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真実を求める人へ開かれた場

2017年3月21日(火)by kiyotaka

3月の3デーズリトリートが無事終了。
 
今回は参加者が少なかったお陰で(^_^;)、思い切ったリードが出来た♫
 
私にとって思い切ったリードとは、『何もしないでただ在る』というスペースをもたらす事。
 
 
瞑想とは、『する』ことから『在る』ことへの橋渡しだ。
 
だから『何もしないでただ在る』とは、瞑想の究極!
 
禅で言う『只管打坐悟(しかんたざ)』つまり『、悟りを求めたり想念をはたらかすことなく,ひたすら座禅すること』とは、まさにこの事を意味する。
 
道元は、これを持って禅の最高の境地とまで言わしめている。
 
 
『何もしないでただ在る』なんて、とても簡単と思うだろうが、実際にそれが起こるのはとてつもなく難しい。
 
そもそも通常の意識下で「何もしない」と決めると、「何もしないことをする」ことになってしまう。
 
マインドでは絶対に体験不可能な世界。
 
つまり『隻手音声』(片手で叩く無音の音をきく)とか、『父母未生以前の本来の面目』(両親が生まれる以前の本当のあなた)』と同じく禅問答そのものなのだ。
 
 
マインドは、絶えず何かをしている。
 
『何もしないでただ在る』とは、マインドにとり苦痛以外の何物でもない。
 
だから、何もしない状態を避けるべく、テレビを見たり映画を見たりおしゃべりしたり、食べたり飲んだり・・・etc.
 
その状況から逃れるべく、ありとあらゆる事をし続ける。
 
例え外側の世界ですることを止めて、内側にシフトしても・・・
 
瞑想したりマントラを唱えたりお祈りしたり等々、何もしない苦痛から避け続けていることに変わりはない。
 
せいぜい眠る事くらいだが、眠っていても、夢の中でさらに忙しく奔走し続けてている(ρ_;)
 
 
しかし瞑想修行という特異なフィールドで、ひたすら『何もしないでただ在る』ことに徹していると・・・
 
苦痛が増幅して、全身が悲鳴をあげそうになる。
 
それでもなおかつ徹底して、ひたすら何年も座り座り座り続ける事で、ごく一部の幸運な修行者のみが・・・
 
かつては『心身脱落』の境地に達して、ビーイングの無上の至福を味わう恩恵に預かった。
 
しかし悟りを開いた覚者の名前のみが歴史に残るその陰で、志半ばで散ったその他大勢の凡庸だが誠実な探求者の苦痛はいかばかりのものであったか・・・彼らを思うと胸が痛い。
 
 
こんな禅寺式の厳しい瞑想修行は時代錯誤であり、今の時代に合わない。
 
もっと自然に楽しく、存在の喜びに至る道はないものか?
 
長い探求の果てに、ようやくその答えが見つかった。
 
神聖な次元のハートの扉を開ける事で、不可能が容易に可能となる。
 
それこそが『恩寵の扉が開く」という事だ。
 
そしてその扉を開いて、存在の喜びを体験的に理解できる場を提供しているのがリーラスペースのリトリートなのだ。
 
 
リーラスペースのリトリートが、他で提供されているリトリートと何が違うのか?
 
その決定的な違いを、今回は明確に確認する事が出来た。
 
残念ながら、いくらこちらに分かち合う用意ができても、その価値を知り受け取りたいというニーズが生まれないと、シェアリングは起こらない。
 
これからも、リーラスペースのリトリートは、ごくごく少数の人々のためのニーズに応えるものとなるだろう。
 
もっとホームページをまともなものにしたり、本を書いたりメールマガジンを発行して、積極的に宣伝活動すべきと、友人達はアドヴァイスしてくれるけど・・・
 
今は、どうしてもその気になれない。
 
それよりも、 たった一人でもいいから、本当に真実を求めている人に開かれた場でありたいと、切に願っている。
 
そして、それに徹しようという覚悟が定まった、私にとって記念すべきリトリートとなった。
 
次回のリトリートは、5月3〜5日(2泊3日)を予定しています。
 
 もしあなたに乾きがあれば、必ず潤いがもたらされるリトリートとなるでしょう!

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