スズメの気づき
2015年6月20日(土) by キヨタカ
富士見荘の庭に餌場を設置したのが、5月末。
最近、頻繁にスズメが餌場を訪れる様になった。
非常に警戒心が強いので、家の中から出来るだけそ〜ッと覗かないと、すぐに飛び去ってしまう。
理想は、『小鳥を肩や手のひらに止まらせて一緒に遊ぶ』ことなのだが・・・
遊ぶまでに、あと何年かかるのやら(^-^;
それにしてもスズメの感覚の鋭さには、驚くべきものがある。
家の中からなのに、不用意に覗くと、すぐに逃げる。
餌は、古い白米。
匂いもないのに、遠くから どうして餌だと気づき飛んで来るのだろう。
数ある瞑想を突き詰めていくと、その根本には必ず『気づき』がある。
『気づき』は、我々人間が動物から神へと進化していく中で、人間に与えられた『特権』のように感じていたのだが・・・
どうやら、それは間違いだった。
人間もスズメも、それなりに『気づき』が与えられている。
残念ながらサバイバル(生存)に関する気づきは、スズメの方が遥かに上だ。
ちょっとでも油断すると、ネコやカラスやもずなどの天敵の餌食になってしまう。
人間は、相当に油断しまくっても、滅多に食われる事はない。
だから 圧倒的に、スズメに軍配があがる。
しかし動物は、その気づきを『サバイバル』に向ける事で精一杯だ。
人間は文明が発達したおかげで、動物のような日々のサバイバルからは一応卒業しつつある。
だから、気づきを別の方向へ向ける事が出来る。
それこそが意識の進化、つまり『神への進化』の原動力となる。
仏教の説く、「三帰依文」とは、この事を意味するのだろう。
「人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く、この身今生に向かって度せずんば、更に何れの生に向かってかこの身を度せん。
(人間として生まれることは難しいのに、私は、人間として生を受けています。
仏法に出遭うことは難しいのに、私は今、仏法を聴く機会を得ています。
今、このチャンス(人間として生まれ・仏法に出遭っている間)に救われないで、いつ救われることができ ましょうか。)
人間に生まれ、しかもサバイバルが保証された日本に生まれた私は、何と幸運で有難い事だろうかヽ(´▽`)/

* * 質問コーナー* *
質問: 「我が家のネコは、毎日たっぷり餌をあげてるからサバイバルの問題はないのに、神に進化しないのはなぜでしょうか?」
答え:「いえ、いえ、決してそうではありません。
ネコ神様として、既に立派なお役目を果たしておられるのです(* ̄0 ̄)ノ
拝啓、、、、。
一句
”吾輩は
名を付けられた
神だニャー”
Yょㇼ
敬白
投稿: java花井 | 2015年6月20日 (土) 12時04分
鳥たちの警戒心を緩め、自分たちとの距離を縮めたいのなら、遠くから観ているだけでは、なかなかうまくいきませんよ。(季節が秋や冬場とかで食べ物を探すのが大変で、彼等が飢えていればまた違いますが)
エサ場の近くで自らゆったりと寛ぎながら、寄ってくるが遠巻きに見ている彼等に、くちばしで持てるくらい(爪の先くらいと譬えればよいでしょうか)のパンなどを彼等のそばに投げてやれば、
腹が減っているものや、警戒心の薄いものからそれを取りに来ますので、一羽が警戒心を解いてそれを咥えれば、もう一羽と、羨ましがる他の鳥たちが、(雀ばかりでなく)勇気を振り絞って近づいても来ますでしょうから、
それを何回も何日かやっていたら、彼等との信頼関係が結べるはずです。
しかし、元々そのような愛着や親しみ感を持っている人ならば、何回かそのようなことをして、彼等自ら警戒心を解いてもらえば、すぐに仲良くなれると思います。
★注意してもらいたいのは、爪の先ほどのパンを彼等のそばへ飛ばす時に、腕や手首を振って投げてはいけないということです。
彼らが自ら寄って来て催促するくらいの信頼関係が結べる前は、指先で“はじいて”彼らのそばへ飛ばしてあげ、投げてる動作で驚かないようにする配慮が必要です。
なれてくると雨や天気の悪い日にあてにして、こちらが出て来るのを軒下など待っていたりすることもあります。
投稿: よしべい | 2015年6月29日 (月) 14時50分