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ゆがんだ鏡

2015年1月11日(日) by キヨタカ

 真我はよく鏡に例えられる。
 
鏡はあるものをあるがままに映し出す。
 
しかし鏡が曇っていると、あるがままに映し出す事が出来ない。
 
だから、この曇りを払拭する必要がある。
 
瞑想は、そのための方便だ。
 
瞑想してマインドという曇りを払拭すれば、やがて真我としてあるがままの世界を享受する事が可能となる。
 
 
私の場合、子供の頃からのマンイドの条件付けがとても強かった。
 
だから、瞑想しても曇りを払拭するのに相当の年月がかかった。
 
しかし瞑想が効果的だった事は経験上断言できる。
 
 
しかし、どんなに瞑想しても真我が目覚めにくいタイプの人もいる。8ca80ddf3edc244a2d948ec4433993a4154
 
真我としての鏡自体がなんらかの理由で『ゆがんだりヒビが入っている』場合だ。
 
真我には、本来形がないのでゆがんだりしないはず。
 
正確に表現すると、『自我が形成する以前の胎児か新生児の時代に受けたトラウマにより、意識のコアが深く傷ついてしまう』という事だ。
 
こうした方々にとっては、見るもの聞くもの全てがゆがんでしまうから、この世は生きているだけで地獄になる。
 
「ただ生きる」という事に全エネルギーを消耗してしまうから、瞑想しても源泉から湧いてくるエネルギーなど幻想としか思えない。
 
 
 
側から見ると、一見可哀想にも思えるが、実はそうではない。
 
『目覚め』の観点からは、私なんかよりも遥かに素晴らしいポジションにいる。
 
生きる事に喜びがないから、自己価値も極端に低い。
 
「こんなしんどい人生はいつ終わっても構わない」と心底思っている。
 
だから、いずれ人生に絶望するポイントが訪れる。
 
すると、簡単に自我を手放せるのだ。
 
 
『目覚めた』と主張する人々の経緯を調べてみると、「よく自殺しなかったな〜」と感心してしまうような絶望的な人生を歩んだ方々がかなりいる。
 
人生に絶望する事は、あくまでも自我からの視点であり、真我からすれば姿を変えた恩寵なのだ。
 
人生が苦しくて一生懸命に瞑想しても解放が起こらない方は、このタイプかも知れない。
 
姿を変えた恩寵が燦々と降り注ぎますように!

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コメント

拝啓、、、。

     一歌

         ”真我故

               鏡に映る

                     真如かな

                           乱されて尚

                                   あるがままなり”

 P・s、、、「と、いきたいもんですな~」 と【マインド】                                                                                                                                        振り返る気づいたは 「う~ん」 と【知性】

       気づきに定まり 『、、、、、』 と【プレゼンス】(感覚OK!) 


 =”コレ”だけは、諦められない、、、地獄の苦しみを麻痺するよりマシ(雲泥か^^)= 

               Yょㇼ

                                                  敬白

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