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2015年2月

愛でる

2015年2月26日(木) by キヨタカ

 朝起きて、最初に『抹茶』を点てる。
 
清々粛々と、お茶を楽しんでから一日が始まる。Img_1534_2
 
最近の新生活習慣として、定着しつつある。
 
『お茶』は、私にとって『覚醒/プレゼンス』のシンボルだ。
 
最近は抹茶チョコレートにまでハマり、反省中( ̄Д ̄;;
 
 
夜は、『温泉』を入れて、ゆったりと寛ぐ。
 
今日一日で起こった事のすべてに感謝して、床に着く。
 
『温泉』は、私にとって『寛ぎ/ビーイング』のシンボルだ。
 
『お茶』も『温泉』も、日本の代表的な伝統文化。
 
それが実は、ごく自然に瞑想と深く結びついていた事を今更ながら気づき驚いている。
 
 
『プレゼンス』に『ビーイング』とくれば、トリは『ハート』で締めたい。
 
日本文化と『ハート』はどう関わっているのだろうか?
 
最初にピンと来たのが、『祭り』
 
ハートをとても重視していたOSHOは、3L(Live/Love/Laugh) を標榜していた。
 
『生/愛/笑』は、祭りの本質でもある。
 
 
『祭り』の語源は『祀る』こと。
 
本来は神を『祀る』ことであり、祈りに満ちた神道的な儀式と直結している。
 
「神道的な影響で、日本人のハートはもともと開いていた」とフーマンも語っている。
 
しかし『祭り』は、非日常的な空間であり、どうもしっくりとこない。
 
日常生活に密着した、ハートにまつわる文化はないのだろうか?
 
 
今朝お茶を飲みながら、ヨガビと話しをして導かれた結論が・・・
 
『愛でる』という事。
 
四季折々の自然をあるがままに受け入れて、花鳥風月を『愛でる』
 
さらには、恋人は親子や隣人も『愛でる』
 
あるものをあるがままに受け入れて賞賛する行為は、まさにハートそのもの。
 
中東の砂漠地帯のような過酷な自然環境では、こうした感性は育ちにくい。
 
また、自然を人間の都合に合わせて造成する行為を『創造的/クリエティブ』と評価する西洋文明にも馴染まない。
 
まさに、『愛でる』ことこそが、日本文化の真骨頂なかも知れない。
 
ハートが開いて『愛でる』ことができれば、生きとし生きるもの全てが愛おしい。
 
もちろん、イノシシだって例外ではない。
 
・・・はず(^-^;

開眼

2015年2月25日(水) by キヨタカ

 大風が吹けば喜ぶのは、桶屋の他にはウィンドサーファーぐらいだろう。D00e76a48e3be97aaa1019cebfdd4018

一昨日(月曜日)は、待ちに待った『春一番』の風が吹いた。

とても暖かく、風もそれほど強くない。

絶好の、ジャイブ(風下方向転換) 練習日和。

地元ゲレンデの牛臥海岸で、くたくたになり日誌を書く気力を失うまで、ウィンドに没頭。

しかしあと一歩まで迫ったが・・・最後の詰めが甘く、轟沈。

相変わらず、『ジャイブ出来ない私』のままだった・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

 

あまり悔しいので、昨日は日帰りでわざわざ御前崎まで遠征。

海にいる時間より、往復のドライブ時間の方が長い。

アホみたいだけど、現場に行くと、大阪や京都方面から来ている人もいて・・・

「伊豆からですか、近くていいですね〜」

と、マジで羨ましがられる。

しかも、平日の真昼間に・・・

『世の中には、浮世離れした人もいるもんだ!』

と、自分の事は棚にあげて、感心することしきり。

 

・・・それはともかく、嬉しい大ニュース。

大波の中で何度かトライして、ようやくウェイブ・コンディションでジャイブが出来ました!!

ジャイブに取り組んでから、3年が経過。

『海の上にも3年』とは言わないが・・・

とうとう、やっと、遂に、『ジャイブ開眼』ヽ(´▽`)/

 

一度成功すると不思議なもので、意識がガラリと変わった。

その後も相変わらず失敗し続けたが・・・

『ジャイブ出来る私』が、今回は失敗した、と思えるようになった。

『ジャイブ出来ない私』が、消え去ってしまったのである。

たった一度成功した事で、自信が生まれ、ウィンドパフォーマンスが驚くほど向上したのを肌で感じている。

 

世の中には、「自信のない人」が結構いる。

実は私もその一人である事は、『恩寵の扉が開くまで』の中で恥ずかしながら暴露してある。

フーマンは何度も何度も私に働きかけてくれた。

『自分自身に対する自信を持ちなさい』と、耳にタコが出来るくらい言われた。

 

しかし、フーマン存命中はとうとう本当の自信を持つことは叶わなかった。

どんなにすごい人から励まされても、それはしょせん外側からのエネルギー。

本当の自信は、体験から生まれる。

成功による充足感や高揚感といった内面から湧いてくるエネルギー的な裏ずけがあって初めて獲得出来るようだ。

 

だから、何んでも良いから「成功体験」が大切。

ジャイブの様に、成功するのに3年もかかるものは、ちょっとハードルが高すぎるかも知れない。

3年経っても成功しないと・・・

「けっきょく、私ってダメなのよね〜(ノ_-。)」

と、ダメのダメ押しになってしまうかも。

 

最初は、ほんの些細な成功体験でいい。

朝15分早く起きられたとか、嫌いだった隣のおばさんに元気よく挨拶できたとか・・・

小さな成功体験の積み重ねが、自信となりエネルギー的にもシフトして・・・

「出来ないダメな私」が、消え去っていく。

するといつの間にか、魂の喜びに満ち溢れた、自信のある私が顕現し始めるのである。

遂には、成功も失敗も笑って楽しめるようになる。

 

今朝は、今年初めてウグイスが鳴いた。

Img_4494 庭のモクレンの蕾も、かなり大きくなった。

春が訪れると、当たり前だが冬は消え去る。

今年の冬の海は厳しかった。

しかしあんなに寒かった冬が、今では懐かしくさえ思える。

 

『人生の冬』とは、来たるべき『人生の春』をより謳歌するための準備期間だ。

より暖かい春を楽しむには、より厳しい冬の方が有り難みが増すのかも・・・。

カモメのジョナサン

2015年2月23日(月) by キヨタカ

 「カモメのジョナサンの最後ってどうだっけ?」Unknown
 
昨日ヨガビに聞かれた。
 
確か私が高校生の頃ベストセラーとなったリチャード・バックの有名な小説。
 
「食うことではなく、空を飛ぶこと自体に生きがいを感じる」という内容だったことは覚えているが・・・
 
 
果たして、最後はどうだったのか?
 
さっそくネットで調べた。
 
 
『飛行おたく』となったジョナサンは、「食うこと」に力を注がず飛ぶことに専念してばかりいたので、とうとう群れから追放されてしまう。
 
しかし、 それでも速く飛ぶ方法を追求し続けて・・・
 
遂にはもっと高い所(天国)へ修行の旅に出て、真実に目覚める。
 
なんと瞬間移動もできるようになったのだ!
 
天国から戻ったジョナサンは、若いカモメに真実を伝授。
 
フレッチャーというカモメを後継者に任命して、自らは別の場所にいってしまった。
 
 
驚くほどのステレオタイプなスピリチュアルなオチで、
 
思わず吹き出してしまった(´,_ゝ`)プッ
 
しかし70年代当時の人々にとっては、非常に斬新だったに違いない。
 
全世界で4千万部を超えるベストセラーになったというのだから、驚きである。
 
 
『生きるために食べるべきで、食べるために生きてはならない』
 
と、ギリシャの哲学者ソクラテスは言う。
 
『道心の中に衣食(えじき)有り、衣食の中に道心無し』
 
と、天台宗の開祖最澄も言う。
 
例えどんなに この地上で大成功をおさめ物質的に恵まれたとしても、心からの満足が得られない事を知っている人がいる。
 
そうした人々は、孤独だ。
 
しかし敢えて孤独を選び、自己に内在する可能性を追求せざるを得ない。
 
そうすればやがて正しいタイミングで魂が目覚め、神の栄光と喜びに包まれる日が訪れる。
 
 
ジョナサン問答というのがある。
 
カモメが100羽いたとしたら、その中の一羽の名前はジョナサン。
 
それでは、他の99羽の名前は?
 
 
 
答え:カモメのミナサン。
 
孤独を恐れ、「カモメのミナサン」に追従する必要はない。
 
「カモメのミナサン」があなたを非難する時、それはあなたが真実への道を一歩踏み出した事の証明なのだ。
 
だから、空高く飛翔するためのエールとして、ありがたく受け止めよう。
          清く  かがかに
 
             貴く  ただひとりに
 
                なんじ  星のごとく
                      
   (by 佐藤 春夫)
 

狸奴白牯(りぬびゃっこ)

2015年2月22日(日)  by キヨタカ

〜ン!
 
『脳天をかち割られたような衝撃!』Photo
 
という表現がピッタリの出来事が起こった。
 
先週2人の友人の応援もあり、せっかくフェンスのネット補強をしたばかりなのに・・・
 
庭の鉄製フェンスに大穴があいているのを発見!
 
イノシシ恐るべし。
 
 
予算の関係で、とりあえず防護ネットを張りめぐした。
 
しかし「ネットの量が不十分」という近所のおじさんの指摘を受け、現在はネット増強中。
 
それでダメなら有刺鉄線→次に養生用の鉄柵→電気柵
 
と防衛手段をあれこれ画策。
 
最後の砦が鉄製フェンスと想定していたのに・・・
 
早くも想定外の出来事が起こってしまった(ρ_;)
 
どうやら人間の知恵を、遥かに凌駕する能力があるようだ。
 
 
ここでいつもなら大騒ぎするのだが・・・最近は余裕がある。
 
いつも通り(・・・と言っても4日目だけど)、お茶の用意をする。
 
今・ここには、穴もイノシシもない。
 
 
抹茶の点てながら、しみじみ思った。
 
野生って凄い!
 
野生動物の底力に、畏敬の念がふつふつと湧いてくる。
 
「畜生は人間より偉い」105touhaku_zensyusosi
 
とは、禅問答で猫を両断してしまった事で有名な、中国は唐のマスター南泉の言葉だ。
 
「だったら猫を殺すなよ!」
 
とツッコミたくもなるが、それはさておき・・・
 
碧眼録という禅問答の教科書には、南泉和尚の次の言葉が載っている。
 
三世諸仏有るを知らず、狸奴白牯(りぬびゃっこ)却って有るを知る
                                                 (『碧巌録』六十一則)
 
狸奴白牯とは畜生のこと。
 
「この世界に〝真実なもの〟があることは、三世(過去・現在・未来)に現われる仏たちでさえ気づかないが、むしろ狸や牛のような畜生の方がよく知っているぞ」
 
と和尚は看破したのだ。
 
 
よくよく考えてみれば、ここはもともとイノシシの居住区域。
 
今から50年前に、修善寺ニュータウンという別荘地域が開発された。
 
イノシシにとっては、人間の方が侵入者なのである。
 
 
イノシシとの戦いは、ちょっと一休み。
 
抹茶を一服
 
ほっと、一息ついて・・・
 
イノシシに敬意を払いつつ、共生の道を探ろう。

全身全霊

2015年2月21日(土) by キヨタカ

Img_1525  今朝は、まだ暗い内に目が覚めた。
 
朝起きて、顔を洗い歯を磨く。
 
いつも通り、朝一番でお抹茶を点てる。
 
「美味い(*^-^)」
 
気分もシャッキリ、新しい覚醒の一日の始まりだ!
 
 
なにしろ抹茶にハマって、まだ3日目。
 
礼儀作法も知らず、点て方も不器用で「お抹茶」というのも憚れる。
 
しかし「比較」さえしなければ、それはそれで完璧にO.K。
 
不完全だからこそ、さらなる美味さを追求する楽しみもある。
 
全身全霊を込めた行為をよしとしよう。
 
 
私がウィンドサーフィンにハマっているのは、全身全霊をかけられるスポーツだから。
 
荒海で沈すると、命の危険に関わる。
 
だから自ずと、全身全霊とならざるを得ない。
 
そこで必然的に派生する覚醒意識と生命の躍動感は半端ではない。
 
冬山登山やバイクレース等、危険なスポーツに命をかける人々が大勢いるのは、そうした魅力の虜になっているからだろう。
 
 
しかし、顔を洗ったり歯を磨いたり、お茶を飲んだり・・・当たり前の物事に全身全霊を傾ける人々は稀だ。
 
茶道の奥深さはそこにある。
 
文字通りの日常茶飯事に心を込めて、丁寧に大切に生きる。
 
すると当たり前の生活の中に神性を見出せる。
 
この世はあるがままで天国!
 
『当処即ち蓮華国    此の身即ち仏なり』の世界が、現前するのだ。
 
 
そうこうしている内に、朝日が昇り、富士山も姿を現した。
 
Img_1527 今日は頭が雲に覆われて、不完全な姿。
 
しかし今日という富士山は、今日1日限り。
 
2度と同じ日は来ない。
 
だから、不完全なままで完璧にO.Kなのだ。
 

抹茶ブーム再燃

192015年2月19日(木) by キヨタカ

 静岡県は、言わずと知れたお茶の名産地。
Photo_7
 
全国の茶園面積の40%を占め、ブッチ切りで一位だ。
 
川根温泉の帰り道、せっかくだから牧之原台地にある『お茶の郷博物館』へ立ち寄った。
 
 
ここ牧之原台地だけで、『全国の茶園の12%を占めている』という。
 
Photo_8 そう言われるまで知らなかったが、見渡す限りのお茶畑を見れば一目瞭然。
 
遠方の海は太平洋、真ん中辺りが例の御前崎。
 
今シーズン、遂にウィンドデビューした荒海だ。
 
写真よりも左手には、清水港がある。
 
清水の次郎長親分の縄張りだったところだ。
 
「「旅ぃゆけばぁあぁ~、駿河の国にぃ~茶のかおり~」
 
この景色を眺めているだけで、とても悠長な気分に浸れる。
 
 
博物館は体験型で、とても楽しめた。

Photo_10

お勧めは、「茶室セット」(入場料プラス400円)
 
隣接の超本格的な日本庭園付き茶室で、作法通りにお抹茶を頂ける。
 
茶道は知らなくても大丈夫だから、お気軽にどうぞ。
 
 
伝統的茶室で茶道のプロが立ててくれた抹茶は格別Σ( ̄ロ ̄lll)
 
非常にクリーミーでほのかに甘い。
 
思わず 「お代わり!」というのを、グッとこらえた。
 
 
実は以前、抹茶にはまった事がある。
 
ン万円の茶碗を買ったりもしたのだが・・・
 
悔しいけれども、その味の差は歴然。
 
とてもこんなに美味しくは点てられない。
 
他のお客さんがいない事を幸いに、その場で抹茶の上手な点て方のコツをあれこれと伝授してもらった。
 
 
土産物コーナーでは 、さっそく「茶筅」と「抹茶」を購入。
 
穂先の数が多いほど泡立つ筈と勝手に解釈して、今回は「120本立て」にした。
 
肝心の「抹茶」は、練習を積み重ねる必要があるので安い方で我慢。
 
 
家に戻るなり、ン万円の茶碗と茶杓を久しぶりに取り出して、さっそくトライ。
 
Img_1523 ところが、 言われた通り点ててみても、泡の量が半分以下。
 
当然ながら、同じ味も出ない(^-^;
 
瞑想であれウィンドサーフィンであれ、極めようとすると実に奥が深い。
 
 
なにはともあれ、しばらく抹茶ブームが再燃しそうだ。

川根温泉

2015年2月18日(水) by キヨタカ

 静岡県は、日本有数の温泉地。
 
修善寺に越してきたばかりの頃は、ヨガビと2人で県内各地の温泉巡りドライブを楽しんだものだが・・・それも今は昔。
 
最近は、めったに温泉巡りをする事はしなくなった。
 
数年前に、我が家に温泉が導入されてからは:
 
「我が家の温泉が伊豆半島で一番の泉質(* ̄0 ̄)ノ」
 
と自慢つつ、もっぱら自前の温泉で十分満足している。
 
 
しかし今日は珍しく、本当に久しぶりに『川根温泉』までドライブ。Img_3894
 
川根は静岡県の中部に位置し大井川を上流に遡って行くのだが、銘茶『川根茶』の産地として有名。
 
しかし、川根にそんな立派な温泉があるとは今まで知らなかった。
 
それもそのはずで、ここの源泉が掘られたのは今からまだ20年前の事。
 
弘法大師が掘り当てたと言われる修善寺温泉に比べると、まだ「ひよっ子」にもならない生まれたての温泉場だ。
 
 
しかし実際に入ってみて、その泉質に驚いた。
 
我が家の温泉を数倍濃くして、そこにミネラル塩と鉄分をたっぷり入れた感じ。
 
しかも、全浴槽(男女11か所)が贅沢な事に完全掛け流しだ。
 
弘法大師もびっくりするくらいの、霊験あらたかな温泉だと思う。
 
20150218_230453 しかも、眼前は雄大な大井川の河川敷が広がっている。
 
SL列車で有名な大井川鉄道の鉄橋を眺めなら、露天風呂の眺望を存分に楽しむ事が出来た。
 
 
 
温泉でゆったり寛ぎながら、しみじみと思った。
 
瞑想修行とは、温泉の掘削作業のようなもの。
 
ひとは誰もが、内側に心の温泉を宿している。
 
自然に自噴しているラッキーな人もいるけれども・・・それは例外。
 
普通の人にとっては、源泉を掘り当てるのは容易ではない。
 
しかし、いったん源泉を掘り当てさえすれば、心の温泉は文字通り泉のごとく湧き出でる。
 
そうすれば、自分が癒されるだけでなく、その温泉に触れる大勢の人々を癒す事が出来るのだ。

ニュースにならないニュース

2015年2月17日(火) by キヨタカ

 パソコンと身体のシステムダウンで、3日間世間のニュースから遠ざかった。
 
テレビと新聞がないので、ネットが唯一のニュース取得の手段。
 
久しぶりのニュースを見ると、いつも通り殺人事件やら経済問題が満載。
 
「 世の中は大変だな〜┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~」
 
と自動的に反応している自分がいる。
 
 
しかし、よくよく冷静に考えて見ると、少なくとも私の近所は平穏無事。
 
殺人事件はもちろん、口論さえも聞こえてこなかった。
 
先ほど近所の公園を散策してきたが、年配のおばさん(・・・実は私より年下かも(;д;)
から声をかけられて、会話が弾んだ。
 
この3日間、私の周囲は平和そのもだ。
 
 
私の周囲の「平和な世の中」と、ニュースで感じる「大変な世の中」とのギャップは実に大きい。
 
「 天国と地獄」ほどの隔たりだ!
 
果たしたどちらがリアリティ(現実)だろう ?
 
当然、「平和な世の中」の方がリアリティだ。
 
私の実体験だから。
 
 
しかし、私がいくら年配のおばさんと親しく会話しても、それがニュースになる事は絶対にありえない。
 
万一口論になって彼女をぶん殴りでもすれば、初めてニュースとなり得る。
 
殺人事件にでも発展すれば、ようやく3面記事に昇格だ。
 
 
私にとってはありえない話だが、世の中は広い。
 
今日一日だけでも、知らないおばさんと親しく会話したおじさんは星の数ほどいる。
 
その内の一組が、いつの間にか口論となり、殺人事件に発展する可能性だって、「ごくたま〜に」あるだろう。
 
 
するとそれがたちまち大ニュースとなる。
 
そのニュースを聞いたおばさんは、「公園で知らない年配のおじさんに声をかけるは危険!」という事になり・・・
 
そうしたおばさんが例え公園を散歩しても、楽しさは半減してしまう。
 
私のようなおじさんと、親しく会話するチャンスを逃すから・・・
 
 
ニュースに騙されてはならない!
 
世の中は平和だ。
 
この世は、善男善女の集合体だ。Artworks000014911241oxeps6original
 
私は安心して、この世に寛げる。
 
これこそが本当の『福音』であり、『グッド・ニュース』だ。
 
ニュースを遮断することで、絶対にニュースにならないニュースを再確認出来て嬉しい(*^-^)

システムダウン

015年2月16日(月) by キヨタカ

 金曜日の昼間、パソコンでメールを受信していたら突然不具合が発生。
 
マックユーザーならお馴染みの、「レインボーのくるくるカーソル」が止まらなくなってしまった(;ω;)Unknown
 
何度再起動をかけてもダメ、あれこれと模索しているうちに状況がさらに悪化、遂にシステムダウンしてしまった。
 
結局全データーを消去して一度真っさらにして、「バックアップからの復旧」を目指す事になった。
 
新たにデーターを入れ直すので、半日以上かかるし、上手く行く保証もない。
 
 
夕食後・・・ おそらくパソコン不具合によるストレスと思うが、大量のピーナッツを皮ごと食べまくってしまった。
 
「食べ過ぎた!」と思ったけれども、時すでに遅し。
 
Unknown1_2 真夜中に気分が悪くなり、トイレで5〜6回も嘔吐。
 
おまけに翌朝から、下痢。
 
私の体も、パソコンとシンクロしてシステムダウンしてしまった。
 
 
土曜日はまる一日寝ていた。
 
最近ず〜っと体調が良かったので、床に伏せるのは何年振りだろうか?
 
多少苦しかったけれども、自分の体に内在する治癒力を信頼して身を委ねる感覚は神秘的ですらあった。
 
 
日曜日の夜に、2日ぶりで固形食の玄米を頂いたが、その美味しかった事!
 
玄米と味噌汁と納豆と漬物だけだったが、どんな高級料理をも凌駕する味。
 
気づきが、気づきの対象物から離れて気づきそれ自身に戻る時、目覚めが起こる。
 
味覚もまた然り。
 
味覚が、味覚の対象物から離れて、味覚の主体が目覚める時、本当の食物の味を堪能できるのだ。
 
 
システムダウンのお陰で 味覚も体力もすっかり復旧、パソコンも無事に復旧した。
 
復旧というよりも、刷新されてフレッシュになった感覚が嬉しいヽ(´▽`)/

3人寄れば・・・

2015年2月12日(木) by キヨタカ

 一昨日より、Aさんが滞在。
 
本格的なイノシシ対策を行う。
 
 
まずイノシシの侵入経路を特定。
 
正門ゲートの左手はコンクリートブロックになっている。
 
背丈より高い立派な城壁になっているのが、そこに爪痕が・・・(@Д@;
 
ちょっと信じられないが、どうやらこの壁をよじ登って侵入していたらしい。
 
完全な盲点だった!
 
 
問題が明確になれば、それにふさわしい適切な対策も打てる。
 
1人だと途方に暮れるばかりだが、2人だと次々に面白いアイディアが浮かぶ。
 
2人で「あ〜だ、こ〜だ」と楽しくやっていたら、思いがけず近所のおじさんが参入。
 
やはりイノシシ被害に頭を悩ませていたそうだ。
 
『3人寄れば文殊の知恵』とはよく言ったものだ。
 
さらに、アイディアがより具体的な形になって・・・
 
 
結局おじさんからコンクリートドリルを借りて、立派な鉄柵を設置する事になった。
 
Photo アンカーの打ち方や、セメントの作り方等々、全く初めての事ばかり。
 
業者に頼むと相当の出費となるはずだったが、お陰で最低限の経費で済ます事が出来た。Img_1485
 
 
 
 
さらに昨日は、新潟からわざわざFさんも駆けつけてくれて大助かり。
 
破壊された敷地内の整地や防護ネットの増強まで、予想を遥かに上廻るペースで仕事が進んだ。
 
途中で、イノシシに掘り起こされた水道管が外れて大噴水のハプニングもあったが・・・
 
終わりよければ全て良し(◎´∀`)ノ
 
イノシシが敷地を破壊してくれたお陰で、創造的なワークを体験をする事が出来た。
 
 
今更ながら、こうした緊急事態に無償で応援に駆けつけてくれる友人がいる事の幸せを改めて実感。3
 
自分がいかに恵まれた環境にいるのかを、しみじみと感じている。
 
この感謝の気持ちを、瞑想を通して皆さんに分かち合って行きたいと、新たな決意が生まれている。

機嫌

2015年2月9日(月)by キヨタカ

Img_4520_2  機嫌の良い人と悪い人がいる。
 
機嫌の良い人といると、こちらも気分が良くなりご機嫌となる。
 
だから機嫌の良い人はご機嫌な相手の影響を受けて、ますます機嫌が良くなる。
 
 
機嫌の悪い人といると、こちらも気分の悪くなり不機嫌となる。
 
453190696 だから、機嫌の悪い人は不機嫌な相手の影響を受けて、ますます不機嫌となる。
 
お互いに機嫌がわるければ、一緒にいるのは苦しい。
 
苦しいのは相手のせいだと思うから、相手を排除しようとして・・・
 
無視したり、喧嘩したり、・・・はたまた殺し合いになったりする。
 
戦争だって、もともとは不機嫌な集合的無意識の必然的な結末なのだ。
 
 
お互いに機嫌がよければ、一緒にいて楽しいから、なにか創造的な仕事や遊びが起こる可能性も生まれる。
 
だから「ご機嫌」でいる事は、世界人類が平和である事に大いなる貢献をしている事になる。
 
大袈裟な事ではなく、本当にそうなのだ。
 
 
テレビやネットでニュースを見ると、世界は相変わらず戦争やら意味不明の殺人事件やらで満載、さながら阿鼻叫喚地獄を見ているようだ。
 
しかし、私が現存している今・ここは平和そのもの。
 
私の周囲にだれも喧嘩している人はいないし、殺人事件も戦争もない。
 
だからテレビやパソコンから離れさえすれば、正々堂々とご機嫌でいる事が出来る。
 
 
しかし現実に たとえ周りに不機嫌な人がいても、ご機嫌でいる事が出来れば、最高だ。
 
外側がいかなる状態であろうとも、ご機嫌で在れる事、それが瞑想がこの世にもたらす最大の功徳の一つだ。

金太郎飴

2015年2月8日(日) by キヨタカ

 先日、OSHOの本を久しぶりに読み始めたが、「第2章まで読んで本棚に戻してしまった」と書いた。
 
別にOSHOに飽きた訳ではない。
 
それどころか、OSHOの洞察の深さを再認識出来て、感慨深いものがあった。
 
 
不生禅で有名な江戸時代の覚者:盤渓和尚は、「不生で一切が整う」と説いた。
 
何を問われても、「不生」を軸として、やさしい言葉で人々を教導したと言う。
 
中国の倶胝和尚は、何を問われても、ただ指一本を立てて(一指頭禅) 導いたとか・・・。
 
 
禅の世界では、こうしたシンプルな教えのマスターが多い。 
 
OSHOはタントラマスターを標榜するだけあって、その世界は万華鏡の様に多彩だ。
 
「OSHOは全ての道をテーブルの上に広げた」とフーマンは語る。
 
だから、そこから勝手にOSHOのメッセージを我田引水したり、誤解したり毛嫌いしたりする人も結構いる。
 
 
しかし、究極の真理はたった一つ。
 
縦横無尽に語られる饒舌なOSHOの書物は、どの頁を開いても、そこにたった
Images
一つの真実が隠されている。
 
それはちょうど金太郎飴のようだ。
 
どこを切り取っても、そこに真実が顔がある。
 
 
盤渓や倶胝和尚であれば、その顔つきが同じだから分かりやすい。
 
OSHOの場合、その顔つきが多義に渡るので、人によっては戸惑う。
 
しかし多彩な顔つきの背後にある「金太郎」を読み解けるようになると、OSHOワールドの深みにハマるのだ。
 
 
ところが、その金太郎とは実は自分の事だったと知り、自己という書物をダイレクトに読み始める時がやって来る。
 
その時、外側の書物は不要となり、本棚に戻されるのだろう。
 
 
私の古くからの友人の中には、OSHO関連の本を全部処分してしまった人も結構いる。
 
私の場合、こうして時々手にする事で、その時々の自分の立ち位置がより明確になるので、まだ手元に残して置くようにしている。
 
別に、昔の恋人に執着している訳ではない。
 
OSHOやフーマンといった覚者は、時空を超えている。
 
だからいつも「今・ここ」にいる、永遠の恋人なのだ。

破壊

2015年2月7日(土) by キヨタカ

 一週間ぶりに、修善寺へ戻る。
 
出かける前に一部荒らされていたので、なんだかいや〜な感じがしていたのだが・・・
 
 
案の定、施設の庭がとんでもない事に・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
Img_1433 
あたかも、空爆された戦場みたいコンクリートの敷石やブロックが徹底的に破壊されている。
 
被害状況から推測すると、とても巨大なイノシシらしい。
 
 
この施設の庭はボランティアの方々の手で、かろうじて美しい状態が保たれている。
 
かつてN島さんという方が長期に渡る献身的な努力をされて、この美しい庭を創りあげた。
 
創造するのは長い時間が必要だが、破壊は一瞬。
 
破壊されてしまったものはしかたない。
 
幸い数日後に、元庭師のAさんが来てくれる予定なので、今後の対策をジックリ考えよう。

知恵の書

2015年2月6日(金) by キヨタカ

 
 現在、実家(栃木県小山市)に滞在中。

Tienosyo久しぶりに、本棚にしまっていたOSHOの本を取り出して読み始めた。

タイトルは:「アティーシャの知恵の書」
 
昔、辞書を片手に英語で読んだ記憶がある。
 
日本語に翻訳されたので、嬉しくなり半年ほど前に購入、そのまま本棚に『積ん読』状態だった。
 
 
アティーシャは、チベット仏教中興の祖として知られている。
 
リーラスペースでは、アティーシャのハート瞑想をよく行なう。
 
私の、一番お気に入りの瞑想技法だ。
 
 
読んでみると、 相変わらずOSHOの講話はとても面白い。
 
OSHO独特の饒舌な語り口で、アティーシャの教文を縦横無尽に解き明かす。
 
しかし不思議な事に、どうしても読み続ける事が出来ない。
 
第2章あたりまで読んで、とうとう本棚に戻してしまった(ρ_;)
 
 
最初OSHOの本に出会った頃は、本の中に溺れてしまう程のめり込み、他の本が一切読めなくなったものだ。
 
その後は、その時の状況に応じて、様々なマスターの本にのめり込む時代があった。
 
それは、ラマナであったり、五井先生であったり、空海だったり・・・。
 
しかし今はもう、外側の知恵にアクセスしようとする情熱が起こらない。
 
だから、いくら頑張ってそうした本を読もうと思っても、読み続ける事が出来なくなりつつある。
 
 
そもそも、知恵とは内側から湧き出るもの。
 
自己の源泉からやってくるものでなかったら、例えどんなに素晴らしい言葉でも、それは純粋な知恵ではない。
 
だから、もうOSHOの本が読めなくなっても、これでいいのだと納得している。
 
 
きっと、必要な状況が起これば、再び手にする事だろう。
 
それまでは、本棚で待機して頂こう。

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