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信念体系

2015年7月13日(月) by キヨタカ

修善寺日誌を読んだ方から、大変に興味深い質問を頂いた。
 
キヨタカ様
 
ブログに「私が在る(I am)」
と書かれていますが、
 
OSHOの動画で、
「I have been nothing for 32(?)years」
というのがあり、気に入っているのですが、
 
これは、同じことの
表現が違うだけ?なのでしょうか?
 
 
単なる偶然だと思うが、私はサニヤシン(OSHOの弟子)になってちょうど32年経過した。
 
今はもうOSHOの看板は外してしまったので、OSHOの弟子と言うもの面映ゆいが・・・
 
 
動画の中でOSHOは、「私はあらゆる信念体系を破壊したい・・・」と述べている。
 
残念ながら、OSHOの弟子として活動している時は、OSHOを世界最高の覚者と崇めてしまい、「OSHOは絶対」という無意識の信念体系から自由にはなれなかった。
 
しかし今は一切の信念体系を持たないようにしている。
 
 
だから、敢えてOSHOの言葉尻を捉えて、
 
「違います\(*`∧´)/」
 
と答えてみよう。
 
 
OSHOがこのインタビューを受けたのは、オレゴン時代の53歳の時。
 
つまり、「21歳で光明(Enlightenment)を得てから、私は無(nothingness)である」と語っている。
 
と言う事は、21歳より前は無(nothingness)ではなかったという事になる。
 
 
ブログの「私が在る(I am)」とは、無であろうが有であろうが関係ない。
 
だから、21歳より前であっても、「私が在る(I am)」はそのままだ。
 
OSHOは光明を得るより前は・・・
 
「私は有である」
 
光明を得た後は・・・
 
「私は無である」
 
 
赤字の部分をよくよく考察してみると・・・
 
「私は〜である」
 
は光明を得ようが得まいが、全く関係ない事が分かる。
 
 
「光明」とは、探求者にとっては避ける事の出来ない、最期の信念体系だ。
 
どうか、信念体系が速やかに破壊されて、
 
『I AM』が燦然と輝きますように(* ̄0 ̄)ノ 
 

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コメント

 拝啓、、、、。

      一歌

          ”我々は

                全てで在って

                         無い何か

                                全ては一つ

                                        次元を超えて”

                       Yょㇼ

                                                  敬白 

いつも興味深い話題をありがとうございます。
和尚の本やビデオを以前から良く読んだり見たりしてますが、ネットでは日本語の字幕付きも増えているようですね。
又本ブログとは関係ないが下記のビデオも興味深かったです。
ホーキンス博士も大型ハドロン衝突型加速器の実験は中止するべきだと言ってるようですがが、どうでしょうか?
https://youtu.be/VqUaWNEJlaU 『CERN / 地獄への扉 (2015) [日本語字幕]』

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