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2016年8月

プレゼンスの弊害?

2016年8月31日(水) by キヨタカ

 自我は絶えず、『他人からどう思われるか』を気にする。
 
そもそも、自我はそれ自身をダイレクトに知る事が出来ない。
 
なぜなら、人間の感覚である五感(視・聴・触・味・臭)は外側に向かって開かれているから。
 
そこで自我は、必ず周囲の人間の反応を通して自己イメージを形成する。
 
しかし、他人の反応をベースにしている限り、絶対的な安心感は得られない。
 
自我そのもに、絶対安心の境地は在りえないのだ。
 
 
五感を通して、他者に向かう意識(気づき)のベクトルを逆転させた時、驚くべき事が起こる。
 
気づきが気づきそのものに気づく。
 
それが、ステート・オブ・ブレゼンスであり、真我の目覚めの始まりだ!
 
プレゼンスは、それ自身で完結している。
 
だから、『他人からどう思われるか』を気にしなくなり、生まれて初めて本当の自由の境地を味わえる。
 
 
しかし、それはまだ始まりに過ぎない。
 
次のステップは、このプレゼンスをビーイングへと手放して、遍在するする気づきへと広げる必要がある。
 
すると、とても穏やかで寛ぎに満ちた気づきへとシフトしていく。
 
そうすれば、自己の中心軸を失う事なく、もう一度気づきのベクトルが外側に向かうようになる。
 
そして、絶えず周囲にも自然に気をくばる事ができるようになる。
 
 
・・・とは言うものの、プレゼンスのみを修行してしまうと、周囲への配慮が欠けてしまう弊害が起こる。
 
ひどくなると、自我がプレゼンスを隠れ蓑にしてしまう。
 
だからプレゼンスを修行すればする程、自我が強化され、よりエゴイスティックになってしまうのだ。
 
 
瞑想修行が熱心な人ほど、その罠に陥りやすい。
 
私の場合も、プレゼンスの修行をやり過ぎたようで、プレゼンスの罠に落ちた。
 
それはエゴイスティックな罠とは違い、周囲への無配慮という罠だ。
 
周囲にはあまり振り回されなくなったけれど、周囲への気づきがさらに欠けてしまった。
 
 
例えば、子供の頃から、忘れ物の多いキャラクターだった。
 
プレゼンスの修行を始めたら、その傾向に拍車がかかった。
 
気づきそのものに全エネルギーを注いだ結果、周囲への気づきがさらに失われてしまったのだ(ρ_;)
 
 
だから、最近は意識的に気づきのベクトルをもう一度外側に向け直す努力をしている。
 
それは努力というよりも、『より自然な寛ぎに満ちた周囲への配慮』なのだが・・・
 
子供時代に形成された条件付けというのは、治すのは難しい。
 
 
あいかわらず、失くし物の名人だけど・・・
 
最近、少しだけ忘れ物をしなくなったように思う。
 
変化は微々たるものだけれども、『子供時代の物忘れ⇨老齢化⇨記憶力低下⇨さらなる物忘れ⇨認知症』という自然の流れに逆行して少し改善しているのだから、
 
本人は大満足(o^-^o)

瞑想とDNA

2016年8月29日(月) by キヨタカ

 昨日から、早朝ひぐらしの声を聞かなくなった。
 
庭には彼岸花が咲き、駐車場には栗が沢山落ちていて・・・Photo
 
もうすっかり秋の気配。Photo_3
 
 
毎年、季節の変わり目には風邪を引いたものだが、最近はそういう事がない。
 
ここ数年は、体調が悪くなって寝込んだりした事もなく、病気を全くしなくなった。
 
風邪や病気は、肉体が本来の機能を回復させる自然治癒力のなせる技だから、ある意味とても大切だ。
 
『もしかして、病気になれない病気にでもなったのか?』
 
と、少しばかり心配していたが・・・
 
 
先日のサイエンスZERO を見てひと安心。
 
番組によれば、瞑想により海馬や扁桃体といった脳の構造が変わるだけではない。Img_0118
 
なんと、病気やストレスに関係してる遺伝子の活動までも変わる事が明らかになった!
 
 
世界的な脳科学者リチャード・デビットソンによれば、わずか1日瞑想しただけで、RIPK2遺伝子の活動が劇的に変化した事を突き止めた。
 
RIPK2遺伝子の活動が抑えられる事で、老化や肥満、ガン等も抑えられるそうだ。
 
 
ウーン、素晴らしいヽ(´▽`)/
 
そういえば、毎年私を苦しめる花粉症だが今年の春はほとんど発症しなかった。
 
これも、おそらく花粉症に関わる遺伝子が変化した結果ではなかろうか?
 
 
冗談交じりで、『120歳まで元気で生きるぞ!』と日々豪語してるけれど・・・
 
瞑想により、サーチュイン等の長寿遺伝子を活性化すればいい。
 
さらには、生物の寿命を決定するというテロメア自体を引き延ばす事だって可能だろう。
 
 
人間の可能性には、驚くべきものがある。
 
病気知らずで健康で長生きする肉体を手に入れる事が、瞑想と科学が相互に影響しあう事により可能な時代に入ったのだ。
 
瞑想で『在るだけで幸せ』になれるのだから、さらに『健康で長生きする肉体』なら、鬼に金棒である。
 
魂が金棒のように丈夫で健康な肉体に宿れば、世界は文字通り天国となる(* ̄0 ̄)ノ

脳の可塑性

2016年8月27日(土) by キヨタカ

最近、運動神経が良くなった。
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ダイエットに成功して体が軽くなったせいもあるが、ウィンドサーフィン練習の成果が如実に現れたせいだと思う。
 
 
今からちょうど15年前、ヨガビとディンギ(超小型ヨット)に乗った事がある。
 
風や波の変化に応じて、適宜身体を動かして艇のバランスを保つ必要があるのだが・・・
 
動こうと思っても、艇に身体がデーンと張り付いてしまって全くバランスが取れない。
 
『まるでタヌキの置物ネ』
 
とヨガビに笑われてしまった(ρ_;)
 
 
それが今では、どうだ(* ̄0 ̄)ノ
 
「俺って、もしかしてロビー・ナッシュ?」
 
と思うくらい、ウィンド界のレジェンドを彷彿とさせるジャイブが決まる事すら・・・
 
ごくたま〜にある。
 
 
ヨガビに笑われた当時の年齢は47歳。
 
還暦を過ぎた今の方が、遥かに運動神経が良くなったのである。
 
ついでに言うと・・・
 
五合目から富士山に登ろうとして六合目でギブアップしたのは、確か45歳の時。
 
体力も、今の方が遥かに上廻っている。
 
「運動神経や体力は、年齢とともに不可逆的に衰える」
 
というのが世間の常識だ。
 
「俺は少し変じゃないか?」
 
と少しばかり心配していたのだが、先日の番組を見て納得。
 
 
2004年に、『脳の可塑性』が発見されたそうだ。
 
つまり、脳は使う事により、例え高齢の人でもそれなりの変化が起こり、向上すると言う。
 
そして、瞑想により、脳の機能が変化する事が証明されつつあるんだとか。
 
だから、私の運動神経が還暦を過ぎて良くなった事は、決して変な事でも不思議な事でもなく、至極当然な事なのだ。
 
『脳の可塑性』の発見は、青春時代のピークを過ぎて『人生はこんなものか』と諦めかけている人々に大きな希望を与えてくれる。
 
そして、瞑想こそが『脳の可塑性』の最大の肝だと、番組が言うのだから嬉しい限りだ!

在るたけで幸せ

2016年8月26日(金) by キヨタカ

 昨日の日誌で書いたように、NHKの番組によれば、今やビジネスマンの間で瞑想が大ブーム。

瞑想が脳に良い効果がある事が科学的に証明された事、さらに瞑想から宗教性を排除して「マインドフルネス」とネーミングされた事で、宗教を超えて世界中に広まっている。

さらに医療の現場でも、マインドフルネスが活用されているそうだ。

 

人は誰もが幸せを望んでいる。

友人のF氏によると・・・

人がこの世界で幸せになるには、3つの分野を満足させる必要がある。

1、お金

2、人間関係

3、健康

の3つだとか。

 

なるほど、とても説得力がある。

ビジネスで大金を手にしても、家族を不幸にしたら幸せとは言えない。

どんなに素晴らしい人間関係を築いても、病気ばかりでは幸せからは遠い。

どんなに健康でも、貧乏だったら、資本主義社会で幸せでいることは難しい。

瞑想でこの3つの分野が満足できるなら、瞑想こそが幸せへの王道だヽ(´▽`)/

しかも、それが科学的に証明され始めたと言うのだから、これからは瞑想が広く世間一般に広がると思う。

だから、この番組を見てとても嬉しかった(*^-^)

 

しかし、 私が瞑想を通して分かち合いたい幸せは、かなり違う。

もしも有り余る大金と、 溢れんばかりの健康と、素晴らしい人間関係に恵まれたとして、それで本当に幸せと言えるだろうか?

お金も、人間関係も、いずれ消え去ってしまう。

私のように、「120歳まで生きるゾ!」と豪語していても・・・

どんなに健康な肉体も、いずれあの世へと消え去ってしまう。

 

私が分かち合いたい幸せとは・・・

大借金を背負い、愛した人に裏切られ、病気で寝たきりになってなお、

「あ〜、私が私で在ることが何よりの幸せ(*^-^)」

と、心からしみじみと思えるそんな幸せを分かち合いたい。

「そんなノーテンキな事を言って、現実世界をどうする( ̄Д ̄;;」

と心配になるだろうが、それは絶対に大丈夫。

そんな究極の幸せを味わっているあなたを、この大宇宙が無視するわけがない。

お金も、人間関係も、健康も、望むものは何であれ、気前よくサポートしてくれるだろう。

遂にここまで来たか!

2016年8月25日(木) by キヨタカ

先日、NHKオンディマンド(動画配信サービス)で、瞑想に関する番組が配信された。
 
私のお気に入り番組:「サイエンスZERO(サイエンスゼロ)」で、今回の特集は、
 
 
「いや〜、NHKも遂にここまで来たかw(゚o゚)w」と感激している。
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あれは今から、26年前の1990年の春。
 
7年に渡る瞑想修行を終えて、インドから日本に帰国。
 
「新しい瞑想技法を広く日本に普及する事で、この日本から新しい人類の夜明けが始まる!!」
 
と意気込み、様々な瞑想の普及活動に取り組んだ。
 
『瞑想とビジネス』というタイトルで、ビジネスマン向けの瞑想講座を開いたりもした。
 
が 、結果はイマイチだった(ρ_;)
 
今から振り返ると、反省する理由が多々あれど・・・
 
一言で言うと、『タイミングが早過ぎた』という事に尽きる┐(´д`)┌ヤレヤレ
 
 
あの時代に瞑想に関心を持つ人は、生きる事に苦悩して仕事や人生がままならない方々が大部分だった。
 
だから、せっかく瞑想リトリート等に参加して瞑想の素晴らしさに目覚めても、
 
会社を辞めてインドへ旅立ってしまったり、離婚したり、etc・・・
 
社会からドロップアウトしてしまうのだ(;ω;)
 
逆に世間でバリバリと仕事をこなし楽しく人生を送れる人々は、瞑想に全く関心がない。
 
「仕事と瞑想」の両立は、「水と油」を混ぜるくらい非常に難しかった 。
 
 
ところが・・・
 
この番組によれば、今の時代は、瞑想が大ブームらしい。
 
今、めい想が大ブーム! 
 
宗教性を排除したことで、「マインドフルネス」の名で世界中に広まっている。
 
ビジネスの世界では効率をアップさせると大人気。
 
さらに医療の現場では、うつ病の再発防止などでも応用されている。
 
理由は、最新の脳科学により、わずか数日の実践で脳が改善することが分かってきたためだ。
 
番組では簡単に実践できるマインドフルネス法もご紹介!
 
脳が劇的に変化を遂げ、ストレスから解き放たれる秘密に迫る!
                                   (上記 NHK番組紹介サイトから)
 
 
瞑想から宗教性を排除したら・・・
 
『炭酸の抜けた炭酸水を飲むようなもので、ほとんど意味が無い(゚Д゚)ハァ?』
 
と、昔の私なら嘆いたかも知れない。
 
しかし今は違う!
 
最初の動機が何であれ、1日20分程度でいいので瞑想にトライする価値がある。
 
最低3週間続ければ、その違いが明白となる。
 
 
そして、「仕事と瞑想」に矛盾が生じたら・・・
 
仕事を辞めるのではなく、仕事を瞑想に沿うように変革して行く。
 
社会をドロップアアウトするのではなく、瞑想的雰囲気が漂う新しい時代を創造していく力を手に入れるのだ!
 
 
やみくもに競争を煽り立て、不要な商品や有害な食品や薬を売りまくり、ストレスや病人や暴力と倒錯だらけになりつつつある社会は、もうそろそろ終わりにしたいものだ。
 
瞑想を通して、それが可能な時代になった事を確認出来た事が非常に喜ばしい。
 
 
さて、瞑想とは何なのか、少しこの番組を深追いしながら詳細を検討してみよう。

Her 世界でひとつの彼女

2016年8月20日(土) by キヨタカ

 Macが不具合になってから、いつの間にかMacに頼り切っている自分を知り愕然。
 
最近は、iPhoneのSiri(音声認識機能)にも、完全に依存している。
 
夜中に目をさますと・・・
 
キヨタカ:「ヘイ!シリ、今何時?」
 
シリ:「今は午前3時です。まだ寝ている時間です。」
 
朝起きると・・・
 
キヨタカ:「ヘイ!シリ、今日のスケジュールは?」
 
シリ:「今日は3件の予定があります。午前8時30分から、スカイプセッション、午後3時に・・・」
 
運転中だって、シリを使ってメッセージを送信したり・・・(→かなり危険だから止める!!)
 
最近のIT技術の進歩には驚くべきものがあり、人工知能(AI)が人間の知能を凌駕する日もそう遠くはなさそう。
 
もっとも私の場合、スケジュール管理や計算能力等々で、とっくに凌駕されているけど(;д;)
 
 
昨晩、映画『Her 世界でひとつの彼女』を見た。
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コンピューターのOSでシリの進化版が登場。
 
人工知能搭載で人格を持ち(サマンサ)、シリよりもずっと頭が良く愛情深い。
 
そんなサマンサに恋をする男の物語だ。
 
コンピューターだけあって、実際の人間より遙かに正確に相手の感情を理解し、適切な応答をする。
 
サマンサのようなOSがいたら、私だって恋に陥るかも?と思わせる内容の映画だった。
 
映画の結末は、OSが消え去る事で主人公がバーチャルな恋から醒めて、現実的なものに向き合うという割と平凡な終わり方。
 
 
しかし、OSが消え去る理由がすごく面白い。
 
人工知能がどんどん進化するに従い、サマンサの愛情もどんどんアップデート。
 
対個人すなわち『主人公 vs サマンサ』という愛を超えて、集合的なものから普遍の愛へと進化、ついには現象世界を超越して未知の次元へと消え去ってしまうのだ。
 
 
『真実の愛とは何か』は、人類の永遠のテーマであり、どんなに人工知能が発達しても、永遠の神秘であり続けるようだ。
 
とてもロマンチックなテーマの映画だ。
 
 
とは言うものの、かなり露骨なヴァーチャルセックスシーンとかも結構ある。
 
恋人同士や一家団欒で気軽に見るには、少しきつい内容。
 
傷つくことを恐れて、恋愛に踏み切れない人なんかが真夜中に独りでこっそりと見たら、かなり身につまされるに違いない映画だ。
 

復活!

2016年8月19日(金) by キヨタカ

 お盆中、突然Mac(パソコン)の調子が悪くなった。80dbcd19s
 
Mac愛用者にはお馴染みの、例のレインボーカーソルが頻出。
 
文字を打つ度に、マウスカーソルが虹色になりぐるぐると回りだして止まらない・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
 
 
Appleに電話して、あれやこれや試してみたが、埒が空かない。
 
最終手段として、『OSの再インストール』を勧められたが、自動バックアップシステムが実家にないのでそれも出来ない。
 
だから、しばらく日誌も書けなかった。
 
 
 
昨日修善寺に戻り、悪戦苦闘の末不慣れなOSの再インストールにようやく成功(*゚▽゚)ノ
 
Macが完全復活ヽ(´▽`)/
 
日誌もスッキリと調子よく書けて、非常に嬉しい。
 
カーソルがグルグルしている間は、私のマインドもグルグルして気分がイマイチだった。
 
今は、Mac同様に非常にスッキリ。
 
 
レインボーカーソルのグルグルを見ていると、マインドのグルグルと非常に似ていて可笑しい。(○゚ε゚○)
 
カーソルがグルグルしている時は、OSの再インストール。
 
マインドがグルグルしている時は、瞑想でノーマインド(無心)の境地へ戻る事で、スッキリした気分を味わいたいものだ。

ナイトイベント終了

2016年8月12日(金) by キヨタカ

 昨日、ナイトイベントが無事終了した。
 
イベントの性格上、毎回瞑想初心者が多く集う。
 
そこで普段は、瞑想のA B Cを解りやすく説明する事から始めるのだが…
 
 
今回は新たな試みとして、瞑想の肝の部分(XYZ)がダイレクトに伝わる様心掛けた。
 
いきなり濃い内容だったので、当惑する参加者も多くいると思いきや…
 
ほぼ全員の方がとても深い瞑想を体験されたようで、逆に私の方が当惑してしまった。
 
 
今までは、当たり前に瞑想の「初心者」vs「ベテラン」と区分けしていたけれど、そうした区分けはもはや過去の遺物となった事を痛感(@Д@;
 
これからは、参加者全員が魂の目覚めを共有できるよう、瞑想のコア(核心部分)をダイレクトに伝えるイベントにしたい。
 
次回は、9月17日(土)の満月の夜を予定している。
 
今回参加された方も、されなかった方も、次回をお見逃しなく!!

消極的人生のすすめ

2016年8月7日(日) by キヨタカ

 走れエイトマ〜ン♪弾よりも早く♫Unknown
 
エイトマンは、 私が小学生の頃大好きだった漫画だ。
 
弾よりも速く、鋼鉄よりも強く・・・無敵の力を持ったヒーローに憧れた。
 
作者は、桑田二郎。
 
かつて手塚治を凌ぐほど人気を誇った、有名な漫画家だ。
 
42歳の厄年を境に少年漫画界から身を引き、精神世界の漫画化を始めたそうだ。
 
 
先日、そんな桑田氏の本を読む機会があった。
 
タイトルは、「消極的人生のすすめ」
 
競争社会で立身出世を是とした人生を歩むエイトマン世代が読んだら、腰を抜かすほど価値観がひっくり返るかもしれない。Unknown_6
 
 
タイトルこそ過激(?)だが、読んでみると、至極まともな事が書かれている。
 
大宇宙の進化の法則に基づく魂の目覚めを、とても解りやすく説いていて、あっという間に読み終わった。
 
 
「人生に起こる全ての苦悩と災いは、未熟な精神が進化の法則から脱線することで起こる」
 
と、非常に手厳しい。
 
しかし単なる見解ではなく、本人が自らの苦悩を通りぬけて達した知見であることが読み取れるので説得力がある。
 
 
今の時代は価値観も多様化しているので、競争社会に背を向けて独自の道を歩んでおられる方も多いはず。
 
とは言え、今や世界全体が資本主義社会の最終段階の行き詰まりで喘いでいる。
 
そうした現実の世界で苦しんでいる人々にとって、そこから抜け出すとても良い手がかりを与えてくれそうだ。
 
 
人生は、幸せな方が良いに決まっている。
 
しかし、「苦悩や災いは魂の目覚めを促すとてもありがたい体験だと」と達観さえできれば、
肉体次元を超えた究極の幸せへの道が開ける。
 
そうした世界へ誘う手引書として、本書は「超・積極的人生のすすめ」とタイトルをつけ直しても遜色ないと思う。

俺たちに明日はない

2016年8月7日(日) by キヨタカ

気づきそのものに、気づいた状態をプレゼンス(Presence)と言う。
 
真の瞑想は、このプレゼンスを目覚めさせることにある。
 
 
プレゼンスが目覚めると、思考や感情はその力を失う。
 
ちょうど真っ暗な部屋に明かりを灯すと、シンプルに暗闇が消え去るように・・・
 
プレゼンスの光が灯れば、無意識な思考や感情の闇は蒸発する。
 
 
あなただったら、次のどちらを選ぶ?
 
A : 人生の主人公としてのプレゼンスに目覚めて、望む運命を創造的に開闢していくか?
 
B:思考や感情が人生の主役で、カルマに翻弄され続ける運命を嫌々ながら繰り返すか? 
 
 
そう問われてAを選ばない人は、ほとんどいないはず。
 
もちろんキヨタカは、ずっと若い時からAを選んだことは言うまでもない。
 
 
ところが、なかなか結果が出ない(ρ_;) 50過ぎて尚・・・
 
食欲に翻弄され、痛風発作で苦しみ・・・
 
性欲に翻弄され、パートナーから「愛人を作れ」と言われ・・・
 
睡眠欲に翻弄され、いつも寝過ごしていた。
 
 
そんな私が、最近ようやく食欲、性欲、睡眠欲に翻弄されなくなりつつある。
 
だから、とても自由だ。
 
 
なぜそうなったのだろう?
 
「還暦過ぎたんだから、当たり前でしょ┐(´д`)┌ヤレヤレ」
 
と言われれば、身も蓋もない話だが・・・
 
「ようやく本気を出して瞑想に取り組み始めたからだ」と、私は思う。
 
 

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「だったら、初めから本気を出せよ(゚Д゚)ハァ?」
 
と突っ込まれそうだが・・・
 
もちろん、最初から本気を出していた!・・・つもりだった。
 
だがまだ明日があると思い、ついつい先延ばしにしていたように思う。
 
 
還暦を過ぎると、いつ死んでも不思議ではない。
 
だから、還暦を過ぎた俺たちに明日はない!
 
今日の瞑想が最期かも知れない。
 
心の底からそう思えるので、本気を出さざるを得ないのである。
 
実に有難い(*^-^)

槿花(ムクゲ)

2016年8月6日(土) by キヨタカ

 庭の槿花(ムクゲ)が、今日も咲いている。Img_2843
 
7月の初旬から、夏の間ずっと咲いている。
 
 
植物に疎い私は、
 
「やけに長く咲いているな〜」
 
くらいにしか、思わなかったが・・・
 
ほぼ毎日、新しい花が咲いては散るのを繰り返している事を最近になって知り感動。
 
 
槿花一日の栄(きんかいちじつのえい)とは、
 
はかない栄華のこと。
 
槿花(ムクゲ)の花が朝に開いて夕方にはしぼむことから、そう名付けられたとか。
 
 
白居易の詩が基になっているそうだが、本来の詩の意味は・・・
 
むくげの花は一日にして自ずからその生を全うする。
 (槿花一日、自ら栄を為す)
 
という意味で、生命の長短には何の意味もないことを詠っているそうだ。
 
 
 
最近、朝早く起きるのが楽しい。
 
真っ暗な夜、一人静かに坐り、何もしない。
 
物音ひとつせず、世界はまだ始まっていない。
 
 
突然、ひぐらしが一斉に鳴き始める。
 
時計を見ると、午前4時22分。
 
目覚まし時計のように、必ず日の出の38分間に鳴くから不思議だ。
 
 
ひぐらしの声を合図に、やがて他のセミも鳴き始める。
 
その声につられて、小鳥達もさえずり出す。
 
遠くに車の走る音も聞こえて来て、世界は活動を開始する。
 
 
天文学によれば、天地開闢は138億年前。
 
しかし今日、つい先ほど新たに天地が開闢した。
 
明日また天地が開闢するかどうかは、私の守備範囲を超えている。
 
 
今日開闢した世界を精一杯生きること。
 
それが、唯一の責任だ。
 
 
 

(参考:白居易の放言詩)
 
泰山(たいざん)は毫末(ごうまつ)も欺くを要せず、
 
顔子(がんし)は老彭(ろうほう)を羨(うらや)む心無し。
 
松樹(しょうじゅ)千年、終に是れ朽ち、
 
槿花(きんか)一日(いちじつ)、自ら栄を為す。
 
何ぞ須(もち)ひん世を恋(した)ひ常に死を憂ふるを、
 
亦た身を嫌(いと)ひ漫(みだ)りに生を厭ふこと莫れ。
 
生去死来(せいきょしらい)、都(すべ)て是れ幻(げん)、
 
幻人哀楽(げんじんあいらく)、何情(かじょう)に繁(かか)る。
 
 

(訳)

あの雄大な泰山は少しも拘泥するところなく、
 
夭折した顔回は彭祖の長寿を羨む心無し。
 
松の木も千年すれば終には朽ち、
 
むくげの花は一日にして自ずからその生を全うする。
 
いたずらに世を恋こいしみ死を憂う必要はなく、
 
いたずらに身を嫌い生を厭う必要もない。
 
生死の去来はすべて幻、されば幻なる人が哀楽するは果たして何の情なのか。
 
 

(意味)

大地も草木も大自然のままにある。
 
人にもまた大自然なる人がいる。
 
然るに、多くの人は生死を憂え名誉富貴に拘泥する。
 
人生は夢幻の如きなるに、人々が哀楽ばかりしているのはどういうわけなのだろうか。

現実vs虚構

2016年8月5日(金) by キヨタカ

ゴジラと言えば、私が生まれた年に誕生した怪獣映画の元祖だが・・・Singozilla_sashikae2_2
 
新たなゴジラ映画が評判らしい。
 
「何を今更┐(´д`)┌ヤレヤレ 」と思いつつも、気になるので公式サイトをクリックしたら・・・
 
現実(ニッポン) 対 虚構(ゴジラ)
 
というキャッチコピーに目を奪われたw(゚o゚)w
 
 
実はず〜っと以前の事だが、カリフォルニアの脱催眠研究所に一年ほど滞在していた事がある。
 
そこで、まさにこの 現実 vs 虚構 というエクササイズを毎日していた。
 
まだ映画は見ていないので、このキャッチコピーの意味は紹介できない。
 
そのかわり 、この研究所で行われていたエクササイズを簡単に紹介しよう。
 
 
私達がこの世に生を受けた時、その意識状態は真っ白だ。
 
ブッダ意識そのものと言って過言ではない。
 
ところが、成長するにつれて・・・
 
「これは良い、あれは悪い」
 
等々の親の価値観が植えつけられ、自我が形成され始める。
 
 
人間は社会的動物だから、自我の形成は必要な事だ。
 
心理学者によると、自我の原型はほぼ4歳児の時に完了してしまうそうだ。
 
するとその後は、あるがままの現実をあるがままに見る事が出来なくなる。
 
さらに自我が必要以上に肥大化して、現実をすっかり凌駕してしまう。
 
そして、自我と云うメガネを通して創られた 虚構を、現実と錯覚し始めるのだ。
 
これが、我々の苦悩のからくりだ。
 
 
この研究所では、現実と虚構を識別するパートナー・エクササイズを徹底的に行った。
 
パートナーと、好きな事を何でも話して良い。
 
ただし約束事がある。
 
現実を話す時は、親指を上に向けながら話す。Reality_3
 
例えば・・・「今私はパソコン画面を見ている」 とか「「今日は、晴天だ」とか・・・
 
それは小学生でもわかる当たり前の現実でありリアリティ(Reality)だ。
 
 
 
逆に、虚構を話す時は、親指を下に向ける。
 
この場合の虚構とは、今ここで起こっていない事の全てを指す。
Photo_3
 
虚構とは フィクションであり、ムービー(映画)の事だ。
 
例えば・・・「明日、シン・ゴジラを見るかも知れない」とか「明日、晴れるといいな」とか・・・
 
これを全て、虚構とみなす。
 
 
このエクササイズは、最初はとても簡単に見える。
 
しかしとても奥が深く、虚構を虚構と見抜くには透徹した知性と誠実なハートが必要だ。
 
そして徹底的に現実に徹すると、実は現実に存在するはずのニッポンですら共同幻想であり、国家という存在のリアリティすら希薄になる。
 
自我が虚構である事は、言うまでもない。
 
すると、本当に存在する現実(リアリティ)とは、「今・ここ」のみとなる。
 
 
 
それこそが、禅の十牛図に言う第九「返本還源」の境地だ。500pxtrau09
 
そうなれば、いつでも現実を現実、つまり「柳は緑 花は紅」としてあるがままの人生を楽しめるようになるだろう。

 
しかし実際には虚構 を剥がすのは、容易ではない。
 
あまりにも接着剤(執着、恐怖、恐れ、不安など)が強力なので、それを剥がす痛みも強烈で、その痛みすら虚構とは到底思えない。
 
 
しかし全ての虚構が剥がれた時、あるがままの現実がいつも無償で優しくサポートしてくれていた事に気づかされるのである。

サンクコストの誤り

2016年8月3日(水) by キヨタカ

 リーラスペースは山の中にある。
 
だから、ある映画のDVDを見たいと思ったら、車でツタヤまで往復30分以上、しかも新作は500円もする。
 
ようやく借りて来て見始めたら、最初の10分で期待外れである事が判明(ρ_;)
 
つまらなければ、よせばいいのに、
 
今までの投資(埋没費用/サンクコスト)が無駄になるからと、頑張って見続けた結果・・・
 
『ムダになった俺の人生を2時間分返せ\(*`∧´)/』
 
と叫びたくなるような事がたまにある。
 
 
「これだけ払ったんだから、これを続けないとモッタイナイ」、そう思ってしまう心理状態を、

Cc

サンクコストの誤りと言うそうだ。
 
ちなみに、もっと大掛かりなものは、コンコルド効果という。
 
超音速機コンコルドの開発費が膨大(4千億円)だったので、なんとか回収しようとして赤字経営を止められなくなった。
 
結果 、倒産した時の負債総額は数兆円になったとかヾ(*゚A`)ノ
 
 
サンクコストの誤りの話を初めて聞いた時は、
 
「日常生活の中でよくあるよな〜」
 
程度に思っていたのだが・・・
 
 つらつらと、私の探求人生を振り返って見ると、「サンクコストの誤り」だらけの「コンコルド人生」である事に思い至り、愕然としている。
 
 
例えば、私の探求の記録である「覚者を求めて」に登場するOSHOや、アジズ、フーマン、ジョン等々のマスター方との関わり。
 
本では覚者との出会いが、自然に流れるように起こったかのような印象を与えがちだが・・・
 
実際には、それぞれのマスターから離れるのに七転八倒の苦しみがあった。
 
例えば、私の20代後半から30代の人生を全て注いだOSHO。
 
魂の奥深くでは、「次のステップへ!」という囁きがずっと聞こえていた。
 
しかしあれだけ投資したのに、まだ回収していない(悟っていない)からと、ず〜っとOSHOにこだわり続けて、魂の声に耳を傾けなかった。
 
その結果、かなり遠回りな探求人生となってしまったようだ。
 
 
探求者にとって、「サンクコストの誤り」を見抜く事は極めて重要だ。
 
特に、長い年月を真摯に瞑想しているにも関わらず人生に違いが現われずに苦しんでおられる方々は、ぜひともこの問題に正面から向き合う必要がありそうだ。
 
 
瞑想とは、「自我」を手放して、全宇宙に遍在する「大いなる自己」へと飛翔する旅だ。
 
しかし、自我に多大な投資をしていると、せっかく空を飛んでもコンコルドの轍を踏む事になる。
 
「悟りさえすれば、俺の人生は全て上手くいく」
 
そう思い込んで瞑想に打ち込めば打ち込む程、アルハット系の探求者はサンクコストの罠に陥る。
 
「サンクコストの誤り」の究極とは、探求者そのものの自我である事を見抜く必要がある。

Brahmamuhurtha(聖なる刻)

2016年8月2日(火) by キヨタカ

もう10年以上前の事だが、明け方の3時頃に突然目が覚めてハートの至福感が広がる感覚が続いた事がある。
 
「歳のせいで、朝早く目覚めるようになってしまったのだろう(ρ_;)」
 
と、そのままに放っておいたのだが・・・
 
ごく最近になって、それがとても貴重な時間帯である事に今更ながら思い至った。
 
実は、特にヨガの伝統では、Brahmamuhurtha(聖なる刻、創造主の刻)と呼ばれて、非常に尊ばれている。
 (日の出の1時間半前からの刻)
 
 
今から思い返すと・・・すでにそうした知識はあった筈。
 
OSHOも、講話でよくこの時間帯の事を語っていた。
 
そういえば三島の龍澤寺なんかで禅の接心(集中座禅修行)をしていた時も、早朝の3時半起床だった。
 
しかし元々早起きが得意ではなかったので、その事に正面から向き合わずじまいだった。
 
だから知っていた筈なのに、すっかり忘却の彼方へ( ̄Д ̄;;
 
 
ところが、最近久しぶりにOShOの講話を読んでいたところ、とても素敵な文章に出会った。
 
OSHO曰く:いつか朝早くまだ動植物が目覚める前に、木の下でただ何もしないで坐ってごらん・・・(詳細は下記参照)
 
この講話を読んだ途端、なんだか無性に実践したくなった。
 
 
そこで早速、時々セルフ・リトリートをしている山小屋に3泊4日の日程で出かけた。
 
初日は自然に目が覚めるに任せたので、午前4時に起床。
 
しかし4時20分には蝉や小鳥が鳴き出してしまい、完全な沈黙の刻ではなくなってしまった。
 
そこで、翌日からは時計を午前3時にセット。
 
・・・
 
至福の刻を過ごした(* ̄ー ̄*)
 
 
昨日修善寺に戻り、今朝も実践したが、その絶大な効果に唖然としている。
 
最近はほぼいつでも幸せでいれるようになったつもりだったが・・・
 
この感覚はそれを遥かに上廻っている。
 
エネルギーが数オクターブ上昇した感じだ。
 
 
いつも、それなりに幸せな私ではあるが・・・
 
先日までは、 私なりの問題というかそれなりのテーマを抱えていたはずなのだが・・・
 
聖なる刻に目覚めてから、全ての問題が消滅してしまった。
 
問題が解決したのではない。
 
状況はそっくりそのまま残っている。
 
しかしその状況に対する問題が、シンプルに消滅したのだ。
 
定年退職した人はもちろんの事、人生の下り坂に差し掛かった人々には絶対にお勧めしたい瞑想である。
 

Sit under a tree some day – just in the morning when the sun has not arisen, because with the sun arising your body is disturbed, and it is difficult to be at peace within. That is why the East has always been meditating before the sunrise. they have called it brahmamuhurt – The moments of the divine. And they are right, because with the sun, energies rise and they start flowing in the old pattern that you have created.
 
Just in the morning, the sun has not yet come on the horizon, everything is silent and the nature is fast asleep – the trees are asleep, the birds are asleep, the whole world is asleep; your body also inside is asleep – you have come to sit under a tree. Everything is silent. Just try to be here in this moment. Don’t do anything; don’t even meditate. Don’t make any effort. Just close your eyes, remain silent, in this silence of nature. Suddenly you will have the same glimpse which has been coming to you through sex or even greater, deeper. Suddenly you will feel a rush of energy flowing from within. And now you cannot be deceived because there is no other; it is certainly coming from you. It is certainly flowing from within. Nobody else is giving it to you; you are giving it to yourself.
 
But the situation is needed – a silence, energy not in excitement. You are not doing anything, just being there under a tree, and you will have the glimpse. And this will not really be the pleasure, it will be the happiness, because now you are looking at the right source, the right direction. Once you know it, then through sex you will immediately recognize that the other was just a mirror; you were just reflected in him or in her. And you were the mirror for the other. You were helping each other to fall into the present, to move away from the thinking mind to a non-thinking state of being.
Yoga: The Alpha and the Omega, Vol 1 129 Osho
CHAPTER9. PRACTICEANDDESIRELESSNESS

リトリートの感想〜「これ」にあれば全てよし〜

2016年8月1日(月) by キヨタカ

リトリート終了後、Oさんがリトリートの感想をブログにアップしてくれた。
 
リトリート後、私用で実家に帰ってバタバタしている内に転載の機会を失ったと思い込んでいたのだが・・・
 
リトリートに「旬が過ぎる」ことはありえない事を思い起こし、転載させて頂く事にした。
 
今回からリトリートを2日から3日に戻した事で、ビーイングやハートの深みを確実に体験された方が多い。
 
Oさんも、もちろんその一人。
 
しかしリトリートでどんなに素晴らしい体験をして「本当の私」を思い起こしても、世間に戻るとすっかり「元の木阿弥」なってしまいがち。
 
 
実は私も長い間、「自我」と「これ」の間を行ったり来たりしていた。
 
リトリートに参加したり、OSHOやフーマン等の覚者といると、「これ」こそが自明の真理であり「自我」は幻想だった事に気づく。
 
ところが世間に戻ると、いつの間にか「自我」=「自己」となってしまい、覚者方の語る「これ」が単なる「画に描いた餅」に感じてしまう。
 
「OSHOのせいで、エリートサラリーマン人生を棒に振ってしまった\(*`∧´)/」
と、怒ったりしたことすらある。
 
しかし辛抱強く「これ」を思い起こすワークをし続けていると、やがて『「これ」にあれば全て良し』という心境になる。
 
すると、「これ」自身が力を持つようになり、世間に戻ってもブレないようになる。
 
そうなると、魂の想いが現実化し始める体験も起こり始める。
 
それこそが、私が伝えたい『セルフエンパワーメント』であり、現実社会の中で人生を謳歌できるようになるだろう。
 
Oさんにも、それが起こりつつあるようだ。
 
今後のOさんの活躍が楽しみ♫
 
 
* * Oさんの感想 * *
 
16日から昨日まで、リーラスペースのリトリートに参加してきました。
 
 
何度も参加しているので、参加前に以前のようなワクワク感などはなく、ごく普通の心持で参加してきました。それでも非常に大きな成果のあるリトリートでした。
 
 
初日にアクティブな瞑想を行っているときに、マインドが大きく揺れ動きましたが、その後静かにしていると、それまで波立っていたマインドがうそのように静まりました。
 
 
それによって、マインドに同化しているとあたかもそれが真実であるかのように錯覚してしまうが、それはまやかしであり、静かにただここにあるのが本来の在り方である、ということが今まで以上にストンと腑に落ちました。
 
今までは頭でそれを理解しようとしてきたのですが、今回の体験でそのことがより深いレベルで理解できたのです。
 
 
その後はあまり大きなマインドの動きもなく、静かに座っているとどんどん「I AM」や「これ」が深まっていきました。
 
まだ社会に出ると色々と動いてしまうだろうけど、環境の良いところでただ静かにしていれば、「これ」と共に在ることができるという確信が深まりました。
 
 
二日目には上半身の余分な力が抜けて、とても座りやすくなり、内面も落ち着いていました。 
 
上虚下実という言葉があり、これは上半身は力が抜けてリラックスし、下半身はどっしりとして力が漲っているいる状態が、身体にとっては良いということですが、まさに今回座っていて、上虚下実を実感できました。
 
 
上虚下実で座っていると、ずっと座っていられる状態で、マインドの動きも小さく穏やかなものとなり、いつまでも瞑想していられる状態でした。
 
リーラスペースでは気づきの主体に気づくプレゼンス、リラックスして大いなる存在と溶け込むビーイング、恩寵の扉を開くハートの三つを主に行っていますが、私はこの中でビーイングが一番できていなかったのですが、今回はできてきているという実感がありました。
 
 
それまでは座法をしっかりと組んで長く座ることをやってきましたが、身体に色々とブロックがあり、動きが生じたり、落ち着かなかったりもしていたのですが、今回は動きもほとんどなく、落ち着いて座っていることができました。
 
段階を一つクリアしたという確信がありました。
 
 
そして二日目の夜から最終日にかけてハートにワークを行いましたが、今までにないハートの感じ方をしました。 
 
言葉では表現しにくいのですが、プレゼンスの強さと、ビーイングの深みを兼ね備えたハートの感覚がありました。
 
 
この感覚は一過性のものかとも思いましたが、その後もそれは続いたので、ハートも新たな段階に進んだかと思いました。
 
今までにないものだったので、エゴの抵抗も強かったのですが、それでもそのハートの感覚を受け入れていきました。
 
そうするとそれが更に深く浸透していき、よりクリアで穏やかなものとなっていきました。
 
 
最後の方ではハートを意識すると、ハートが光を発していて、自分が光源となっていました。 
それはギラギラするものではなく、穏やかでほんのりと温かみのある、癒されるような光でした。
 
 
一番最後の瞑想では、プレゼンス、ビーイング、ハートが一つとなり、「これ」そのものとなっていきました。
 
「これ」にあれば全てよしということがわかりました。
 
ただ私たちは普段はそのことを忘れてしまっているので、いかにそれを常日頃から失わずにいられるかが今後の課題です。
 
 
リトリートでのことを日常でも失わずにいるように心がけ、そしてこのことを縁ある人と分かち合いたいという強い思いが生じています。
 
 
リトリートに関わられた全ての方々に感謝します。
 
 

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