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鏡の国のアリス

の2015年4月25日(土) by キヨタカ

ルイス・キャロルの児童文学に、『鏡の国のアリス』という物語がある。Alicelg
 
有名な『不思議の国のアリス』の続編で、今度はアリスが鏡の世界に迷い込むお話し。
 
児童文学だからザッと読めるかと思ったら、登場人物がチェスのルールに則って描かれていたり、
 
『粉な(flower)を取って・・・』
 
『その花(flower)はどこで摘むのじゃ』
 
等々、英語に堪能じゃないと面白くない言葉遊びや、歴史を知らないと分からないパロディが満載。
 
途中で頭が痛くなり、読むのをギブアップした思い出がある。
 
 
しかし『鏡の世界に迷い込む』というコンセプト自体は、強烈なインパクトを与えてくれた。
 
なぜなら・・・
 
鏡の世界に迷い込むアリスとは、実は我々自身の事だから!
 
というのも・・・
 
私たちが外側の世界を知るためには、「気づき」という意識作用が不可欠。
 
「私が在る(I AM)」からこそ、世界がある事を知る。
 
だから、「私が在る(I AM)」とは気づきの鏡とも言える。
 
気づきの鏡に、世界が映っている。
 
あなたが今、修善寺日誌を読めるのも、あなたという気づきの鏡があればこそ。 
 
しかし残念ながら、鏡に映った世界にのみ意識は向かう。
 
つまり気づきの対象物の方にだけ意識のベクトルが向かい、気づきそのものをすっかり忘れてしまう。
 
そしてちょうどアリスと同じように、鏡の世界に迷い込んでしまうのだ。
 
 
アリスの迷い込んだ世界が奇妙奇天烈であるように、我々も奇妙な世界に迷い込んでいる。
 
しかし、鏡の世界に迷い込んでいる当の本人は、少しも奇妙だとは思わない。
 
どんなに奇妙な夢でも、夢を見ている間はそれが現実と疑わないのと同じ理屈だ。
 
 
ごく稀に、
 
「この世界は少し変だゾ?」
 
と疑問を感じる人々がいる。
 
そうした人々は、非常にラッキーだ。
 
遅かれ早かれ、瞑想に関心を持つだろう。
 
 
そして実際に瞑想して、意識のベクトルを鏡の対象物から鏡自身へと逆転させると、
 
アッと、驚く体験が起こる。
 
鏡の中から、外へ飛び出すのだ。
 
飛び出して初めて、気づく。
 
「な〜んだ、私は初めからココにいたw(゚o゚)w」
 
 
最近の精神世界は百花繚乱だが、「鏡の世界から飛び出す事」を心から願う人は少ない。
 
鏡の中の世界で、より良い人生を送るべく、愛し愛され、頑張ったり、寛いだり、癒されたりしている。
 
それは決して悪いことではない。
 
しかし、いくら悪夢を良い夢に変えても、夢が夢であることに変わりはない。
 
鏡の国から抜け出す事。
 
それが瞑想の基本だ。

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コメント

拝啓、、、、。

       一歌

          ”ⅠAMを

                忘れた事は

                        偉大から

                              思い出すのも

                                      偉大で在るから”


                              Yょㇼ

                                                  敬白

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