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プレゼンスの弊害?

2016年8月31日(水) by キヨタカ

 自我は絶えず、『他人からどう思われるか』を気にする。
 
そもそも、自我はそれ自身をダイレクトに知る事が出来ない。
 
なぜなら、人間の感覚である五感(視・聴・触・味・臭)は外側に向かって開かれているから。
 
そこで自我は、必ず周囲の人間の反応を通して自己イメージを形成する。
 
しかし、他人の反応をベースにしている限り、絶対的な安心感は得られない。
 
自我そのもに、絶対安心の境地は在りえないのだ。
 
 
五感を通して、他者に向かう意識(気づき)のベクトルを逆転させた時、驚くべき事が起こる。
 
気づきが気づきそのものに気づく。
 
それが、ステート・オブ・ブレゼンスであり、真我の目覚めの始まりだ!
 
プレゼンスは、それ自身で完結している。
 
だから、『他人からどう思われるか』を気にしなくなり、生まれて初めて本当の自由の境地を味わえる。
 
 
しかし、それはまだ始まりに過ぎない。
 
次のステップは、このプレゼンスをビーイングへと手放して、遍在するする気づきへと広げる必要がある。
 
すると、とても穏やかで寛ぎに満ちた気づきへとシフトしていく。
 
そうすれば、自己の中心軸を失う事なく、もう一度気づきのベクトルが外側に向かうようになる。
 
そして、絶えず周囲にも自然に気をくばる事ができるようになる。
 
 
・・・とは言うものの、プレゼンスのみを修行してしまうと、周囲への配慮が欠けてしまう弊害が起こる。
 
ひどくなると、自我がプレゼンスを隠れ蓑にしてしまう。
 
だからプレゼンスを修行すればする程、自我が強化され、よりエゴイスティックになってしまうのだ。
 
 
瞑想修行が熱心な人ほど、その罠に陥りやすい。
 
私の場合も、プレゼンスの修行をやり過ぎたようで、プレゼンスの罠に落ちた。
 
それはエゴイスティックな罠とは違い、周囲への無配慮という罠だ。
 
周囲にはあまり振り回されなくなったけれど、周囲への気づきがさらに欠けてしまった。
 
 
例えば、子供の頃から、忘れ物の多いキャラクターだった。
 
プレゼンスの修行を始めたら、その傾向に拍車がかかった。
 
気づきそのものに全エネルギーを注いだ結果、周囲への気づきがさらに失われてしまったのだ(ρ_;)
 
 
だから、最近は意識的に気づきのベクトルをもう一度外側に向け直す努力をしている。
 
それは努力というよりも、『より自然な寛ぎに満ちた周囲への配慮』なのだが・・・
 
子供時代に形成された条件付けというのは、治すのは難しい。
 
 
あいかわらず、失くし物の名人だけど・・・
 
最近、少しだけ忘れ物をしなくなったように思う。
 
変化は微々たるものだけれども、『子供時代の物忘れ⇨老齢化⇨記憶力低下⇨さらなる物忘れ⇨認知症』という自然の流れに逆行して少し改善しているのだから、
 
本人は大満足(o^-^o)

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