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2015年7月

ブルームーン

2015年7月31日(金) by キヨタカ

 今夜は、満月。
 
しかも、ブルームーン。Blue_moon2
 
同じ月に2度満月があるので、「とても稀なこと」をあらわす英語の慣用句(Once in a blue moon)が由来だそう。
 
私は長く瞑想に関わっているにもかかわらず、それほど敏感な体質ではない。
 
しかし、満月は例外。
 
いつも満月近くなると、強烈なエネルギーを感じる。
 
 
OSHOが言うには・・・
 
「 古来より満月の時に一番大勢の人々が光明を得ている」
 
とか。
 
 
確かに満月の夜に色々と不可思議な体験が起こったりしている。
 
特に7月の満月は、色々と感慨深いものがある。
 
例えば、私が最初にOSHOの講話を聞いたのも7月の満月の日だった。
 
 
インドの伝統では、7月の満月にグルの誕生祭(グル・プールニーマ)があり、世界中から過去・現在・未来のマスターが集うと言う。
 
当時、インドからアメリカのオレゴンに渡ったOSHOはずっと沈黙していた。
 
しかし「4年の沈黙を破り7月のグル・プールニーマDayに新たな講話を始める」というアナウンスがあった。
 
今から、もう30年以上前の話だ。
 
当時は、『悟った人の側いると、悟れる』という神話を本気で信じ込んでいた。
 
「 OSHOの講話を生で聞けば悟れる」
 
という噂を聞いた私は、とうとう会社を辞めてOSHOの下へ馳せ参じたのである。
 
 
しかしOSHOの言葉が仇となり、何か体験が起こり始める度に・・・
 
「オッオッオッ〜、来るぞくるぞ、ついに悟りがw(゚o゚)w」と、
 
妙な期待が入り込んで、チャンスを逃し続けた。
 
今ようやく理解したのだが、悟りとは何かを得ることではなく、得ようとうすることを手放す事にあるようだ。
 
 
10年前の7月の満月の時は、その前日にフーマンが肉体を離れた。
 
「おそらくフーマンは世界中から悟った人々が集うグル・プールニーマDayに呼ばれたに違いない。」
 
と、自分でも不思議なくらい、冷静に納得して満月の夜を過ごした。
 
さて、今夜はどんな夜になるだろうか?
 
 
ところで、もしかして本当に青いかもしれないと、外に出てみたところ・・・
 
普通の満月だった。
 
しかしなんとなく青みがかっている気もして・・
 
やはり7月の満月には、とても神秘的なものを感じる。
 

永遠の若大将

2015年7月30日(木) by キヨタカ

’若さ’って、年齢じゃない。

還暦過ぎた自分を振り返り、最近つくづく思う。

 

ウィンドサーフィンで沖まで行って、撃沈!

猛暑日なので、海の冷たさがとても心地よい。

海に抱かれて、波間にプカプカしばし漂う。

う〜ん、これぞ究極のビーイングへの手放し。

 

海に抱かれて〜 男ならば〜 🎵7624286352_97d3b6747e_b

加山雄三の名曲を、自然に口ずさむ。

この調子なら・・・君といつまでも『永遠の若大将』でいれるヽ(´▽`)/

 

昨日、ブログの読者から、加山雄三のインタビュー動画が送られて来た。

若大将は、こんな風に語っている。

 

オレは毎日毎日新しいスタートを切ってる気がしてるんだよ。

今の時間っていうのはまさに「今」だけ。

昨日からの続きじゃない。

未来は先にあるんじゃない。

過去も現在も未来も「今」の一点に集中していて、

それが一瞬一瞬動いていってるのさ。

 

これこそが、究極の若さの秘訣なんだろう。

さすが、海の男。

瞑想そのものだ!

さっそく、この動画をアップしようと思ったがやり方がわからないので、別の動画をアップしよう。

絶対

2015年7月29日(水) by キヨタカ

 先日のリトリートに、長年テラワーダ仏教系の瞑想に取り組んでこられた方が参加された。

私はテラワーダ系の仏教はあまり縁がなかったのだが、お話しによると・・・

「テラワーダでは、『私が在る(I AM)』と言った時点で、アウトですよ!」

との事。

 

この世には、様々な教えや世界観があり、どの立場に立ってもそれなりの理解と説明が可能だ。

しかしある特定の教えが絶対になると、他の教えは否定せざるを得ない。

『私が在る(I AM)』がアウトであれば、禅でいう『無位の真人』とか『主人公』など、とんでもない嘘っぱちという事になる。

 

事実、有名なテラワーダのマスターは:

私が言いたいことは、もし釈迦尊の教えを仏教と定義するなら、日本をはじめ中国などで仏教と呼んでいるものは仏教でないということです。

と、非常に手厳しく批判している。

 

しかし仮に「テラワーダの教えこそが真の仏教である」としても、仏教そのものに価値を認めなければそんな事はどうでもよくなる。

例えば神を絶対的に信じる一神教の立場に立てば、神の概念を否定する仏教など宗教の名にすら価しない。

また同じ神を信じていても、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はそれぞれが絶対的な正しさを主張するので、相互に相手の教えを否定せざるを得ない。

 

そう考えると、「絶対に正しい教え」というのは手放した方が、良さそうだ。

「手放すべきだ、絶対に!」

・・・などと、ヤボな事は言わないけど(^-^;

生きているから

2015年7月28日(火) by キヨタカ

 車を運転している方ならお馴染みのJAF.

Img_0062

私もガス欠等で、何度かお世話になった(^-^;

毎月送られてくる会報誌の裏表紙には、星野富弘さんの素敵な詩と画が掲載されている。

 

今月の詩は・・・

痛みを感じるのは

生きているから

       悩みがあるのは

       生きているから

                傷つくのは

                生きているから

                       私は今 かなり 生きているぞ

 

裏表紙を開くたびに、毎回ハッとさせられる。

真理とは、何か深遠彼方にある難解なものではない。

普段は見過ごされがちな日常生活の中にあって、発見されるのを辛抱強く待っている。

 

星野さんは、体育教師として指導中に脊椎損傷。

首から下の運動機能が奪われてしまった。

しかし、肉体的自由のかわりに・・・と言っては失礼かも知れないが、心の自由に目覚めた。

星野さんの詩や画が心に響くのは、それらが理屈ではなく、曇りのない純粋な心に写った真実を、やさしい言葉と絵でさりげなく表現しているからだろう。

ブログ

2015年7月27日(月) by キヨタカ

 手前味噌で恐縮だが、リトリートは毎回楽しい。
 
特に、リトリート後の「シェアリング&お茶」の時間は至福の時だ。
 
今回は全員のシェアリングが終わったあと、
 
『最近どんなブログを見ているか?』
 
ということを一人一人シェアすることになった。
 
結構皆さん修善寺日誌を見ていて下さっていることがわかり、やはり日誌を書き続けようという気持ちが高まった。
 
 
こうしたブログは、始めるのは簡単だけど、継続するにはそれなりのコミットが必要。
 
同じ『リーラ』でも、阿部さんのように驚くほどのフォロワーがいれば、自然とモーティベーションもキープできるだろう。
 
私の場合・・・
 
「どうせYさん以外誰も見ていないから・・・(^-^;」
 
と魔がさして、ついついサボってしまうことが良くある。
 
  皆さんの「修善寺日誌に対する生の声」を聞く事が出来て、とても勇気づけられた。
 
 
他にも、参加者が色々なブログに影響を受けている事を知り驚いている。
 
特に印象深かったのは、花岡さんの『真我が目覚めるとき』というブログ。
 
私もスカイプセッションのクライアントさんから紹介されて、読ませて頂いた事がある。
 
ブログによると
 
母親が認知症になり仕事を辞めて介護していたら、奥さんが鬱病になってリストカット、お金もなく完全に人生が行き詰まってしまう。
そこで、『真我への 手放し』が起こった。
 
との事。
 
読んでいてなかなか参考になり、かなり人気も高かったとか。
 
ところが最近、「読んでも人様のお役に立てない事がわかり・・・」とかで、閉鎖されてしまったらしい。
 
実に残念(。>0<。)
 
 
こうしたブログは、人気が出れば出るほど、例の攻撃性の強い方からの批判的コメントも多くなりがち。
 
以前アジズを日本に紹介したところ、リーラスペースの掲示板が大荒れになった事がある。
 
数人から執拗な批判的コメントが頻繁に入り、対応に追われて疲労困憊。
 
うんざりして、遂にホームページを『閉鎖』してしまった。
 
ブログやツイッターでは、よくある話だ。
 
花岡さんも、おそらくそうなんじゃないかと、推測している。
 
 
気に入らないなら読まなければいいのだから、破壊的なコメントは批判する本人にとっても時間の無駄のはず。
 
人気が高くなると、「他人を攻撃せずにはいられなく」なるのだろうか?
 
ブログを読んで役立っている方が、リーラスペース参加者の中にも複数いる事を、ぜひ花岡さんにも知ってもらいたい。
 
 そうすれば、いずれブログを再開してくれるかも。
 
 
幸い(?)修善寺日誌は人気ランキング外なので、攻撃される事もない。
 
だから、 気楽に好きな事を書けるのが嬉しい(◎´∀`)ノ

他人を攻撃せずにはいられない人

2015年7月26日(日) by キヨタカ

 精神世界や宗教にのめり込む人の中には、『優しい人』がかなり多い。
 
とても『良い人』であり、性善説の世界観を自然に持っている。
 
困った人があればなんとか助けようとし、助けられないと『自分のせい』だと思い込む。
 
両親から大切に育てられ、幼少期のトラウマが少ないから、とても純真だ。
 
社会の修羅場で奮闘中の人々から見れば、『お目出度い人』に映るだろう。
 
 
そういう人は、とてもスムーズに社会生活を送れるかと言うと、そうも行かない。
 
普通の人以上に他人から攻撃されたり、被害にあったりする場合もある。
 
人間社会というのは、一筋縄ではいかないものだとつくづく思う。
 
 
私なんかも、かなりお目出度い方。
 
「キヨタカさん、どう思いますか? どうしたらいいですか? ?」
 
と相談されるので、真摯に相手の事を思いやり正直に答えると・・・
 
「そんな事を言うなんてヒドイ、とっても傷ついた\(*`∧´)/」
 
と叱られて・・・
 
こちらが平謝りするまで執拗に攻撃される事が、以前は良く起こった。
 
最初は、なぜ相手が突然怒るのか理解できなくて、キョトンとするのだが・・・
 
「相手への気遣いが足りなく、申し訳なかった(ρ_;)」
 
と罪悪感を感じて、結局は猛省する羽目に陥るのである。
(どこかで、ハメられた感は拭えないのだが・・・)
 
 
そんなお目出度い人が読んだら、結構役立つと思われる本を読んだ。
 
精神科医の片田珠美さんの本だ。Images
 
著書の一部を紹介しよう。
 
相手に罪悪感を抱かせるうえで何よりも有効なのは、自分が被害者のふりをすることである。   
 
そうすれば、自分の責任は全て否認できるのだから。 
 
そのため、何か具合の悪いことがあっても、悪いのは常に他の誰かであり、自分はあくまでも被害者なのだという印象を周囲に与えようとする。
 
 ターゲットにされやすいのが、誰かが困っているとすぐに同情して、助けてあげたい、慰めてあげたい、守ってあげたいなどと思うような人なのは、決して偶然ではない。
 
こんなふうに優しい人は、少しでも責められると、悪いのは自分なのかと罪悪感を抱きやすいので、攻撃対象として打ってつけなのである。
 
 
これを読めば、けっこう救われる人もいるのではないか?
 
 
問題は、「他人を攻撃せずにはいられない人」の側なのに、自分は「攻撃される人」の側と心底思い込んでいる人たちの事。
 
この本は、他人から攻撃されて苦悩している患者の声を分析したもの。
 
だから攻撃する側の人が読んでも、その事にはなかなか気づけないだろう。
 
攻撃される被害者が、実は別の人に対しては攻撃側に転じる事も多々あるから、実際にはさらにややこしい。
 
 
私としては、なんとかその事を相手に伝えられないものかと苦慮するけれども・・・
 
片田さんは達観している。
 
ほとんどの場合、攻撃欲の強い人は変わらない。

自分の過ちや間違いを認めようともしない。

・・・

「あなたのせいで不幸になった」とか、

「あなたのせいで仕事がうまくいかなかった」と責められたら・・・

「私にそんな力があるとは思えませんけど」と答えるのがいいかもしれない。
 
との事である。

インサイド・ヘッド

2015年7月25日(土) by キヨタカ

 久しぶりに、ヨガビと映画を観に行く。
 
タイトルは『インサイド・ヘッド』Maxresdefault
 
11歳の少女の頭の中に存在する5つの感情(喜び・悲しみ・怒り・ムカムカ・ビビリ)を巡る物語で、前評判の良いディズニーのアニメ映画。
 
邪魔者扱いされがちな、『悲しみ』の重要で大切な役割を上手く描いていて、さすがディズニーだと感心。
 
OSHOの名言:
 
涙は魂の唯一の言語である
 
を思い起こした。
 
 
但し頭の中の複雑な感情の動きと、いかにもアメリカ的なハイテンション全開のエネルギーとが相まって、見終わった後少々疲れてしまった。
 
映画館には子連れも多かったが、果たして子供達がしっかり理解できたかどうか心配になる。
 
子供にとってはちょっと難解、しかし大人にとってはちょっと物足りなくて・・・
 
いったい誰をターゲットにした映画なのだろうか?
 
 
元々ファンタジー映画は苦手な方なので、私にはこの映画を正当に評価できない。
 
キャッチコピーによると・・・
 
「これはあなたの物語」、だそう。
 
精神世界に傾倒する我々にとって、見て損はない映画だろう。 
 

真実は傷つく(Truth Hurts)

2015年7月24日(金) by キヨタカ

キリスト教の 聖書によれば・・・
 
「真実」は人を解放して自由にする(ヨハネ8:31)
 
確かにその通りだが、それは相手に用意がある場合に限る。
 
 
通常は・・・
 
『真実は傷つく(Truth Hurts. )』
 
精神世界に足を踏み入れてから、今まで何度傷ついた事か枚挙にいとまがない。
 
言われてすぐに訂正できるものなら、指摘されるのは有難い。
 
しかし、真実を言われても、如何ともし難い場合がある。
 
「瞑想性」など、その最たるものだろう。
 
 
例えば、以前セラピーの通訳としてボランティア活動に邁進していた頃・・・
 
アシスタントの 某セラピストから言われた一言は、非常に傷ついた。
 
「キヨちゃんの通訳は、瞑想性が低いよ(`ε´)」

 

言われてもどうにもならない事を指摘された私は・・・

「だったら、あんたがやれ\(*`∧´)/」

ブチ切れた私はマイクを放り投げて、部屋から出て行ってしまった。

後から悔し涙を散々に流したのも、今では良い思い出だ。

 

しかしその一件以来、特に瞑想性に関しては、瞑想性が高いか低いかは一切言わないように心がけている。

以前のリトリートで、瞑想は初めてという方が参加された事がある。

リトリート中にメモを取りまくったり、瞑想中あまりにもモゾモゾと動いたり等々、ビーイングを全く体験していない事は誰が見ても明らかだった。

ところが、後で感想を聞いてみたら・・・

「とても良いリトリートで、ビーイングにすごく寛げましたヽ(´▽`)/」

と言うので、びっくり仰天してしまった。

 

本当は、

「あなたはまだ、ビーイングを全く体験していませんよ」

と指摘するべきだったかもしれない。

しかし、それを言っても相手は傷つくだけだろう。

そこで・・・

「それは良かったですね。瞑想の回数を重ねていけば、ビーイングもさらに深まりますよ。またリトリートに参加して下さいね(*^-^)」

とだけ、お伝えした。

 

ところが、ずっと後になって・・・

「もうリトリートに教わりに行くことはないと思いますけど・・・」

と語っていたという事を人づてに聞いて、もう一度びっくり仰天すると同時に後悔もしている。

例え相手が傷ついたとしても、真実を伝えるべきだと今は思う。

万一傷ついたら、二度とリーラスペースに来ない事は確かだ。

しかしもし私が正直に真実を伝えたら、どこか他の場所でさらに深く瞑想を追求していたかも知れない。

私の優しさが仇となり、彼女の瞑想的可能性に水をさしてしまったようだ。

とても可能性を秘めた人だけに、残念である。

 

相手が傷つかない事が、優しさだとは限らない。

本当の優しさとは、自分と相手に対して誠実である事のようだ。

たとえ相手が傷ついても、誠実であり続ける。

それが、お互いに成長を促す。

セラピストの間で、「キヨタカの通訳は上手い!」と評判になったのも、某セラピストが私の瞑想性の低さをズバリと指摘してから以降の話だ。

今になって、ようやく彼女の指摘に感謝する事が出来るようになった。 

『I AM』に引き戻される

2015年7月22日(水) by キヨタカ

 リトリートの翌日、スタッフ2人を連れて海へ。

2人は、 ウィンドサーフィンにトライ。

台風の影響か、波が高くてハードなコンディション。

最初はボードの上に立っても、すぐ落ちてしまう(^-^;

私も最初はそうだった。

「こんな不安定な板で波間を進むなんて不可能!」

としか思えなかった頃が懐かしい。

 

『I AM の目覚め』は、ウィンドサーフィンの練習に似ている。

最初は、『I AM』をキープし続ける事が非常に難しい。

『I AM』として立ち上がっても、直ぐに思考の波に揺さぶられて落ちてしまう。

しかし何度もトライし続けるうちに、たとえ思考の波に巻き込まれても、自然に『I AM』に引き戻されるようになる。

 

Mさんは、真摯に長年瞑想を続けている。

リーラスペースのリトリートに参加するたびに、成長が起こっているのがよくわかり、私もとても嬉しい。

Mさんから、感想と写真が送られて来たので、アップします。

 

* * Mさんの感想 * *

キヨタカさん ヨガビジャさん こんにちは

今回も素晴らしいリトリートをありがとうございます。11758768_575319829273088_1433370301

リトリートが、進むたび、どんどんIamが、強くなりマインドに落ちても、直ぐに自然にiamに引き戻され、(送らせていただいた画像のようです)ハートも至福で満たされた素晴らしいリトリートでした。

温泉も料理も最高でした。

リーラスペースのリトリートは 今の僕にとっても大切な事です。

10月また楽しみにしています。

キヨタカさん ヨガビジャさん スタッフの方々ありがとうございました。

love M

深く・・・

2015年7月22日(水) by キヨタカ

深く、 あなたのハートの中に・・・

深く、あなたの魂の中に・・・

深く、あなたの沈黙の中に・・・

そこに、光がある。

その光は、唯一ハートの中でのみ、見出される。

それは、あなたの人間の部分を輝かせ、強め、賢くさせる。

それは、神と繋がっている。

あなたの、本当の源泉と繋がっている。

フーマンが、ハートについて語った言葉だ。

 

『人間は、動物から神への進化の途上にある』と、言われている。

人間の可能性は無限だ。

 

この肉体に閉じ込められた小さな存在が私であると思い込むと、可能性は閉じる。

ハートを通して『本当の源泉』と繋がった時、我々は光輝く存在へと進化し始める。


今回のリトリートでは、期待や意図を手放して『何が起こるか見てみる』という態度で臨んだ。

端から見ていると、同じような内容に見えたかもしれない。

しかし私の中で期待や気負いがなかったので、純粋な意図のみが残った。

その結果、神聖な次元が開示さる非常に特別なものとなったようだ。

それが何であるか、ここでは語れない。

神聖なものは秘密だ(Sacred is Secret.)


今回のリトリートを通して、自分の中でリトリートに臨む姿勢が大きく変化しつつある。

今年は、あと一回だけ、10月に行う予定。

新たな次元へ”深化”したリトリートを提供できるだろう。


リトリート終了〜Mさんの感想〜

2015年7月20日(月)

数日前に台風の直撃があり、リトリートがどうなるか心配だった。

特に福岡から申し込まれたMさんからは、『台風のせいでキャンセルの可能性がある』旨のメールを頂き、気をもんだ。

しかし、無事にリトリートが終了し、ほっと一息ついている。

 

さっそく参加者のMさんから、感想のメールが届きました。

自分で「とても良かったです」などとリトリートの感想を書くのはためらいがあるので、こうした感想を送って頂きとても感謝しています。

ぜひまたリトリートに参加して下さいネ(*^-^)

* * Mさんの感想 * *

リトリートに参加しました福岡県のM です。

大変貴重な時を過ごさせていただいて、大変感謝しています。

最後のシェアリングでは、浄化の瞑想での叫びすぎで声が出なかったので十分シェアできなかったので、メールで感想等を書かせていただきます。


私が私自身でいられるよう、たくさんのご配慮とサポートをしていただき、今帰宅途中の新幹線の中ですがとても感謝を感じています。

私にとって、リトリートに参加できたことは、とても幸運でした。

ともすれば私の事など二の次にしなければいけない忙しい日常生活の中で生きている私には、リトリートという場で、私がこんなにも受け入れられて、尊重され、魂の成長や瞑想の理解にだけ焦点をあてて、私をケアしていただいた2日間は、まさに恩寵の体験でした。

沢山の浄化が起こり、その後での瞑想は、ことのほか素晴らしくて、自然に『私』を意識できることは、何ということでしょう!?。

日常の一人での瞑想では、かなり努力がいるのに・・。

 

私は、まだ初心者で十分プレゼンスがわかっていません。

 でも、リトリートでの沢山の瞑想と私の理解をヘルプいただいたキヨタカさんや、ヨガビシャさんやスタッフの方々から守られた安心して瞑想できる環境の中で、漠然としていた『私』が はっきりと「このことだ」と合点が起こり、これからの瞑想の方向性が定まった感じがしています。

料理も、涙がでるほど有り難くて、おいしかったです。

本当に、たくさんのことがおきた2日間でした。

…でも、きっと、日常生活にまみれていくうちにこの2日間の事を、私は忘れていくでしょう、…そして、また、『私』から私に「そろそろ、いこうよ。」って誘われて、また次の機会に参加すると思います。

これからもよろしくお願いいたします。

お休み

2015年7月16日(木) by キヨタカ

 リトリート準備のため、日誌はしばらくお休み。
 
静けさの前の嵐
 
台風が無事に通過して、神聖な沈黙の喜びが訪れますように(*^-^)

カラスの反省

(*^-^)2015年7月15日(水) by キヨタカ

 リトリートが近づき、今日は朝から庭の手入れ。181461
 
特に富士見荘の庭は、『お皿』を探しながら念入りに行った。
 
と言うのも・・・またカラスが小鳥の餌場を荒らして、お皿を奪ってしまったから(ρ_;)
 (修善寺*裏*日誌参照)Photo_2
 
 
前回は、庭の隅に落ちていた。
 
今回は、 残念ながら何処にも見当たらなかった。
 
カラスは、余った食べ物を何処かに隠す「貯食」の習性があるそうだ。
 
きっと、貯蔵に利用するつもりだろう。
 
 
汗だくの作業を終えて富士見荘に戻ると・・・
 
ヨガビ:「お皿、ありがとう(*^-^)」
 
キヨ:「え!なんの事?」
 
ヨガビ:「小鳥のお皿、庭で見つけて戻してくれたんでしょ?」
 
キヨ:「え〜ヾ(*゚A`)ノ、知らないよ?」
 
ヨガビ:「だって、お皿が戻ってるよ!」
 
キヨ:「自分で拾って忘れたんでしょ? ボケが始まったのかもね。」
 
ヨガビ:「ボケはそっちでしょ? 自分で拾って忘れたくせに(`ε´)
 
 
暑さで、2人のどちかがボケた可能性も否定できないが・・・
 
もし2人ともボケてない事が確かだとすると、可能性は唯一つ。
 
お皿を奪ったカラスが、元に戻してくれたと言う事になる。
 
 
カラスは、人間の言葉を理解すると言うが・・・
 
今朝、ヨガビがカラスに向かって発した言葉:
 
コラーッ! 
 
 皿、返せーーー!!ヾ( ̄^ ̄メ)ノannoy
 
 
カラスは、人間の7歳児に匹敵する程の能力を備えているらしい。
 
恐らくヨガビの言葉を理解して、反省したのだろう。
 
カラス:「すみません。黙って借りただけです(ρ_;)」
 

腰痛も幻想?

2015年7月14日(火) by キヨタカ

 我々は本来、開かれた魂としてこの地上にやってきた。
 
最初は母親の胎内という守られた環境で、完全にオープンな状態でただ在る事を満喫していたのだ。
 
しかし出産及び幼少期の痛みに満ちたトラウマにより、魂は完全に閉じてしまう。
 
トラウマで生じた『生存に対する恐怖』は、大人の私たちにとっては過去の記憶であり幻想だ。
 
しかしマインドはそれが幻想である事に気付かず、様々な戦略を構築する。
 
 
そのマインドの戦略から自由になる手段が、瞑想だ。
 
瞑想により、 やがてその幻想性から解放されるようになる。
 
するとマインドの戦略は不要となり、魂は再び開かれて行く。
 
 
『過去の痛みと向き合い、恐怖が幻想である事を見抜く事』
 
これこそが、瞑想家にとって最重要のテーマだ。
 
と、 今までで信じて疑わなかったが・・・
 
つい先ほど、
 
NHKスペシャル「腰痛・治療革命~見えてきた痛みのメカニズム~」
 
を見て、考えが改まった。

Img_0061_3

 
肉体的痛みは、実際に痛いのだがら、幻想ではないはず。
 
ところが!
 
『慢性腰痛は幻想!』というのだw(゚o゚)w
 
 
すると、これはもう、瞑想家のテーマにしておくのはもったいない!
 
『恐怖が幻想である事を見抜く事』こそが、世界のあらゆる諸問題を解決するために、広く一般人類にとって最重要課題なのだ!
 
なぜそう確信したかは、後ほど時間がある時に書きたい。
 
 
とりえあず、番組の紹介をしよう。
 
動画は消されてしまう可能性があるので、興味のある方はぜひご覧ください!
 
例えあなたが腰痛持ちでなくても、周りに苦しんでいる方が必ずいるはず。
 
素晴らしい『朗報』となるでしょう!
 
[番組紹介]
 
治療しても効果がなく、一度治ってもぶり返すなど長引く「慢性腰痛」に苦しむ人は1400万人と推定されます。
 
最先端の治療現場では、「脳」のある働きを改善し、慢性腰痛を克服する対策が、大きな成果をあげています。 
 
例えば腰痛への不安を解消する映像を見たり、恐怖心を克服する運動をするなどの対策を取るだけで、改善する人たちがいます。 
 
専門的な心理療法で、極めて重い症状の患者の腰痛が改善するケースも出始めています。 
 

信念体系

2015年7月13日(月) by キヨタカ

修善寺日誌を読んだ方から、大変に興味深い質問を頂いた。
 
キヨタカ様
 
ブログに「私が在る(I am)」
と書かれていますが、
 
OSHOの動画で、
「I have been nothing for 32(?)years」
というのがあり、気に入っているのですが、
 
これは、同じことの
表現が違うだけ?なのでしょうか?
 
 
単なる偶然だと思うが、私はサニヤシン(OSHOの弟子)になってちょうど32年経過した。
 
今はもうOSHOの看板は外してしまったので、OSHOの弟子と言うもの面映ゆいが・・・
 
 
動画の中でOSHOは、「私はあらゆる信念体系を破壊したい・・・」と述べている。
 
残念ながら、OSHOの弟子として活動している時は、OSHOを世界最高の覚者と崇めてしまい、「OSHOは絶対」という無意識の信念体系から自由にはなれなかった。
 
しかし今は一切の信念体系を持たないようにしている。
 
 
だから、敢えてOSHOの言葉尻を捉えて、
 
「違います\(*`∧´)/」
 
と答えてみよう。
 
 
OSHOがこのインタビューを受けたのは、オレゴン時代の53歳の時。
 
つまり、「21歳で光明(Enlightenment)を得てから、私は無(nothingness)である」と語っている。
 
と言う事は、21歳より前は無(nothingness)ではなかったという事になる。
 
 
ブログの「私が在る(I am)」とは、無であろうが有であろうが関係ない。
 
だから、21歳より前であっても、「私が在る(I am)」はそのままだ。
 
OSHOは光明を得るより前は・・・
 
「私は有である」
 
光明を得た後は・・・
 
「私は無である」
 
 
赤字の部分をよくよく考察してみると・・・
 
「私は〜である」
 
は光明を得ようが得まいが、全く関係ない事が分かる。
 
 
「光明」とは、探求者にとっては避ける事の出来ない、最期の信念体系だ。
 
どうか、信念体系が速やかに破壊されて、
 
『I AM』が燦然と輝きますように(* ̄0 ̄)ノ 
 

ノイズ・キャンセリング(2)

2015年7月12日(日) by キヨタカ

 昨日、ノイズ・キャンセリングイヤホンの簡単な原理を紹介した。F12022704
 
ざっくり言うと、騒音を打ち消す逆位相の波を発生させて騒音をカットする。
 
この原理は、外側の騒音だけでなく、内側のマインドの騒音をカットする為にも使える。
 
 
外側の騒音は、静かな場所に移動したり耳栓をしたりすればなんとかなる。
 
しかし、内側のマインドの騒音は何処へでも付いてくる。
 
たとえヒマラヤの山奥に隠遁しても、頭の中のお喋りは如何ともしがたい。

 
自分のお喋りのマインドに向かって・・・
 
「静かにしなさい\(*`∧´)/」
 
と言い聞かせる事で、静かになる人も中にはいる。
 
残念ながら私の場合、何度トライしても、お喋りは止まなかった(ρ_;)
 
 
そこで、私が編み出した技法が例の・・・
 
〜にも関わらず、私は在る( I AM)
 
これを応用すれば→「私のマインドはお喋り、にも関わらず私は在る」
 
するとたちどころに、「私は在る(I AM)」へ意識がシフトする。
 
お陰様で、お喋りのマインドから相当な距離を保てるようになった。
 
 
しかしマインドの騒音は減ったものの、完全に消え去ったわけではない。
 
金魚の糞みたいに、ず〜ッとくっついたままだった。
 
何とかこの、「金魚のフン」みたいなマインドのノイズをカット出来ないか?
 
そこで編み出された新らしい技法が・・・
 
ノイズ・キャンセリング・テクニック
 
 
どうやるかと言うと:
 
例えば、私は生来の心配性。
 
些細な予期せぬ出来事で、すぐに「どうしよう(。>0<。)」と未来の事が心配になる。
 
『在るのは今だけ』で、未来は幻想である事は百も承知なのだが・・・
 
幼年期に潜在意識に埋め込まれたマインドのプログラムは驚くほど強固だ。
 
 
さて、実際の技法を紹介する。
 
「どうしよう(。>0<。)」という心配性の波が押し寄せたら・・・
 
プレゼンスに止まりつつ、同じく「どうしよう(。>0<。)」と心配すればいい。
 
心配性の波に正対するわけだから、自動的に逆位相となる。
 
すると、あら不思議・・・
 
心配性の波が打ち消されて、マインドが静かになり静寂が訪れるのだ。
 
心配症でも不安でも怒りでも欲望でも、あらゆるマインドの騒音に対して有効だ。
 
 
ところで、 正対する波動を積極的に放出するには、前提条件がある。
 
どんなネガティブな波動であれ、それが自分の中に起こるのを許す必要があるのだ。
 
例えば、もし自分の中の怒りの波動を容認出来なかったら、怒りに対して正対する波動を放出出来ない。
 
だから、いつまでも怒りは残ってしまう。
 
 
究極的には、ノイズ・キャンセリングの技法は、「あるものをあるがままに受け入れる」ハートの機能へと昇華されるだろう。
 
真のハートが開くと、もはやテクニックは不要となる。
 
それまでの間、ぜひともノイズ・キャンセリングの技法を試してほしい。
 
やがて マインドのお喋りが止み、沈黙の深い喜びを味わえるだろう。

ノイズ・キャンセリング(1)

2015年7月11日(土) by キヨタカ

 先ほど、実家から修善寺へ帰還。
 
途中休憩も含めると、5時間くらいのドライブ。
 
とても貴重な時間だ。
 
 
最近はイヤホンで音楽を聴きながら運転するのが好きだが、中古車のせいもあり騒音の中から音楽を拾うように聞くので、楽しさも半減していた。
 
そこで、思い切ってBoseのノイズ・キャンセリング・イヤホンを購入。
 
その絶大な効果に、驚いているw(゚o゚)w
 
 
スイッチを入れた瞬間に、車内の騒音がとても静寂になり、あたかも高級ハイブリットの新車かEV(電気自動車)を運転している感じ。
 
運転中の私が、いきなりコンサートホールに瞬間移動してしまったような錯覚にすら陥るのだ。
 
運転中周囲の音が聞こえなくなると危険なので、ある程度聞こえるドライブモードも付いた親切設計となっている。
 
 
それにしても、最近の技術の進歩には恐れ入る。
 
ノイズキャンセリングの仕組みは、というと・・・
 
『ヘッドホンに内蔵したマイクロフォンが周囲の騒音を拾い、専用の回路で分析。 
 
下記の図のように、騒音を打ち消す逆位相の波を発生させて、騒音をカットするというもの。
 
Unknown
 
 
言われてみれば確かに納得出来る仕組みだが、これを最初に考えた人は偉い。
 
1978年、ボーズ博士が欧州から米国への帰路につく際、旅客機の中でノイズキャンセリング技術の基本コンセプトと、数学的な根拠を導き出したと言う。
 
 
ところで、実はこの「逆位相の波で騒音を打ち消す方法」は、瞑想と深い関係があるのではあるまいか?

地獄にいて天国を見る強さ

2015年7月9日(木) by キヨタカ

 最近、ヨガビの影響で、タロットにハマっている。
 
例によって、 マイブームがいつまで続くか解らないけれど・・・
 
ブームが続く間に、セッションの補助として使えるレベルには上達したいものだと密かに思っている。
(↑密かにだったら、日誌に書くな!と自分で突っ込みたくなるが・・・(^-^;)
 
 
タロットは、マンガラに随分とお世話になったが、彼女のはトート・タロット。
 
絵柄のセンスは神秘的で素晴らしいが、抽象的で色もくすんだ感じでインスピレーションが湧きにくい。
 
ヨガビの使っているタロットは、ユニバーサル・ウェイト版。
 
絵柄が解り易すく、メッセージをダイレクトに受け取れるので、初心者でも使える。
 
 
タロットのそれぞれのカードには、人生の様々な局面が象徴的に描かれている。
 
世俗的な観点から見ると、lovers(恋人)のようなラッキーなカードや、Devil(悪魔)のような忌まわしいカードがあるけれど・・・
 
スピリチュアルな観点から見ると、カードの良し悪しが逆転したりするから面白い。
 
 
例えば、一連の剣(ソード)のカードには、人生の厳しい側面が非常に露骨に描かれている。
 
「八方塞がり」(ソード8)とか、「悪夢」(ソード9)カード等々・・・
Photo_4
 
 
右のカードの人物は、お先真っ暗で地獄を味わっているにちがいない。
 
こんな状況は誰だって避けたい。
 
しかし誰の人生にだって、こうした状況がいつ何時訪れるか知れたものではない。
 
 
もしもそれが訪れた時・・・
 
普通の人は地獄を見る。
 
しかし我々瞑想家は違う。
 
外側の状況が暗闇に覆われる事で、そのコントラストで内的な真実の光がより明確となる。
 
だから、「チャンス到来のカード!」と敢えて言えるのだ。
 
 
先日、たまたまYouTubeで音楽を聴こうとしたら・・・
 
世界的に著名な ピアニストの内田光子がベートー ベンについてまさにその事を語っているのを聞いて感動した。
 
 
ベートーベンには、「地獄にいて天国を見る強さがある」と彼女は言う。
 
地獄の中で行き詰まりながらも、顔を覆わない。
 
思い切って天を見上げ、光を探すのだ。
 
そして、どこかに光を見出した。
 
それがベートーベンの音楽のスピリチュアル性だと言う。 
 
 
芸術家の感性は、瞑想を通して得られるものと共通する部分が多い。
 
天才芸術家がようやく辿り着いた境地と同じものを、芸術的才能には恵まれない我々凡人でも遜色なく享受できる。
 
それが、瞑想の素晴らしさなのだ(*^-^)
 

受け取るのも、愛

2015年7月8日(水) by キヨタカ

 現在、実家に滞在中。
 
しかし「本当の自己(I AM)」は、時間も場所も関係ない。
 
特に今日は、朝のスカイプセッションのおかげで、恩寵の光がいつも以上に降り注がれている感じがする。
 
それはいつも通りに降り注がれているのだが、受け取る側がより開いたせいだと思う。
 
 
通常の私たちは、この現象世界が全てだと思い込んでいる。
 
セッションでは、その背後にある「本当の自己(I AM)」が目覚める事を意図している。
 
セッションが上手く行き、それが相手に起こると、こちら側もその恩恵を受け取る。
 
相手がそれに開けば開くほど、私もそれに呼応して開かれて行く。
 
 
なんだか私の方がセッション料金を支払いたい錯覚に陥るが・・・
 
対価として受け取るのではなく、身に余る燦々たる恵を受け取る事こそが恩寵の恩寵たる醍醐味。
 
受け取るのも、愛。
 
身に余る大いなる恩寵の光を、有り難く頂戴しよう(*^-^)

ハメハメハ大王

2015年7月7日(火) by キヨタカ

 久しぶりに、日誌を再開。
 
最後の日誌は6月23日(火)だから、2週間ぶり。
 
 
たしか翌日は、風が吹いたので海へ行き、お休みした。
 
その翌日は、なぜ休んだのか・・・、もう思い出せない。
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多分雨が降ったから・・・(^-^;
 
それからず〜っと雨が降っていた感じ。
 
 
今日は久しぶりに雨が上がったので、日誌を再開する事にした。
 
なんだか、ハメハメハ大王の子供になった気分。
 
 
ハメハメ大王は、南の島に住んでいる、とてもロマンチックな王様の名。
 
風のすべてが彼の歌
 
星のすべてが彼の夢
 
だとか
 
 
その子供たちは学校ぎらいで・・・
 
風がふいたら遅刻して
 
雨が降ったらお休みで
 
なんだか今の私に似ているかも( ̄Д ̄;;
 
 
大王の奥さんはとても優しくて・・・
 
朝日の後に起きてきて
 
夕日の前に寝てしまう
 
そうだ。
 
 
ハメハメハ大王のいる南の島で、ロマンチックでいる事は簡単。
 
ストレス社会の日本で、ハメハメハ大王として生きてみよう!
 
それが、私の新しいチャレンジだヽ(´▽`)/
 

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