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リトリートの感想〜「これ」にあれば全てよし〜

2016年8月1日(月) by キヨタカ

リトリート終了後、Oさんがリトリートの感想をブログにアップしてくれた。
 
リトリート後、私用で実家に帰ってバタバタしている内に転載の機会を失ったと思い込んでいたのだが・・・
 
リトリートに「旬が過ぎる」ことはありえない事を思い起こし、転載させて頂く事にした。
 
今回からリトリートを2日から3日に戻した事で、ビーイングやハートの深みを確実に体験された方が多い。
 
Oさんも、もちろんその一人。
 
しかしリトリートでどんなに素晴らしい体験をして「本当の私」を思い起こしても、世間に戻るとすっかり「元の木阿弥」なってしまいがち。
 
 
実は私も長い間、「自我」と「これ」の間を行ったり来たりしていた。
 
リトリートに参加したり、OSHOやフーマン等の覚者といると、「これ」こそが自明の真理であり「自我」は幻想だった事に気づく。
 
ところが世間に戻ると、いつの間にか「自我」=「自己」となってしまい、覚者方の語る「これ」が単なる「画に描いた餅」に感じてしまう。
 
「OSHOのせいで、エリートサラリーマン人生を棒に振ってしまった\(*`∧´)/」
と、怒ったりしたことすらある。
 
しかし辛抱強く「これ」を思い起こすワークをし続けていると、やがて『「これ」にあれば全て良し』という心境になる。
 
すると、「これ」自身が力を持つようになり、世間に戻ってもブレないようになる。
 
そうなると、魂の想いが現実化し始める体験も起こり始める。
 
それこそが、私が伝えたい『セルフエンパワーメント』であり、現実社会の中で人生を謳歌できるようになるだろう。
 
Oさんにも、それが起こりつつあるようだ。
 
今後のOさんの活躍が楽しみ♫
 
 
* * Oさんの感想 * *
 
16日から昨日まで、リーラスペースのリトリートに参加してきました。
 
 
何度も参加しているので、参加前に以前のようなワクワク感などはなく、ごく普通の心持で参加してきました。それでも非常に大きな成果のあるリトリートでした。
 
 
初日にアクティブな瞑想を行っているときに、マインドが大きく揺れ動きましたが、その後静かにしていると、それまで波立っていたマインドがうそのように静まりました。
 
 
それによって、マインドに同化しているとあたかもそれが真実であるかのように錯覚してしまうが、それはまやかしであり、静かにただここにあるのが本来の在り方である、ということが今まで以上にストンと腑に落ちました。
 
今までは頭でそれを理解しようとしてきたのですが、今回の体験でそのことがより深いレベルで理解できたのです。
 
 
その後はあまり大きなマインドの動きもなく、静かに座っているとどんどん「I AM」や「これ」が深まっていきました。
 
まだ社会に出ると色々と動いてしまうだろうけど、環境の良いところでただ静かにしていれば、「これ」と共に在ることができるという確信が深まりました。
 
 
二日目には上半身の余分な力が抜けて、とても座りやすくなり、内面も落ち着いていました。 
 
上虚下実という言葉があり、これは上半身は力が抜けてリラックスし、下半身はどっしりとして力が漲っているいる状態が、身体にとっては良いということですが、まさに今回座っていて、上虚下実を実感できました。
 
 
上虚下実で座っていると、ずっと座っていられる状態で、マインドの動きも小さく穏やかなものとなり、いつまでも瞑想していられる状態でした。
 
リーラスペースでは気づきの主体に気づくプレゼンス、リラックスして大いなる存在と溶け込むビーイング、恩寵の扉を開くハートの三つを主に行っていますが、私はこの中でビーイングが一番できていなかったのですが、今回はできてきているという実感がありました。
 
 
それまでは座法をしっかりと組んで長く座ることをやってきましたが、身体に色々とブロックがあり、動きが生じたり、落ち着かなかったりもしていたのですが、今回は動きもほとんどなく、落ち着いて座っていることができました。
 
段階を一つクリアしたという確信がありました。
 
 
そして二日目の夜から最終日にかけてハートにワークを行いましたが、今までにないハートの感じ方をしました。 
 
言葉では表現しにくいのですが、プレゼンスの強さと、ビーイングの深みを兼ね備えたハートの感覚がありました。
 
 
この感覚は一過性のものかとも思いましたが、その後もそれは続いたので、ハートも新たな段階に進んだかと思いました。
 
今までにないものだったので、エゴの抵抗も強かったのですが、それでもそのハートの感覚を受け入れていきました。
 
そうするとそれが更に深く浸透していき、よりクリアで穏やかなものとなっていきました。
 
 
最後の方ではハートを意識すると、ハートが光を発していて、自分が光源となっていました。 
それはギラギラするものではなく、穏やかでほんのりと温かみのある、癒されるような光でした。
 
 
一番最後の瞑想では、プレゼンス、ビーイング、ハートが一つとなり、「これ」そのものとなっていきました。
 
「これ」にあれば全てよしということがわかりました。
 
ただ私たちは普段はそのことを忘れてしまっているので、いかにそれを常日頃から失わずにいられるかが今後の課題です。
 
 
リトリートでのことを日常でも失わずにいるように心がけ、そしてこのことを縁ある人と分かち合いたいという強い思いが生じています。
 
 
リトリートに関わられた全ての方々に感謝します。
 
 

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