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絶対

2015年7月29日(水) by キヨタカ

 先日のリトリートに、長年テラワーダ仏教系の瞑想に取り組んでこられた方が参加された。

私はテラワーダ系の仏教はあまり縁がなかったのだが、お話しによると・・・

「テラワーダでは、『私が在る(I AM)』と言った時点で、アウトですよ!」

との事。

 

この世には、様々な教えや世界観があり、どの立場に立ってもそれなりの理解と説明が可能だ。

しかしある特定の教えが絶対になると、他の教えは否定せざるを得ない。

『私が在る(I AM)』がアウトであれば、禅でいう『無位の真人』とか『主人公』など、とんでもない嘘っぱちという事になる。

 

事実、有名なテラワーダのマスターは:

私が言いたいことは、もし釈迦尊の教えを仏教と定義するなら、日本をはじめ中国などで仏教と呼んでいるものは仏教でないということです。

と、非常に手厳しく批判している。

 

しかし仮に「テラワーダの教えこそが真の仏教である」としても、仏教そのものに価値を認めなければそんな事はどうでもよくなる。

例えば神を絶対的に信じる一神教の立場に立てば、神の概念を否定する仏教など宗教の名にすら価しない。

また同じ神を信じていても、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はそれぞれが絶対的な正しさを主張するので、相互に相手の教えを否定せざるを得ない。

 

そう考えると、「絶対に正しい教え」というのは手放した方が、良さそうだ。

「手放すべきだ、絶対に!」

・・・などと、ヤボな事は言わないけど(^-^;

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コメント

拝啓、、、。

         一句

              ”なんにせよ

                           愛ある日々を

                                          送れれば”

                         Yょㇼ

                                                  敬白

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