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ノンデュアリティ?

2015年6月2日(火) by キヨタカ

  弊著「覚者を求めて」は、スピリチュアル・マガジンStar Peopleの連載記事が元になっている。

その編集部から、「天野さんをぜひ掲載したく・・・」との依頼があった。

ほんの僅かではあるが、写真入りで本を紹介してくれるので大変有り難い。

 

先日、掲載された雑誌が届いたので、さっそく開いたが・・・Unknown

予想通り「ノンデュアリティのティーチャー」というカテゴリーで紹介されていた。

ノンデュアリティ(非二元)特集という事だったので、それなりの覚悟はしていた。

特集記事によると、「悟り(エンライトメント)」時代から、”ノンデュアリティ(非二元)”の時代に入った、とか。

なぜかと言うと、

「悟りや覚者の長い歴史を経るうちに、悟りに多くの誤ったイメージがつくようになり」 

「悟った人を必要以上に神格化してしまったから」

「余計なイメージが付かない”ノンデュアリティ(非二元)”が欧米では使われるようになった」

そうだ。

 

確かにその通りではあるが、私にとっての”ノンデュアリティ(非二元)”は、20世紀末に一大ブームとなっていたアドヴァイタの教えに直結している。

非常にシンプルに

「私は既にそれだ」

「私はいない」

「いまここに何の問題もない」

と金科玉条の如く繰り返す教えで、瞑想の深さや神聖な次元との繋がりを感じられない教師が多かった。

どんな問題を相談しても・・・

「悩んでいるあなたはいない」とか「いまここに何の問題もない」と、あらかじめ決まっているフレーズでお茶を濁す。

アジズは、「似非(えせ)アドヴァイタ」と呼んで徹底的に批判していた。

 

そうしたシンプルな教えで満足出来るのだったら、それはそれで素晴らしいから、私は批判はしない。

発行人の今井氏によれば、願望実現系のスピリチュアルに対比して”ノンデュアリティ(非二元)”という言葉を使っているそうだ。

非常に大雑把なくくりであれば、それでよしとしよう。

それでもまだ、少し違和感はある。

そもそも私はティーチャーではく、探求した結果を分かち合っているにすぎない。

しかし何をどうカテゴライズしようとしても、「私が在る(I AM)」という真実は微動だにしない。

それが、一番大切な事だ。

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コメント

 拝啓、、、。

         一句

               ”先輩が

                           苦労の末に

                                        分かち合い”


 P・s、、、無境(=夢妙)さんが教えてくれた、『美しき緑の星』観てみました!

       ハートウォーミング・シニカルコメディ?!(”フランス人がっ”{笑})かな^^
      
                 残念ながら、最終解脱ならず(笑)


 補足、、、>① ピーター・セラーズ主演         【チャンス】

       >② ヴェルナー・ヘルツォーク監督     【フィツカラルド】

       今の処、この2作品(映画)が、思い浮かびました!観られましたかな^^;

                                 Yょㇼ

                                                  敬白                       


                                              

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