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飽きるまで待つ

2015年5月29日(金) by キヨタカ

プレゼンスとは認識の主体であり、気づきそのもの。
 
これが、”覚醒”の始まりだ。
 
あなたが世界を認識出来るのは、あなたという”気づき”があるから。
 
しかし
 
『”気づきに気づく”のが”覚醒”ですよ!』
 
と語っても、なかなか理解は起こらない。
 
 
それにはいくつかの理由がある。
 
最初の理由は、”気づき”は認識の主体でありながら、認識の対象物と誤解してしまうからだ。
 
鏡に例えるとわかり易い。
 
鏡は、外側の世界をそっくり映し出す。
 
北海道へ行けば、北海道の景色が映る。
 
九州へ行けば、九州の景色が映る。
 
南極へ行けば、南極の景色が映るだろう。
 
しかし、たったひとつ例外がある。
 
鏡は、鏡そのものを映し出す事はできない。
 
至極、当たり前の話だ。
 
 
それと全く同じ事が、我々の認識作用に起こっている。
 
私が外側の世界を認識出来るのは、外側の世界に『気づいている私』があるからだ。
 
この認識の主体を、仮に『気づきの鏡』と呼ぼう。
 
あなたという『気づきの鏡』には・・・
 
北海道へ行けば、北海道の景気が映り、九州へ行けば九州が、南極へ行けば南極が映る。
 
しかし、『気づきの鏡』そのものを映す事はできない。
 
北海道や九州の景気を探すのと同じ感覚で探している限り、一生探し続けても無理だ。
 
意識のベクトルを、気づきそれ自身へと反転させる必要がある。
 
それが、瞑想テクニックの役割だ。
 
 
しかしいくら瞑想しても、なかなか理解が起こらな人も多い。
 
その最大の理由は、プレゼンスという『意識の鏡』そのものよりも、鏡に映る現象世界の方に関心があるからだ。
 
『瞑想すれば、物質世界も豊かになり、ソウルメイトも手に入り、全てはうまく行く🎶』
 
・・・自戒の念を込めて敢えて言うが、そう喧伝する瞑想家も多い(^-^;
 
 
しかし、本音を言うと・・・
 
外側の世界にのみ目が奪われている場合、いくら瞑想してもそのベクトルを反転させる事は難しい。
 
無理に、気づきのベクトルを反転させようとしてはならない。
 
それはちょうど、子供からおもちゃを取り上げるようなもの。
 
真実を伝えようとして、「それはおもちゃだ!」と指摘したり、無理やり取り上げようとすると、逆に子供の成長を阻害してしまう。
 
だから、「おもちゃに飽きるまで待つ」というのが賢明な態度だろう。
 
 
いい夢を見ている人を、起こしてはならない。Gato_melanclico
 
そっと優しく見守って、夢に飽きるのを待ちたい。
 
夢から醒めたい人を起こす手伝いはできるが、無理やり起こすのは私の役割ではない。
 
無理やり起こそうとすると、悪口を言われたり、石を投げられたり、ろくな事は起きないだろう。

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感想」カテゴリの記事

コメント

拝啓、、、。

         二句

               ”猫じゃらし

                           成熟すれば

                                       飽きるもの”


      ”マスターよ

                       鏡を映(写)す!?

                                          鏡かな”


                             Yょㇼ

                                                  敬白  


                       

                           

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