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2015年8月

一瞬の永遠

2015年8月30日(日) by キヨタカ

 先日スカイプセッションを受けたMさんから、詩が贈られてきた。
 
他人から見ると順風満帆な人生を歩んでいたMさんに、突然の様に襲い掛かった身内の重なる不幸。
 
『八方塞がり』と思える状況の中で、Mさんは次元上昇の道を歩み始めた様です。
 
 
どんな状況にあっても、私たちは永遠の中に在れる。
 
何と、素晴らしい事だろう(*^-^)
 
表現する言葉がなく   ただただ   それはあった   
 
月夜の光の雫,虫の音の響き、
 
自身(誰?)の息の音の狭間の瞬間にそれは起こり
 
静けさの深みに…
 
 
塵を吹き去った風のそのあとに    ずっとずっとずっと在った
 
何も無いということ(ことではないのだけど)何も無いがあった
 
悠久という時(時ではない)、深淵の奥深くに、ハートのずっと奥深くに
 
ずうっと あって、ものすごい慈悲と愛と静けさで 待っていた
 
 
すべてはもうわかっていたのだよ
 
ありがとう  愛してます
 
これ以上の言葉はありませんでした

八方塞がり

d2015年8月29日(土) by キヨタカ

Images

 人生が、平穏無事である事を願わない人はいないだろう。

しかし人生とは、複雑系であり、相互に関連する複数の要因が複雑に絡み合って展開していく。

だから、想定外のとんでもない出来事に遭遇する可能性が大いにある。

時には、絶体絶命!と思われる状況がやってくる。

 

いわゆる『八方塞がり』で、どこにも活路を見出せない状況だ。

しかし四方八方全ての道が閉ざされても、たったひとつだけ塞がれていない道がある。

それが、垂直な道であり、次元上昇の道だ。

 

私が最初に『八方塞がり』を体験したのは、高校時代の時。

目が悪くなり某有名病院に行った所、医者から「手術は無理だから、目が見えなくても出来る仕事につきなさい」と言われてしまった。

おばあちゃんからは、

「キヨタカの手は柔らかくて肩叩きが上手だから、按摩になれ」

と励まされた。

あの時、「例え失明しても平気でいれるには、どうしたらいいんだろう?」

と、真剣に悩んだ。

 

幸い、その後奇跡的に名医と出会い、無事手術が完了。

しかし今こうして振り返ってみると、あの時が魂の目覚めを希求し始めた最初の出来事だったと思う。

 

その後、何度も人生の先が見えずに『八方塞がり』と思われる状況に遭遇したけれども、

そのたびに、魂の目覚める方向へと、人生が導かれて行った。

人生にとっては最悪の状況こそが、魂の目覚めにとっては最大のチャンスと言えるのかも知れない。

真実は両方

2015年8月17日(木) by キヨタカ

 昨晩は、Tさんとスカイプセッション。
 
Tさんは非常に熱心な瞑想家で、伝統的な坐禅スタイルの瞑想技法を徹底的に追及されている。
 
真理探究に深い関心があり、南インドの聖人ラマナ・マハルシにも関心をもっていたいのだが・・・
 
何と先ごろ、南インドのラマナのアシュラムがあるアルナチャラをわざわざ訪問したと言う。
 
そこには、世界各国から巡礼者が集まっていて、思い思いのスタイルで瞑想している。
 
ところが、そこで目にした瞑想者達の様子に、Tさんは大きなショックを受けたそうだ。
 
坐禅スタイルで、シャキっと背筋を伸ばして瞑想している人が殆どいない。
 
姿勢を崩したり、ダランとした感じで瞑想している人が多く、中には横になっている人もいたとか・・・。
 
今までの、瞑想修行とは随分様子が違う。
 
「今までの自分の瞑想技法は間違っているのではないか?」
 
と思い始めたそうだ。
 
 
別にTさんの瞑想技法が間違っているわけではない。
 
しかし、一口に瞑想と言っても、それぞれの伝統により強調される部分は異なる。
 
所変われば品変わる。
 
国によっても、瞑想のスタイルはかなり違う。
 
日本では、禅に代表される様に、『プレゼンスの目覚め』が強調される傾向がある。
 
だから、『瞑想』=『修行』がほぼ常識になっている。
 
ところがインドへ行くと、プレゼンスよりもビーイングへ明け渡す事の方が強調される傾向がある。
 
 
究極の明け渡しは、死だ。
 
ラマナは、16歳の時に死の疑似体験をして真我に目覚めた。
 
真実を求め、修行によって悟ったわけではない。
 
だから、ラマナ信奉者には「修行は必要ない」 とか「修行が悟りの邪魔になる」とか言う人が多いのも頷ける。
 
 
プレゼンスの目覚めは、通常は大いなる努力が必要であり、修行が不可欠。
 
男性エネルギーが要求される。
 
一方、ビーイングへの明け渡しは、女性エネルギーそのもの。
 
だから、修行や努力を手放して、初めてそれが起こる。
 
 
「瞑想とは修行か明け渡しか?」
 
マインドは、2元対立的にしか考えられない。
 
しかし、真実はその両方だ。
 
プレゼンスとビーイング、それが矛盾なく両立して統合された時に、本当の瞑想状態が起こる。

沈黙

2015年8月26日(水) by キヨタカ

 静かに坐り、しばし瞑想する。
 
・・・
 
沈黙が訪れる。
 
・・・
 
沈黙の中から湧いてくる言葉を、日誌に書こう。
 
・・・
 
・・・
 
虫の音が心地よく・・・より深い沈黙へ誘われる。
 
・・・
 
だが、言葉が出ない(ρ_;)
 
 
 
 

トホホ・・・

2015年8月25日(火) by キヨタカ

 実に久しぶりで、修善寺の奥の院までヨガビとドライブ。

温泉街から5キロくらい山奥に入ったところにある、小さなお寺だ。

 

お寺の右の階段を登ると、そこに小さな滝がある。Img_2179

伝説によると、この場所で若き日の空海が滝行をしたとか。

滝壺には空海の石像があって、いかにも涼しげに座っている。

昔、アジズにハマっていた頃はこの場所が大好きで、毎週の様にこの場所に来て瞑想していた。

 

海に行く様になってからは、すっかりご無沙汰してしまった。

年齢的な事もあり、陰(山)よりも陽(海)の気を好む様になったようだ。

しかし静謐で瞑想的な雰囲気は、以前と変わらずに健在だった。

 

「日誌に載せても、写真や文章だけじゃこの場所の良さは伝わらないな〜」

と呟いたら・・・

「動画をアップして滝の音も入れたら、この雰囲気が伝わるんじゃない?」

とヨガビが宣わく。

 

そこで、さっそく動画をiPhoneで撮り、YouTubeにアップを試みる。

ずっと前にYouTubeが流行り始めた頃、アップしようとして上手く出来なかった事があったが・・・

最近のIT技術の進歩には、驚くべきものがある。 

今回は、ビックリする程簡単にアップ出来たヽ(´▽`)/

 

・・・ところが、アップした動画があまりにもお粗末。

せっかくの滝の音が、なんだか水洗トイレみたいで・・・

トホホ・・・(ノω・、)

昨日は日誌に掲載する意欲もすっかり萎えてしまった。

 

新しい朝が来た!

希望の朝だ♩

今朝は気持ちを切り替えて、やはりアップする事にした。

素人が撮った動画は、誰だって最初はこんなもんでしょう。

「次はもう少しマシなやつを載せる楽しみが増えた!」

と考える事にしようヽ(´▽`)/

 

 

選択の自由

2015年8月23日(日) by キヨタカ

 夏は、やはり早朝が一番気持ち良い。
 
今朝も、午前5時前に起床。
 
外は既に明るくなり、セミや鳥たちが大合唱をしている。
 
子供時代、夏休みに毎日通ったラジオ体操の歌を自然に口ずさむ。
 
新しい朝が来た 希望の朝だ♪

喜びに胸を開け・・・
 
パソコンを開くと、相変わらず顔をしかめたくなるニュースの数々(ノω・、)
 
朝の清々しさと、情報の洪水のギャップがあまりにも凄い。
 
 
連日トップニュース扱いになっている、例の中一遺棄事件。
 
犯人はfacebookを利用していたとの事で、試しに検索してみたら・・・
簡単に辿り着いた。
 
精神異常者のfacebookを覗くのは、かなりの勇気と好奇心が必要でドキドキしたが・・・
 
実際にはごく平凡な、何処にでもあるごく普通の書き込みで、そのあまりにも普通さに驚いた。
 
 
『渡る世間は鬼ばかり』とは、あくまでもドラマ用に作られた造語。
 
『渡る世間に鬼はなし』が、本当は真実だと思う。
 
もちろん例外はいるだろうが、 この世界の99.9%は、普通の人々からなっている。
 
こうしたごく普通の人々が、時と場合により、鬼や悪魔に豹変したり、天使や神のような働きをしたりする。
 
 
犬や猫は、犬か猫にしかなれない。
 
しかし、人間は悪魔に堕ちる事も出来るし、神の次元へ昇る事も出来る。
 
例の犯人も、子供達にたこ焼きでも食わせて家に送り届けてさえいれば・・・Tako02_2
 
「とても親切な心優しいおじさん」でいれた。
 
彼のfacebookも、たこ焼き画像が掲載されたごく風通の内容であり続けたはず。
 
 
毎瞬、毎瞬、人は選択の自由がある。
 
僅か一呼吸に満たない間に・・・
 
自分の中に潜む、『悪魔の声 or 天使の囁き』、に耳を傾ける選択の自由だ。
 
その自由が、たった今、この瞬間にある。
 
たったこの一瞬の選択の自由を行使する事で、希望の朝を迎える事も、永遠の地獄に堕ちる事も出来る。
 
なんと貴重な『今この瞬間』だろう!
 
しかも、人間はいつだって『今この瞬間』に生きている。
 
ごく普通の日常生活のど真ん中に、とてつもない神秘が潜んでいる。
 
人間存在とは、実に不可思議だ。

頭の中のテレビ

2015年8月22日(土) by キヨタカ

 昨日、今年93歳になる母親から電話があった。

高齢だし体調でも悪くしたのかと思いきや・・・

「台風が2つも来るし、サメに襲われるのも心配だ(;д;)

海は危険だからウィンドサーフィンは止めてくれ。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。」

との事だった。

 

元々心配性で、今はする事がないから一日中テレビにかじりついている。

だから、世間のニュースは私より遥かに詳しい。1024pxthe_great_wave_off_kanagawa

テレビの映像で、高波が押し寄せる小笠原諸島辺りの海やサメの出没で遊泳禁止となった海水浴場の様子を見て、心配になったと言う。

 

台風の直撃はもちろん困るし、避けたいのはもちろんだが・・・

台風がうまい具合に接近すると、理想的な波風が立つので、内心ワクワクしてしまう。

サメにしても、最近でこそニュースで大々的に取り上げられているが・・・

因幡の白兎に登場するワニはワニザメだと言われるように、太古の昔から実は日本近海にはサメが出没している。Images

日本では、台風やサメの襲撃でウィンドサーファーが犠牲になった話は滅多にない。

 

ニュースとは、滅多にないからニュースとなる。

爆弾テロ、殺人事件、サメの襲撃等々・・・ニュースで毎日の様に報道されている事件の数々も、私の実人生の周囲で実際に起こった事は殆どない。

しかし、情報の洪水の中で生きていると、情報と現実の区別がつかなくなってしまう。

そうすると、私の母親の様に・・・

「キヨタカがサメに襲撃される!」

という妄想が、リアリティに近いものになってしまうのだ。

 

これは単に母親の妄想と、笑ってばかりではいられない。

実はマインドの構造そのものが、スイッチの壊れたテレビの様なもの。

頭の中では、四六時中大問題を告げるニュースが垂れ流しになっている。

頭の中のニュースを信じてしまうと、その大問題を現実と錯覚して、それに巻き込まれてしまう。

 

しかし、頭の中で起こっている大問題に対処すべく右往左往しないで済む、秘策がある。

頭の中のテレビのスイッチを、シンプルに消せば良いのだ。

そうすれば、問題を告げるニュースも自動的に消えて・・・

静かで平和で、愛と喜びに満ちた現実が、目の前に立ち現れる。

それが、瞑想だ(*^-^)

ターニングポイント〜Kさんの感想〜

2015年8月20日(木) by キヨタカ

 前回リトリートに参加されたKさんから10月のリトリート再参加の申し込みがあった。
 
Kさんはテラワーダ仏教に対する造詣が深く、伝統的仏教の瞑想技法に関しては私より遥かに詳しい。
 
2千年以上に渡り継承されている伝統的瞑想技法は、それなりに洗練されていて奥が深い。
 
一度それに傾倒すると、私が伝えようとしている非伝統的な瞑想技法を理解するのは非常に難しくなる。
 
相当の柔軟性が必要だ。
 
 
再参加にあたり、前回のリトリートの感想を頂いた。
 
少し長くなるが、リトリートの体験がダイレクトに伝わってくるので、そのまま掲載したい。
 
長年に渡り真摯に瞑想を探求されたいる方に、リーラスペースのリトリートの価値を知って頂いて、とても嬉しい。
 
* * Kさんの感想 * *

こんばんは。

先だっては、リトリートでお世話になりました。
 
Kです。

10月のリトリートにも、再び参加させていただきたいと思います。
 
まだ、枠がありましたなら、よろしくお願いいたします。



それにしても前回、参加させていただいてよかったです。
 
身体を動かしながら感情を開放するストレートな解放ワークは新鮮でした。

テーラワーダにも観察瞑想というのがありまして、
 
ボディスキャンのようにして瞑想の心眼で身体を観察する瞑想があります。

この系統の瞑想合宿に、以前参加したことがあり、
 
その時、身体に感情が刻まれていることがわかり、
 
また身体に刻まれている感情が解放されていくことを体験したことがあります。
 
これ以後、ボディワーク系も取り入れるようになっています。

 
ですが、ストレートな解放ワークはパワフルでもあると思ったものです。
 
笑ったり泣いたりするワークがあったと思いますが(名称を失念してしまいましたが)、
 
このとき、横隔膜に凝りがあることに気づいたのですが、
 
このワークで、凝りが取れた感じを受けました。

リトリートから帰ってから、それまで少し硬かった右半身が、
 
なんと柔らかくなっていることに気づきます。
 
この変化に大変驚いています。

横隔膜の凝りと、右半身の硬さが関連していたことにも驚いていますが、
 
こうした体験から、肉体と感情(心)が密接に関係していることへの確信が
 
いっそう深まってまいります。


 
またハートの瞑想では、頭部にたまりがちだったエネルギーが
 
眼を通してハートに落ちてゆくのが実感でき、そのままハート瞑想をすると、
 
胸の真ん中が熱くなり、しかも光を放っているのが視野に映ります。

 
愛の輝きに満ちた瞑想で、思わず涙もあふれてきます。
 
このときのハート瞑想をしてから、今もそうですが、胸の真ん中に
エネルギーを感じています。

瞑想を始めてからしばらくしてから、天頂や眉間から渦を巻きながら
 
「気」が入り込むのを体感していましたが、ステイト・オブ・プレゼンスを
 
自習をしたところ、脳の中央でのエネルギーが強くなり、
 
ややもするとエネルギー過剰になる所もありました。

 
しかしながら、リトリートに参加してハートが活性化したのか、 

エネルギーバランスが改善され、頭頂から胸、丹田に向かって
 
やわらかく流れるエネルギーを感じています。

 
自分にとってターニングポイントとなるリトリートでして、
 
とてもありがたく、感慨深くも思っております。


そういえば、リトリートに参加する数週間前、印象深い夢を見たものです。

それは、私の瞑想仲間と一緒にワゴン車に乗って、トンネルを抜けて
 
海の見える丘の上に到着するという夢です。

気になったので夢占いで調べてみますと、車というのは人生の象徴であって、
 
車に乗っている夢は、人生に転機が訪れる暗示であるとか。

まさにこの夢の暗示の通りなのかもしれません。
 
またリトリートが終わった後、今度は神社との縁が出てくるなど、
 
流れが変わってきている感じもいたします。


そういうことがあったりもしますが、10月もぜひ参加
 
させていただきたいと思います。

よろしくお願いいたします。

モグラ叩き

2015年8月18日(火) by キヨタカ

 マインドは、問題を見つけるのが得意だ。
 
問題を見つけると、反射的にそれをなんとかしようとする。
 
しかしたとえ解決しても、新たな問題を見つけ出す。
 
 
それは、ちょうどモグラ叩きの様だ。
 
叩いても、叩いても、新たなモグラが顔を出す様に・・・
 
次々と新しい問題が見つかる。
 
 
意識が外側に向いている人は、自分の外側に問題を見つける。
 
問題がなくなれば幸せになると思うから、問題のある相手を変えようとする。
 
しかしなんとか相手の問題が解決しても、別の相手が次から次へとひょっこり現れる。
 
 
意識が内側に向いている人は、自分の内側に問題を見つける。
 
問題がなくなれば幸せになると思うから、問題のある自分を変えようとする。
 
しかしなんとか自分の問題を解決しても、別の問題が次から次へとひょっこり現れる。
 
 
しかし、本当の幸せは問題とは関係ないところに存在している。
 
思い切って、 モグラを叩くのを止めてみよう。
 
モグラがいても、ただ放って置く。
 
そして、問題のない部分に寛いで、それに感謝して、お祝いする。
 
すると、ただ在る事の喜びがどこからともなく自然に溢れ出す。
 
それが、瞑想の極意だ。
 

戻りました

2015年8月17日(月) by キヨタカ

 実家より、修善寺に戻る。
 
雨のせいでとても涼しく、気持ちがいい。
 
昨日までの慌ただしさが嘘みたいだ。
 
夜は虫の音が聞こえ、修善寺は早くも秋の気配が漂っている。
 
秋は、瞑想的静寂を味わうには最高の季節だ。
 
・・・とはいえ、明日からまた当分暑い日が続きそう。
皆さん、体調管理には十分気をつけて下さいネ。

お墓まいり

おむk2015年8月13日(木) by キヨタカ

 現在、実家に滞在中。
Img_2137
 
お盆の初日は、恒例のお墓参り。
 
母は高齢のため、ヨガビと2人で行く。
 
 
13日は『迎え盆』で、先祖の霊を家に迎えるためにお墓に行く事になっている。
 
ヨガビ:「仏教って、輪廻転生を説いているんでしょ?」
 
キヨ:「もちろん。」
 
ヨガビ:「じゃ、誰を迎えに行くの?」
 
キヨ:「先祖の霊さ」
 
ヨガビ:「でも、もう既に転生してるはずでしょ?」
 
キヨ:「確かに。」
 
ヨガビ:「じゃ、お迎えって、まだ転生せずにお墓に住んでる先祖の霊の事かしら?」
 
 
キヨ:「う〜ん。転生がまだだったら、成仏させてやるのが先決だよね。」
 
       お盆の儀式って、仏教的に矛盾してるね(^-^;」
 
等々、敬虔な仏教徒やご先祖さまが聞いたら、卒倒しそうな会話を楽しみながら・・・
 
無事先祖のお迎えを済ませた。

なりきる・・・

2015年8月10日(月) by キヨタカ

 お盆のため、今から実家(栃木県小山市)へ向け出発準備中。
 
小山は日本一暑いと評判の熊谷市にも近いのだが・・・
 
暑い時は暑さになりきる・・・
 
寒い時は寒さになりきる・・・
 
なりきるなりきる・・・
 
の禅の精神で、地獄の暑さを乗り切るつもり。
 
 
私に最初に瞑想を教えてくれた松庵さんは、三島龍沢寺の山本玄峰老師の下で長年修行した。

終戦勅語の「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・・」の文句を授けた事でも有名な方だ。
 
ある日の法話で、老師が「なりきる」について語った。
 
なりきる なりきる・・・
 
  なりきる なりきる・・・
 
    なりきる なりきる・・・
 
 ・・・・・・
 
 なりきる なりきる・・・
 
最初から最後まで、それだけ語ったと言う。


 
 

サナギから蝶へ

2015年8月7日(金) by キヨタカ

 修善寺に戻る。
 
下界は暑い〜(@Д@;
 
が 、高原の涼しさがまだ体に残っているのでとっても元気ヽ(´▽`)/
 
 
昨晩日誌を書こうと思ったら、某氏から電話。
 
「給料が良いので転職したら、社長からのパワハラでもうダメかも?」
 
との事。
 
もっと様子を知りたくてスカイプに切り替えたところ・・・
 
別人の様に疲弊した姿を見て唖然ヾ(*゚A`)ノ
 
ちょうどサナギみたいに、固まっている。
 
なるべく早く今の仕事に見切りをつけて、新天地を求めるよう勧めた。
 
 
『 魂が望む事』を仕事に出来たら、素晴らしい!
 
精神世界に関心を持っている人なら、誰もがそう願う。
 
彼らの仕事は、輝いている。
 
魂の醸し出す楽しさ、創造性、気迫、叡智、ゆとり等々が感じられるからだ。
 
 
しかし望んではいても、実際にそれを仕事にしている人はまだごく少数。
 
「魂が望む事をしていては、食えない(ρ_;)」
 
という非常に説得力ある意見が、行く手を阻むからだ。
 
親を含む周囲の人々はもちろん、本人だって「食えない」と思って最初から諦めてしまう。
 
そして本当にやりたい事は別にあるのに、いやいや生活の為に望まない仕事をする。
 
『定年退職後に、たっぷり退職金をゲットして、本当にやりたい事をしようヽ(´▽`)/』
 
というのが、唯一の希望だ。
 
だが実際に退職すると、何が本当の魂の望みかが解らない。
 
長年魂の声を無視し続けていたので、声が聞こえなくなってしまうのだ。
 
さらに知力と体力も衰え、新天地を求める気力も失せる。
 
 
何歳になっても、魂が望む仕事をするのは可能だ。2014060819522808_oomurasaki_2
 
しかし充実した人生を望むなら、早いに越した事はない。
 
魂の望む事が実際に上手く行くかどうかは、実際にそれを生きてみないとわからない。
 
それはちょうど、芋虫がサナギを通して華麗な蝶として羽ばたく事に似ている。
 
「魂が望む事をしていては、食えない(ρ_;)」
 
それはマインドの声であり、芋虫にとっては確かにその通り。
 
芋虫が羽ばたけるわけがない。
 
 
サナギとは、マインドの見地からすると最悪(。>0<。)
 
芋虫時代の「いつかは魂を生きよう」という希望すら失われる。
 
八方塞がりで、どうして良いか解らない。
 
ちょうど、今の某氏の状態だ。
 
しかし、スピリチュアルな観点から見ると、彼はいまちょうど魂として羽ばたく寸前の状態にいる。
 
姿を変えた恩寵が、燦々と降り注ぎつつあるのだ。
 
彼の魂が目覚めるべく、起こるべくして起こっている状況にエールを送りたい。 
 

何もせず・・・

2015年8月6日(木)

若かりし頃の座右の銘
 
雨にも負けず
  風にも負けず
   雪にも夏の暑さにも負けぬ
     ・・・
       そう言うものに私はなりたい
 
 
最近の座右の銘
 
 雨が降ったらお休みで
   風が吹いたらウインドだ
     雪降る冬はハワイで過ごし
        夏は避暑地で暑さを知らぬ
          ・・・
         そう言うものに私はなりたい
 
・・・というか、もうそうなってるな〜(^-^;
 
 
将来の座右の銘
 
何もせず
   働きもせず
     今のまま
        努力もせずに
             願いが叶う
             ・・・
             そう言うものに 私はなりたい
・ 
・・やっぱり、既にそうなりつつあるかも\(;゚∇゚)/

閑さや・・・

2015年8月5日(水) by キヨタカ

 伊豆に引っ越してから、17年目の夏を迎えた。
 
当時は、真夏でも夜は網戸から涼しい風が吹いてくるのに感激したものだ。
 
ところが最近は、熱帯夜がこちらにも及んでいる。
 
夜になっても窓を開けるとムッとする熱気が・・・(;д;)
 
そこで久しぶりに山籠りを決意!
 
標高900メートルの某所で、現在大自然を満喫中。Img_2117_2
 
 
フーマンと関わっていた頃は、「数ヶ月に一度は大自然の中で数日を過ごすと瞑想が深まる」と言わた。
 
そこで山籠りをして、いわゆる個人リトリートを頻繁に行っていた時期がある。
 
ある時、「何処にいてもI AM は変わらない」事が分かり、いつの間にか個人リトリートはしなくなった。
 
 
しかしこうして久しぶりに大自然の中にいると、静かさが存在全体を貫いているのを肌で感じる。
 
例えば、蝉の声。
 
00234 修善寺も自然の中だから蝉が活発で、ジージーと肌に染み込み、暑さも倍増する。
 
ところが、ここで聞く蝉の声は違う。
 
蝉の声を通して、静かさが存在全体に染み渡るのだ。
 
芭蕉の名句は、コレを詠んだんだと納得。
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私も一句捻りたいところだが、それはYさんに任せて、芭蕉の句を・・・
 
閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
 
 
静かさは、本来宇宙一杯に広がっている。
 
自己の本性そのものだ。
 
だから大都会のかしましい騒音の中でも「静か」で在るのが理想だが・・・
 
千里の道も一歩から。
 
せめて一泊でもいいので、クーラー不要の静かな大自然の中で個人リトリートをする事をお勧めする。
 
やがて、いつでも何処でも静かな本来の自己が顕現するようになるだろう。

成功とは・・・

2015年8月3日(月) by キヨタカ

今年のサマージャンボ宝くじは、一等&前後賞で7億円!
 
毎年なんとなく当たる予感がするので、今年も連番を購入した。
 
 
先ほど、縁あって某タロット占い師に、私の人生を鑑定してもらったところ・・・
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『 世界(THE WORLD)』というカードが、キーカードとして
頻繁に登場。
 
占い師:「あなたの人生は、既に大成功しています」
 
キヨタカ:「ええ確かに精神的にはそうでしょうけど、 物質的な成功とは雲泥の差がありまして  ・・」
 
占い師:「いえ、この世でも成功してるとカードは言ってます」
 
キヨタカ:「じゃ宝くじが今年こそ当たるかもヽ(´▽`)/
            ギャンブル運はどうですか?」
 
 
慣れた手つきで引かれたカードは、タロットを知らない人が見ても一目瞭然!6a0120a6bc1acd970b012875bdf9dc970c5
 
「全ての希望が完璧に終了」するソードの10。
 
 
占い師:「それは絶対ないですね(ρ_;)」
 
キヨタカ:「だったら、成功とは言い難いですね(゚Д゚)ハァ?」
 
占い師:「いえ、あなたがキヨタカとしてこの世に生まれた。それが既に成功なんです」
 
 
 
何やら禅問答みたいになってしまったが・・・
 
その占い師が言いたいのは、こういう事なんだろう。
 
つまり・・・
 
宝くじで一等が当たる確率は1000万分の1。
 
一方、特定の精子が卵子に到達する確率は、3億分の1。
 
既に宝くじに当たるよりも低い確率をくぐり抜けて、私は無事にこの世に誕生した。
 
すなわち、この世に生を受ける事そのものが、奇跡的に有り難いことなのだ。
 
 
仏典(「三帰依文」)に
 
「人身受け難し、今すでに受く」
(人間として生まれることは難しいのに、私は、人間として生を受けています)
 
とある。
 
それを見抜けば、その後に続く仏典をあれこれ解釈するまでもない。
 
たった一行のこの文言が正しく理解出来れば、あなたの人生は大成功となり、新たな次元へと卒業できるのだ。

雲泥の差

2015年8月2日(日) by キヨタカ

 「する」事から「在る事」へ。
 
「生きる」事から「生かされる」事へ。
 
「当たり前」の事から「有り難い」事へ。
 
似てはいるけど、雲泥の差となる。

ゲノム編集

2015年8月1日(土) by キヨタカ

 金が掛かり過ぎると批判が殺到した、 新国立競技場。

白紙に戻して、新たにデザインし直す事で一応決着した。

気に入らない建物なら設計し直せば済むが、生物の場合そうはいかない。

私も、運動神経が抜群でもう少し足が長く生まれていたら・・・

格好いいプロのウィンドサーファーにでもなっていたかも。

しかし、神様が与えてくれたこの肉体だ。

たとえ多少気に入らない所があっても、日々感謝して大切に使って行こうと思っている。

 

そう考えるのは精神世界の常識だけど、科学技術の進歩によって、一般常識はおろか精神世界の常識すら遥かに超える状況が起こりつつあるようだ。298da963s

先日のNHK番組クローズアップ現代に、iPS細胞の生みの親である山中教授が登場。

ノーベル賞受賞者ですらビックリ仰天している、新たな遺伝子操作技術が登場したと言う。

それが「ゲノム編集」であり、従来の「遺伝子組み換え」技術とはケタ違いのレベルらしい。

「ゲノム編集」によって、ガンやエイズ等の難病治療は言うに及ばず・・・

足や寿命だって長くする事が出来るかもしれない。

さらに、遺伝子を自由に書き換えた子供を作る試み、いわゆる「デザイナーベイビー」がSFの世界から遂に現実のものになり始めた。

 

当然、「人間が、神の領域に踏み入って良いのか」という倫理的問題が起こる。

しかし、技術的進歩は止めようと思っても、止まらない。

人類の過去の歴史を見れば明らかだ。

そもそも、「火」を使い始めた神代の時代から、人類はこの問題に絶えず直面し続けている。

 

問題は、技術的進歩の是非にあるのではない。

誰が、この技術を使うかの問題だ。

最近中国が人間の受精卵にゲノム編集を行ったというニュースを聞いて、背筋が寒くなった。

神の領域に踏み込む技術は、神の領域に目覚めた人々の手によってのみ正しく使われるだろう。

自我の肥大による人類の崩壊か、真我の目覚めによる、新人類の誕生か!

非常に切迫した状況に、時代は突入している。

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