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流れる

2015年11月12日(木) by キヨタカ

>『する事』と『在る事』が統合された生き方こそが、人生の極意なのだろう。
 
先日の日誌に、コメントを頂いた。
 
この部分、よろしければ、もう少し詳しく話してくださいますか?

う〜ん。

統合とか在る事とか・・

まだアジズの影響から抜けきれず、表現が硬いな〜。


ようするに、「流れるように物事が起こる」感覚なんです。

日誌なんか書いているとよくそうなるけど、文章が勝手に出てくる。

私はただパソコンの前に座って、寛いでいる。

すると言葉が湧いてくるから、指を動かす。

いつの間にか、日誌が仕上がっている。

自分で、「している」感覚がないから、とても楽。


背後に大いなる生命力があって、それが物事を起こさせている。

私は喜んで、それに乗る。

ウィンドサーフィンで、風をはらんだセールに体を預けて、プレーニングしている感覚。

身体はゆったり寛いでいるけど、実際はぶっ飛んでいる快感。

実際に体験している方にしか、理解されないのが残念。

心理学用語で言う、「フロー」という言葉がそれに近いだろう。


存在の流れに任せて、人生の荒波をプレーニングしたいものである。

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日常」カテゴリの記事

コメント

拝啓、、、、。

     一歌

        ”足掻かずに

                寛ぎに在る

                       漂流者

                            プカプカ浮かんで

                                      起こるに任せた”

                      Yょㇼ

                                                  敬白

あ!やっぱりそうか!
この前のコメントに書こうか迷って書かなかったのですが

私も小さい時からピアノを演奏する度に、その感覚になってたんですよ。私はとにかく演奏が小さい頃から大、大、大好きで、ピアノ弾きまくってたのですが、演奏してると、いつの間にやら、指が勝手に動いてて、私が音になって?消えて?周囲のエネルギーと同化して?


あぁ、これだ!ここに全てがある!私はここから来た!みたいな...
言葉にしてしまうとあれですが、歓喜と至福の塊みたいになるんです。


ベートーベンの悲愴でも、ショパンの子犬のワルツでも、明るくても暗くても、とにかく何でも構わない、感じ味わえる事の、もう、喜びでしかない感覚、エネルギー。私が周囲の空気になってるというか、とにかく言葉にできない。


ピアノを弾く度にそうなってたから、私には当たり前のことやったのやけど
大人になって、初めて悟りの事とかを聞いた時に、あ~演奏中に近い?とか思いました。

その後、悟り体験のある人と親しく話すようになって、わりと気づかないだけで、皆、頻繁にその感覚になってますよね、なんて話をしました、そう言えば!
あれもだね、これもだね、料理中とかも、そうなりやすいね、日常的に誰もがあるねって!そうだ。忘れてた。


ピアノだとそんな感じだったんですけど、クリスタルボウルを演奏し始めてからは、演奏会の日にち設定も、というか、人生全てがそうなってしまって 苦笑
あらゆることが自分の意志ではできなくて、源の流れにのるままにしか生きられなくなりました。


でも本来、nothing's specialで、最初から自分は居ないし、自分の意志って幻想に過ぎないのですよね。


これが悟り、これは違う、って判別が癖になってるだけで、本来、演奏中のこのエネルギーも、イライラも、更に言えば判別する癖さえ、「私」ではなく、全て現象、全て波、nothing's special and that's it.なんだった!


長くなってしまいました。

コメント取り上げていただき、ありがとうございました。実は数日前にここに質問してから色んな事がいもずる式に起こり、自分のホームページに書いた事と同じような事が、他のブログやメールに書かれていたり...と繋がったり。


禅問答のようで答えなんてないことだけど、やりとりさせて頂くことが、忘れてた事の要点を思い出すきっかけになりました。

ありがとうございました!


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