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2018年6月

新宿ワンデーイベントの感想〜魂が喜んでいる

2018年6月18日(月) by キヨタカ

 6月のワンデーイベント(土曜日)が無事終了。
 
今回もとても素敵な瞑想会となった。
 
参加して下さった皆様有難う!
 
すぐに日誌を書くつもりだったけど、母の世話に追われてタイミングを失ってしまった(;д;)
 
幸い参加者のFさんから感想を頂いたので、瞑想会の報告とさせて頂きます。
 
(今週末鹿児島のイベントもあります)
 
 
* * Fさんの感想 * * 

昨日はありがとうございました。
 
Fです。

イベントの最後に実施していただいた恩寵の光瞑想は圧巻でした!
 
キヨタカさんの誘導瞑想によりエネルギー(光)のバイブレーションを感じているハートに体の気になる個所をそのまま持っていきましたら、なぜそういう状態になっているのか背景が出てきました。
 
また、40代、30代、20代、10代、子供時代と遡る誘導の時は、小学校の時にしたいたずらで大変な迷惑をかけてしまったお方や猫のことが出てきて、ご迷惑をかけてしまったことに対してハートの中でお詫びをすると共にハートで変容のエネルギーを感じていました。
 
恩寵の光瞑想ハイライトはキヨタカさんの誘導により、今いる部屋全体にハートのエネルギーを拡張、そして、会館全体、日本全体、地球全体、宇宙全体へとハートが拡張していくのを感じていました。

 (・・・略・・・)

キヨタカさんが体験したことを書籍にしていただいたことは、瞑想に取り組んでいる方々で適切なタイミングにご縁のある人々に対して多大な影響を与え続けていくと感じます。 
 
I AMの3つの次元(気づき、ビーイング、ハート)と
フーマンのいう「これ」について、今年の春に書籍で知りそれを感じることができたことに魂が喜んでいるようです。

歪んだメガネでも・・・

2018年6月14日(木)by キヨタカ

 目の検査の為、一週間をコンタクトレンズ無しで過ごした。
 
高校生の時に白内障の手術をしたので、コンタクトレンズ無しではまともな日常生活が送れない。
 
一応特別仕様のメガネもあるのだが、強度が強すぎて周囲が歪む。
 
だから 、5分くらいしかかけていられない(。>0<。)
 
 
 
最初は本もメールもパソコンもほとんど見ないで 、やむを得ない時のみメガネを短時間つけて過ごした。
 
ところが、数日もすると合わないはずのメガネがいつの間にか目に馴染んでき来たではないか!
 
一昨日辺りからは車も運転出来るようになり、肉体の適応能力の高さに我ながら驚いた。
 
 
アメリカの某大学の心理学部で行われた、「歪んだメガネ」の実験を思い出した。
 
上下左右が逆さまに映る「歪んだメガネ」を被験者にかけさせて何が起こるのかを観察する実験だ。
 
このメガネをかけると世界がひっくり返って見えるので、もちろん被験者はまともに歩くことすら出来ない。
 
しかし数日もするとだんだんと慣れてきて、やがて普通に日常生活が送れるようになったという。
 
実験が終わりメガネを外して正常な状態にしたら「被験者がひっくり返った」というオチなのだが・・・
 
この一週間を過ごして、あの実験は本当だったのだと納得。
 
 
我々がこの世に生まれた時は、誰だって真っさらな白紙状態にある。
 
そこに両親や教師や社会から、非常に歪んだ様々な条件付けが植え付けられる。
 
それはちょうど歪んだメガネをかけさせられるようなもの。
 
まだ幼い無我の状態でかけさせられたメガネは、すっかり身体の一部となり、歪んでいる事すら気づかなくなってしまう。
 
歪んだメガネでもそれにすっかり馴染んでしまうと、それを取り除くのは非常に困難となる。
 
メガネを外すには、相当の痛みや苦痛が伴うのも仕方がないだろう。

本の問い合わせの件(お尋ね)

2018年6月12日(火) by キヨタカ

H・J さんから、下記の通り本の問い合わせがありました。
 
注文可能ですので、その旨の返信メールをしましたが、そちらに届きません。
 
恐れ入りますが、リーラスペースまでお電話を下さい。
 (Tel 0558-74-1118)
 
Re: 初めまして。
 
天野さんの本を読ませていただいています。『恩寵の扉が開くまで 2』が欲しくて、探しています。
 
分けていただくことはできるのでしょうか?
 
By H・J

 それは本当ですか?

2018年6月5日(火) by キヨタカ

 暗い夜道を歩いていたら、藪の中からヘビがこちらを睨んでる!Depositphotos_12228501stockillustra

恐怖で全身が震えたが、懐中電灯でよく照らしてみたらなんとロープだった。

ヘビとはあなたの信じ込みで、懐中電灯は気づきの光の事。

気づきによってヘビがロープであると知れば、恐怖は無くなる。

 

スピリチュアルの古典的なアナロジーで、この話は耳にタコができるくらい誰でも知っている。

しかし自分が信じている思い込みに気づくのは、実際には非常に難しい。

疑うことなく思い込んでいることは、砂漠の砂の数ほど多い。

「私の父親は支配的だ!」

「私のパートナーはハートを閉ざしている!」

等々、枚挙にいとまがない。

 

瞑想とは、一言で言えば「気づき」のこと。

しかし「思い込んでいる事実」に気づきの光を当てようともがくと、さらに事実が拡大して事実が真実にすら見えてしまう。

その結果としてシマヘビがキングコブラみたいなって・・・

「瞑想なんて実際の人生では役立に立たない゚゚(´O`)°゚」

と嘆く羽目に陥る人も多い。

 
 
禅では、「坐禅」の他に問答や疑念を通して真実に至る方法がある。
 
そこでは「 信じるな、徹底的に疑え!」と言われる。
 
しかし残念ながら、今では殆ど形骸化してしまった。
 
 
バイロン・ケイティの「ザ・ワーク」は、ある意味で禅の教えの復活と言える。
 
シンプルに自分の思考に対して「それは本当ですか?」と問いかける。
 
そのプロセスを辛抱強く誠実に 行う事で、「思考が生じる以前の源泉へ」と戻るワークだ。
 
それなりの知性と誠実さが必要だ。
 
さらに裸の自分と向き合う勇気も必要だから、 必ずしも万人向けではない。
 
しかし、ヘビをロープと認識できる気づきを養う上で、とても素晴らしい(*^-^)
 
特に下記のビデオには感動した。 
 

ハートのままに〜Rさんのお便り〜

2018年6月3日(日))by キヨタカ

瞑想とは、無条件にただ在ることの喜びに目覚めること。

だから、貧乏でも病気でも幸せになれる。

・・・と昨日の日誌に書いた。

 

しかし、それが全てでは断じてない。

ただあることだけが喜びなら、わざわざ人間としてこの世に生まれる必要もあるまい。

人間以外は、動物も植物も、ただあることの喜びに満ちている。

「野のゆりはソロモン王の装飾よりも美しい!」と、確かキリストも語っていた。

だから犬や猫として、あるいは木々や草花として生きたほうが楽だ。

それでも生きるのがつらいという人は、山や川に生まれ変わって存在の喜びに浸るのがベストかもしれない。

 

しかしとにもかくにも、人間として我々はこの世に生を受けた。

しかし人間だけが、生きるのに四苦八苦している。

それは、人間だけがさらなる可能性を秘めているから故であり、産みの苦しみだ。

 

魂は本来の潜在的可能性と、正しい方向性を知っている。

しかし、エゴは自己本来の可能性に気づかず、全く別の方角を向いている。

本当は飛行機でハワイに行きたいのに、手漕ぎのボートでアラスカに行こうとしているようなもの。

だから当然苦しいだろうが、それはそれだけの可能性があればこそ。

自己本来の能力を見つけて、創造的に生きてこそ、魂は喜ぶ。

その意味で、『本当は自分は何をしたいのか?』を魂の宿るハートに問いかけるのがとても大切となる。

 

瞑想とは「ただあること」なのに、「何をしたいか?」問うのは矛盾している様に思われるが・・・

この世界は、天と地があり昼と夜があり、男と女がいて・・・矛盾に満ちている。

瞑想も、「あること」と「すること」からなっている。

しかしこの矛盾が統合された時にこそ、本来の力が湧いてくるのだ。

この矛盾が統合される場所、それこそがハートだ。

 

数年前にスカイプの連続セッションを海外から受けてくれていたRさんから、久しぶりのメールを頂いた。

あの時はよくわからなかった「する事からあることへ」の意味がよくわかる様になったとの事。

少しはお役に立てたようで、とても嬉しい(*^-^)

 

* * Rさんからのお便り * *

ご無沙汰しています。お元気ですか?Rです。

覚えてらっしゃいますか?

最近はきよたかさんが言っていた、、することからあることへ、ハートのままに生きられています。

あの時はピーんとこなかった、きよたかさんの言っていたのはこのことだったのか。。。 

今も教えていただいたことは体が覚えてるんですね。

ここにあるだけでいいのに、なんでなりたいものを質問されるんだろうと思っていましたが、今はハートが感じるままに、好きなことをしていくということが腑に落ちてきました。

 

お世話になったままお礼もできていなかったので、一言お礼を言いたいと思いEメールを書いてみました。

また日本に行く機会があって、瞑 想会に行くことができたらまた参加させてください。その節は本当にお世話になりました。

 

感謝しています。

 

瞑想の功徳

2018年6月2日(土) by キヨタカ

 私が学生時代に、瞑想を志した理由・・・
 
それは「瞑想すれば頭が良くなる」と言う話をとある本で読んだから・・・(^_^;)
 
 
『瞑想とは「今・ここ」に在ることで、結果を求めてはいけない!』
 
と言う事は良く理解していた筈だけれども、そう言われていたにも関わらず瞑想の功徳はずっと追い求めていた。
 
瞑想すれば、頭が良くなる。
 
病気が治り健康になる。
 
異性にモテるようになる。
 
金運が上がりお金持ちになる。
 
etc、etc・・・
 
 
あれから数十年の時が過ぎ、そろそろ瞑想の功徳を客観的に総括できる年齢となった。
 
そこで、自分の瞑想人生を振り返ってみたのだが・・・
 
結局のところ瞑想しても相変わらず頭は良くならず、病気もするし、異性にはモテず、とてもお金持ちとは言えないままだ。
 
 
しかしながら、絶対的な功徳が一つある(* ̄0 ̄)ノ
 
それは『幸せになる』と言うことだ。
 
瞑想すれば、病気は治らないかもしれないが、『幸せな病人』になる。
 
お金持ちにはならないかもしれないが、『幸せな貧乏人』になる。
 
恋人はいなくても、『幸せな独り者』になる。
 
 
私の友人で、
 
「何もしないで起こるに任せる」
 
と言う教えを徹底して実行し・・・
 
結果的にホームレスになった人がいる。
 
しかし彼は、それでも何もしないツワモノだった。
 
するとまもなく某聖職者と偶然に出逢い、
 
「あなたみたいに幸せなホームレスにお会いしたのは初めて(*^-^)」
 
と感動を与え、それが縁で素晴らしい住居と仕事をゲットした。
 
 
結局のところ、あるがままの状態の自分を受け入れて、それに感謝して、喜びに満ちている事が先決なのだろう。
 
『今・ここ』が幸せなら、その幸せはずっと続く。
 
なぜなら、『今・ここ』は永遠に存在しているからだ。
 
そう言う人に、運命の女神は微笑まざるを得まい。

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