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消しゴムも進化する

2015年4月5日(日) by キヨタカ

青春時代の真ん中は〜、道に迷っているばかり〜♪

最近は、草食系とか宇宙人系の若者が多いので、断定できないが・・・
 
少なくとも私の青春時代は、苦しかった。
 
 
青春時代は、思考や感情の嵐や大波に翻弄される。
 
様々な不安や葛藤、苛立ち、既成社会に対する反抗等々、それに加えて肉体的な成熟に伴う性的妄想の嵐・・・
 
ゲーテは、この時代を『疾風怒濤の時代』と呼んだそうだ。
 
 
そんな中にあって、禅の尼さんから『無の消しゴム』の技法を教わった私は、心底感激した。
 
『疾風怒濤』の荒海を乗り切る、「大船」を手にしたからである。
 
釈迦や達磨を始めとする祖師方は、皆この船に乗って彼岸に渡り、融通無碍の境地を遊んでいるという。
 
だから喜び勇んで、座禅修行に邁進した。
 
 
ところが、結果は散々。
 
それはちょうど ウィンドサーフィン初心者が、御前崎の荒海へ乗りだそうとしたようなもの・・・
 
まだ 乗る前に、轟沈してしまった。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
 
 
なぜ轟沈してしまのか、誰も教えてくれず非常に孤独だった。
 
その孤独を救ってくれたのが、インドの神秘家OSHOだった。
 
シンプルな時代だった釈迦や達磨ならともかく、複雑に発達した現代人のマインドはそう簡単には消えないと、OSHOは語る。
 
抑圧されたマインドが、潜在意識の奥底に堆積しているからである。
 
潜在意識の浄化の重要性を教えてくれたOSHOには、心から感謝している。
 
OSHOに心服した私は、OSHOの下に馳せ参じた。
 
そしてOSHOコミューンという理想的な安全な環境で、○×セラピーやら△□ヒーリングを、探求し尽くすことが出来た。
 
 
しかし、新たな問題が発生。
 
「セラピーをいつまでやり続けるか?」という事だ。
 
OSHOは、「セラピーは瞑想の土壌を整えるものであり、数日のセラピーが必要」と明言している。
 
しかし実態は、延々と潜在意識の浄化に取り組み続ける人が多い。
 
そして、肝心の瞑想をおろそかにしてしまう。
 
瞑想的に人生を送ろうとしても、疾風怒濤の人生の荒波に巻き込まれてしまうから、浄化のワークをやり続ける人々の気持ちはよくわかる。
 
かくいう私の場合、28歳〜45歳まで、実に17年間を「潜在意識の浄化」に 費やしてしまった。
 
 
アジズと出会って初めて、「気づきの主体」に目覚める事の重要性に目覚めた。
 
それまでは、浄化すべき思考や感情にフォーカスがあった。
 
『無の消しゴム』で消したい対象物の方に関心が向い、肝心の『消しゴム自体』に意識が向かなかったのである。
 
意識のベクトルを、対象物から意識そのものへ逆転(→ ・ ←)させる必要がある。
 
この事は、いくら私が語っても、本当に納得する人は実は非常に少ない。
 
例え気づきの主体が目覚めても、相変わらず対象物の方に関心を持ち続ける。
 
そして、対象物に相変わらず翻弄され続ける。
 
だから『気づきの主体』が目覚めても大したことない、と反論する。
 
しかし、やがて正しいタイミングが訪れると、それがそうだと確信するだろう。
 
 
フーマンと出会って以降は、さらに『消しゴム』が進化した。
 
消しゴム自体に光が注がれ、『光るゴム』へと変容し始めたのである。
 
 
潜在意識に蓄積された、思考や感情のトラウマは、消されるべき対象ではない。
 
それは、光を失い暗闇を彷徨う幼子のようなもの。
 
『消しゴム』で、北風の様に消し飛ばしてはいけない。
 
さらに潜在意識の奥深くへ、隠れてしまう。
 
 
『光るゴム』として、太陽のように光を注ぎ、暖かく包み込む事が大切だ。
 
そうすれば、幼子は再び光を手にする。
 
そして本来の元気を取り戻し、それ自身が光り輝くようになる。
 
 
味方が敵に寝返ると、大問題だが・・・
 
潜在意識に蓄積されたエネルギーが輝き始めると、憎むべき強敵が頼もしい味方に大変身する。
 
そうすれば、自分が自分である事の喜びは、計り知れないものとなる。
 
『消しゴム』から『光のゴム』へ・・・
 
そしてあなた自身が光そのものとして燦燦と輝きますように!

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コメント

 拝啓、、、。

       一歌

           ”振り返り

                 我こそエゴと

                         見抜かれて

                                 新たな感覚

                                         根付き続ける”

                                          
 P・s、、、>『無の消しゴム』で消したい対象物の方に関心が向かい、肝心の『消しゴ
       む自体』に意識が向かなかったのである。

       >例え気づきの主体に目覚めても、相変わらず対象物の方に関心を持ち
       続ける。

       、、、この二行は痛感します!私も20数年翻弄され続け、何て時間を無駄
       にしたのだろうと思う時もありますが、エゴとしてやりたい事が有ったのだろ
       うとなだめています^^;

        リトリートに参加された方々を思い出す、、、農業を営むchiさん(快眠して
       るかな)
       相部屋だったHさん!HさんからはS・Pの違う角度からの認識を教えて貰
       い、、、、

       oshoの「没頭と観照」の”一つ”の両面を思い出していた。

        ハンサムな元DoerのTさんもリトリート後「物凄い大量のエネルギーが動
       き回った感じで、自分も家も浄化された」みたいなメールを頂いた((^^))

       何だか思い出話になってしまいました^^;

        お互いに光そのものとして、燦燦と輝きますように!祈りを込める^^v

                              Yょㇼ

                                                  敬白 

お言葉に甘えて、最後にもうひとつだけ・・ 本当の最後です。

通りかかりの身だからね(^^;

ボケの話題が出ているから書いてみるんだけど・・意識は

無意識を媒体とする。。。たぶん。説明するのは難しいけど

それは、そうなんだ としか言えないこともある。それだから

実際のところは、助け合っている。個人における意識の成長は

別の個人における無意識さ加減のおかげなんだ・・ それは一定量ならしい。

もし、あなたに・意識と無意識の両方を超えるような成長が起こるなら

集めた意識は、おそらく・今度は他の誰かの為に使われる。

(笑)どうなんだろう? こんな考え方って・・ わたしは知らないけどね。

ゴムが燦然と輝くらしいけど・・ 個人的には、はずかしい話しで、とてもついては行けない。

灯台が、輝くのはわかる・・けれど 闇という背景がなかったら

絵にもなりようがない。 夜もなく、闇もなく、背景もなく灯台だけがあったら・・笑える。

歌が起こる可能性は、灯台と闇が溶け合って、一枚の絵のようになっている場合だけだよ。

我と言う場合、そこにはまだ、他がいるってことだよね。世界中にもし、たったひとりなら

我 と言うのはただ馬鹿げている。それは、ちょっと幼稚だ。

我も 他も消えて・・あるいは溶け合って 全体だけがある・・あるいはない・というような

もう一歩が残っているってことだよね。

姿なき者・・形なきもの・・数えられないもの 詩は、ここからしか生まれない。

明快さよりは 曖昧さ・・ 神秘とは そうしたものだよ。ハイヤームに言わせれば

どう転んだって それでも・不可知が最後にも残るらしから、無理したって無駄ならしい。

もう少し お気楽に(^^; ね。 リーラ・スペースは いい名前だよ。

・・友情って、素晴らしいじゃん。 ねー。 適当に書くのが一番だよ!
 
 

キヨタカさま

  よく わかりました。
             N

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