« 2015年4月 | トップページ | 2015年6月 »

2015年5月

揺れない場所

2015年5月31日(日) by キヨタカ

 昨夜の<小笠原沖地震>、修善寺も大きく揺れた。
 
専門家によると、『深発地震としては、これだけ大規模なものは世界的に例がない』とか( ̄Д ̄;;
 
関東はもちろん、北海道から沖縄まで、日本中が揺れた。
 
しかし、たったひとつ揺れない場所がある。
 
それがプレゼンス(気づきの主体)だ。
 
 
東日本大震災以降、『日本列島は活動期に入った』というのが通説。
 
口永良部島や箱根等々、火山活動も活発化している。Db4a4c0d4010257d81baf2287470dd88a1
 
安全な場所を求め日本脱出を考えている人もいるようだが、それは無意味。
 
今や、地球的規模での地殻変動が起こりつつあるからだ。
 
外側の世界に、安全地帯はあり得ない。
 
 
宇宙は絶えず進化している。
 
そして私たちを常にサポートし、進化を促し続けている。
 
天変地異は物質世界の視点からすれば、悲劇だ。
 
しかし、『意識の進化』の視点からすると、いま人類史上稀に見るチャンスが訪れつつあるとも言える。
 
 
昨夜の地震で、『プレゼンスを思い起こす』絶好の機会となった方もいるだろう。
 
地球的規模の大変動は、これからが本番。
 
外側の世界が揺れれば揺れる程、そのコントラストとして、不動のプレゼンスが明確になる。
 
 
地震や噴火は、ない方がいいに決まっている。
 
万一それが起こっても、最小限度の被害に食い止めるよう、最大の努力が必要なのはもちろんだ。
 
それにも関わらず天変地異が起こってしまったら、それを嘆いてもしかたない。
 
この際 存在からの贈り物として、有効活用したいものだ。

小鳥と仲良く

2015年5月30日(土) by キヨタカ

 小鳥の餌台を、富士見荘の庭に設置した。Img_1872
 
聖フランチェスコみたいに、小鳥と仲良くなれたらどんなに楽しいか♪
 
残念ながら、野鳥をペットには出来ない。
 
「野鳥を捕獲したりペットにしてはけない」という法律がある(鳥獣保護法)。
 
「〜してはいけない」と言われると、ついやってみたくなるものだが・・・
 
実際に逮捕される人もいるので(^-^;
 
それは止めて、ささやかな餌付けを楽しむ事にした。
 
 
野鳥の餌付けに関しては、賛否両論がある。
 
昭和の時代は、「餌付けは良い事」とされていたようだが・・・
 
最近は、「餌付けは良くない」という意見の方が多い。
 
同じ行為が、時代により正反対になるのは良くある話だ。
 
 
否定論によると・・・
 
 ・近所迷惑(糞公害/鳴き声がうるさい等々)
 
 ・自分で餌を探さなくなり、野鳥の自活能力を奪う
 
 ・鳥類の健康を害する
 
 ・人間に餌をねだるようになり、時に人を襲う恐れがある
 
 ・鳥インフルエンザを蔓延させる恐れ
 
 ・生態系を破壊する
 
 
いやはや、人間と仲良くするのは大変だが、小鳥と仲良くするのも大変だ(@Д@;
 
幸いこの施設の敷地は広大(1,800坪)で、近所迷惑にはならない。
 
ウグイスやムクドリ達が、人を襲うとも思えないし・・・
 
スズメが食べ過ぎて糖尿病にならぬよう、節度をもって餌やりをしよう。
 
そうすれば、 生態系を破壊せずに、小鳥と仲良くなれそう(*^-^)

飽きるまで待つ

2015年5月29日(金) by キヨタカ

プレゼンスとは認識の主体であり、気づきそのもの。
 
これが、”覚醒”の始まりだ。
 
あなたが世界を認識出来るのは、あなたという”気づき”があるから。
 
しかし
 
『”気づきに気づく”のが”覚醒”ですよ!』
 
と語っても、なかなか理解は起こらない。
 
 
それにはいくつかの理由がある。
 
最初の理由は、”気づき”は認識の主体でありながら、認識の対象物と誤解してしまうからだ。
 
鏡に例えるとわかり易い。
 
鏡は、外側の世界をそっくり映し出す。
 
北海道へ行けば、北海道の景色が映る。
 
九州へ行けば、九州の景色が映る。
 
南極へ行けば、南極の景色が映るだろう。
 
しかし、たったひとつ例外がある。
 
鏡は、鏡そのものを映し出す事はできない。
 
至極、当たり前の話だ。
 
 
それと全く同じ事が、我々の認識作用に起こっている。
 
私が外側の世界を認識出来るのは、外側の世界に『気づいている私』があるからだ。
 
この認識の主体を、仮に『気づきの鏡』と呼ぼう。
 
あなたという『気づきの鏡』には・・・
 
北海道へ行けば、北海道の景気が映り、九州へ行けば九州が、南極へ行けば南極が映る。
 
しかし、『気づきの鏡』そのものを映す事はできない。
 
北海道や九州の景気を探すのと同じ感覚で探している限り、一生探し続けても無理だ。
 
意識のベクトルを、気づきそれ自身へと反転させる必要がある。
 
それが、瞑想テクニックの役割だ。
 
 
しかしいくら瞑想しても、なかなか理解が起こらな人も多い。
 
その最大の理由は、プレゼンスという『意識の鏡』そのものよりも、鏡に映る現象世界の方に関心があるからだ。
 
『瞑想すれば、物質世界も豊かになり、ソウルメイトも手に入り、全てはうまく行く🎶』
 
・・・自戒の念を込めて敢えて言うが、そう喧伝する瞑想家も多い(^-^;
 
 
しかし、本音を言うと・・・
 
外側の世界にのみ目が奪われている場合、いくら瞑想してもそのベクトルを反転させる事は難しい。
 
無理に、気づきのベクトルを反転させようとしてはならない。
 
それはちょうど、子供からおもちゃを取り上げるようなもの。
 
真実を伝えようとして、「それはおもちゃだ!」と指摘したり、無理やり取り上げようとすると、逆に子供の成長を阻害してしまう。
 
だから、「おもちゃに飽きるまで待つ」というのが賢明な態度だろう。
 
 
いい夢を見ている人を、起こしてはならない。Gato_melanclico
 
そっと優しく見守って、夢に飽きるのを待ちたい。
 
夢から醒めたい人を起こす手伝いはできるが、無理やり起こすのは私の役割ではない。
 
無理やり起こそうとすると、悪口を言われたり、石を投げられたり、ろくな事は起きないだろう。

25年目の弦楽四重奏(2/2) 〜人生にリハーサルはない

2015年5月28日(木) by キヨタカ

 人生にリハーサルはない

 映画「25年目の弦楽四重奏」の、キャッチコピーだ。

リハーサルしてから人生を生きられたら、どんなに楽だろう!

リハーサルだったら、失敗したって大した事ない。

リスクを最大限に冒して、思いっきり好きな様に生きられる。

 

残念ながら、人生は一回きりのぶっつけ本番。

どうしても生きる事に慎重にならざるを得ない。

人生に妥協し、欲望を押さえ、怒りをこらえ、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・

しかし、抑えられたエネルギーはそのままでは消えない。

潜在意識の奥深くに潜行し、浮上する機会を窺う。

 

この映画に登場する弦楽四重奏団の4人のストーリーは、まさに社会の縮図だ。

家族であれ会社であれ、集団社会には必ず付いて回る。

世界最高峰の弦楽四重奏団として才能溢れる4人が集結、完璧なカルテットを創り上げる。

しかしどんなに完璧な集団でも、長い時間が経てば調和が狂い始める。

 

この弦楽四重奏団は、 チェリストの突然の引退を機に、様々な歪みが浮上してしまう。

あちら立てれば、こちら立たず。

いったんこじれた人間関係は、修復が難しい。

問題を解決しようとすればするほど、ややこしくなる。

通常はここで人間関係は崩壊し、離婚や倒産etcとなるのだが・・・
 
このカルテットは、違った。
 
エゴを乗り越え、新たな次元へと飛翔する。
 
そのプロセスはベートーベンの音楽そのもので、作品131のモチーフを上手くなぞっているのが見事。
 
 
バッハは神を表現し、モーツアルトは神に愛される喜びを表現した。
 
しかし人間の苦悩の表現は、ベートーベンが初めて成し遂げた。
 
ベートーベンが生涯をかけて追求したのは、『人間の苦悩から魂の歓喜へ』であり、音楽の新しい可能性を創造した。
 
そうする事で、人間から神の次元へと飛翔したのではあるまいか?
 
 
人間世界は、様々な喜怒哀楽に満ちている。
 
しかしベートーベンの視点からすると、それぞれの苦悩や喜びははそれぞれに素晴らしい旋律であり音楽の格好の主題となる。
 
会社をクビになった→ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ〜ン♬(運命)
 
彼女に恋した→タラ・ラリ・ラリ・ラリ・ラリ・ラリ、ラリ・ラララ〜♪(エリーゼのために) 
 
もう人生めちゃくちゃ→ジャ〜ン、ジャジャジャジャ、ジャジャジャジャ・・・ジャン、ジャン、ジャン、♫(第9)
 
 
 
苦悩から歓喜へ!
 
人は頑張って歓喜を目指し、人生を変えようとする。
 
しかし、それは無駄な努力だ。

Images2_2それよりも視点を変える方が、ず〜っと簡単で手っ取り早い。

ベートーベンの立場から、神へ飛翔した視点で眺めれば、この世界はあるがままで歓喜溢れる喜びの世界だ。
 
 
今朝も、リーラスペースは、鳥たちのさえずりが賑やかだ。
 
大小様々な鳥たちが、勝手気ままに声を張り上げている。

Images

指揮者もいないのに、美しく完璧なハーモニー🎶
 
どんな一流のオーケストラでも、鳥たちの奏でる歓喜の歌には敵うまい。
 
 
もっとも鳥たちにとっては、サバイバルに必死でそれどころではない。
 
敵に襲われないようハラハラドキドキしながら、その時々の喜怒哀楽を叫んでいる。

Images1

鳥たちの喜怒哀楽を歓喜の歌に変えるのに、鳥の鳴き声を変える必要はない。
 
視点を鳥から人間にシフトすれば良い。
 
 
それと全く同じ事が、人間世界にも当てはまる。

20150528_85251_2視点を人間から神へとシフトするのだ。

サンサーラ(苦悩)からリーラ(神の遊び)へ!
 
そうすれば、たちどころに喜びの歌が溢れ出す🎶
 
そのために、人生のリハーサルはいらない。
 
人生のシナリオを放り投げて、魂の喜びのままに生きようではないか(* ̄0 ̄)ノ
 
・・・
 
やがてあなたは、神のシナリオを演ずるようになるだろう(*^-^)

25年目の弦楽四重奏(1/2)

2015年5月27日(水) by キヨタカ

映画「25年目の弦楽四重奏」を鑑賞。

Maintop_bg

ベートーベンの創造活動の頂点を極めた作品と言われる、『弦楽四重奏曲 作品131』をモチーフにしている。
 
子供のころベートーベンが好きだったと、何度か日誌に書いた。
 
但しそれは交響曲とか協奏曲とかのド派手な曲や、ロマンチックで情熱的なピアノ曲などに限定されていた。
 
弦楽四重奏曲なんか退屈で、とても最後まで聞いていられなかった。
 
「定年退職後の音楽愛好家が、暇を持て余して、深夜ブランデー片手に紆余曲折の人生を振り返り感慨に耽るにぴったりの曲」
 
というのが、正直なところ。
 
もっと正直に言うと・・・
 
「ベートーベンの弦楽四重奏曲は、敷居が高すぎる(;ω;)」
 
 
映画の冒頭では、いきなり”難解”な詩が朗読される。
 
この曲を最も愛し、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を謳ったT・S・エリオットの詩だと言う。
 
現在の ”時” も  過去の ”時” も
 
おそらくー
 
未来の”時”の中にある
 
 
そして 未来の”時”は 過去の中にある
 
あらゆる ”時” があるなら
 
いかなる”時”も償えない
 
 
すなわち 終わりが
 
始めに先行しー
 
始めの前に 終わりがあり
 
終わりの後に 始めがある
 
 
すべてはー
 
今存在する
 
道元禅師の時間論(有時)のように、分かったようで分からない( ̄Д ̄;;
 
 
”敷居の高過ぎる”曲に、”難解”な詩の朗読。
 
最後まで観れるのか心配になったが、そこはこの映画の素晴らしさ。
 
非常に面白くて、誰でもはらはらドキドキしながら最後まで楽しめるからご安心を。
 
 
この映画のモチーフを、登場人物の一人は次のように語っている・・・
 
定型は4楽章だが、この曲は7楽章から成り立つ。
 
全楽章 途切れなく 演奏される
 
休んでチューニングすることなくー
 
全楽章 アタッカ(切れ目なし)で 演奏しないとならない
 
人生のあり方そのものを表現しようとしたか・・・
 

我々も 長いこと
 
休みなく演奏を続けるとー
 
調弦が狂ってくる。
 
それぞれ違う形でー
 
最悪だ。
 
演奏を止めるべきか
 
それとも 調弦が狂ったまま最後までー
 
互いに もがき続けるか?
 
 
結成25周年を迎えた弦楽四重奏団のチェリストが難病を患い引退宣言したことで、残された楽団員の関係に次々と不協和音が生じていく。
 
不倫・嫉妬・恋愛・家庭不和・老い等々、映画が進行する中で、弦楽四重奏団の中に潜在していた問題が次々と明らかとなる。
 
そして、不協和音が頂点に達したところで、演奏会のシーンとなる。
 
解決策が明確に提示されていないのだから、演奏会は大失敗に終わるに違いない。
 
いつ演奏が破滅するか、ハラハラ・・・
 
ところが、魂を揺さぶるこの曲の圧倒的な力で、不協和音をそっくり包み込みながら、新たな次元へと飛翔する様子が無言の内に示される。
 
”難解”とばかり思い込んでいたベートーベンの弦楽四重奏曲の力に圧倒されてしまった。
 
これからは、”難解”ではなく”何回”も聴くお気に入りの曲となるだろう。 
 
 

元気の秘訣

2015年5月26日(火) by キヨタカ

「 その歳でウィンドサーフィンとは、お元気ですね〜w(゚o゚)w」
 
と、最近いろいろな方から言われるようになった。
 
「瞑想のおかげです」
 
とか、
 
「好きな事だけしてるからです」
 
とか、答える事にしている。
 
思考や感情に先立って存在する、「源泉」と繋がる事が、元気の秘訣である事は言うまでもない。
 
 
しかし、もうひとつの切り札は、食生活にある。
 
それが、長岡式酵素玄米
 
ある特殊な方法で炊く、小豆入りの酵素玄米だ。
 
リトリートでも出しているので、知っている方も多いだろう。
 
普及協会の代表の新井先生から、なぜ健康に良いのか何度も伺ったけれども、科学的な根拠はよく分からずじまい。
 
しかし、とても美味いし、これを食べ始めてから実際に体調もすこぶる良い。
 
だから、本物だと確信している。
 
 
但し、一汁三菜のシンプルな食事にしないと、効果も薄れる。
 
最近絶好調のせいか、気が緩み食生活がいい加減になってきた。
 
西洋風のコッテリとしたオカズを食べ過ぎたり間食をしたりすると、オナラが臭くなるので、すぐ分かる。
 
今朝トイレに入ったら・・・
 
「これはヤバイヾ(*゚A`)ノ」
 
そこで初心に還り、酵素玄米菜食に徹する事にした。

Img_1851

 
最近ヨガビに任せきりだったが、今日は久しぶりに自分で炊いた。
 
炊き上がりがとても良く・・・
 
「う〜ん、料理の天才だ!」
 
と、ヨガビに自慢して、呆れられてしまった┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~
 
 
しかし、そんな事にめげる私ではない。
 
酵素玄米を美味しく頂いて・・・
 
「私のオナラは、臭わない!」
 
と自慢しよう(*^-^)

至福のひと時

2015年5月25日(日) by キヨタカ

 リーラスペースでは、瞑想の2大要素としてプレゼンスとビーイングを別個に説明する。

しかし、実際にはその両方が統合されて真の瞑想状態となる。

『プレゼンスがビーイングに広がった状態』

とか

『遍在するプレゼンス』

とか説明するけれど、実際に体験するのがベスト。

 

私の一番のおススメは、温泉で瞑想する事。

プレゼンスが、自然に存在全体へと広がり、至福そのものとなる。

Img_1842

 

久しぶりに、中伊豆の秘湯『ほたる』の個室付き露天風呂で至福のひと時を味わう。

何もしていないけど、呼吸は起こり、心臓は鼓動し、血液は循環している。

至福は、獲得するものではない。

ただあるがままに寛ぐ時、すでに至福に満ち足りている自分がいる事を思い起こす。

最終解脱

2015年5月23日(土) by キヨタカ

 ヨガビのお姉さんは、普通の家庭の主婦だが占い好き。
 
今日は、お姉さんお気に入りの『占いの館』へ連れていってもらった。
 
お姉さん曰く:「スッゴ〜く良く、当たるの♪」
 
期待に胸を膨らませ、薄暗い占い部屋に案内された私は、女性占い師の姿をみて心臓がバクバク!
Img_0055 栗山千明に良く似た女性占い師が、大きなクリスタルを手にして私を待ってるではないか!!
 
彼女の存在全体が:
 
「占いこそ私の天職」
 
という雰囲気を醸し出している。
 
期待は嫌が応にも高まった。
 
 
 
 
キヨタカ:「私は長年瞑想をし続けているのですが、いつ解脱するか占って下さい」
 
しばらくクリスタルをじっと凝視していた彼女は、美しく長い黒髪をさっと掻き揚げてにっこり微笑んで、私に語りかけた。
 
占い師:「もう、解脱されているんでしょ?」
 
キヨタカ:「まあ、悟りは今ここにありますからネ。でも、最終解脱はいつですか?」
 
もう一度クリスタルをじっと凝視した彼女は、再び美しく長い黒髪をさっと掻き揚げてにっこり微笑んだ。
 
占い師:「60歳ですね」
 
キヨタカ:「え!?そんな先まで、悟れないんですか〜┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~ もう少し手前という訳にはいきませんか?」
 
占い師:「星回りとか、神界の事情とかによりますからね。残念ですが・・・」
 
「う〜ん、随分先の話だな」
 
「ところで俺は今、何歳だっけ?」
 
と自分を振り返ったところで、夢から醒めた。
 
 
「な〜んだ、夢だったのか! 」
 
「今30歳だから、最終解脱はあと30年後だな〜、ヤレヤレ( ̄Д ̄;;」
 
と思っていると、なんとそれも夢だった。
 
夢から完全に覚めて、はっきりと判った。
 
『解脱したい』というのは、夢を見ている証拠なんだという事を・・・
 
 
夢から完全に醒めると、たった今、ただ在る事に喜びに満ち足りるようになる。
それには、解脱も悟りも関係ない。
 
 
いみじくもYさんから、ジャストタイミングで素晴らしいコメントが入った。
 
 
  ”たった今
 
       悟りなくとも
 
             満ち足りて”
 
                     Yょㇼ

 

初日

2015年5月22日(金) by キヨタカ

 今日、新しい1日が始まる。
 
今日という日は、私の残りの人生から見ると『初日』に当たる。
 
今日が、人生で一番若い日。
 
新鮮な驚きに満ち満ちた1日が、今日始まる!
 
若者の特権だ!

わかるよ・・・

2015年5月21日(木) by キヨタカ

 昨日のヨガビの日誌を読んで、ショックした読者がいるようだ。

ビでは母と祖母を殺害してしまった高校生のニュースが流れていて、それを観ていたキヨタカ、 

わかるよ・・・  

ボクだって首絞めたくなる時あるし ..... (-_-メ) 

 

瞑想歴ウン十年のキヨタカが、「母親の首を絞めたくなる」なんて信じられないらしい。

瞑想すると、人格が一変して人間的な感情は一掃され愛と平和と慈悲に満ちた仏様になると信じて疑わない人がいる。

 

かく言う私自身、瞑想して悟りを開けば、無心の境地に到達して思考が一切消え去ると長い間信じていた。

学生時代に坐禅をしていた頃はもちろん、OSHOの下で瞑想を学ぶようになってからも、ずっとそうだった。

 

しかし、実際はそうではない。

意識の目覚めが起こっても、肉体が残るのと同じく、思考や感情も残る。

ただ、思考や感情ではなく、その背後にある普遍の大いなる私(Universal I AM)へと『同一性がシフト』する。

すると、思考や感情に振り回されなくなる。

それが、大きな違いを生む。

だから、実際に首を絞めるような事には決してならないから、ご安心を!

 

この『同一性のシフト』が起こると、あるものをあるがままに認める事が出来るようになる。

だから、自分のネガティブな感情も不謹慎な思考も排除しない。

ネガティブを排除しないと、「ネガティブ・スパイラルに陥るのでは?」と心配する人もいる。

しかし、実際には真逆の事が起こる。

ネガティブなものを受け入れると、そのエネルギーはスッ〜と消えて蒸発してしまう。

そして、ただ在る事の喜びを満喫出来るようになる。

 

さらに、自分の中のネガティブを排除しないと、他人のネガティブも受け入れられるようになる。

だから、以前よりも「わかるよ・・・」と思える機会が増えた。

殺人事件のニュースを聞けば、

「わかるよ・・・僕だって殺したくなる時があったし・・・」

銀行強盗のニュースを聞けば、

「わかるよ・・・僕だってお金が欲しい時があったし・・・」

首吊り自殺のニュースを聞けば、

「わかるよ・・・僕だって死にたくなる時はあったし・・・」

 

しかし、わかったからと言って、殺人も強盗も自殺もしない。

それが何故なのか・・・

わかるよ・・・ネ。

 

答えは自ら立ち現れる〜スカイプセッションの感想

2015年5月20日(水) by キヨタカ

 有料のスカイプセッションを始めたのが、確か昨年の9月。
 
ずっと『対面セッション』にこだわっていたので、「とても良かったです」と言われても、半信半疑な所もあったのだが・・・
 
最近では、自分でもかなりの手応えを感じるようになった。
 
40年間の探求の結果をわずか45分で伝えるのは、どう考えても不可能に思えるが、実際にはそれが起こりつつある。
 
ほんの僅かなガイドで、相手の方が自ずと真実へと向かい始める。
 
目覚めの用意ができた方が増えつつある、という事だろう。
 
先日、初めてスカイプセッションを受けた方から感想のメールを頂いたので、アップさせて頂きます。
 
 
* * スカイプセッションの感想 * *
 
本日はありがとうございました。
 
私のトンチンカンでグダグダした長いストーリー(笑)
 
にもきちんと耳を傾けて頂き感謝しております。
 
垂直に伸びていく男性的な瞑想、
 
それと同時に、寛ぎが根を張りながら広がって行く女性的な瞑想、
 
そしてハートの奥へと深く深く入って行く瞑想、
 
どれも初めてではありませんでしたが、
 
最近どうしてもその感覚と繋がる事ができずに
 
何かを失ったような焦燥感や喪失感をずっと感じておりました。
 
でも今日、あっという間にそれを思い起こす事ができ、
 
ぎゅーっと収縮していたハートがふんわりと開いていきました。
 
その時に、
 
「状況を選択する必要すらない、答えは自ら立ち現れる」
 
という感覚と、その背後にある絶対的な安心感が広がりました。
 
私が失っていたものは、「それ」ではなく、
 
大いなる源泉に繋がる入り口である自分自身への
 
信頼だったんだと感じました。
 
また、少しづつ始めていきます。
 
今日は本当に素晴らしいひとときを
 
ありがとうございました。
 

戻りました

2015年5月19日(火) by キヨタカ

 実家から修善寺へ戻った。
 
夕暮れ時の富士山が、お出迎え。Img_1832
 
ここは自然が豊かで、すごく嬉しい。

プレゼンスを思い起こす

2015年5月18日(月) by キヨタカ

最近、『アジズとの対話』を購入されたNさんから、メールを頂いた。
 
まさに求めていた本でした!Unknown
 
しかしSP確立にはまだまだ修行がいるようです。
 
ケータイの待ち受けにAre you in a state of presence?と入れて、見るたびにハッとしています。
 
良い本の出版をありがとうございました!
 
by N
 
 
『アジズとの対話』は、私の個人的な探究の記録をたまたま本にしたもの。
 
ごく一部の探究者以外には、理解できないだろうと思い込んでいた。
 
出版社から依頼を受けた時に、私自身・・・
 
「いったいこの本を理解してくれる人が本当にいるのか?」
 
と、半信半疑だった。
 
 
実際に出版してみると、予想外の評判を呼んで、嬉しい誤算が続いている。
 
『アジズとの対話』は、従来の本にはない、いくつかの『画期的な』内容が書かれている。
 
その一つが、『プレゼンス(Presence)を思い起こす』ワークだ。
 
「気づきの主体に気づく」というプレゼンスに関しては、最近では詳細に言及されている本も多い。
 
しかし「プレゼンスを絶えずキープする事」の重要性を、探究者の立場を踏まえて情熱的に説いた本はあまりない。
 
特に 修行好きなタイプの読者には、大変に好評を得ている。
 
 
ただ、それぞれの道にはそれぞれ陥りやすい罠がある。
 
修行系の人が陥り易い罠は、『プレゼンスの確立(or安定/定着)』を目指す事で、未来を作り出してしまう可能性にある。
 
プレゼンスとは『今に在る事』なのに、今をなえがしろにしてしまうのだ。
 
 
『衆生本来仏なり』
 
とは、有名な白隠禅師の言葉。
 
修行した結果、仏となるのではない。
 
我々は本来、初めから仏なのだ。
 
だから本来仏である事実にハッと気づいて、仏に戻るという事が、思い起こすワークだと言える。
 
『仏となろうとするよりも、仏である方が造作がなく近道』
 
と、盤珪禅師も語っている。
 
 
ケータイの待ち受けにAre you in a state of presence?と入れて、見るたびにハッとする、Nさんの方法は素晴らしい。
 
ぜひとも、プレゼンスを思い起こすワークに専念してほしい。
 
やがて、驚くべき真実が自ずと開示されて行くだろう。

私は変態か?

2015年5月14日(木) by キヨタカ

 今日から、栃木県の実家に滞在中。
 
以前は実家へ行くたびに、リーラスペースの活動が中断されるが、とても残念だった。
 
リトリートでせっかく素晴らしい瞑想スペースを味わっても、実家で過ごす間に、すっかり元の黙阿弥状態になる事も多かった。
 
しかし現在はスカイプセッションのおかげで、リーラスペースの活動が中断される感じが全くないのが嬉しい。
 
 
昨晩は、御年80余歳の男性の方とスカイプセッション。
 
ご高齢ながら、非常にお元気そう。
 
毎日10キロのダンベルをリュックに入れて、2時間くらい散歩するのが日課とか。
 
探究心も旺盛で、瞑想も毎日欠かさずしておられる。
 
 
今抱えている悩みはというと・・・
 
「恥ずかしながら、未だに魅力的な女性を見ると欲情してしまいます。
 
私は変態じゃないかと思うのですが・・・?」
 
 
性欲は、食欲、睡眠欲と並び、あらゆる生物が持つ根源的な欲求だ。
 
80過ぎてなお性欲があるという事は、生命活動が盛んな証拠であり、決して卑下すべき事ではない。
 
むしろ、元気な自分を褒めてあげた方がいい。
 
残念ながら、長期に渡って伝統的な仏教に傾倒されておられたせいもあり、
 
「 欲望を持つ私は、まだまだ修行が足りない!」
 
という思い込みが、潜在意識の奥深くまで浸透してしまっている。
 
それが意識の目覚めへの、大きな足枷となっておられるようだ。
 
 
人間とは、実に多様性に満ちた複雑怪奇な存在だ。
 
普通の男性にとっては、年齢と共に衰える性欲減退が悩みの種の筈・・・
 
しかし瞑想を志す男性にとっては、年齢にも関わらず衰えない性欲が悩みの種という事もある。
 
実際に 、既に何人かの高齢の瞑想家から同じような悩みを打ち明けられている。
 
 
瞑想は、欲望に囚われない自由な境地をもたらしてくれる。 
 
しかし、それは欲望を否定する事を通してではない。
 
『欲望がある〜にもかかわらず私がある(I AM)』
 
欲望をあるがままに認めつつ、その背後にある意識へと目覚めるのだ。
 
そうする事で、欲望に振り回されない「意識の中心軸」が生まれる。
 
 
伝統的な仏教では、『私はいない』境地を目指そうとする。
 
『欲望がない〜だから私はいない』
 
『五欲をほろぼし、悟り成就しよう!』
 
しかし、欲を滅ぼそうとするのは、非常にトリッキーだ。
 
健全な生命活動に伴う欲求を否定すると、そのエネルギーは何処へ行くだろう?
 
自己の潜在意識の奥底へ、隠れてしまうのだ。
 
それが抑圧された無意識に潜む欲望となり、その事で本人は非常に苦しむ事になる。
 
さらに、 とんでもない犯罪や事件の引き金ともなりかねない。
 
 
宗教とは、本来人々を苦悩から解放し、神の栄光へと回帰させる教えの筈。
 
しかし実際には、戦争、殺人、レイプ、精神疾患等々、あらゆる問題の陰に、宗教的要因が絡んでいる場合が多い。
 
こうした事実を、われわれ人類は正面から直視する必要がある。
 
宗教的正論を振りかざす人々こそが、実は諸悪の根源を創り出しているとも言えるのだ。
 
 
かく言う私自身、青年時代は、徹底的に性欲を否定していた。
 
「女性は身を滅ぼす」
 
と思い込み、ガールフレンドも作らず坐禅修行に専念していた。
 

C089d6a2fbadfcd3d2bd28202b4ca4ba_40

生涯独身を貫いて真理探究に邁進した道元禅師、などが当時の私の理想だった。
 
・・・その結果、性的妄想に苛まれて、
 
「私は変態か?」
 
と真剣に悩んだものだ。
 
 
幸い、OSHOを通して、
 
『 セックスは否定するものではなく、体験を通して越えていくべきもの』
 
である事を学んだ。
 
性的抑圧が少しずつ解放されるにつれて、性的妄想もいつの間にか消えてしまった。
 
今では、「 変態か?」と悩んでいた頃のエピソードが、持ちネタの一つになっている。
 
 
瞑想に年齢は関係ない。
 
欲望は、生命の炎の燃料のようなもの。
 
命の限りに欲望を燃やし、その背後にある本当の私に目覚めて・・・
 
自己の天命を全うされますように(* ̄0 ̄)ノ

すんなりと引き寄せる

2015年5月12日(火) by キヨタカ

 以前スカイプセッションを受けた方から、質問のメールを頂いた。
 
親から独立してヒーラーとして活躍されているけれども、なかなか思うようにお客が来ないし、理想のパートナー(ソウルメイト)も来ないのが悩みとか・・・
 
>現実が幻想のように感じることもありますし、やはり、仕事に関しては、人に直で声かけていかないと、お客様が来ないのではと感じています。
 
>キヨタカさんは、パートナーも仕事も、すんなり引き寄せられて今があるのですか?
 
>よかったら教えてください。
 
>^ - ^☆
 
求めるパートナーや仕事が得られないと、苦しいものだ。
 
求める物が得られない苦しみを、仏教では『求不得苦(ぐふとくく)』という。
 
仏教が説く、四苦八苦の一つだ。
 
 
私の人生を振り返ると、人生の前半は四苦八苦の連続だった。
 
例えばパートナー。
 
私の場合、ソウルメイトどころか、ごく普通のガールフレンドさえ出来ずに、文字通り四苦八苦し続けた。
 
30過ぎてから、ようやくガールフレンドが出来るようになったが、今度は長続きしない。
 
最高に続いて3年、最短は3日で終わってしまう。
 
某有名なセラピストのSからは、
 
「それは素晴らしい! 精神的に進化し続けているから、パートナーも変化するのよ!」
 
と褒められたが、少しも嬉しくなかった。
 
 
そうこうする内に、42歳の誕生日が近づいた。
 
OSHOによれば、
 
「 セックスを抑圧しなければ、42歳になると自然にセックスが落ち瞑想へと向かう」
 
という。
 
そこで瞑想に全エネルギーを注ぐべく、再びインドのOSHOコミューンに1年間滞在する事にした。
 
パートナーやセックスの事は、すっかり諦めたのである。
 
すると不思議な事に、今のパートナーと出逢いが起こった。
 
今年で19年目となるが、現在最長不倒記録を更新中。
 
パートナーに関しては、理想の一歩手前まで漕ぎ着ける事が出来た。
 
 
仕事に関しては、リーラスペースをオープンしたての頃は、オーガナイザーとして活躍。
 
世界中からセラピストを招聘して、ワークショップを派手に開催したものだ。
 
しかし実際は、なかなかクライアントが集まらず、四苦八苦の連続だった。
 
 
「人に直で声かけないと、集客できないから・・・」
 
私も全く同じように思い込んでいた。
 
そこで 、イベント毎に電話がけをして、勧誘しまくったものだ。
 
 
ところが、ある時某セラピストのイベント企画直後に、屋根から落ちて複雑骨折、長期入院を余儀なくされた。
 
得意(?)の「電話がけの勧誘」が一切出来なくなってしまった(ρ_;)
 
全スケジュールは決定済みのため、今更イベントのキャンセルはできない。
 
そこで、一切の勧誘は諦めて、赤字覚悟でイベントに臨んだ。
 
すると不思議な事に、いつも以上に大勢の参加者が集まったのである。
 
 
結論を急ごう。
 
自我という小さな私が、この世界を生きようとすると苦しい。
 
文字通り、人生は死ぬまでが四苦八苦の連続だ。
 
しかし、自我の背後に本当の私が在る。
 
自我を手放して、その背後へと明け渡すと、物事はすんなりと進むようになる。
 
自我から大いなる自己(I AM)へ・・・  その橋渡しとなるのが瞑想だ。
 
 
あなたが「大いなる自己」として物事をなす時、それは宇宙があなたを通してて起こる事だ。
 
それはちょうど、夕日が西へ沈み、満月が東の空から昇るのと同じ事。
 
だから、「すんなりと引き寄せられて」、物事が起こるべくして起こるように決まっている!

インナー・グル

2015年5月11日(月) by キヨタカ

 グル(Guru)とは、サンスクリット語で「指導者」とか「教師」を意味する。
 
OSHOを皮切りに、アジズ、フーマンに至るまで、様々なグルのお世話になった。
 
今はもうグルには一切頼らないけど、例外が一つ(^-^;
 
一般的には超マイナーだが、知る人ぞ知るグルが存在する。
 
 
インターネットの無料気象サービスで、 世界中の海の気象が10日先まで良く分かる。
 
風向風速はもちろん、波高、波長、波の向き、降水量、雲量まで・・・実にきめ細かい。
 
マリンスポーツ愛好家にとっては、必見のサイトだ。
 
昔はスピリチュアル・グルの言葉に一喜一憂していたものだが、今ではウィンド・グルの表示に一喜一憂している。
 

Photo

 
ちなみに、 今日のウィンド・グルを覗いてみると・・・
 
やった〜ヽ(´▽`)/
 
水曜日は、久しぶりの最高のコンディション!
 
今から、ワクワク、ウキウキ🎵
 
 
ところが・・・
 
ウェザーニュースによると、台風が大接近ヾ(.;.;゚Д゚)ノPhoto_2
 
水曜日は、伊豆半島を直撃か!?
 
ウィンドサーファーは、台風が接近すると良い波風が立つので、いけないと思いつつも・・・つい密かに喜んでしまう人種だ。
 
波風は大歓迎だが、災害は避けたい。
 
実に悩ましいところだ。
 
 
自然界には「 平衡の法則」と言うものがある。
 
自然にあるものはすべて「平衡状態」を目指すから、気圧差や気温差は風雨により調整される。
 
台風も、「平衡の法則」が働くからこそ起こる現象だ。
 
 
我々人間も自然界の一部。
 
「平衡の法則」は、人間世界にも当てはまる。
 
『苦』あれば『楽』あり。
 
『闇』があれば『光』もある。
 
 
今まで、楽な人生しか知らない人は、いずれ人生の闇に直面して苦悩を体験する事も必要だろう。
 
逆に今までは苦悩の連続だった人は、これからは光が燦々と降り注ぐ人生になる可能性が大いにある。
 
どちらにせよ、一見偶然の様に起こる事でも、その背後には必ず法則がある。
 
起こる事の背後にある必然性を知る事で叡智が生まれ、人生に起こる波風をスイスイと乗りこなす事が可能となるだろう。
 
 
それでは、この叡智はどうやって手に入れたら良いだろう。
 
私は、この叡智を求めて世界中のグルを訪ね歩いた。
 
確かに、グルは叡智で満たされている。
 
グルに尋ねれば、たちどころに驚くべき回答を得られる。
 
しかし、外側のグルに頼っている限り、それは知識であり叡智ではない。
 
 
叡智を手にいれる唯一の方法。
 
それが、インナー・グル(内面のグル)だ。
 
インナー・グルは、あなたに導きを与えたくてウズウズしている。
 
時々は、密かに導いたりもしている。
 
しかし、インナー・グルの存在を認めない限り、その声を聞く事は難しい。
 
 
瞑想とは、インナー・グルと繋がる確実な方法だ。
 
ひとたびインナー・グルと繋がれば、人生は格段にスムーズとなる。
 
ウィンド・グルより遥かに頼れる、有難い存在となり得るのだ。
 
しかも、無料。
 
世界中の古今東西のグルの本を読み献身的に従っても、人生は変容しない。
 
しかし、あなたの中にいるグルに従えば、人生は至福に満ちたものとなる。

人生一のプレゼント〜リトリートの感想(by F)

2015年5月10日(日) by キヨタカ

施設の門の右手に、小さな同祖神カップルの石像がある。

Img_1821

よく見ると・・・

『袖触れ合うも多生の縁』

という諺が書かれている。

『道のいきすがりに、袖が振れ合うというような、偶然でほんのささやかな出会いであっても、それは前世からの深い緑で起こる』と仏教では言う。

ましてや、超マイナーなリーラスペースの瞑想会に参加される方々は、相当のご縁があるに違いない。

 

2年前までは、東京で新宿瞑想会と個人セッションを定期的に開催、多くの方々とのご縁を頂いた。

「今ごろあの人はどうしているだろうか?」

と、思い浮かぶ顔も多いけれども・・・

私の方から積極的にアプローチする事は一切ないので、2度とお会いしないままになっている。

 

Fさんもその中の一人。

「リーラスペースの事など、すっかり忘れているに違いない(ρ_;)」

と思い込んでいたのだが・・・

実は、あれからずっと真剣に瞑想に取り組まれていたと言う。

しかも、前回参加されたTさんを紹介したのはFさんだったと、後から聞かされて感激した。

 

Fさんとの再会を通して、『縁』というものの不思議さを改めて感じている。

私が出逢う人々は、全て偶然で起こっているのではない。

この日誌を読んでいる方々も、たまたま読んでいる訳ではないのはもちろんだ。

『前世からの深い縁』という事を肝に銘じて、日々の出逢いを大切に瞑想を分かち合おうと、新たな決意が生まれた。

Fさんから頂いた感想をアップします。

 

* *Fさんの感想 * *

『神の遊び』* の空間を共有させて頂き、感謝しています。
  *リーラ
そこの土地に入ると、柔らかく、やさしい、和やかで、穏やかな感覚に包まれているようで、フーマンが語った『ハートの中で感じられる、甘さ、』の気配も感じられそうな気になったりしました。
 
胸のあたりに落ち着く空気に支配され、そこに居るだけで安らぎ、どこかが楽な感じになっていたように思っています。
 
外側の世界の空気感からは感じられにくい、エネルギーが確かにある、リーラスペース。
 
 
清貴さんが執筆した本を通して、この魂の目覚めの道に出逢ったことは、人生一のプレゼントです。
 
マインドで、思い込んでいた自分から、純粋な本当の私、魂として生きる。
 
それをメインに生きることがとても重要だと確心していて、一瞬一瞬、特に今は、目を開けている時こそ、取り組み続けようと、強く決心しています。
 
 
ただ、最初のプレゼンスとのワークの中で、どうしてもバランスが偏りがちに感じるのが、スランプ気味の要因の一つでした。
 
リーラスペースのイベントに参加したのは二回目で、前回は二年前に、個人セッションと夜の瞑想会に参加しました。
 
今回も、清貴さんの説明がとてもわかりやすく、色々なアプローチを用いた、バランスが整うような実践の内容でした。
 
声が小さくなったのもやさしかったです。
 
三つのセンターそれぞれに、じっくりと働きかけられ、バランスをとる助けになりました。
 
これからの、自分次第の実践の中で、活かすことのできる要素を頂きました。
 
最後の呼吸として吐くことや、ハートの変容の力など・・・。
 
 
今回のリトリートでは、この魂の目覚め、体現を基礎としながらの、潜在意識の表面化のワークが、衝撃的でした。
 
二年前に少しやった時は、他の人の怒りのエネルギーにびっくりして、恐かったという想い出しか残っていませんでした。
 
しかし今回は、他人の目を気にする、自分と思っていた者を、さっぱり手放した状態のまま、完全に本気で、全身全霊を懸けてやってみました。
 
勝手に首が取り憑かれたように踊り出したり、コントロール不可能になるまで泣いたり、腕がしびれたり、おぞましい夢、身体的な痛み、数日間衝撃波が押し寄せています。 
 
直後の沈黙に入りやすいのは一時的なのかなと疑問に想うけど、何枚かの剥がれた層、奥深く眠り沈んでいた潜在意識は、光を浴びた。魂とのワークと同時に、時たま、するのは、感情を抑えてきた私達にとって必要な事だなと思いました。
 
他には、真実を違う視点からの理解の仕方で聞いた事が、自分の視点の角度を増やし、理解が深まり、感覚が広がった。
 
とらえる角度を変えてみるだけで、新鮮さが生まれ、知恵となって加わった。
 
少し異なる見解もあったので、それは、人の言う事を全て信じるのではなくて、自分で経験を通して、真実を知る事が大切だという事だと思います。
 
長年の経験をしたからこそ、ある知恵が、実践の中でたくさん聞けて、ありがたかった。 
 
同じ志のある者たちとのシェアリングは、今まで、ほぼ皆無だったので、貴重なものです。
 
今、世で溢れているのは、対象物を観察し続ける訓練を瞑想への手段として紹介されている事がほとんどだと思っていて、主体としてある、正しい瞑想と真実を伝えているのは、本当に稀です。
 
これをメインに生きる重大さを、言葉からではなく、存在からの直伝で、再確認させられました。
 
富士山に、温泉に、人生一の御飯、庭の手入れ、匂い、音、全てのサポート、ありがとうございました。

音と自分は一体〜リトリートの感想(by O)

2015年5月9日(土) by キヨタカ

朝は、ウグイスの声とともに目が覚める。
 
自然豊かな田舎に住む者の特権だ。70862a0381e8f3fd8cb5c2c867673c3b
 
布団の中で、まだ目を閉じたまま、耳を澄ましていると・・・
 
『ホ〜、ホケキョ。ケキョ、ケキョ、ケキョキョ・・・』
 
意識のスクリーン上に、ダイレクトに音が響く。
 
 
「あ、ウグイス」とか、「今日の声は変・・・」とか、「都会に住む人は声が聞けずに可哀想・・・」とか、様々な思考が浮かぶ以前。
 
ウグイスが鳴く前も、鳴いている時も、声が止んだ後も・・・
 
それは、既にある!
 
それに止まるとき、音と自分は一体であり、ウグイスと私に違いはない。
 
 
「 悟り」とか、「覚醒」とか、さも特別な意識だと思われているけれども・・・
 
真実は、たったこれだけの事。
 
我々の本性はブッダそのものだ!
 
ブッダ意識は我々の生得権であり、既に朝から晩までお世話になっている。
 
たったこれだけの事を知るか、見過ごすかで、天と地くらいの違いとなる。
 
スタッフとして毎回参加されているOさんは、これを理屈ではなく体験として理解されたようです。
 
 
* * Oさんの感想 * *
 
5月3日4日とリーラスペースのリトリートに参加してきました。
 
スタッフとしてもう10回近くの参加です。
 
いつもは有給休暇を取って参加するのですが、今回は休暇が取れず、仕事の合間に何とか参加するという強行スケジュールでした。
 
朝方仕事が終わり、それから会場へ直行したので、瞑想中に眠くなってしまうかと危惧しましたが、瞑想しているとすぐにエネルギーも回復し、意識も鮮明になってきました。
 
以前より更に恩寵が降り注ぐ場になっており、すぐに神聖なる次元へ繋がるようになっていました。
 
Img_1811
 
リトリート中個人的に興味深かった出来事として、二日目の朝一人でシンギングボウルを鳴らして座っていると、音がハートに染みわたり、文字通り音と一体化していきました。
 
音と自分が一体だということを、概念上ではなく実体験しました。
 
それは今までも体験はしていましたが、今回はより深い次元で理解しました。
 
 
今回のリトリートは初めての参加者が多く、瞑想をこなしていけるかどうかわかりませんでしたが、瞑想の初心者の人でも淡々とこなしていました。
 
また全体的に姿勢が比較的よかったのは感心しました。
 
どうしても瞑想に慣れていないと姿勢が崩れるものですが、初心者の方々も比較的背筋を伸ばして座っていました。
 
やはり場の影響も大きかったと思います。
 
 
リトリートが終了し、何人かの参加者の人たちと一緒に電車で帰りましたが、帰りの電車でみなさん充実した表情をしており、本当に参加していただいて良かったと思いました。
 
いつもは休暇をとってじっくりと参加するところが、今回は強行スケジュールだったので、いつもほど浄化されている感覚がなかったのですが、昨日友人と会って
 
「やはりリトリートから帰ってきてすぐは違うね。充実した気を感じるし、表情がまるで違うよ。さっぱりしてる」
 
と言われ、やはりリトリートの成果が大いにあったと思いました。
 
 
リトリート中は良い状態になっても、リトリート後は元の木阿弥では仕方ありません。 
 
今後のリトリートは、瞑想を現実生活で生かせるためのものとなっていくでしょう。
 
それで全体的に補完されます。
 
7月にまたリトリートの予定があり、それにもぜひ参加したいと思います。
 
 
リトリートで得たことを、16日土曜に行う瞑想会でシェアできればと思います。
 
詳細は青の瞑想会の文字をクリックしてください。

ハートを閉じる〜リトリートの感想(by Y)

2015年5月9日(金) by キヨタカ

 『ハートを開く』

ニューエージ系のスピリチュアル界隈では、定番となっている概念。

確かにハートが開いていればコミュニケーションも円滑になり、良い事づくめに思う。

しかし実際は、違う。Img_1803_6

『気づき』なしにハートが開くと、自分や他人のネガティブな感情に巻き込まれ翻弄されてしまう事が多い。

また、神や仏やエンジェル等々のポジティブなイメージの世界に迷い込み、幻想から抜け出せなくなる可能性もある。

だから、最初は意識のベクトルを逆転させるために、外側に向って開かれた『ハートを閉じる』事も必要だ。

それが、『リトリート/引き籠る』の目的だ。

 

すると、外側に漏れていたエネルギーが集められて、やがて内側のハートの奥深くへ向かう。

ハートの奥深く、魂の領域に『秘密の扉』がある。

『恩寵の扉』だ。

集められたエネルギーは、この扉を内側に向って開く。

そうすれば、扉の向こう側、つまり神聖な次元と繋がる事が出来る。

そして、神聖な次元から無限のエネルギーが供給されるようになるのだ。

Img_1804

真実の愛、死をも凌駕する勇気、宇宙の叡智、永遠の平和等々、それまでは『絵に描いた餅』にしか過ぎなかった事柄が、自分の内側から目覚め始めるのだ!

そうして初めて、本当に外側に向って『ハートを開く』事が可能となる。

 

Yさんは、今回の参加で、その事をとても明確に理解されたようです。

ぜひまた参加して下さいネ!

 

* * Yさんの感想 * *

リトリート、大変お世話になりました。
 
おいしいお食事と、素晴らしい環境の中、瞑想三昧でとても充実した2日間でした。
 
キヨタカさん、ヨガビジャさん、スタッフの皆様、ありがとうございました!。
今回は、本当に真剣に参加させて頂きました(ようやくスイッチが入ったのか?…)。
 
自分の中にあるものを、全て出し切ってしまい、何とかしたいと必死でした。
結果、今現在、状況に関わらず、平穏な静けさの中にいる感じがしています。
 
 
それにしても、今回も特に感じたのは、「ステートオブプレゼンス」の大切さと、
それが出来ていないという痛烈な反省でした。
 
実生活の大波の中で、プレゼンスを保つのは至難の技です(汗。
 
そこで、標語をあちらこちらに貼り、常に注意を喚起することにしました。
 
また、プレゼンスブレスなるものを作製し、常に身に付けることで、
すぐに思い出せるように工夫しようと決意いたしました!。
 
 
また、シェアリングで、ヨガビジャさんがおっしゃっていたお言葉が、
とても参考になりました。
 
フーマンのセッションでの「あなたの場合はハートを閉じなければならない」
 
それから、「まず、自分のエネルギーを外にもらさず集めておく」ということ。
 
リトリートでの瞑想中に、小さな頃から、様々な周りの大人達の思考エネルギーに
合わせていく、そうすることが、生きていく事なのだと思い込み、自分のエネルギーを減らしていく違和感と痛みをリアルに思い出したからです。
 
ただ、現実社会に対しては、ハートを若干閉じ気味にしたとしても、
その奥の、神聖な次元に対しての扉は開かれていくのですよね。
 
(この理解で宜しいのでしょうか?)
 
 
今回の瞑想で、特に印象に残ったのは、とても軽やかで爽やかで静かな、世界(宇宙)の原初の風、のようなものを感じていたことと、ハートの奥が少し反応したように感じたことです。
 
扉から少し光りが漏れてきたような…?。
 
次回参加させて頂く際には、良い(良し悪しは無いとは言え)ご報告が出来ることと思います。
 
ありがとうございました!
 
 
それから、帰りに、皆様とのお話もとても楽しかったです。
 
その時にもお話が出たのですが、
次回参加時には、自分のニックネームを考えて参加しようかな〜♪。
 
 
PS. それから、肝心なこと!
 
キヨタカさんのリードがとてもソフトで、かつわかりやすく、
とても心地良かったです!。
 
素晴らしかった。
 
以前のリトリートとは、全然違いました。
 
びっくりしましたw(゚o゚)w

瞑想の本質〜リトリートの感想(by A)

2015年5月7日(木) by キヨタカ

 リトリートが無事終了し、ほっと一息。
 
今回のリトリートは圧倒的に女性が多く、とても親密でアットホームな雰囲気だった。
 
『神性な次元からの光は、唯一ハートの中でのみ見出される』
 
とは、フーマンが語った言葉。
 
 
本質的にハート指向である女性の参加者が多かったから、神聖な次元からの光がより多く降り注いだのか・・・
 
それとも、神聖な次元からの光がより降り注ぐようになったので女性参加者が増えたのか・・・
 
どちらにせよ、今までのリトリートの雰囲気とはかなり違っていた。
 
どうやら、 リトリートの場も新たな次元に入ったようだ。
 
 
今回は、25年前からの知り合いであるAさんも参加してくれて、嬉しかった。
 
25年間OSHO一筋だった事もあり、リーラスペースへ来るのにかなりのためらいがあったそうだ。
 
なぜなら、25年前は私もOSHO一筋だったのだが・・・
 
その後 アジズやフーマンなどいろいろなマスターを招待しはじめ、当時は OSHO界隈に物議を醸していたものだ。
 
当時は、OSHO界隈では有名人だったけれど・・・
 
今では、OSHOの世界からはほとんど忘れ去られてしまった(ρ_;)
 
だから、
 
”OSHOとは離れてしまって、ついて行けない内容になっていたら困るなぁ〜”
 
と、心配していたとか。
 
しかし実際には、そうでない事を知り、とても安心されたそうだ。
 
 
確かに今はリーラスペースから”OSHOの看板”を外しているし、OSHOを世間に広めようとも全く思わない。
 
” 瞑想の本質をわかりやすく人に伝える”事が私の生きがいであり、それがとても楽しい。
 
今はただ”自分自身である事”を通して、実は今の方が遥かにOSHOに近づいていると、密かに思ったりしている。
 
 
Aさんが、自分のブログにリトリートのシェアをしてくれたので、転載します。
 
* * Aさんのブログより * *
 
昨日は気温も上がって、5月に入った途端、一体何なの。あづがった(汗)
 
今日は朝早く(当社比)から修善寺へ行き、一泊二日の瞑想リトリート with キヨタカへ参加することに。
 
キヨタカは私が初めて、私がOSHOインターナショナル・メディテーション・リゾートへのツアーに参加した時のツアーリーダーの1人として、初のインド滞在でお世話になった人。
 
一時期、色んなマスターを招いてリトリートを開催しては物議を醸し出していた時期もあったので、OSHOとは離れてしまって、ついて行けない内容になっていたら困るなぁ〜 と思って、数年振りに近況報告も兼ねて連絡を取り合った上での参加でした。
 
こちらが秘かに心配していたのは瞑想の内容ですが、フタを開けてみるとダイナミック瞑想にクンダリーニ瞑想にブレスにジベリッシュ…etc と、私に取っては、お馴染みのOSHOアクティブ瞑想のオンパレードで、何の問題もないどころか馴染みまくり(笑)
 
女性の参加者が圧倒的に多かったのも意外でした。
 
富士山見えるし、
温泉に入れるし、
食事はうまいし、
 
うぐいす鳴きまくってるしで、
 
サイレンスで、くつろいでおります(注:サイレンスの時間が終わってから更新作業しています)
 
* *
 
今日の夜、修善寺から帰宅。
 
ここしばらく自分の中での瞑想のやり方というかあり方というか、そんなこんなが全て堂々巡りのパターン化しているような気がして、今までとは違った方向から光を当てる必要性を何とな〜く感じていたので、その希望を満たすことができました(笑)
 150504
 
ちょっとしたヒントを得ることが出来たので、あとは日常の中で意識して行けるのかどうかですな…(笑)
 
久し振りに濃厚な瞑想会に参加できて良かったです。
 
本質に触れるのって、大事。

追い込まれないと・・・

2015年5月2日(土) by キヨタカ

 リトリートが目前に迫り、準備で忙しかった(;;;´Д`)
 
日程はずっと前に決まっているのだから、前倒しにやれば済むのだが・・・
 
子供の頃から、『追い込まれないと』本気が出ないタイプ(^-^;
 
 
夏休みの宿題なんか、最後の3日で本気モードのスイッチが入り、なんとか2学期に間に合わせたものだ。
 
この調子だと、死ぬ3日前あたりでようやく『悟り宣言』をするのではあるまいか?
 
死が目前に迫れば、本気を出さざるを得ないから・・・。
 
 
人間、本気を出せば、ほとんど不可能と言えるような事もやれるだけの力を持っている。
 
問題は、『どうやって本気を引き出すか?』という事なのだが・・・
 
『背水の陣』という諺があるように、ぎりぎりの状況に 
追い込まれないと、人間はなかなか本領を発揮するのは難しい。
 
 
 
なにはともあれ、かなりバタバタしたけれども、ようやく準備が完了。
 
追い込まれたお陰で、何やら未知の次元からエネルギーが湧き始めている。
 
明日からのリトリートが、非常に楽しみ🎵
 
満月でもあるし、とてもパワフルでハートフルなリトリートになる事は間違いない。

« 2015年4月 | トップページ | 2015年6月 »

メインホームページ

リンク

無料ブログはココログ