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ペットボトルを放り出す

2015年3月19日(木) by キヨタカ

 まもなく、リーラ瞑想リトリートが始まる。

最近のリトリートでは、瞑想の説明で、ほとんど毎回『ペットボトル』の例えを出す。

毎回参加されている方は、『耳にタコ』が出来るかも知れないが・・・

話す方だって、『ノドにタコ』が出来る(;д;)

そう言えば、日誌でも時々書いているから、読む方だって『目にタコ』が出来るかも?

〜にも関わらず、とても大切な事なので念のためもう一度書こう。

 

瞑想とは、『本当の私』に目覚める方法だ。

『本当の私』に目覚めた人は、ちょうど『泉』の様だ。

『無限の領域』とつながるので・・・

『こんこんと湧き出る泉』の様に、 エネルギーが溢れ出す。

与えても与えても、枯渇する事はない。

 

存在から切り離された『小さな私』が自分だと思っている人は、ちょうど『ペットボトル』の様だ。

エネルギーが供給されないから、人に与えたくても与えられない。

なるべく他人のボトルからかき集めて、自分のボトルを大きくしようとする。

 

才能に恵まれた人や、そうでない人々も必死に頑張れば、『ドラム缶』くらいに大きくなれる。

『ドラム缶』くらいに大きくなると、貧しい人に寄付をしても、あまり減らない。

だから、『ドラム缶』になった人々は世間から『成功者』と言われている。

『ペットボトル』は、なるべく『大きなドラム缶』に繋がって、エネルギーを得ようと躍起になる。

自分のボトルを大きくする欲望のない人も、自分のボトルがこれ以上小さくならないように、必死で守ろうとする。

 

しかし、『ペットボトル』であろうが、『ドラム缶』であろうが、ゲシュタルト(存在の形態)は全く同じ。

源泉からエネルギーが供給されていない。

だから、外側からエネルギーを供給せざるを得ないのだ。

 

この世は、『ペットボトル』や『ドラム缶』で満ちている。

会社も家族も政党も・・・皆んなそう。

既成宗教や国家なんかは、超巨大ドラム缶だ!

極端な言い方をすれば、社会全体が『ペットボトル』や『ドラム缶』の集合体だと言える。

『無い物同士』が奪い合うのだから、どうりで搾取や争いは止まず、真の平和が来るはずもない。

男女の美しい恋愛も、『ペットボトル』である限り、『無い物同士』の悲しいゲームになってしまう(;д;)

 

こうした人類の在り方とゲームは、もうそろそろ終わりにした方がいい。

しかし他人に向かって『止めにしましょう!』と言っても、『ペットボトル』である限り絶対に無理な話だ。

瞑想を通して、自分が源泉と繋がっている事を体験して初めて、喜んで『ペットボトル』を放り出す事が出来る。

おそらく今週末リトリートに参加される方は、ほぼ全員がペットボトルを放り出し、新しい人類社会の礎を築く人々となるに違いない。

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「何を大袈裟な┐(´д`)┌ヤレヤレ」

と思われるかも知れないが・・・

あなたこそが、『100匹目のサル』なのかも知れない!

 

PS こんなサル↓に退化してはならない!

 

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コメント

拝啓、、、。

     一歌

         ”耳にタコ

               咽にタコあり

                       目にもタコ

                              胼胝にタコ出来

                                         タコと生き抜く”

                Yょㇼ

                                                  敬白

                                       

『ペットボトル』とは想像を超えて意外でしたが、思いのほか楽しい話しを聞けた気がして、
思わずコメントを入れてみます。

 ある日、女はこう言った。「まぁ・・ペットボトルなのね」 と。
 すると中から”無垢”が現れたので、両手を合わせるとお辞儀した。

 またある日、女はこう言った。「おやまぁ・・ドラム管なのね」 と。
 すると中から”ドルイド”と ”錬金術師”と ”リンゴを持った女”と ”皇帝”が現れたので、
 膝を落として両手を合わせるとお辞儀した。

 またある日の事、女はこう言った。「まぁ・・なんて立派なのかしら」 と。
 世間では一軒家と呼ばれており、又の名を『王宮』と言う。
 ここには実に大勢の人々が住んでいながら行きかっており、王でさえ留まる者ではなかった。

 ・・ここだ。 千と千尋の神隠しの中で、人は影のように描かれている。なぜかといえば、
舞台が神々の訪れる湯谷の世界だからだよね。
そこから見たら、人とはほとんど一時の影・・そう言っている。
おもしろい表現だとは、思わないですか? 思い返してみても素晴らしい。
それ以上に、やっぱり主題歌が素晴らしい。
 
こんなコメントでいいのだろうか。
 

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