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2016年6月

している事を楽しむ

2016年6月29日(水) by キヨタカ

 一昨日から、施設の環境整備のため友人達と庭仕事に没頭。
 
庭仕事はどちらかというと苦手で、以前は「止むを得ず」やっていた。
 
しかし、最近はとても楽しい。
 
「以前と比べたて随分と変わったね」
 
と、友人に指摘されて、自分の変化に気がついた。
 
 
確かに、以前とは大違い。
 
運動とダイエットの効果で 、体が自由に動くようになったせいもあるが・・・
 
「する事」に対する態度を改めた事が大きいと思う。
 
 
以前は、「楽しい事だけをする」が、人生のモットーだった。
 
もちろん、それも悪くない。
 
「楽しくない事をする」よりは、ずっとマシだ。
 
しかし「楽しい事だけをする」と、それ以外の事は全て「楽しくない事」となる。
 
すると、活動範囲が狭まって、人生が尻つぼみになり始めた。
 
 
そこで態度を改めて、「している事を楽しむ」事にした。
 
それがどんなに些細な事であれ、今している事全てに楽しみを見出す。
 
すると、『生きている事=楽しむ事』になり始めたではないか!
 
『これぞ瞑想の極意!』、と密かに思っている。

天南星

2016年6月27日(月) by キヨタカ

 誕生日のお祝いメッセージを、沢山の方々から頂きました。

皆さんありがとうございます。

 

それにしても、62歳になったはずなのに、実感が全然伴わなず戸惑っている。

オムロン体重計の『体年齢』が、41歳と表示された事もあるけど・・・

精神年齢は、いつまでたっても28歳のまま。

28歳で会社を辞めて、本格的に精神的探求を始めた。

その時から、年齢が止まってしまったようだ。

 

算命術で、「晩年期」の星を調べたら、「天南星」と出た。

天南星は、青年が持つ魂のエネルギー。

いつまでも、気持ちは若いエネルギーのままのようだ。

精神年齢の方も、年相応に円熟して行きたいのだが、そうならないのも宿命か?

 

自己の本性は、姿も年齢も性別もない。

だから、永遠の青年で良しとしよう。

 

今日は何の日?

2016年6月26日(日) by キヨタカ

「今日は何の日?」

と聞かれても、答えられる人は少ないだろう。

何しろ、6月は祝日もないから・・・

 

しかし世の中は大変便利になった。

6月26日でググると、国際憲章調印記念日などなど、 記念日がいっぱい!

露天風呂の日という、語呂合わせの日もある。

六(ろ)・(てん)二(ふ)六(ろ)で「ろてんぶろ」だとか(^-^;

雷記念日、などという恐ろしいものもある。

 930(延長8)年のこの日、平安京の清涼殿に落雷があり、大納言の藤原清貫が亡くなった。この落雷は太宰府に左遷されそこで亡くなった菅原道真のたたりだとされ、道真は名誉を回復した。またこれにより、菅原道真は雷の神「天神」と同一視されるようになった。

(さらに調べると、・・・死者だけで7人、天皇もショックで3か月後に崩御(;д;)という大事件)

 

個人的に嬉しいのは、世界格闘技の日が制定された事。Prm1605290002p3_2

あれは、今から40年前の1976年6月26日だった。

ボクシングの世界王者モハメッド・アリとブロレスのアントニオ・猪木による、「格闘技世界一決定戦」が行われた!

当時学生だった私は、大学の生協の食堂に設置された テレビの前に釘付けになり、固唾を飲んで観戦していた事を昨日のように思い出す。

 
ところで、なぜ個人的に嬉しいかと言うと・・・
 
実は、今日のこの日はキヨタカの誕生日でもあるからヽ(´▽`)/
 
「お幾つですか?」
 
と聞かれても、即答出来ない(・・・したくない?)年齢になってしまったけれども・・・
 
今年もまた誕生日をつつがなく迎える事が出来て嬉しい。
 
人から殴られて怪我する事もなく、雷に打たれる事もなく、無事に今日まで命をながらえる事が出来た。
 
誕生日を迎えるたびに、ただ生きているという事だけで、それがどんなに貴重で有難い事であるかを、ひしひしと感じるようになった。
 
 
今朝はスマホやパソコンに、誕生日のお祝いメールが次々に届いている。
 
誕生日の事を日誌にアップはしていないのだが・・・
 
facebookに誕生日を登録しているせいで、自動的に相手方に連絡が行くようだ。
 
ちょっと便利過ぎか・・・と戸惑うけれど、メッセージが来るのは嬉しいものだ。
 
 
皆さん、お祝いのメッセージを有難う!
 
120歳の誕生日まで、共に毎日元気で楽しく過ごしましょう!
 
一人でも前例があれば、あなたが二人目になれる。
 
前例がなければ、あなたが一人目になれる。
 

ヌーヴォー?

2016年6月24日(金) by キヨタカ

(株)アルテから、 既出版本の校正依頼があった。
 
アジズ&フーマン関連本は既に校正済み。
 
そこで、「覚者を求めて」のみを、校正を兼ねて一気に読み返した。
 
久しぶりに読んだが、自分の本なので言うのも 気がひけるけど・・・(^-^;
 
とっても面白かった。
 
 
この本を読むと、著者のキヨタカ氏(・・・私のことだけど)は随分と恵まれた環境にいたようだ。
 
若い時から、恩寵によるサポートを受けていたことがよくわかる。
 
ところが本人は、全くその事に気付けない。
 
「覚者を求めて」、長い長い旅に出る。
 
そして、 あまりに長過ぎる探求の果てに、ようやく理解が訪れる。
 
「〜にもかかわらず、私は在る」
 
 
答えがこんなにシンプルだったら、もっと早い時期に気づいてしかるべきだが・・・
 
人生とは、スポーツやゲームと同じで、結果よりもプロセスそのものに意味がある。
 
単に結果だけが重要なら、野球でもサッカーでも、ジャンケンかくじ引きで勝敗を決すればことは簡単だ。
 
しかし、それじゃつまらない。
 
心と体と魂がぶつかり合い、全力でゲームに取り組むプロセスの中に、ドラマが生まれ感動が起こる。
 
 
ところで、私は下戸でお酒は飲めないが・・・ Beaujolais_villages_primeur_louis_j
 
ワインは毎年の新酒とは別に、長年熟成された年代物が珍重されるそうだ。
 
意識の探求だって、「ヌーヴォー」と「ヴィンテージ」があり、それぞれ味わいが違う。
 
「私は在る」という理解は同じだが、そこへ至る熟成期間が長ければ、そうでしか得られない味が醸し出される。
 
 
こうした観点からすると、私はカビの生えた「ヴィンテージ」であるはずなのだが・・・
 
実際の所、全くそんな感じはしない。
 
毎日、朝起きるたびに、新しい気づきがある。
 
その新しい気づきとは・・・
 
「〜にもかかわらず、私は在る」
 
という事なのだが、それは毎朝フレッシュで、「ヌーヴォー」なのだ。

理想の死

2016年6月23日(木) by キヨタカ

昨日、予定どおり親類の告別式に参列。

体調不良で病院へ行き、待合室で意識を失って即入院。

そのまま、数日後に旅立ったという。

 

それまで比較的元気だったから、身内の方のショックは大きいだろうが・・・

享年77歳。

私の父が亡くなった歳でもあり、「まだ早過ぎる死」とはそれほどは思えない。
 
闘病生活で苦しんだり、認知症で周りに負担を強いる事もなかった。
 
晩年は蕎麦打ち等の趣味の世界に没頭。
 
愛する家族に見守られ眠るように旅立ったそうだから、理想的な死に方だったように思う。
 
 
 
人生を理想通りに生きる事はとても難しい。
 
ましてや、理想通りに死ぬ事は不可能に近い。
 
だから、
 
『とても良かったですね(*^-^)』
 
とお別れの挨拶をした。
 
 
 
『人間臨終図巻』という奇書がある。
Unknown_2  
伝奇小説で有名な山田風太郎が、古今東西の有名人900人を超える人々の臨終を、年代別に集めた稀有な書だ。
 
自分にとって『理想の死』とは?
 
参考にしたいところではあるが・・・
 
その大部分が、『病死』か『事故死』か『非業の死』。
 
世間的には誰もが羨む有名人でも、死ぬ間際は苦しむ人が多い。
 
本書を読むと、死ぬ事ってこんなに大変な事なのかと驚かされる!
 
 
若い時は、非業の死を遂げた坂本龍馬などの英雄の死に際がカッコイイと憧れたものだが・・・
 
この年になると、やはり畳の上で死にたいものである。
 
しかし同じ畳の上だからといっても、怪我や病気で死ぬのも嫌だ。
 
つまるところ、本書を読んでも参考例がほとんどないのである(ノ_-。)
 
 
その中で唯一、憧れるのが、西行法師。
 
 ねがはくは 花のもとにて 春死なむ
 
   その如月(きさらぎ)の 望月(もちずき)の頃
 
かねてより歌に詠んだ通り、桜の花盛りの時期を選び、釈迦入滅の日の満月に亡くなったという。
 
 
瞑想が深まると、自ら意識的に肉体を去ることが出来るようになる。
 
そして、そのための瞑想技法がある。
 
それは、決して自殺なんかではない。
 
肉体やマインドからの解放であり、究極の自由だ。
 
もちろん簡単ではないだろうが、日本の仏教だけではなチベット仏教やくヨガ、道教等々、古今東西にそうした話は伝わっている。
 
私は、ぜひともそうした理想の死を迎えたい。
 
  「そんな事、普通の人には無理」と言われるだろうが・・・
 
一人でも前例があれば、あなたが二人目になれる。
 
前例がなければ、あなたが一人目になれる。
 
歴史を紐解けば、前例がかなりあるのだから、あなたや私がそうなれないわけはない。

死の準備

2016年6月21日(火) by キヨタカ

昨日、いとこから突然の電話。
 
「親戚のYさんが亡くなった」
 
という連絡だった。
 
実家の近くに住んでおられたので、比較的親密な関係だった。
 
葬儀出席のため、今から実家へ出発する。
 
 
両親ともに兄弟が多かったせいで、私には叔父・叔母・いとこ等々親戚の数が多い。
 
「みんな高齢者になるから、そのうち毎月葬式が出るね(^-^;」
 
と、以前はよくジョークを飛ばしたものだが・・・
 
それが今、まさに現実になりつつある。
 
 
幼稚園の時におじいさんの葬儀に出席して以来、お葬式はこれで何回目だろうか?
 
生まれた以上、人間に限らず生物は必ず死ぬ。
 
永遠の命に目覚めた覚者でも、肉体は必ず滅ぶ。
 
死は絶対に避けられない。
 
だからこそ・・・
 
「死ぬ間際になって慌てふためかないよう、今からしっかりと準備をしておきたい」
 
と最近ますます思う。
 
 
死ぬ準備として、最高の方法が瞑想だ。
 
特に「死の瞑想」は役に立つ。
 
詳細は省くが・・・
 
「息を吐いた時に、あたかもこれが人生最期であるかのように吐き切り全てを明け渡す」
 
というのが、この瞑想の肝だ。
 
 
「生きる事=執着する事」 ではないかと思うほど、人は外側のものにしがみつこうとする。
 
しかし死んでしまえば、しがみつく行為は全て意味を失う。
 
だからこそ、死を想定するこの瞑想により、手放す事がとても簡単になる。
 
そして人生を手放してみると、実は生きる事も簡単になる。
 
死の準備をする事で、生きている間は最高の人生を全うしようではないかヽ(´▽`)/

41歳!

2016年6月17日(金) by キヨタカ

オムロンの進化型体重計を購入したのは、10年くらい前だろうか?
 
体重のみならず、体脂肪や筋肉率も表示できる優れもの。
 
日本人の平均をもとに、基礎代謝量が何歳に相当するかの『体年齢』だって判る。
 
 
友人の家へ遊びに行った時に、この体重計があったのでトライしてみたところ・・・
 
体重は70キロを超え、体年齢は51歳と表示されて大ショック・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
 
早速購入して、ダイエットに励んだものの、体年齢はいつも50歳レベル。
 
だんだん嫌気がさして、体重計に乗る気がしなくなった。
 
 
そしてやがてある日、究極の理解が訪れる。
 
「体年齢なんか気にせずに、あるがままの私をそっくり受け入れよう。」
 
「食事は食べたい時に食べて、運動はしたい時だけすればいい!」
 
「瞑想も、したくなった時だけすればいい!!」
 
「そもそも肉体は幻想だ!そんな事を気にする私も幻想で、私はいない!!」
 
という事を悟ったのである。
 
 
そう言うわけで、好きな時に好きな事をして、 好きな食べ物を好きなだけ食べる生活をした結果・・・
 
体重は74キロ、血糖値は200を超えて・・・
 
遂に、個人的な一大事件が起こった。
 
「インシュリン注射が必要です!」
 
と医者から宣告されたのである。
 
今から、僅か5年前の話だ。
 
恐らく体年齢は、60歳レベルになっていたと思う。
(とてもこの体重計に乗る気がしなかったので正確なデータはない)
 
 
さすがの私も・・・
 
「注射をされる私などいない!」なんて、うそぶく余裕はなかった。
 
それからは意を決して、生活態度を改めて適切な運動、睡眠、食事を心がけたところ・・・
 
僅か3ヶ月で体重が10キロ減、薬も注射も一切なしで 血糖値も正常に戻った。
 
今でも規則正しい生活を心がけ、瞑想も定期的に行っている。
 
おかげ様で、心身共にすこぶる好調である。
 

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今朝、例の体重計に乗ったら・・・
 
体年齢が41歳と表示された。
 
このままだと、10年後には31歳と表示されるのではあるまいか?
 
 
 
前置きが長くなったが、本題に入ろう。
 
7月のリトリート参加予定者から、質問があった。
 
「瞑想はしたくなったらするという感じでやっています。何か準備した方が良い事はありますか?」
 
 
瞑想とは「する事」から「ある事」への橋渡しだ。
 
だから、「ある事」がわかれば瞑想する必要はないはず。
 
しかし例え魂の目覚めが起こっても、生きている間は、この心身に魂は宿る。
 
どんな名演奏家でも、楽器のチューニングは欠かせない。
 
同じくどんな覚者でも、心身のチューニングは必要だ。
 
 
だから例え短時間でも良いので、定期的な瞑想を心がける事をお勧めします。
 
そうすれば、いつでもこの大宇宙とチューニングして、素晴らしい響きであなたの人生を奏でる事が出来るでしょう(*^-^)

シンクロニシティ

2016年6月16日(木) by キヨタカ

今朝は、施設の庭の草刈りをしながら、やたらMさんの事が気になった。

Mさんには、長いことリーラスペースの手伝いをして頂いた。

草刈り機を使った仕事など、夏場はかなりの重労働なのだが、いやな顔一つせずとても楽しそうに手伝ってくれた姿が脳裏に浮かぶ。

リトリートでは毎回とても素晴らしいエネルギーを分かち合ってくれたので、懐かしく思う参加者の方々も多いだろう。
 
 
「自分を捨てるためインドへ行く」
 
・・・ という言葉を残して旅に出た。
 
あれから早くも2年近くが経過しようとしている。
 
「Mさん今頃どうしてるだろうな~?」
 
「元気にしてるかな~?」
 
「もしかして、インドの山奥で路頭に迷っているのではあるまいか?」
 
等々、どんなにノーマインドで草刈りに励もうと思っても、マインドの会話が止まない。
 
 
庭仕事を終え、風呂に入って一息。
 
パソコンを開いてメールをチェックしたら・・・
 
Mさんから久しぶりのメールが届いていて、びっくり仰天してしまった。
 
これって、教科書に載ってるみたいな典型的なシンクロニシティだ!
 
 
* * Mさんのメール * *
 
キヨタカさん ヨガビさん
 
お久しぶりです。
 
おふたりともに、またその他の皆々様もお元気でしょうか。
 
私は元気でやってます。
 
ネパールのポカラからムクティナート
(トレッキングルートで有名なアンナプルナサーキットの一部)
 
に巡礼に行ったり、
 
ルクラからエベレスト街道を北上して、ゴーキョまでトレッキングしたり。
 
三ヶ月ほどネパールで過ごして、6月上旬に再びプッタパルティに帰ってきたところです。
 
7月の下旬に日本に一時帰国予定です。
 
(略)
 
 
とても元気そうで何より。

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トレッキングの最中に撮影したと思われるヒマラヤの素晴らしい写真も届いた。
 
夜明け前の絶景である。
 
何やら、真実の光が差し込み始めたMさんを彷彿とさせる。
 
帰国したら、インドの体験をたっぷり語ってもらう予定。
 
ついでに、環境整備もお願いしようヽ(´▽`)/
 
と今から虫の良い画策をしている。
 
 
写真:ヒマラヤ山塊と氷河 by M upwardright
 
標高5360メートル(ゴーキョピーク)からの日の出前

病気は治る!

2016年6月15日(水) by キヨタカ

昨日倉庫を整理していたら、とても懐かしい本が出てきた。Unknown
 
川竹文夫著「幸せはガンがくれた」
 〜心が治した12人の記録〜
 
ガンは治る。進行したガンも、手遅れになってしまった末期ガンも、やはり治る。
 
と、最初のページから強烈な書き出しだ。
 
 
川竹氏は元NHKの番組ディレクター。
 
自身が肝臓ガンを発病。
 
その体験をきっかけに、ガンの自然退縮や生還者の取材を始め・・・
 
NHKのスペシャル番組 『人間はなぜ治るのか』を制作。
 
当時大きな反響を呼んだが、その時の取材を元に書かれた本である。
 
 
15年ほど前、私の姉がガンになった。
 
「ガンは治るよ!」
 
と姉を励まし、
 
早速この本を姉に贈った。
 
姉はとても感動して、川竹氏主催の患者の会にも入って前向きに生き始めた。
 
しかし、残念ながら亡くなってしまった。
 
 
その後、ガンを患った親戚やら友人やらが代替医療の甲斐もなく次々と亡くなっていく様子を知り・・・
 
安易に「ガンは簡単に治るよ!」とは言わなくなってしまった。
 
自分にとって正しい事が、そのまま相手にとって正しい事ではないからである。
 
 
 
しかし、今でも「ガンは治る」と確信している。
 
それどころか、最近では「病気は本来治るもの」という絶対的な確信を持ち始めている。
 
ガンや糖尿病など、生活習慣病が治るのは当たり前だ。
 
身体は車と同じく魂を載せる道具だ。
 
間違った運転をすれば、車はすぐにポンコツになる。
 
正しい運転をすれば、車は最高の性能を発揮するのと同じ理屈だ。
 
 
さらには、病気の原因がDNAに起因するものであっても治る。
 
意識の力で、DNAを望む姿に改善できるからである。
 
身体は道具ではあるが、車と違い単なる物質ではない。
 
意識と密接につながり、絶えず新陳代謝をくりかす有機体だ。
 
意識が変化することで、DNAも変化する事は、科学的にも立証されつつある事実である。
 
 
しかしそのためには、自分の病気に対する責任を完全に認める必要がある。
 
自分の病気は自分が創った。
 
だから、自分の病気は自分で治せるのだ。
 
 
この本の最後のページも、なかなか強烈な言葉で締めくくられている。
 
一人でも前例があれば、あなたが二人目になれる。
 
前例がなければ、あなたが一人目になれる。

ザ・ウォーク

2016年6月11日(土) by キヨタカ

昨晩、ネット配信で映画『ザ・ウォーク』を鑑賞。20160118185554
 
フランスの大道芸人、フィリップ・ブティが世界貿易センタービルの2つのタワーにケーブルを張り、命綱なして渡った実話を映画化したもの。
 
 
当時の貿易センタービルは、世界最高の地上411メートル。
 
ビルの端から下を見下ろしただけで、普通の人は震え上がると思うのだが・・・
 
彼は何度も横断し、ワイヤーの上に座ったり横たわったり・・・
 
 
数年前にバランス感覚を鍛えようと、スラックラインという綱渡りのスポーツをかじったことがある。
 
『綱渡りくらい練習さえすれば誰だった出来るさ!』と思いきや・・・
 
実際にやってみて、それがとてつもなく難しい事は既に体験済み。
 
だからこの映画を見て、率直に凄いな〜と感動。
 
 
常識からすると、こんな危険な事に命をかけるなんて、おバカを通り超して狂気としか思えない。
 
しかしこうしたクレージーな人々が、様々な分野で人間の限界に挑戦し続ける事で、人間の可能性を新たなステージへと引き上げてくれるのである。
 
ビルからロープへと一歩踏み出した瞬間から、全神経は綱渡りに集中し、恐怖心や雑念は一切ない。
 
これはもう、瞑想が深まったサマーディ(三昧)と言われる境地そのものと言える。
 
 
スポーツには、エキストリームと言われるジャンルがある。
 
ロッククライミングやスカイサーフィン、ウィングスーツ等々、ちょっと間違えれば確実な死が待っているとんでもないスポーツだ。
 
彼らは自らを死の危険にさらす事で、『今・ここ』でしから味わえない『生命の歓喜』を味わっているのである。
 
フィリップ・ブティは、この危険な綱渡りを『アート』と表現していた。
 
 
我々は瞑想を通して、エクストリームスポーツ愛好者と同じ境地を味わう事が出来る。
 
命もお金も体力も使わずに・・・しかも安全確実に。
 
瞑想とは、『生きている喜び』を味わうアートだ。
 
実に有り難い(*^-^)
 

過去と未来からの解放

2016年6月9日(木) by キヨタカ

瞑想とは、『今・ここ』というリアリティに寛ぐ事だ。
 
過去は既に過ぎ去り、未来はまだ来ていない。
 
だから私たちは『今・』存在しているのは明白だし、寛ぐ場所も『ここ』以外にはありえない事は、子供でも良く分かる理屈だ。
 
 
にもかかわらず、マインドは過去や未来を彷徨し、決して『今・ここ』に寛ぐ事はない。
 
この最も当たり前の真実に、どうやって目覚めるか?
 
つまり、過去と未来から、どうやって解放されるか?
 
そして、それをどうやって縁のある方々に伝えるか?
 
それが、私の長年のテーマだった。
 
 
あれこれと試行錯誤の日々を送っていたけれど・・・
 
最近、ようやくその非常に効果的でパワフルかつ簡単な方法が私の中で確立されつつある。
 
具体的なやり方をここに書く事は出来ないが・・・
 
過去の出来事は、それをあるがままに受け入れてそっくり肯定し愛と赦しを与える。
 
未来は、イマジネーション使い、それが成就した姿を想定し(想定の法則)、満たされた感覚を味わう。
 
すると、過去や未来からの束縛から自由になり、『今・ここ』のリアリティにごく自然に寛げるようになるのである。
 
 
先日スカイプセッションでお伝えしたところ、とても嬉しいフィードバックを得た。
 
私の中に、この技法をシェアする事への確信が生まれつつある。
 
過去からの解放だけでは、まだ自由に羽ばたく事は出来ない。
 
未来からも解放される時、私たちは真の自由を手にして、創造的で主体的な人生を生きることが可能となる!
 
 
次回のナイトイベントat新宿では、ぜひともこの方法を皆さんにシェアしたい。
 
 
 
*  *  Sさんの感想 * *
 
6回にわたるセッションありがとうございました。
 
ハートに未来も取り込む瞑想。
 
あれから、毎日しているのですが、毎回とても素晴らしいです。
 
 
完全に今ここにいて、ハートから生きる。
 
そのためには、未来に何かを描く、とか、ああなりたい、こうしたい、これが欲しい。
 
をいつの間にか、どこかセーブしようとしていたことに気がつきました。
 
抑え込まないで、それを味わいつくしてみて。というキヨタカさんのお話し、
 
え~???ととっても驚きだったのですが
 
その抵抗を手放したら、それらが昇華されていく感覚といいますか、
 
もうあらゆることが既にあっていい。
 
ポジティブもネガティブもすべて私の中にある。
 
そう受け入れたときに、それがすべて消えていく。
 
そんな感覚です。
 
 
この感覚を求めて、わたしはネガティブばかりを癒して、消しつつ、
 
ポジティブには執着し過ぎないように、知らず知らずと抵抗し、受け入れていなかったことに気が付きました。
 
どれも、味わい尽くして、消えていく。
 
考えもしなかった方法です。
 
 
けれど、どちらもハートで受け止めたときに、、
 
こんなにも深い安らぎと満足感があり、同時にそこに何もない感覚があることが
とても嬉しいです。
 
どうであってもいい。という感覚が愛と一緒にある感じです。
 
上手く表現できませんが。。。
 
ありがとうございました。
 
(略)
 
セッション前とは何もかも同じようで、何もかも違うような不思議な感じです。
 
by S

行くみちだから

2016年6月7日(火) by キヨタカ

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 ヨガビの父親と一緒に過ごすため、現在名古屋の実家に滞在中。

母親の腰痛がひどくなり姉の家に引き取られたため、父親の方は現在一人暮らしを余儀なくされている。

『引っ越すのは絶対イヤ! 独り暮らしがいい。』

と頑固一徹。

そこで独り暮らしのサポートが色々必要となり、3月からは毎月名古屋に通っている。

 

名古屋到着早々近くのコンビニでコーヒーを注文したら、『おまけ』のお菓子がついてきた。

名古屋の喫茶店は、モーニングサービスの充実度が半端でないのは常々驚ろかされていた。

しかし、 その影響がコンビニまで及んでいるとはヽ(´▽`)/

ほんの些細なサービスでも、期待していなかった事だから実に嬉しい。

 

Img_2781 今日は義父を連れて、知多半島の温泉宿で一泊。

こうする事で、多少はボケ防止に役立っていると思う。

私の実母も高齢で、毎月一週間は実家で一緒に過ごしている。

「本当はもっと瞑想イベントに力を注ぎたいのに、現実は親の介護に相当のエネルギーを費やしてばかりいていいのだろうか?」

 

・・・と疑問を感じつつ温泉宿の露天風呂で履物を脱ごうとしたら、

Img_2778_3 ハッとさせられる寸言が下駄箱の上にあるのを発見。

 『子供叱るな 来たみちだから

  年寄り笑うな 行くみちだから』

 

確かに、その通りだな〜。

たとえどんなに健康で長生きしても、やがて身体は衰えて不自由になって行く。

逢うたびに少しずつ衰えて行く親の姿に正面から向き合う事で、とても貴重な学びをさせてもらっている事を今回もこうして再確認させられ続けている。

宿命と運命

2016年6月5日(日) by キヨタカ

先日ヨガビが、『算命術の占い』を受けた。
 
聞けば、某商店街の路上占いだという。
 
なんだか面白そうだし値段も割安なので、さっそく私も鑑定を受けてきた。
 
 
算命術は、秦の始皇帝時代にまで遡る中国王宮の一子相伝の占星術だという。
 
文化大革命までは門外不出の秘伝だったとか・・・。
 
 
占いは、「当たるも八卦 当たらぬも八卦」だから、何と言われてもであまり深刻になる必要はない。
 
しかし私の場合、興味本位で何にでも首をつっこむ傾向がある。
 
だから今まで 、西洋占星術、インド占星術、手相、人相、タロット、姓名判断、数秘術からヒューマン・デザインシステムやチャンネリングに至るまで、様々な占いの類を受けてきた。
 
 
不思議な事に、どの占いでも同じ様な事を言われ続けていて、矛盾があまりない。
 
例えば、『一生お金に困らない』とか、『女難の相はない』とか、『運がいい』とか、『老いてますます盛ん』とか『サラリーマンには向かない』とか『人に伝える事を仕事にすると良い』、とか、とか・・・。
 
 
算命術に関しては名前は知っていたが、今まで受ける機会がなかった。
 
もしかしたら今回は予想外のとんでもない事を言われるかと多少期待していたのだが・・・
 
予想に違わず、今回もまた同じような事を言われた。
 
 
しかし、これはもう偶然なんかではない事は明らか。
 
森羅万象の背後に、この宇宙を貫く真理の法則が厳然と存在している。
 
世の中の占いとは、この捉えようのない法則を捉えようとする試みだと言える。
 
だから、アプローチは様々だが、結局は同じような結論になるのだろう。
 
特に私の場合、裏と表があまり複雑に絡み合っていないので、占い師にとってはとてもわかり易いサンプルのようだ。
 
 
最初は単なる鑑定だったのだが、最後は『宿命と運命』の話で鑑定師さんと大いに話が盛り上がった。
 
 
算命術によると、生まれながらに既に決まっている『宿命』(性別や時代、人種等)と、自分で選択していける『運命』(仕事や結婚や趣味等)とがあると言う。
 
そして宿命に沿った選択をし続けると、運命が好転して行く。
 
しかし 宿命に反する生き方をし続けると、病気や事故にあったりすると言う。
 
だから、病気は事故は、誤った選択に気づきをもたらすとても良い機会になるそうだ。
 
 
私の経験上、まさにその通り!
 
宿命とは、『魂のブループリント』と相似している。
 
人生を生きる上で、魂のブループリントに整合した選択をすると、魂は喜こび、人生は好転していく。
 
魂のブループリントを無視した選択をし続けると、魂は苦しみ、様々なトラブルが起こる。
 
 
しかし、人生のトラブルを恐れる必要はない。
 
トラブルは、魂の声に耳を傾ける最大のチャンスの訪れであり、これから運命が大いに好転していく絶好の機会なのだ!

 頭がまっ白

2016年6月4日(土) by キヨタカ

 今日は早朝から富士見荘斜面の草刈り。
Bw_jaws_20120130
 
傾斜が45度以上あり、両足を踏ん張っても草刈り機を扱うのが難しい。
 
垂直高も10メートルを超え、ちょうどハワイの伝説の大波、ジョーズのよう。
 
だから、ウィンドサーフィンの波乗りのつもりで体を動かしたら、何だかハワイのホオキパ・ビーチにいる様でとても楽しかった♫
 
 
夏場になると、雑草は恐ろしいくらいの勢いで茂る。
 
ここの施設の敷地はとても広くて、毎週の様に草刈りをしなければならない。
 
だが 「〜ねばならない」というスペースで仕事をすると、疲労困ぱいになる。
 
こうした状況の時は、クリエイティブなイメージがとても役立つ様だ。
 
ハワイのジョーズでウィンドサーフィんを楽しんでいる自分の姿をイメージをしたら、エネルギーがどんどん湧いて来る。
 
お陰様で、予想よりずっと早めに作業を終える事が出来た。
 
 
風が良いので、そのまま海へ。
 
暗くなるまでひたすらウィンドに没頭。
 
一日中体を動かしていたのでさすがに疲れるだろうと思ったのだが・・・
 
逆にハイになってしまった。
 
脳内物質のドーパミンが過剰に出まくっているに違いない。
 
頭の中が真っ白で、何も考えられないのだ。
 
 
「今日は頭の中が真っ白だから、日誌は書けないよε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…」
 
とヨガビに言ったら・・・
 
「頭が空っぽの状態で、何か書いたら面白いかもよ!」
 
という訳で、今も日誌にトライ。
 
 
結局のところ、たいして面白くない内容となってしまった( ̄Д ̄;;
 
この「頭の中がまっ白」という感覚はとても心地よく、「既にある喜び」へアクセスする最良の方法ではあるまいか?

6連続セッション終了

2016年6月3日(金) by キヨタカ

 本日、Sさんの6回目のスカイプセッションが無事終了した。
 
毎回とても深い瞑想が起こり、セッションのたびに成長していく姿がよくわかりとても楽しかった。
 
 
今改めて調べてみたら、最初のセッションは昨年の12月である事が判明。
 
セッションのたびに素敵な感想を送ってくれている。
 
せっかくなので 、最初に受け取った感想を転載させて頂きます。
 
 
* * Sさんの感想 * *

キヨタカ さま。
 
Sです。

先日は、セッションありがとうございました。

私にとっては、とっても画期的な体験でした。

今までは、漠然とした瞑想で、どの状態がどの状態よりより深い?いい感じ?

なのかもよくわからずだったのですが、

瞑想にこうした明確なガイドラインのようなものがあることで(あることすら、思いつかなかったことが不思議ですが!

というより、私のサイキックがより目覚めればいつかクリアにいろいろビジョンが見える、啓示の時間になるのかと思っていました(汗))

なんといいますか、道がある!という感覚があり、とっても喜びを感じています。
 
 
State of presence は努力が必要で、筋トレのようなもの。
 
という言葉もまた、私にとって響くものがあり、あの後は、ひたすらやってみました。頭が熱くなり、なんだか骨が移動しているような感覚がありました。
 
そして、翌日は、一日、私の奥深いところにある喜びのような感覚が増しているように感じて、
こんなに効果があることに驚いています!
 
それも、とっても簡単にできますよ。 
 
のキヨタカさんの言葉通り、ちょっと意識する方法を変えるだけで!!!今までどうして誰も教えてくれなかったんだ~。 
 
というか、これは、みんな知っていることなのか~?!と驚いています。
 
 
と、同時に沢山質問したいことが浮かびあがり、そんなモードの私(State of presenceや何かガイドラインのようなものがあるということに沿っていくモード)と、
 
ただ、ハートにリラックスしている感じの時の、努力なく、なんとなく、質問が消えていくようなモードの私といて、 
 
どうしたらいいのかな?どっちがいいのかな?と、ちょっと新たな混乱というか、迷いも生まれてきました。
 
ぜひ、またセッションをお願いいたします。 
 
6回連続セッション希望です。

脳内ホルモンと瞑想

2016年6月2日(木) by キヨタカ

 昨日の日誌で・・・

ハートの瞑想をすると「愛情ホルモンのオキシトシンが大量に分泌されて幸せを感じられます(*^-^)」

と、紹介した。

 

しかし、一般に「幸せホルモン」としては、セロトニンの方が良く知られている。

『精神的な安定をもたらし、幸せな気分にしてくれる脳内物質』として有名だ。

これこそ、まさに瞑想を通してビーイングに寛いだ時に味わえる境地そのもだ。

 

さらに、瞑想と脳内ホルモンとの関係では、ドーパミンも重要だ。

ドーパミンは、『意識をクリヤーにして集中力を高めて、気力を充実させる作用』があるという。

これは、まさに瞑想による覚醒作用そのものだ。

特にプレゼンスにワークし続けていると、意識の覚醒が高まりドーパミンの作用をダイレクトに感じられる。

 

但し、過ぎたるは及ばざるが如し。

ドーパミンに頼り過ぎると、異様な高揚感に支配され精神のバランスが失われる。

セロトニンにより精神的安定感と落ち着きを取り戻す必要がある。

瞑想の修行としてプレゼンスだけをワークしていると、意識は覚醒しても落ち着きが失われる。

だから、プレゼンスと並行してビーイングへ寛ぐことが非常に大切だ。

この事は、脳内ホルモン的には『ドーパミンとセロトニンのバランスを取る』と言う意味でも大切なんだと改めて気がついた。

 

ところで、今日スカイプセッションを受けてくれたAさんから、お便りをいただいた。

 
今日もご指導ありがとうございました。
 
最近はメンタルの調子が悪くて、文字通り悲しみに包まれているような感覚にいたのですが、今日のパワフルな瞑想のおかげでネガティブオーラが吹っ飛んでしまいました。
 
セッション終了後の余韻もすばらしく、体と精神と世界が境目なく一体になったような感覚を感じます。
 
また次回もよろしくお願いします。
 by A
 
スカイプ瞑想を通して、ドーパミン、セロトニン、さらにはオキシトシンがバランス良く分泌された結果だろう。
 
瞑想により、脳内ホルモンが理想的に作用するようになると、灰色の人生もバラ色となる。
 
 
PS ドーパミンは、スポーツをする事でも放出される。
 
私は趣味でウィンドサーフィンにのめりこんで久しいが、難しいジャイブ(方向転換)なんかがバッチリ決まったりするとドーパミンがドバ〜ッと出まくって、病みつきになる。
 
 
今日は朝からセッションをしたり草刈りをしたりと忙しく、海へは行けなかった。
 
しかし草刈りの最中にとても良い風が吹いてきて、海へ行く衝動を抑えるのに苦労した。
 
ドーパミン依存症にならぬように、気をつけよう。
 
 
海に行かなくたって、ただ在る事の喜びは感じられる・・・
 
セロトニンさん、宜しく(o^-^o)
 
*先日、実家滞在中に利根川へ遊びに行って、動画を撮ってもらいました。
 

オキシトシン

2016年6月1日(水) by キヨタカ

 夕食後に寛いでいたら、母から電話。
 
慌てた声で、「見て、見て!」と叫んでいる。
 
 
キヨ:「どうしたの? また転んだ??」
 
母:「大至急テレビ見て、テレビ! NHK!!」
 
キヨ:「テレビはないよ。駐車場まで行けば、車で見れるけど(^-^;」
 
母:「絶対に見て!!」
 
・・・あまりしつこく言うので、100m先の駐車場まで出向いて車内TVをオン。
 
 
人気番組の『ためしてガッテン』が放映されていた。
 
今回のテーマは:『痛み&認知症に効く!「癒やしホルモン」の驚きパワー』
 
 
内容を要約すると:
 
体の痛みが驚くほど軽くなったり、ウツや認知症の症状がピタリと止まったり。
 
それを実現してくれるのは、あなたの体の中の「癒やしホルモン」です。
 
そのホルモンの名前は「オキシトシン」。
 
親しい人に体に触れられた時などに、脳から出てきます。
 
その癒やし効果は大変大きく、関節の痛みや日ごろのストレスを大きく緩和することが分かっています。
 
そのためスウェーデンや日本では、痛みやストレスを抱える患者さんを対象に背中などをさすってあげる「タッチケア」を行っている医療機関が多くあります。
 
ほかにも、認知症の徘徊が減ったり、血圧が下がるなど、触れることで出るホルモン「オキシトシン」の可能性は計り知れません。
 
 
 
『タッチケア』の効果を、驚くほどポジティブに取り上げいた。
 
OSHOの世界に長年親しんでいた事もあり、タッチしたりハグしたりする事は私にとっては日常生活の一部で何とも思わなくなってしまったけれど・・・
 
改めてその効果を紹介する番組を見ると、「なるほどね〜」と、うなずく事しきり。
 
 
母が帯状疱疹後神経痛を患ってから、長い年月が経つ。
 
その間、様々なヒーリングテクニックを試してみたのだが、その効果は残念ながらあまり感じられない。
 
 
しかしこの番組によると、非常に簡単なタッチ(背中を10分間、週3回)で驚くほどの効果があると言う。
 
母に関しては、ヒーリングをあまり難しく考え過ぎていたのかも知れない。
 
今度実家に帰ったら、さっそく番組で紹介されていた簡単なタッチを試して見ようと思う。
 
 
 
ところで、この「オキシトシン」というホルモン、瞑想の時にも出る事は間違いない。
 
特にハートの瞑想をすると、オキシトシンが大量に出まくるようだ。
 
「私がただ在る事の喜び」などと言うと、何やら抽象的で理解されにくい。
 
しかし、ハートの瞑想をすると「愛情ホルモンのオキシトシンが大量に分泌されて幸せを感じられます(*^-^)」
 
と瞑想の功徳を紹介すれば、世間的にはより説得力がありそうだ。

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