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命日

2018年1月19日(金) By キヨタカ

今日は、インドの神秘家OSHOの命日。
 
28年前の今日、突然に肉体を離れた。
 
 
当時私は、OSHOのいるインドのプーナアシュラムに長期滞在中。
 
当初は3週間滞在の予定だった。
 
ところが、アシュラムの門を入った直後に意識がマインドからハートにシフト!
 
その甘美な感覚の虜になり・・・
 
3ヶ月→1年→2年とズルズル滞在を延長、ちょうど2年半に及ぶところだった。
 
 
その頃、OSHOの体調が悪いという事はもちろん知っていた。
 
しかし「肉体や思考を完全に超越した覚者だから、あと10年くらいくらいは元気でいてくれるだろう」と、勝手に思い込んでいた。
 
だから突然の訃報に接して、自分の父親が亡くなった時以上の衝撃を受けた。
 
 
OSHOの遺体は、この日の内に火葬場で荼毘に付された。
 
一緒に火葬場に行き、一睡もせずに火葬の様子を見守りつつ瞑想した。
 
ブッダ以来の覚者と思わせるカリスマ性と革新的な瞑想技法に惹かれて、人生を賭けてOSHOの下に馳せ参じた。
 
ところが、私を最後まで導いてくれる事なくあっさりと去ってしまった。
 
旅の途中で、たった一人で放り出された感覚に襲われて・・・
 
明日からどうして生きて行ったら良いものか途方に暮れて、その夜は不安感や絶望感で一杯だった。
 
 
ところがその翌朝、アシュラムの門を入ってビックリ!
 
アシュラムの雰囲気は、いつも通りハートフルで濃密で活気に満ちていた。
 
OSHOの肉体が不在にも関わらず、そこかしこにOSHOの臨在を非常に強く感じる。
 
むしろ肉体を離れた事で、その臨在は一挙に広がり始めたようだった。
 
 
あれから30年近くが経つ。
 
しかし、 あの時に感じたハートの感覚は同じもの。
 
それに対して、「OSHOの」というレッテルはもう貼らない。
 
それはただ、「在る」という実存感覚であり、なんとも説明し難いが、確かに永遠不変にここに在る。
 
それは初めから存在していて、今もあり、私が去るときもそのまま在るだろう。
 
OSHOという存在に触れなければ、この感覚を味わうチャンスは来世になっていたかも知れない。
 
OSHOという類稀なる覚者に、心より感謝!!

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