あけましておめでとう!

2014年1月1日(木) by キヨタカ

4941s2 新年 あけまして おめでとうございます(*^-^)
 
今年も どうぞ よろしく!
 
 
今朝はとても寒かったけれど、栃木の実家は日本晴れ!
 
こちらへ引っ越した当初は、元日の美しい日の出が拝めたものだ。

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半世紀も経つと、田んぼが住宅になり 新幹線も建設され・・・
 
おかげで 我が家の日の出はご覧の通り、ごく平凡な姿に(;д;)
 
 
しかし、世界のどんな場所から眺めようとも、太陽はただ一つ。
 
我が家に登る日の出も、富士山頂からの日の出も、違いはない。
 
我々の『THIS』もまた然り。
 
神や仏の姿は無数にあれど、元へ辿ればただ一つ。
 
 
キリストやブッダの『THIS』は、とても神々しく輝いている。
 
それと比べてしまうと、我々の『THIS』は、ごく平凡なものに見える。
 
だから、それをごく当たり前のものとして『見過ごして』しまいがち。
 
 
しかし今年こそ、このごく平凡に見える内なる『THIS』を大切に育もう!
 
いずれ、このなんでもない『THIS』が・・・大変貴重な宝物へと磨かれて・・・
 
必ず 真昼の太陽の如く、燦々と輝き出す事でしょう(* ̄0 ̄)ノ

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