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2017年3月

今・ここで・・・

2017年3月31日(金) by キヨタカ

 今・ここで・・・

呼吸に戻り・・・

気づいて、寛いで、ハートを開く!

たったこれだけで、

至福が訪れる。

 

瞑想はシンプル

2017年3月29日(水) by キヨタカ

瞑想って、本来とってもシンプルで自然なもののはず。

瞑想の3要素も、とっても当たり前の事。

気づき・・・誰だって、気づきを持っている。気づきなしには、人間生活を営む事すら困難。

寛ぎ・・・誰だって、毎日寝ている。あれは、寛ぎの最たるもの。

ハート・・・誰だって、本当は人を愛したいし愛されたい。世界を愛したいし、世界から愛されたい。

 

従来の瞑想会では、気づき→寛ぎ→ハートの順を追って、瞑想を紹介したけれど、

今度の瞑想会では、順番を逆にして、ハートの次元から瞑想をリードしてみようかな?

どんな人が集まりかにより、どんな瞑想の場が起こるのかはわからないけど・・・

終わりよければ全てよし。

というでは無いか!

頭から、ハートにエネルギーがシフトすると、全てはとてもシンプルになる。

精神世界の海

2017年3月28日(火) by キヨタカ

 栃木県那須町で起きた雪崩事故で8人死亡、という痛ましい事故が起きた。
 
同じ栃木県出身者として、とても他人事とは思えない。
 
そもそも毎年必ず遭難者が出る冬山登山なんて、危険きわまりない。
 
冬山登山をする人の気持ちが、さっぱり解らない・・・
 
と昔は思っていた。
 
 
しかし、ウィンドサーフィンに親しむようになってからは、彼らに共感を覚えるようになった。
 
最近、真冬に強風の荒海で行うウェーブにハマってからは、特にそう。
 
自分の限界を超えてたどり着いた先で、初めて垣間見る事が出来る大自然の神秘。
 
それに触れると何度でもチャレンジしたくなる衝動が、私たちの中にはある。
 
 
今リーラスペースの庭を手伝ってくれているMさんも、そんな山男の一人。

Image1今シーズンも、標高5千メートル近くのヒマラヤの単独トレッキングを敢行!

空気が薄くて呼吸困難になったり、道に迷い遭難しそうになったりしたりしながら、
 
代償の果てにようやくたどり付いた先で遭遇する絶景。
 
人間のちっぽけな力では足元にも及ばない、大自然の壮大な神秘の次元に触れると・・・
 
もう後には戻れない、危険な領域へと踏み込み始める。
 
 
「どうせまた、来シーズンもヒマラヤへ行くんでしょ?」
 
先日、Mさんに尋ねた所・・・
 
「いえ、もうヒマラヤはいいです」
 
と意外な答えが返ってきた。
 
 
Mさんの話によると・・・
 
苦労の末に、目的の絶景ポイントにようやく到着。
 
その美しい風景を堪能していると、向こうから戻って来た外人トレッカーがその風景を指して・・・
 
「あそこのポイントまで行けば、もっと素晴らしい景色が見えるよ!」
 
と声をかけて来たそう。
 
その時に、こんな理解が起こったという。
 
「確かにあそこまで行けば、ここよりももっと美しい光景が見られるだろう。でもこの美しさも、あそこで見えるはずの美しさも、同じ外側の対象物の美しさに過ぎない!」
 
山男の楽しみをあっさりと捨て去り、内面の広大な未知の領域への旅を謳歌し始めたMさんの今後がとても楽しみだ。
 
私も、いずれこう答える日が来るのだろうか?
 
「最近、海には行かないの?」
 
「外側の海はどんなに広大でも、対象物に過ぎない。
 
それよりも、内面の広大な精神世界の海を自由に泳ぎ回る方が遥かに楽しいよ♫」

瞑想技法の数

2017年3月25日(土)by キヨタカ

究極の真理は、一つでありワンネス。
 
そこへ至る道が瞑想であり、古今東西に渡り沢山の瞑想技法がある。
 
富士山の頂上を真理に例えると・・・
 
頂上は一つだが、そこへたどり着くルート(道)は沢山あるという事か。
 
 
富士山の場合、4大ルートが知られているが、瞑想の場合どのくらいのルートがあるのだろうか?
 
OSHOに言わせると、112だと言う。
 
インドの神話に登場するシヴァが説いたと言う112の瞑想技法がそれ。
 
 
日本でも、我が道友のパルバ氏が訳した10冊のシリーズ本(ヴィギャン・ヴァイラブ・タントラ)が発行されており、読んだ方も多いだろう。
 
もちろん私も読んだ。
 
瞑想の歴史に燦然と輝く名著であり、OSHOの多数の講話録の中でも、最も重要なものと言っても過言ではない。
 
しかし、残念ながらとても微妙で技法とは言い難いような技法があまりに多すぎて、理解と同時に混乱が生じた事も事実。
 
さらに本を読んでも瞑想が進むわけではないことから、ずっと112の瞑想技法からは遠ざかっていたのだが・・・
 
最近、たままたOSHOの講話テープを無料ダウンロード してこのシリーズを聞いたところ、とても面白くてハマってしまった。
 
何が面白いかと言うと・・・
 
リーラスペースのアプローチである、瞑想の3つの次元(プレゼンス・ビーイング・ハート)を踏まえると、112もの瞑想技法がとてもシンプルに理解できるからである。
 
 
つまりこう言う事だ。
 
古今東西の瞑想技法を集約すると→112の瞑想技法
 
112の瞑想技法を集約すると→プレゼンス・ビーイング・ハート
 
プレゼンス・ビーイング・ハートを集約すると→「これ」
 
「これ」→ワンネス→真実
 
と言う事だ。
 
これを体験的に理解したい方は、是非とも瞑想会に参加して下さい!!

サンサーラ

2017年3月24日(金) by キヨタカ

インドでは、輪廻転成するこの現実世界をサンサーラと言う。
 
真実世界は隠されている。
 
その現れだけを、我々は体験している。
 
だから、この世界は単なる現世(うつしよ)に過ぎないと言う。
 
真実に目覚めよ!
 
されば 、この世界はたちどころにリーラ(神の遊び場)へと変化するであろう!!
 
 
歴代の覚者方が一様に語る言葉に、反論の余地はない。
 
だから真実に目覚める事が最優先事項なのだが・・・
 
 
春にならないと桜が咲かないように、誰の人生にもそれぞれに定められた時節と言うものがある。
 
真冬に花を咲かせようと頑張っても、それは所詮無理。
 
だとしたら・・・
 
 
やがて訪れる内側の春を信じて、サンサーラを満喫するのも悪くない。
 
サンサーラから逃げず、それを心ゆくまで味わい尽くす事で・・・
 
サンサーラからリーラへと、シフトが起こるかもしれない。
 
 
冬を楽しれば、春も満喫出来る。
 
冬を避けようと頑張ると、春は永遠に訪れない。
 
頑張ると言う行為そのものが、精神世界の冬なのだから。
 

錨を下ろす

2017年3月22日(水) by キヨタカ

鴨長明は言う。

行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。

よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

 

仕事も天命も、お金も趣味も、妻や夫や恋人も、地位や名誉や知識や・・・etc、

この肉体も、思考も、感情もまたかくの如しであるならば・・・

そんなところに根を生やしても、いつか必ず根こそぎ流されてしまう事は言うまでもない。

 

しかしたった一つだけ、動かないもの、不動のものがある。

それを発見するのが、瞑想だと言える。

そこに根を下ろしさえすれば、決して流される事がない。

『不動』の境地の誕生だ!

この世が天国となるか地獄となるかは、ひとえにあなたが何処に根を下ろすかで決まると言っても過言ではない。

どうせ根を下ろすなら、不動のものが良い事は誰の目にも明らかだ。

 

しかし、この不動のものは現象世界の背後にあるものだから、手の付けようもなく名前もつけられない。

「始まりがあり終わりがある世界」には無いものだから、見つけるのは簡単では無い。

だから、OSHOは、『これ』だよ『これ』 と、千回も語っているけれど・・・

対象物ならともかく、「無いもの」を見つけるのだから・・・

どうりで、言われただけではなかなか見つからない訳だ( ̄Д ̄;;

 

私が最初に『これ』を一瞥したのは、21歳の時。

それからず〜っと、『これ』を思い出しては忘れ去り・・・を何度も何度も繰り返す作業を続けた結果・・・

今では、いつでも『これ』に根っこを下ろせるようになった(*^-^)

だから、最近はいつでもどこでも『不動の境地』でいられる(* ̄0 ̄)ノ

 

・・・はずなのだが、そうは問屋が卸さない。

毎月実家に帰って一週間年老いた母親と暮らすのだが・・・

母親から・・・

「若いんだから、もっと肉を食べなさい!」

とか

「お前がまともな職業について安心してから死にたい!」

とか言われるたびに、感情が期せずして揺らいでしまう(ノд・。)

 

先日のリトリート後の夕食の時・・・

「・・・そういう訳で、揺らがない本物の不動の境地には程遠いんだ゚゚(´O`)°゚」

とリトリートスタッフのMさんに泣き言を言った所・・・

 

M:「キヨタカさん、揺らいでもいいんですよ(*^-^)

キ:「え!? 揺らいだら不動じゃないでしょ??」

M:「でもキヨタカさん、いつだって『これ』を知ってるでしょ?」

キ:「知っている・・・にも関わらず揺らぐ」

M:「『これ』に根を下ろすって、いつもキヨタカさんがリトリート言ってるじゃないですか?」

キ;「私の十八番(オハコ)だ・・・にも関わらず揺らぐ(。>0<。)

M:「だから〜、根を下ろすって、船が港で錨を下ろすようなもんです。」

 ・・・

キ:「なるほどflair

錨を下ろせば船は動かない!」

M:「相変わらず船は揺らぐけど、船は決して動かない」

キ:「不動のものに錨を下ろしさえすれば、私は揺らいでいいんだ!」

 

Mさん、ありがとう😊

これで次回は、喜怒哀楽を表に出しながら心ゆくまで親の顔を拝めそうヽ(´▽`)/

真実を求める人へ開かれた場

2017年3月21日(火)by kiyotaka

3月の3デーズリトリートが無事終了。
 
今回は参加者が少なかったお陰で(^_^;)、思い切ったリードが出来た♫
 
私にとって思い切ったリードとは、『何もしないでただ在る』というスペースをもたらす事。
 
 
瞑想とは、『する』ことから『在る』ことへの橋渡しだ。
 
だから『何もしないでただ在る』とは、瞑想の究極!
 
禅で言う『只管打坐悟(しかんたざ)』つまり『、悟りを求めたり想念をはたらかすことなく,ひたすら座禅すること』とは、まさにこの事を意味する。
 
道元は、これを持って禅の最高の境地とまで言わしめている。
 
 
『何もしないでただ在る』なんて、とても簡単と思うだろうが、実際にそれが起こるのはとてつもなく難しい。
 
そもそも通常の意識下で「何もしない」と決めると、「何もしないことをする」ことになってしまう。
 
マインドでは絶対に体験不可能な世界。
 
つまり『隻手音声』(片手で叩く無音の音をきく)とか、『父母未生以前の本来の面目』(両親が生まれる以前の本当のあなた)』と同じく禅問答そのものなのだ。
 
 
マインドは、絶えず何かをしている。
 
『何もしないでただ在る』とは、マインドにとり苦痛以外の何物でもない。
 
だから、何もしない状態を避けるべく、テレビを見たり映画を見たりおしゃべりしたり、食べたり飲んだり・・・etc.
 
その状況から逃れるべく、ありとあらゆる事をし続ける。
 
例え外側の世界ですることを止めて、内側にシフトしても・・・
 
瞑想したりマントラを唱えたりお祈りしたり等々、何もしない苦痛から避け続けていることに変わりはない。
 
せいぜい眠る事くらいだが、眠っていても、夢の中でさらに忙しく奔走し続けてている(ρ_;)
 
 
しかし瞑想修行という特異なフィールドで、ひたすら『何もしないでただ在る』ことに徹していると・・・
 
苦痛が増幅して、全身が悲鳴をあげそうになる。
 
それでもなおかつ徹底して、ひたすら何年も座り座り座り続ける事で、ごく一部の幸運な修行者のみが・・・
 
かつては『心身脱落』の境地に達して、ビーイングの無上の至福を味わう恩恵に預かった。
 
しかし悟りを開いた覚者の名前のみが歴史に残るその陰で、志半ばで散ったその他大勢の凡庸だが誠実な探求者の苦痛はいかばかりのものであったか・・・彼らを思うと胸が痛い。
 
 
こんな禅寺式の厳しい瞑想修行は時代錯誤であり、今の時代に合わない。
 
もっと自然に楽しく、存在の喜びに至る道はないものか?
 
長い探求の果てに、ようやくその答えが見つかった。
 
神聖な次元のハートの扉を開ける事で、不可能が容易に可能となる。
 
それこそが『恩寵の扉が開く」という事だ。
 
そしてその扉を開いて、存在の喜びを体験的に理解できる場を提供しているのがリーラスペースのリトリートなのだ。
 
 
リーラスペースのリトリートが、他で提供されているリトリートと何が違うのか?
 
その決定的な違いを、今回は明確に確認する事が出来た。
 
残念ながら、いくらこちらに分かち合う用意ができても、その価値を知り受け取りたいというニーズが生まれないと、シェアリングは起こらない。
 
これからも、リーラスペースのリトリートは、ごくごく少数の人々のためのニーズに応えるものとなるだろう。
 
もっとホームページをまともなものにしたり、本を書いたりメールマガジンを発行して、積極的に宣伝活動すべきと、友人達はアドヴァイスしてくれるけど・・・
 
今は、どうしてもその気になれない。
 
それよりも、 たった一人でもいいから、本当に真実を求めている人に開かれた場でありたいと、切に願っている。
 
そして、それに徹しようという覚悟が定まった、私にとって記念すべきリトリートとなった。
 
次回のリトリートは、5月3〜5日(2泊3日)を予定しています。
 
 もしあなたに乾きがあれば、必ず潤いがもたらされるリトリートとなるでしょう!

新宿ナイト・イベントの感想〜目からウロコ〜

2017年3月12日(日) by キヨタカ

 昨日、新宿ナイト・イベントが無事終了。

わざわざ鹿児島から参加して頂いた、Mさんから感想のメールが届いた。

Mさんは、最近瞑想にとても深い関心を抱いている。

まだ始めたばかりで、気づき(意識)と思考について曖昧な様子だった。

そこで、両者の違いについて説明。

少しクド過ぎたかと、内心思っていたが…

『目からウロコでした。

私にとってこれからの人生の大きな転機になる…」

との嬉しいコメント。

瞑想は何よりも実践が大切だが、ただ闇雲に行えば良いわけではない。

最初は『知的理解』が非常に大切となる。

今回のイベントを通して、Mさんの瞑想がかなり進む事は間違いなさそう。

6月24日にまた鹿児島で瞑想会をする予定なので、その時に再開するのを楽しみにしている(*^-^)


〜Mさんの感想〜

おはようございます。

昨日は有り難うございました。

ずっと引っ掛かっていた意識と思考の違いをハッキリと分かりやすく教えて頂きまして、(私自身の経験の中の出来事をきっちりと意識の部分、思考の部分と分けて教えて頂き)有り難うございました。

目からウロコでした。

私にとってこれからの人生の大きな転機になることと確信しています。

また、鹿児島での瞑想会も楽しみにしています。

朝夕の温度差の激しい今日この頃、どうぞお身体ご自愛下さい。

25万キロ達成!

2017年3月6日(月) by キヨタカ

 遂に、愛車のイプサム走行距離25万キロ達成ヽ(´▽`)/

Img_0011実家に戻る途中の厚木付近の高速道路上だった。

 
数年前から、そろそろ車を買い替えなくては…と思いつつも、修理に出す度に、修理代を回収するまでは乗ろうと決心。
 
回収が終わった頃、また故障して修理代が発生。
 
再度回収しようとして、ズルズルと乗り続けて…
 
このままだと月まで行ける距離(38万キロ)まで乗るかもしれない(ノд・。)
 
12年前(2004年末)に中古で購入してから、実家(往復500キロ)に毎月帰る生活を続けている。
 
走行距離が長くなるのも、止むを得まい。
 
高速代とガソリン代だけで、一体いくらになるのか…恐ろしいので敢えて計算はしないことにしている。
 
 
老い先短い母の事を思い、せめてもの親孝行をと思い毎月の実家通いを始めたのだが…
 
実態は、老い先はかなり長い方で… (ρ_;)
 
実は今回も、昨日の明け方の5時に母から電話。
 
「体調が悪いので、これが最期になるかも知れない。死ぬ前にお前に会いたい。」
との緊急電話があり、止む無く母の滞在する施設へ馳せ参じたところ…
 
単なる下痢┐(´д`)┌ヤレヤレ
 
今までいったい何度、「これが最期かも…」と母に呼び出されたか事か、これも敢えてカウントしないようにしている。
 
なにはともあれ、まだまだ「今生の別れ」は先のようで、一安心している。

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