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吉田松陰

2015年1月10日(土) by キヨタカ

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 先日ふらりと近所の本屋に立ち寄ったら、吉田松陰関連の本が店頭に山積みになっていた。
 
NHKの大河ドラマの影響である事は間違いない。
 
 
私の青春時代は、考えてばかりいて行動が全く伴わなかった。
 
だから 当時は、吉田松陰みたいに「思考と行動」が一致している人が羨ましくて仕方なかった。
 
「東北の海防調査が必要」と考えると、脱藩してまで旅立ち・・・
 
「海外の知識が必要」と考えると、密航を企てペリー艦隊の黒船に乗り込み・・・
 
「幕閣要人の暗殺が必要」と考えると、弟子たちに決起を促し・・・
 
どう逆立ちをしても、あのクレージーな行動力は真似出来ない(ρ_;)
 
 
しかし今、松陰の倍の年齢を生きてみて、ようやく分かった。
 
「思考と行動」とを一致させようとしても、無理がある。
 
「思考」は「行動」の真の原動力とはなりえない。
 
 
本当の原動力は、思考を超えたところからやってくる。
 
  「思考」ではなく「無心」を、「行動」ではなく「無為」に寛ぐこと、その方が確実だ。
 
そして、その方が遥かに価値がある。
 
そうすれば魂の喜びに従い、自然に無理なく外側の行動も起こってくる。
 
 
魂からの行動を唱える人々は昔から大勢いる。
 
しかし、魂を思考レベルで解釈すると、その人の行動には無理が生じる。
 
江戸時代ならともかく、今の時代に吉田松陰の大和魂はいかがなものか・・・
 
大和魂をアラブ魂に置き換えると・・・
 
イスラム教の過激派と同じ匂いを感じてしまうのは私だけの偏見だろうか・・・?
 
 
新しい時代には、新しい改革が必要だ。
 
社会や政治の改革ではなく、自己改革こそが急務だ。
 
そしてそこから湧き上がる自然なあり方こそが、新しい時代を切り開くだろう。

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     一歌

        ”蟻はアリ(在り)

               蛙はカエル(帰る)

                       鷲はワシ(儂)

                               人で無しから

                                    ヒトデナシ(佛)かな”

                Yょㇼ

                                                  敬白

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