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誕生日!

2016年12月11日(日) by キヨタカ

 今日は、インドの神秘家OSHOの誕生日。
 
肉体を離れてから、随分と年月が経ってしまった。
 
しかし覚者の存在は、時空を超える。
 
OSHOは、 今尚多くの人々に多大な影響を与え続けている。
 
 
かく言う私も、その一人。
 
28歳でOSHOと出逢ってかと言うもの、全く歳を取らなくなった感じがする。
 
鏡に映る肉体は、確実に老けてはいるのだが・・・
 
精神的には、いつもフレッシュで新しい感覚がある。
 
OSHOの強烈な影響を受けて、自分の中にある”永遠性”に触れることができたお陰だ。
 
 
28歳までは、
 
『こんな人生は本当ではないΣ(゚д゚;)』
 
と、人生への漠然とした不安と懐疑に苛まれていた。
 
OSHOと出逢ってから、今までの人生をリセットして未知の世界を飛び込んだ。
 
もしOSHOと出逢わなかったら、ずっと日本社会の枠内で狭く窮屈で安全だがなんの冒険もない退屈な人生に甘んじていただろう。
 
あのままの状態で、この年まで生きてしまったらと思うと、ゾッとする。
 
本当の自分の人生を生きる勇気を与えてくれたOSHOに心から感謝している。
 
 
今では、伝記映画が創られる程、一般社会から評価され始めているが・・・
 
OSHOの存命中は、実に反逆的で危険な人物だった。
 
一休禅師は
 
 釈迦といふいたずらものが世にいでて

  おほくの人をまよはするかな
 
 と意味深な歌を詠んだ。
 
しかし、そのいたずらぶりと、まよわされた人々の数を比べて見れば 、釈迦よりもOSHOの方 に軍配が挙がるだろう。
 
 
OSHOのみならず、覚者とは、すべからく 『月をさす指』に過ぎない。
 
我々はどうしても、月よりもそれをさす指にしがみつきたくなる傾向がある。
 
指にしがみつくと、迷う。
 
月である事に気付くと、迷いは直ちに消え失せて、自分自身として輝きを放つようになる 。
 
願わくば、暗闇の中でひときわ美しく輝く満月でありますように!
 

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コメント

アジズの本、書いてくれてありがとう∞

『月をさす指』 覚者について一般化することは僕にはできないけど、僕のosho体験では 指と月はおんなじ。 ただ、、、何かにしがみつこうとする僕の癖が、、、、

bishopさん

コメントありがとう。

>僕のosho体験では 指と月はおんなじ。

もう少し具体的に説明して頂けると、有難いです。

僕にとって、oshoの指は月なんだ。
Oshoも『月指す指』を語ってるけれど。僕は『月』を、想像したり創造することはできるけど、『月』を知らないので指をさされても見つけることはできない。
oshoが『月』を指さすことができるということは『月』を知っているんだろう。『月』の質がoshoに備わっているんだろう。ここで『oshoの指』が僕の『月』になる。
そして、初めて『月指す指』が僕にとって役に立つ。oshoの『指』としての言葉のような明示性、そして、明示されていない・語れないものに開いて、想像も創造もしないで『月』が姿を現すのをただ待ちながら見ることが僕のosho体験。『oshoの指』は僕の『月』、『月体験』の土壌。
『指』へのしがみつきに対して『月指す指は切り捨てろ』なら『月』へのしがみつきも同様に『月そのものも切り捨てろ』。しがみつきはいずれにしてもほどほどに。こんな体験かなあ。。。。

『潜在意識の記憶』について。
僕はブルガリアの精神科医・脳生理学者ゲオルギ・ロザノフのサジェストペディアに関わっいるのだけど、潜在意識(彼は周辺意識と呼ぶ)の記憶は『ほぼ正確に再生できる』と言っているね。
ユングは、『夢』はそれを理解しない限り単なる『出来事』で終わってしまうけど、理解することによって『経験』になると。。。。

余計なことを書いてしまった、、、、シェアをありがとう∞

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