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当たり前の真実

2015年4月11日(土) by キヨタカ

昨晩、「覚者を求めて」の読者から、電話を頂いた。Book20130525
 
聞けばご本人も長年瞑想に取り組んでおられる事もあり、話が弾んだ。
 
話が進む中で、
 
「いきなり天野先生ご自身が電話に出られてびっくり。
 
お取り次ぎのような方が出られるかと思っていた。」
 
と話されたので、私の方がびっくり。
 
 
リーラスペースは宗教団体ではないし、私は先生として教えてはいない。
 
だから、秘書もお取り次ぎもいない。
 
問い合わせが殺到するには程遠いから、その必要がない・・・
 
と言う現状もあるけど(^-^;
 
 
万一有名になり人々が殺到しても、秘書もお取り次ぎもいないままだろう。
 
もちろん、弟子や信奉者もいない。
 
そもそも内的な真実を、先生として弟子や信奉者に分かち合うというシステム自体が、 
新しい時代には合わないのではないか?
 
私はそうした世界に長年深く関わってきたので、殊更にその功罪には敏感だ。
 
もちろん、ブッダやキリストを始めとする覚者方が偉大で尊敬に価する事は言うまでも無い。
 
しかしいくら偉大だからといって、必要以上に崇める必要があるだろうか?
 
 
電話された方は、さる有名な覚者のお弟子さんとして長年真剣に瞑想に取り組んでおられるようだった。
 
しかし、未だ自己のI AMに関する確信がない様に感じた。
 
自己のI AMに完全に根付く為に、ある時期が来たら外側の師を手放す必要がある。
 
そうでないと、外側の覚者を崇めれば崇めるほど、自己に内在する仏性やキリスト意識を何か手に届かない遥か彼方のもとして遠ざけてしまう危険性がある。
 
 
ブッダやキリストと同じ光が、自己の内側に宿っている。
 
それが、I AMの光だ。
 
それは、ちょうど「空気や水」のように当たり前に存在している。
 
いや、もっと当たり前に、ちょうど「重力」みたいにあまりにも当たり前だから、見過ごしてしまう。
 
だから、 それを認識するのが少しだけ難しい。
 
その当たり前の真実をただシンプルに、同じ立場の友人として分かち合っていきたい。

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コメント

拝啓、、、。

         一句

                ”伝えられ

                            心と共に

                                        広め往く”


 P・s、、、、≪フーマン・エマミに捧ぐ≫      

                                 
                       ー  ”THIS!”  ー     Yょㇼ

                                                   敬白

                                                  

私の事が書かれていてびっくりしましたdelicious
学びについては真剣に取り込んでいます。
今は、インドのアンマ=マータアムリタナンダマイと知花敏彦先生の教えをひたすら深めています。手応えはありますがまだまだと感じる事も多く、コツコツ頑張っています。
先日は天野さんの本も含めて、数冊購入したので今読み込んでいるところです。[覚者を求めて]は、とても参考になりました。ありがとうございます。[恩寵~]も読んでみます。
まずはお礼まで。

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