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2015年6月

ドクター・イエロー

2015年6月23日(火) by キヨタカ

 私用で、大阪へ旅行中。Img_2020_6
 
新大阪駅で、ドクター・イエローに遭遇。
 
月に数度しか走らず・・・
 
『見ると幸せになるヽ(´▽`)/』と言われている。
 
 
黄色は、言わずと知れたラッキー・カラー!
 
明るい展望、可能性、祝福のシンボルだ。
 
元々幸せな私ではあるが、こうしてドクター・イエローに遭遇すると・・・
 
『恩寵が燦々と降り注いでいますよ(*^-^)』
 
と、天からの声が聞こえる感じ🎵
 
 
お金は、他の人にシェアすると減ってしまう。
 
だから、自ずと限界がある。
 
幸せは、他の人にシェアしても、減らない。
 
相手も喜び私も益々幸せになるから、増え続ける。
 
 
この日誌を見た方々に、恩寵が燦々と降り注ぎますように(* ̄0 ̄)ノ
 
見ていない方々には、あなたの幸せをどんどんシェアして下さいネ!
 
無限の幸せ💓
 
それが、私たちの本性だから!!
 
 

短い!

2015年6月22日(月) by キヨタカ

人生は短い!
 
これが、 真実だ w(゚o゚)w
 

小鳥遊

2015年6月21日(日) by キヨタカ

 『小鳥遊』という苗字がある。
 
『タカナシ』と読む。
 
タカは小鳥の天敵。
 
タカがいなければ、小鳥は安心して遊べる。
 
だから『小鳥遊=タカナシ』だそう。
 
ジョークの様だが、江戸時代から実在しているそうだ。
Photo
 
 
愛に溢れた聖者の廻りに、野生動物や小鳥達が寄ってくるというのはよく聞く話。
 
ジョークではなく、本当にそうだったらしい。
 
アッシジの聖フランチェスコはその代表格。
 
30年以上前に、OSHOからその話を聞いて感激したものだ。
 
 
『小鳥と遊べるくらいの、愛に溢れた存在でいたい』
 
当時、真剣に思った。
 
映画:「ブラザーサン・シスタームーン」を見てから、ますますフランチェスコに惚れた。
 
 
 
しかし、よくよく調べてみて、驚いた。
Photo_2
 
フランチェスコは鳥と遊んでいたわけではなく、説教していたというw(゚o゚)w
 
その様子を描いた絵画や音楽もある。
 
小鳥にまで説教するとは、いかにも西洋流でついていけないけど・・・
 
説教の内容が美しいから、それはそれで良しとしよう。
 
もしも私が鳥だったら・・・
 
当然私もフランチェスコの説教を聞きにやってくるに違いない。
 
しかし質問魔の私は、ただ黙って説教を聞いているわけにはいかない。
 
場違いな質問をしてしまう事だろう( ̄Д ̄;;
 
 
 
* * 質問コーナー* *
 
キヨタカ:「神父さま、小鳥と遊ぶのは確かに楽しいですが、食べてもいいですか?」
 
F:「兄弟なる小鳥たちよ、互いに遊び、愛し合いなさい!
 
   しかし何故に食おうなどと、悪魔の所業を思うのか!!」
 
キヨタカ:「だって、しょせん私はタカですから┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~」
 
 
* * 聖フランチェスコの説教* *
 
『兄弟なる小鳥たちよ、
 
あなたがたを造ってくださった神さまのご恩を深く感じていなければなりませんぞ。
 
そして、
 
いつでも、どこにいても、神さまをほめたたえなくてはなりませんぞ。
 
神さまはあなたがたにあらゆるところへ飛んで行ける自由をお与えくださったのだし、
またそんなふうに二枚も三枚もの着物をさずけてくださっている。
 
そしてまた、あなたがたの一族が地上から消えてなくならぬようにと、ノアの箱舟にのせて、血筋がたえぬようにしてくださった。
 
さらにまた、空気というものを作ってくださったのもあなたがたのためなのだから、このことをもご恩に感じなければなりませんぞ。
 

そればかりではありません。
 
あなたがたは、種をまくこともせず、刈り入れをすることもしないのに、神さまはあなたがたをも、あなたがたの子どもたちをも養っていてくださる。
 
飲むための花の蜜や泉の水も与えていてくださる。
 
隠れ場となる山や谷を、巣をっくるための大木を、与えていてくださる。
 
また、あなたがたは、紡ぎもせず、織りもしないのに、神さまは、あなたがたと、あなたがたの子どもにちゃんと着るものを与えてくださっているではないか。
 
こんなにも多くの恵みをさずけてくださっているのだから、あなたがたを造ってくださった神さまは、どんなにかあなたがたを愛してくださっているか、おわかりだろう。
 
だから、兄弟たちよ、これほどのご恩を忘れる罪におちいらぬようにしなさい。
 
そして、いつも神さまをほめたたえることに熱心であリなさい。
 

スズメの気づき

2015年6月20日(土) by キヨタカ

Img_1983

 富士見荘の庭に餌場を設置したのが、5月末。
 
最近、頻繁にスズメが餌場を訪れる様になった。
 
非常に警戒心が強いので、家の中から出来るだけ〜ッと覗かないと、すぐに飛び去ってしまう。
 
理想は、『小鳥を肩や手のひらに止まらせて一緒に遊ぶ』ことなのだが・・・
 
遊ぶまでに、あと何年かかるのやら(^-^;
 
 
それにしてもスズメの感覚の鋭さには、驚くべきものがある。
 
家の中からなのに、不用意に覗くと、すぐに逃げる。
 
餌は、古い白米。
 
匂いもないのに、遠くから どうして餌だと気づき飛んで来るのだろう。
 
 
数ある瞑想を突き詰めていくと、その根本には必ず『気づき』がある。
 
『気づき』は、我々人間が動物から神へと進化していく中で、人間に与えられた『特権』のように感じていたのだが・・・
 
どうやら、それは間違いだった。
 
 
人間もスズメも、それなりに『気づき』が与えられている。
 
残念ながらサバイバル(生存)に関する気づきは、スズメの方が遥かに上だ。
 
ちょっとでも油断すると、ネコやカラスやもずなどの天敵の餌食になってしまう。
 
人間は、相当に油断しまくっても、滅多に食われる事はない。
 
だから 圧倒的に、スズメに軍配があがる。
 
 
しかし動物は、その気づきを『サバイバル』に向ける事で精一杯だ。
 
人間は文明が発達したおかげで、動物のような日々のサバイバルからは一応卒業しつつある。
 
だから、気づきを別の方向へ向ける事が出来る。
 
それこそが意識の進化、つまり『神への進化』の原動力となる。
 
 
仏教の説く、「三帰依文」とは、この事を意味するのだろう。
 
「人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く、この身今生に向かって度せずんば、更に何れの生に向かってかこの身を度せん。
 
(人間として生まれることは難しいのに、私は、人間として生を受けています。
 仏法に出遭うことは難しいのに、私は今、仏法を聴く機会を得ています。
 今、このチャンス(人間として生まれ・仏法に出遭っている間)に救われないで、いつ救われることができ   ましょうか。)
 
人間に生まれ、しかもサバイバルが保証された日本に生まれた私は、何と幸運で有難い事だろうかヽ(´▽`)/
 
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* * 質問コーナー* *
 
質問: 「我が家のネコは、毎日たっぷり餌をあげてるからサバイバルの問題はないのに、神に進化しないのはなぜでしょうか?」
 
答え:「いえ、いえ、決してそうではありません。
 
 ネコ神様として、既に立派なお役目を果たしておられるのです(* ̄0 ̄)ノ

タロット

2015年6月19日(金) by キヨタカ

 今朝も、姉から頂いたカップでコーヒーを飲みながら日誌を書いている。Photo
 
『あれ?赤いカップだ!』
 
・・・と気づいた方は、かなり鋭い。
 
実は、赤いカップとペアで貰った。
 
当然赤い方はヨガビと思い込んでいたのだが・・・
 
「私は黒い方がいい(*゚▽゚)ノ」
 
というので、赤をマイカップとする事にした。
 
赤は「生」「愛」「祝福」のシンボル。
 
魔除けの色として神社の鳥居はもちろん、還暦祝いのちゃんちゃんこや頭巾も赤色だ。
 
今の私にはぴったりヽ(´▽`)/
 
 
Photo_2 昨日は、例のカップでコーヒーを飲みながら、ヨガビからタロットを教わった 。
 
授業料は、黒いカップを渡した事でチャラにするつもり(^-^;
 
久しぶりのタロットだが、非常に面白い。
 
 
実は 私とタロットの関係は、意外と長い。
 
今は亡きタロットの第一人者マンガラ(注)が21年前に初来日した時、彼女の通訳を仰せつかったのが私だった。
 (注:OSHOサニヤシン界という狭い範囲ではあるが(^-^;)
 
まあ当時は彼女も日本では無名で、誰も通訳を引き受けようとする物好きは私の他にいなかったという事もあるが・・・
 
以来マンガラと親しくなり、「スピリチュアル健康診断」みたいな感じで、彼女の個人セッションを毎年受けていた。
 
その後彼女も日本でどんどん人気が出て、本を出版。
 
彼女に依頼されて、本の帯を執筆した事もある。 
それがこれ↓
  (詳細は、修善寺日誌2012/10/13参照) 
 
Photo_2_3
 
 
なかなか核心をついていて、良いコピーだと自画自賛している。
 
タロットを単なる占いの道具として使えば、マインドゲームの罠に陥る危険性も当然ある。
 
しかし、それを『魂の覚醒へ導く画期的なツール』として使う事も充分に可能だ。
 
マインドが使っている限り、マインドゲームの範疇から抜け出す事は不可能。
 
しかし、「使っている私は誰か?』を意識する事で、状況は一変する。
 
魂は、非常に慎み深い。
 
辛抱強く、出番を待ち続けている。
 
自分が引いた一枚のカードを正しく読み解く事で、運命が好転して、魂の目覚めへと導かれる事も充分にあり得る。
 
だから、タロットは非常に面白いのだ。

量より質

2015年6月18日(木) by キヨタカ

4日前に実家から戻り、修善寺に滞在中。
 
久しぶりに、日誌を再開。
 
ずいぶん遠ざかっていた感じがするので、調べてみたら・・・
 
最後の日誌は6月12日(金)だから、1週間経っていなかった(ρ_;)
 
最近日誌がマンネリ化している感じもあったので、ちょうど良い休載だったと思う。
 
 
実家に滞在中、姉からコーヒーカップを貰った。Photo
 
今までは、バルセロナ(スペイン)で買ったマグカップでコーヒーを飲んでいた。
 
バルセロナを世界的に有名にした建築家 ガウディの作品をモチーフにしたカップで、一応私のお気に入り。
 
 
ところが新しいカップにしたら、コーヒーの味が一段アップしたので驚いたヾ(*゚A`)ノ
 
マグカップに比べて肉厚が薄いので、口に含むコーヒー量が自然と少なくなる。
 
それに伴い、比較的少量で満足感が得られる。
 
よって、マグカップのようにガバガバと飲む事なくより繊細にコーヒーを味わえるようになった。
 
『量より質』とはこの事かヽ(´▽`)/
 
 
願わくば、 修善寺日誌も、『量より質』を心がけたいものである。

ハートを開く〜セッションの感想

2015年6月12日(金) by キヨタカ

  現在、小山市の実家に滞在中。
 
毎月欠かさず修善寺と小山を行ったり来たりで、以前は負担に感じる事もあったが・・・
 
最近は何処へ行っても大丈夫。
 
 
この肉体は、彼方へ行ったりこちらへ来たり、せわしない。
 
しかし本当の私は、動かない。
 
いつでも、”今・ここ”にいる。
 
正確に言うと、”今・ここ”という感じでもない。
 
本当の私とは、この次元には属していない。
 
ハートが開くと、とてもシンプルになる。
 
問題が問題でなくなり、全てはあるがままで大丈夫。
 
絶対的な安心感。
 
自分は既に知っているという感覚。
 
全ては上手くいっている・・・
 
全ては一つ・・・
 
Mさんから、スカイプセッションの感想メールをいただきましたので、アップします。
 
* * Mさんの感想* *
 
本日もスカイプでの瞑想セッション大変お世話になりました。
 
とても素晴らしいセッションでした。
 
あの後すぐに私も電話でのセラピーがあったのですが
本日教えて頂いた事を念頭に置きながらも、
ごく自然に気負うことなくセッションを進める事ができました。
 
これまで自分がセラピーをする上で大切に感じていた事に対して、
より強い確信が持てた事を本当に嬉しく思います。
 
それから先程、またハートの瞑想をしていたのですが、
あっと言う間に「気づき」と「寛ぎ」が広がっていきました。
 
その時、全ては一つで、その一つを数えきれない程の
窓が(私と感じる意識は、単にその窓の一つに過ぎない)
それぞれに見たいように見ているんだなぁ・・・。
 
と感じました。
 
そして見えているものや感じているものの全ては、
本来は同じ「何か」であり、それがただカタチを変えて現れたように見えるだけ。
 
そして、そのカタチを成した全ては、またハートに吸収され、
「一」に還り、次の瞬間には、またそれが違うカタチで放出される。
 
そういう感覚を感じながら、ハートに全てが吸収されていくのを感じ、
ハートから溢れ出る光が温かく世界を満たしながら
どこまでも広がって行くのを感じていました。
 
この感覚を大切にし、日々在りたいと思います。
 
本日は本当にありがとうございました。

才能のある人は幸せ?

2015年6月7日(日) by キヨタカ

キヨタカ(K):五嶋龍(ゴトウリュウ)って、ヴァイオリニスト 知ってる? 
        有名な五嶋みどりの弟なんだって! すごい才能だね!!R20110206a
 
ヨガビ(Y):五嶋みどりを知らないんだから、 
       知るわけないでしょ(゚Д゚)ハァ?
 
K:イケメンの若きヴァイオリニストなんだけど、 
   ハーバード大学で物理学を専攻、 
  趣味は空手で黒帯3段だって!
 
Y:ふ〜ん、世の中広いから、 
  色んな人がいていいんじゃない、それで?
 
K:ヨガビは音楽も物理も武道も興味ないから、 
  関係ないだろうけど・・・
 
Y:キヨタカは関係あるの?
 
K:子供の頃、ベートーベンとアインシュタインに憧れて、
  音楽家か物理学者になるのが夢だった(^-^;
 
Y:それで?
 
K:ピアノはバイエル(初歩教本)で挫折、 
  物理学には苦手な算数が必要なのを知って諦めた。
 
  ・・・それで剣道場に遊びに行って防具に触ってみたんだけどね。
 
Y:汗臭くて耐えられなかった、と言ってたよね〜?
 
K:もしも龍君みたいに才能に恵まれて、 
  音楽家で物理学者で武道の達人だったら人生楽しいだろうな〜♪
 
Y:そうとも言えないでしょ? 
  才能がありながら苦しんだ人も大勢いるし・・・
 
K:確かにそうだね。 
  天才ヴァイオリニストで『タングルウッドの奇跡』の五嶋みどりさんも、 
  一時は鬱と拒食症に悩まされたと言うし・・・
 
Y:『才能があるから凄い人』という事には違和感があるな〜。。
 
  凄い人というなら、私の姉なんてかなり凄いと思うよ。 
 
  だって2人の子供が生んだ4人の孫の面倒を、 
  一手に引き受けてるんだもん!( ̄□ ̄;) 
  私はまねできないよ。。
 
K:確かに! 
 
 『赤ん坊の泣き声には耐えられない( ̄Д ̄;;』 
 
  と悟ったOSHOも語っていた。
 
  その4倍の重圧に平然としているお姉さんは天才かも・・・
 
Y:でも、どんなに才能に恵まれても年齢とともに失われていくのも事実だよね?
 
K:天才イチローだって、50過ぎたら当然引退だろうし・・・
 
Y:結局は他人に認められる事とか、特別な才能よりも、 
  自分がただ在ることの価値を発見することの方が 
  本当の幸せを味わえるんじゃないかしら・・・?(・・?)
 
K:する事から在る事へ、ということで、 
  修善寺日誌らしいオチになったね\(;゚∇゚)/ 
 
 

連続セッションの感想〜何という幸運

2015年6月5日(金) by キヨタカ
 
Mさんの、連続スカイプセッションが無事終了した。
 
とても熱心かつ誠実にプレゼンスにワークして頂き、私としても色々学ぶ事が多かった。
 
Mさんの受講目的はズバリ・・・
 
「苦しいマインドの世界から自由になる方法を知り、マインドの苦しさから自由になること」
 
なぜなら・・・
 
「小さい頃から人と馴染めず、コミュニケーションがとることが困難で何かにつけて、若い時からいじめなどを受けたりして人間関係に大変苦労しています」
 
との事だった。
 
 
私たちは、誕生する前は母親の胎内にいる。19255129cms
 
羊水にフワフワ浮いて心地よく、衣食住の心配は一切なし。
 
呼吸すら必要ない。
 
天国そのものだ。
 
「天国とは、母親の胎内の擬似天国体験がベース」と唱える心理学者も多い。
 
 
ところが、ある日突然に、訳も分からず世界に放り出される。
 
歩く事はおろか、這う事すらできず、全くの無力なのに・・・
 
途方もなく大きくてわけのわからない世界に、説明なしにポ〜ンと放り出されるのだ。
 
” 苦しい”に決まっている。
 
 
成長するにつれて、どうにかこうにか世界を上手に渡る術を身につけて、”幸せな人生”を送る人も大勢いる。
 
しかし、Mさんのようにずっと” 苦しい”ままの人もいる。
 
世間的には、”幸せな人生”を送る方が”幸運”な人に決まっている。
 
しかし、スピリチュアルな観点からすると、そうとも言えない。
 
 
”幸せな人生”とは、幸せな夢に過ぎない。
 
幸せな夢を見ている人は、夢から覚めようとは思わない。
 
例え、ステート オブ プレゼンスを説明しても・・・
 
「それがどうした!」
 
と一蹴されてしまう。
 
だから、夢の中で人生を終える可能性が高い。
 
 
” 苦しい”夢を見ている人は、そうではない。
 
夢から覚める方法があると知れば、真剣に取り組む。
 
だから、” 苦しい”夢を見ている人の方が本当は幸運なのだ。
 
やがて夢から覚めて、本当の幸せを手にするだろう。
 
 
* * Mさんからのお便り* *
 
連続セッション、大変お世話になりました。
 
長いようで、あっというまでしたが、瞑想の本当の意味を知ることができたことと、そして、かけがえのない『私』を、キヨタカさんのガイダンスを受けさせていただいたことによって、取り戻しつつあることは、私のこれまでのマインドに振り回されて生きてきた生涯の中でも、大きな飛躍となりました。
 
もちろん、まだ今からの初心者ですが、ただマインドだけに囲まれた人生ではない『私』という自由があることを知ることができたのは、何という幸運だろうかと感じます。
本当にありがとうございました。
 
ご紹介いただいた本と音楽は、すぐにでも取り寄せしたいと思っています。
 

創造的な・・・

2015年6月4日(木) by キヨタカ

 午前中スカイプセッション。

Img_1910_2

午後良い風が吹いたので、
久しぶりに(・・・でもないか(^-^;)海へ。
 
同じ修善寺からウィンドを習いに来た方と、お話しをする。
 
話をする内にリーラスペース御用達の、和菓子屋の若旦那である事が解り意気投合!
 
一緒に写真を撮らせてもらった。
 
 
この和菓子屋は、商品の味とセンスが抜群でとても評判がいい。
 
和菓子でありながら、創意工夫を怠らない。
 
最近のリトリートでは、最後のシェアリングの時間の『お茶請け」として、必ずここの和菓子を食べてもらっている。
 
 
現在ダイエット中なので甘い物は御法度なのだが、これだけは例外。
 
名物の修善寺どら焼き、わらび餅、和風デニッシュ等々・・・ 
 
ヤバイ、また食べたくなってしまう┐(´д`)┌ヤレヤレ
 
 
この和菓子屋の製品が創造的なのは、奥さんがパティシエ(洋菓子職人)である事に秘密がありそう。
 
和菓子に洋風のお洒落なセンスが加味されて、とてもユニーク。
 
 
創造には、お互いに相矛盾する陰陽のエネルギーが必要だ。
 
宇宙は、相対立するエネルギーの相克により動き続け、進化し続けている。
 
天と地、太陽と月、昼と夜、西洋と東洋、男と女・・・etc.
 
和菓子と洋菓子だって、そうに違いない。
 
 
瞑想もまた、2つの相矛盾するエネルギーから成り立っている。
 
『プレゼンス』は男性エネルギーであり、センターに向かい天高く上昇して行く。
 
『ビーイング』は女性エネルギーであり、下方へ向かい寛いで広がって行く。 
 
真の瞑想は、この相矛盾するエネルギーが止揚され統合された時に起こる。
 
外側の男性と女性が統合されると・・・
 
子供が生まれる。
 
内側の男性と女性エネルギーが統合されると・・・
 
 
ブッダ【覚者】が生まれる!
 
 
若旦那には、食べると体が浄化されダイエットに良い和菓子を創造してもらうよう、早速頼んでおいた。

海のエネルギーをたくさん吸収したので、きっと素晴らしい創造性を発揮するはず。
 
どんなユニークな商品に仕上がるか、今から楽しみ🎵

Mさんとのセッション

2015年6月3日(水) by キヨタカ

 今日の夜のスカイプセッションは、Mさん。
 
非常に熱心に、プレゼンスのワークに取り組んでおられる。
 
 
M:「スカイプセッションの時は、プレゼンスを簡単に思い起こせるのですが、日常生活に戻ると、どうしても忘れてしまう事が多いのが悩みです。」
 
キヨタカ:「一日、何回くらい忘れますか?」
 
M:「それはもう、しょっちゅう忘れてしまいます(ρ_;)」
 
キヨタカ:「一日 10回忘れるのと、100回忘れるのでは、どちらが良い状態だと思いますか?」
 
M:「もちろん、10回の方が良いに決まっています!」
 
キヨタカ:「いや、100回の方がいいんですよ!」
 
M:「え!? 100回の方がいい?」
 
 
キヨタカ:「はい。プレセンスを思い起こしたからこそ、『プレゼンスを忘れた!』と言えるのです」
 
M:「100回、プレゼンスを思い起こしたという訳ですか?」
 
キヨタカ:「その通り! プレゼンスを思い起こすワークをしていない人は、一日1回すら『忘れた!』とは言わない。
 
『しょっちゅう忘れた』と言えるのは、『しょっちゅうプレゼンスを思い起こしている』という証拠です!」
 
M:「なるほど〜。少し自信がついてきました。』
 
キヨタカ:「プレゼンスは自己の本性ですから、本気で取り組めば必ず目覚めます!」
 
Mさんの表情が明るくなり、プレゼンスが輝き始めたのがスカイプ画面を通してよく分かった。
 
私も、とても嬉しくなった(*^-^)

ノンデュアリティ?

2015年6月2日(火) by キヨタカ

  弊著「覚者を求めて」は、スピリチュアル・マガジンStar Peopleの連載記事が元になっている。

その編集部から、「天野さんをぜひ掲載したく・・・」との依頼があった。

ほんの僅かではあるが、写真入りで本を紹介してくれるので大変有り難い。

 

先日、掲載された雑誌が届いたので、さっそく開いたが・・・Unknown

予想通り「ノンデュアリティのティーチャー」というカテゴリーで紹介されていた。

ノンデュアリティ(非二元)特集という事だったので、それなりの覚悟はしていた。

特集記事によると、「悟り(エンライトメント)」時代から、”ノンデュアリティ(非二元)”の時代に入った、とか。

なぜかと言うと、

「悟りや覚者の長い歴史を経るうちに、悟りに多くの誤ったイメージがつくようになり」 

「悟った人を必要以上に神格化してしまったから」

「余計なイメージが付かない”ノンデュアリティ(非二元)”が欧米では使われるようになった」

そうだ。

 

確かにその通りではあるが、私にとっての”ノンデュアリティ(非二元)”は、20世紀末に一大ブームとなっていたアドヴァイタの教えに直結している。

非常にシンプルに

「私は既にそれだ」

「私はいない」

「いまここに何の問題もない」

と金科玉条の如く繰り返す教えで、瞑想の深さや神聖な次元との繋がりを感じられない教師が多かった。

どんな問題を相談しても・・・

「悩んでいるあなたはいない」とか「いまここに何の問題もない」と、あらかじめ決まっているフレーズでお茶を濁す。

アジズは、「似非(えせ)アドヴァイタ」と呼んで徹底的に批判していた。

 

そうしたシンプルな教えで満足出来るのだったら、それはそれで素晴らしいから、私は批判はしない。

発行人の今井氏によれば、願望実現系のスピリチュアルに対比して”ノンデュアリティ(非二元)”という言葉を使っているそうだ。

非常に大雑把なくくりであれば、それでよしとしよう。

それでもまだ、少し違和感はある。

そもそも私はティーチャーではく、探求した結果を分かち合っているにすぎない。

しかし何をどうカテゴライズしようとしても、「私が在る(I AM)」という真実は微動だにしない。

それが、一番大切な事だ。

ザ・マスター

2015年6月1日(月) by キヨタカ

 以前から気になっていた、映画:「ザ・マスター」を観た。A19f8eb1_2
 
実在の宗教団体でカルトであると批判される事も多いサイエントロジーを題材に、ある弟子とマスターの関係性とその内面を深く追求していく。
 
真迫の演技を見せる俳優陣に、美しい映像と音楽!
 
にも関わらず、『最高傑作』と絶賛するには、ためらいがある。
 
見る側、特に当時のアメリカ文化に詳しくない一般人への配慮がほとんどないからだ。
 
説明描写なしに不意に場面が切り替わったり(ρ_;)、
 
果たして夢か現実か、どちらとも言いかねる場面が色々とあったりetc・・・
 
「訳がわからない」箇所がいくつもあり、見終わった時は釈然としなかった。
 
監督(ポール・トーマス・アンダーソン)は 意図的に「訳がわからない」風にして、観客に自由な解釈を委ねているのかも知れない。
 
だが 「俺は、観客に妥協はしないぜ!」と監督が高飛車になっている感じすらして、 不愉快にすらなった。
 
 
もっとも「駄作!」と決めつけるには、あまりにも意味深い余韻がたくさん残る。
 
そこで、インターネットでこの映画の解説にザッと目を通してから、もう一度見てみたら・・・
 
何と、非常に面白かったヽ(´▽`)/
 
解説がないと面白くない映画というのは、好きではない。
 
だから、一般にはお勧めはしかねるが・・・
 
私自身「覚者を求めて」何十年も人生を費やしたので、とても他人事には思えない。
 
「弟子 vsマスター」という関係性に興味のある方は、ぜひ見て欲しい。
 
 
映画では、戦場でトラウマ(PTSD)を抱えたフレディがふとしたきっかけでマスターと出会い、弟子となり、やがてマスターから自立していく物語が描かれる。
 
逆にマスターの側からすると、フレディの抱えた苦悩(酒・SEX・暴力)を救済する事を通して、自分の教義を深めて行く物語としても観られる。
 
教義を深めたマスターは、教団を形成しイギリスに立派な支部も出来る。
 
しかし教団運営を仕切る妻やマスターとしての役割に縛られて、自由を失っていくマスターの苦悩もしっかりと描いている。
 
 
世界中には、様々なカルトっぽい新興宗教団体が溢れている。
 
側から見ると、ある特定のマスターにはまっている人間は純粋なアホにしか見えないかも知れない。
 
あるいは、某映画解説者の様に「ホモセクシャル」な関係として理解しようとする人もいる。
 
しかし、カリスマに富んだマスターの魅力は、体験した人にしかわからないものがある。
 
 
例えば 私がアメリカに滞在中、リー・ロゾウィックというマスターにハマった事がある。
 
ほんの冷やかしのつもりで彼の集会に参加したところ、彼のコバルトブルーの瞳が私のハートをダイレクトに射抜いた。Unknown
 
そのエネルギーはとても強烈で、その晩は一睡もできないほどだった。
 
 
OSHOの場合、最初は本を通してだった。
 
紀伊国屋の<精神世界コーナー>で立ち読みを読み始めたら、自分が本の中に吸い込まれてしまう非常に不可思議な体験をした。
 
アジズの場合は、彼の明晰さを通してだった。
 
ダメ元で質問をしてみたら、驚くほど明快な答えが返ってきて、長年抱えていた解決不能の問題が氷解!
 
壁なき壁が崩壊して新たな地平が開かれ、私のハートは打ち震えた。
 
フーマンの場合は、国際電話を通してだったが、圧倒的な臨在感と魂の奥深くに響くその落ち着いた甘い声にすっかり魅了されてしまった!
 
他にも様々なマスターとの出会いがあり、ハマり方は様々だったが、いずれの場合も強烈なエネルギー体験が伴っている事に今さらながら気づいた。
 
 
私の場合フレディと違って、酒にもSEXにも暴力にも中毒にならなかった。
 
しかしマスターに関しては、直ぐにハマってしまい、立派な<マスター中毒患者>だったように思う。
 
今にして思うと、いずれの場合も私の魂が打ち震える体験があり、それは外側のマスター呼びかけに内側のマスターが呼応するものだった。
 
 
外側のマスターの存在は、内側のマスターを目覚めさせる最大のチャンスだ。
 
だから、マスターにハマるというのは、素晴らしい体験であり存在からのギフトであり得る。
 
しかし、やがて自立しなければならない時が来る。
 
そうでないと、<マスター中毒患者>として、真実はいつの間にか遠ざかる。
 
本物のマスターであれば、弟子の自立を積極的に手伝おうとするだろう。
 
残念ながら弟子と共依存関係に陥り、弟子の自立を阻害するマスターもたくさんいるようだ。
 
 
マスターと出会い、学び、自立して行くプロセスは、それ自体がとても微妙なアートであり、決まった答えはない。
 
誰が本物で、誰が偽物か、一概には言えない。
 
一人一人状況は違うから、答えも違う。
 
ある人にとっては本物でも、別の人にとっては偽物のマスターという事もある。
 
しかし絶対に本物のマスターが、たった一人いる。
 
それこそが、あなたの実在であり・・・
 
「あなたの中に、本当のマスターがいる」ということだ。
 
この映画の中にも、その事をさりげなく語っている場面がある。
 
それが押し付けにはなっていない所が、この映画の魅力の一つになっている。

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