カテゴリー「スピリチュアル」の記事

コヒーレンス

2018年10月27日(日) by キヨタカ

 昨日、新宿ナイトイベントが無事終了。
 
最近は瞑想を長年続けておられる、いわゆる「濃い」メンバーが多く参加される傾向にある。
 
こうした方々と座ると、こちら側からあえて何かする事をしなくても、とても深い瞑想状態がひとりでに起こる。
 
昨日の瞑想会でも、それが起こった。
 
 
一人で瞑想しても、高次元の意識と繋がりが起こるのは稀だ。
 
しかしながら真摯に真実を求める人々が一緒に瞑想をすると、お互いの瞑想的波動が共鳴して、とても高い次元に簡単にシフトする。
 
この現象は、瞑想のシンクロニシシー(共時性)とかレゾナンス(共鳴)と呼ばれている。
 
 
これと同じようなことを意味する言葉として、最近「コヒーレンス・coherence」という素敵な言葉に出会った。
 
元々は物理学の基本的用語で、「光の波の位相の揃い具合、すなわち、干渉のしやすさ」を言うそうだ。
 
例えばレーザーは光線が「コヒーレンス/可干渉性」であるため、莫大なエネルギーを生み出し月まで届くことが可能だ。
 
一方、電球の光はコヒーレンスが低いので、力が弱い。
 
 
瞑想を長年続けていると、とても元気になる。
 
特に昨日の様にみんなで一緒に瞑想すると、文字通り月まで届きそうなくらい、とてもパワフなエネルギー状態となる。
 
この神秘的な現象を、今まではレゾナンス(共鳴)という言葉で捉えていたけれども・・・
 
今の私には、コヒーレンスという言葉がとてもしっくりくる。
 
 
人は誰もが、「気づき」とか「意識」の光を始めから持っている。
 
しかしながら、通常は意識が無数の外側の状況(様々な思考や感情)によってかき乱され散乱し、気づきの光は限りなく弱い。
 
ところが瞑想を続けると、気づきの光の波の位相が揃い、とてもパワフなものになる。
 
ただ存在しているだけで感じるこのパワフルさとは、意識がコヒーレンス状態にあるのだと、すごく納得している。
 
 
この物理学用語のコヒーレンスという言葉を、精神世界で最初に使った人物がデヴィット・ボームだ。(・・・と思う^^;)Unknown
 
量子力学と精神世界は驚くほどの共通性があるが、その先駆けとしてとても有名な人物。
 
残念ながら瞑想の世界にダイレクトに飛び込むことはなかった。
 
そのかわり、対話(Dialogue)を深く探求し、クリシュナムルティとの対話集も多くある。
 
日本でも「時間の終焉」というタイトルで翻訳され、私も30年以上前に瞑想に関心を持ち始めた頃に夢中になって読んだものだ。
 
ボームによれば、対話を通してコヒーレンス状態になれば、社会の分断が終わり一つになるとまで言うのだか・・・
 
少なくとも、瞑想を通してコヒーレンス状態になれば、意識の分断は終わる。
 
私と言う意識は一つにまとまり、とても幸せな状態になるのは間違いあるまい。

教えない

2018年9月29日(土) by キヨタカ

瞑想を本格的にリードし始めて10年経過。
 
お陰で、(瞑想に関しては)ほぼどんな質問でも明確に答えられるようになった。
 
質問した方々も、
 
「キヨタカさんの答えは、明晰でとても分かりやすいです」
 
と異口同音にフィードバックして頂き、まんざらでもなかった。
 
『しかしそれではダメだ!』
 
と、最近しみじみ思う。
 
 
瞑想とは、意識の光を育む事。
 
そうすれば、暗い夜道を歩んでいてヘビに出会っても大丈夫。
 
我々の恐怖の大部分は、ロープをヘビと見間違っているからに過ぎない。
 
意識の光を照らして見れば、我々が恐れるヘビの殆どが単なるロープだったことに気づき、大笑いする。
 
私が今まで瞑想会の中で伝えてきた事の多くは・・・
 
自分の懐中電灯を相手の問題の領域に照らして、
 
「ほらよく見てね。ヘビじゃなくてロープでしょ!?」Large
 
と励ましたり・・・
 
懐中電灯の付け方を、プレゼンス・ビーイング・ハートとわかりやすい段階を踏まえて説明していたように思う。
 
 
言われた方は、
 
「分かりました!」
 
「感激しました!」
 
と答えてはくれるけれども、それでは本当に相手が成長することにはならない。
 
 
本当の成長は・・・
 
相手が自ずから自分の懐中電灯を照らして、ヘビを単なるロープと見抜ける力を持つことで起こる。
 
だから、これからは瞑想会のリードの方法をドラスティックに変化させる事にした。
 
「もう教えるのはやめよう!」
 
 
そう意識した途端に・・・
 
まさに私が直面していることが明確に書かれているビジネス書
                            (鮎川詢裕子著:最高のリーダーほど教えない)
 
に出会い、「目から鱗」の体験をした。
 
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「今・ここ」に寛ぐ事がモットーの瞑想世界と、
 
「売り上げをあげてなんぼ」のビジネス世界は、
 
縄と蛇以上に違うと思い込んでいたが・・・
 
実は、相互補完的なものである事に今更ながら気づき始めている。
 
これからどうなるか、楽しみ♫

前代未聞の・・・

2018年3月24日(土) by キヨタカ

 つい先日まで寒さに震えていたのが嘘のよう。
 
いっきょに春の陽気となった。
 
先週無事にリートリートが終了し、次のステップに向けて準備中。
 
 
ところで「無事に終了」とはなったけど、実は前代未聞の特別なリトリートになってしまった。
 
というのも、リトリートの前日より突然熱が38度5分近く出てダウン、3日半を完全に寝て過ごすハメに・・・。
 
結局最終日の午後ようやく熱が下がり、最後2時間のみリードするというとんでもないリトリートになってしまった(。>0<。)
 
 
長年リトリートを開催しているけれども、リトリート中にダウンしたのはこれが初めての体験。
 
幸いスタッフが急遽代理でリードを引き受けてくれたお陰で、なんとか窮地をくぐり抜けることが出来た。
 
瞑想では、「何もしないでただ在る」というのがとても大切。
 
今回のリトリート期間中は布団に包まって、文字通り「ひたすら何もしない」に徹せざるを得ない状況になった。
 
熱がある間は食欲もなく水もなかなか飲めす、寝返りを打つのもしんどい。
 
 
「永遠に動けない状態が続くのではあるまいか?」
 
とさえ思えたが・・・
 
熱が下がると、普通に食べたり飲んだり歩けたりするようになった。
 
最初は風邪かインフルエンザに違いない、と思ったけど・・・
 
咳も鼻水も出ないまま、4日後には平熱に戻ってしまった。
 
 
一体アレは何だったのだろう?
 
とても深いレベルで「浄化」が起こった事に間違いはない。
 
しかし、本当のところは今もって謎めいたままだ。
 
 
マインドは、起こる事に対するそれなりの説明を求めて安心しようとするけれども・・・
 
本当の事は「神のみそ知る」領域に属するのだろう。
 
何はともあれ、こうして元気を回復する事が出来てとても嬉しい。
 
「どこも何ともない」というごく当たり前で普通であることの有り難さが、未だかつてない程に心に沁みる。

国常立尊の復活!

2017年10月19日(木) by キヨタカ

 友人が、スピリチュアルブロガーとして有名な阿部敏朗さんのブログ「かんながら」の記事をコピペして送付してくれた。
 
要約すると・・・
 
 11月18、19日に天河神社で特別神事が行われる。
 これにより、国常立尊のエネルギーが復活される。
 国常立尊が立ち上がると、人の中に神が目覚める。
   これこそが、OSHOの教えであり私(阿部)が長年望んできたビジョンだ。
 
 
国常立尊(くにのとこたちのみこと)と言われても、新宗教系の神道に詳しい人以外はピンとこないかもしれない。
 
実は私も長年そうだったのだが・・・ある出来事があって『国常立尊』を意識し始めた。
 
阿部さんの記事を読んで、『国常立尊』に関わる不思議な出来事を懐かしく思い起こしたのでちょっと日誌に書いてみよう。
 
 
あの日から、もう20年の歳月が経とうとしている。
 
修善寺にOSHOリーラスペースを立ち上げた私は、その翌年の1998年の3月21日 をメインに『OSHOエンライトメントデー・セレブレーション』を修善寺で企画。
 
赤字だけど、それなりに結構人数が集まる大きな瞑想イベントとなった。
 
そのイベントの最中に、名古屋の白鳥神社の神主を名乗る女性の方が突如来訪。
 
要件を伺うと・・・
 
「神様のメッセージを受け取ったので、それを伝えにきた」
 
という。
 
女性の神主という事で驚いたけど・・・彼女のメッセージがぶっ飛んでいいたので、さらに驚いたヾ(*゚A`)ノ
 
 
彼女のメッセージを手短に言うと・・・
 
「天上界で政変が起こりました。
 
長らく天上界を支配していた天津神系(アマツカミ/高天原から天降った神の総称)の神様から、今まで御隠れになっていた国津神系(クニツカミ/それ以前の根源神)の神様に政権が移譲されることになりました。
 
国津神とは、国常立尊でもあります。
 
OSHOは、国津神系です。
 
これからは、OSHOのワークが大々的に盛り上がりますよ!」
 
これだけの事を伝えると、さっさと立ち去って行ってしまった。
 ( 『白鳥、後を濁さず』・・・少し違うか(^^;; )
 
 
妙な事を言う人だな〜と内心呆れたけど、当時の私はOSHO一筋。
 
これからはOSHOの教えが広がって行くであろうと解釈して、大いに納得。
 
いずれOSSHOリーラスペースは、新人類誕生のメッカになることを確信したのである。
 
 
ところがその翌年には、OSHOの看板を外して、アジズやフーマンをオーガナイズ。
 
さらにはアジズやフーマンの看板も外して・・・
 
OSHOやアジズやフーマンの信奉者は殆ど来なくなり、独自マイナー路線を世に知れることもなく、ひっそりと歩み続けている。
 
 
リーラスペースの歩みを振り返る時・・・
 
OSOの看板を外してからと言うもの、神主さんのメッセージとは真逆の方向へ行ってしまったと長らく思っていた。
 
しかし阿部さんのブログに書いてある通り、
 
国津神の復活=内在神の目覚め
 
と紐解けば、リーラスペースはまさに「国常立尊の復活!」の王道を一歩たりとも違わずに確実に歩んでいる事が私には理解できる。
 
天河神社で起こるであろう国常立尊の復活が、20年前にリーラスペースで既に起こっていたのである。
 
『内在神の目覚め』をシェアすること。
 
これこそが、阿部さん同様に私の長年の望みだ。
 
今週末の瞑想会や来月のリトリートでは、国常立尊のエネルギーを後ろ盾としたパワフルかつ楽しいものになるに違いない。

あるがまま

2017年6月17日(土) by キヨタカ

『あるがままを受け入れる』ことは、瞑想の大原則。
 
だが 実際にあるがままを受け入れる事は、なかなか難しい。
 
しかし、よくよく考察して見ると、
 
「あるがまま」とは「今・ここで起こっていること」そのもののこと。
 
だから、それを受け入れようが受け入れまいが、「あるがまま」の事実そのものに何の違いもない。
 
受け入れるかどうかは、こちら側つまりエゴの勝手な都合に過ぎない。
 
一方、「あるがまま」とは事実そのもの。  
 
事実唯真
 
事実とは常に動かすことのできないもので、この事実こそが真実である。
 
だから本当は、受け入れるか受け入れないかの選択の余地はない。
 
 
 
あるがままを受け入れないとは、
 
それはちょうど、沈みかかった夕日に向かって、
 
「ダメよ、ダメ、ダメ\(*`∧´)/」
 
と叫ぶようなもの。
 
どんなに受け入れを拒否しても、夕日は西の果てへと消えて行く。
 
 
マインドにいると、あれかこれか選択の余地があるような錯覚に陥る。
 
ハートにいれば、あれかこれかの選択が無い。
 
あれはあれ、これはこれ。
 
夕日は沈み、朝日は昇る。
 
何とシンプルで、楽な事だろう(o^-^o)

リトリート進行中

2016年10月8日(土) by キヨタカ

現在、3デーズリトリート進行中です。

自我の嵐

2016年10月6日(木) by キヨタカ

 心配されていた台風18号も、温帯低気圧になり無事通過!Img_2915
 
10月らしい、素晴らしい青空が広がった。
 
現在、今週末のリトリートの準備で忙しい。
 
ずっと天気がイマイチで、参加者の布団を干せなかった。
 
もしかしたら、今日は布団乾燥機に頼らずに済むかも?
 
 
最近巷では、瞑想が大ブームらしい。
 
1日3分瞑想すれば、ストレスが減り、精神が安定し、意識がクリヤーになり、病気にもかかりにくくなり、認知症予防になり‥
 
先日のNHKの番組などで紹介されている、「瞑想のすごいパワー」の内容である。
 
  確かに瞑想の功徳を広く知らしめた点で、この番組の貢献度は素晴らしい。
 
 
しかし本格的に瞑想に取り組むと・・・
 
実はそう簡単には行かない。
 
本当の瞑想とは、自我を落として真我に目覚めるためにある。
 
そのためには、必然的に自我を落とすプロセスを通り抜けなければならない。
 
 
「自我を落とす」なんて、自我にとってはとんでもない話だ。
 
当然、落とされないように必死で抵抗する。
 
だから、瞑想者の意識は自我と真我の狭間で混乱し、内的な嵐が巻き起こるのである。
 
そして抵抗する自我の嵐が過ぎ去って初めて、自己本来の青空が広がるのだ。
 
瞑想の功徳は、この青空のことだ。
 
 
しかし、この内的な嵐を経ずして青空を手にする人はほとんどいない。
 
リーラスペースのリトリートは、この内的な嵐を事前に予知し、今回の台風のように温帯低気圧レベルに引き下げるプロセスも織り込んでいる。
 
こうしたリトリートは、他には殆どないと自負している。

光り輝け!

2016年7月13日(水) by キヨタカ

瞑想は、2つの相反するエネルギーの融合だ。
 
『気づき』(プレゼンス)は、男性エネルギーで陽極(プラス)。
 
『くつろぎ』(ビーイング)は、女性エネルギーで陰極(マイナス)。
 
この両者が融合すると、光明が起こる。
 
 
これって、豆電球が光るのと似ている。Soket3
 
乾電池の陽極はプレゼンス、陰極はビーイング、光る部分がハートという訳だ。
 
プレゼンスとビーイングが一つになる時、ハートの内奥で眠っていた魂が目覚め、光り輝く!
 
 
人は誰もが立派なバッテリーと素晴らしい電球を持って、この世に生まれてきた。
 
にもかかわらず、暗闇を彷徨している。
 
残念ながら、配線接続が正しく機能していないせいだ。
 
 
解決策は、とてもシンプル。
 
正しく回路を繋ぎ直せば、自動的に光り輝くようになる。
 
真の瞑想とは、正しく回路を繋ぐことに他ならない。
 
今度のリトリートで、多くの参加者にそれが起こるだろう。
 
魂よ、光り輝け!

夢から醒めて・・・

2016年5月24日(火) by キヨタカ

 昨日から、実家に戻っている。
 
朝起きて庭を見たら、トヨタの高級車レクサスが停まっている。
 
キヨタカ:「新車だね、誰のだろう?」
 
ヨガビ:「キヨタカの車古いから、レクサスに変えたの。」
 
キヨタカ:「え〜w(゚o゚)w 冗談でしょ!」
 
ヨガビ:「冗談じゃないわ。キヨタカがよく言う『想定の法則』に従ったの(* ̄0 ̄)ノ」
 
キヨタカ:「あたかも金持ちであるかのように想定して行動すると、実際にそうなる・・ってやつ?』
 
ヨガビ:「そう、これで私たちお金持ち路線を真っしぐらね。」
 
キヨタカ:「ひぇ〜、高級車じゃウィンドの道具だって気軽に運べないよ!夢であったら醒めてくれ〜!!」
 
 
 
・・・と強く思ったら、本当に夢から醒めた。
 
念のため庭を見たら、同じトヨタのイプサムが停まっていてホッとひと安心。
 
走行距離を月まで(38万キロ)延ばすべく、現役で頑張ってくれている愛車だ。
 
 
夢であると知りながら見る夢を、明晰夢(Lucid Dreaming)と言う。
 
最近、明晰夢を見るべく色々とチャレンジしているのだが、これがなかなか難しい。
 
ヨガビがレクサスを買うなんて、現実では絶対にありえない事だが・・・
 
夢の中では、それに何の疑問も感じななくなってしまうから不思議だ。
 
夢を夢と見抜くには、予想以上に相当の気づきと修練が必要なようだ。
 
 
ところで、今こうして日誌を書いているわけだが・・・
 
実は、今ここにある現実そのものが夢でないという保証はどこにもない。
 
ちょうどレクサスが夢である事を見抜けなかったように、日誌を書いているこの現実が夢の中の出来事にすぎないとしたら・・・?
 
『胡蝶の夢』で有名な荘子は、まさにこの難問を我々に問いかけ続けている。
 
もしかしたら、荘子が夢の中でこの日誌を書いているのかも?
 
蝶が夢の中で荘子になり得るのだったら、荘子がキヨタカの夢を見る事は十分に可能だ。
 
 
しかし、荘子の難問から抜け出す唯一の方法がある。
 
それが、「この夢を見ている私は誰か?」という、根源的な問いだ。
 
もちろんその答えは、キヨタカとか荘子と蝶ではない事は明らか。
 
なぜならそうした自己イメージは、それ自身が夢でありストーリーに過ぎないから。
 
その背後に、真の答えが潜んでいる。
 
それこそが真の実在であり、『「I AM/私が在る』という事だ。
 
 
『想定の法則』は、実際に上手くいく事が多々ある。
 
例えば、「自分はお金持ち」と想定したり、あるいは「健康である」とか「良い仕事が見つかった」とか、はたまた「女性にモテる」とか想定し、実際にそのように行動する事で、望む結果が得られたという話は枚挙にいとまがない。
 
しかし、お金がないのにお金持ちと想定するのだから、それらはフィクションであり夢に過ぎずそれなりの限度がある。
 
しかしながら、数ある想定の法則の中で、唯一フイクションではないものがある。
 
それが、『「I AM/私が在る』という事だ。
 
 
哲学者のデカルトもまた、存在の全てを疑い、唯一疑いようのない基盤を発見した。
 
それが同じこの、『「I AM/私が在る』だ。
 
残念ながら、それを哲学の命題として、『我思う、ゆえに我あり』と考察し、思考の世界に舞い戻ってしまった。
 
だから覚者方からは、『それはベーシックエラーだ。「我あり、ゆえに我思う」としなければいけない。』と批判されてしまう。
 
 
真の瞑想は、デカルトと同じ基盤つまり『「I AM/私が在る』から出発する。
 
しかし思考の世界とは180度違う、内的領域へと旅立つ。
 
そして永遠の世界へ、思考の必要ない世界へ目覚めて行くのである。
 
言葉で伝えられるのはここまで。
 
体験されたい方は、ぜひ瞑想会に参加して下さい!

I AM 瞑想

2016年3月21日(月・祝) by キヨタカ

今日は春分の日。
 
伝統的に一年で一番エネルギーが強い日と言われている。
 
OSHOが悟りを開き、空海が入滅した日でもある。
 
特に今年はまもなく満月を迎え 、なんだか人生の成就を迎えつつある気分。
 
そこで、今日は特別に、とてもシンプルかつパワフルな瞑想技法をお伝えしよう。
 
名付けて、『I AM瞑想』
 
但し、気づきの主体としてのプレゼンスと、寛ぎの場としてのビーイングが明確でないとあまり効果は期待できない。
 
 
やり方はこうだ。
 
息を吸いながら『I』と言うマントラを心の中で唱えつつ、気づきのベクトルを主体としてのプレゼンスへ向かわせてそこに留まる。
 
息を吐きながら『AM』というマントラを心の中で唱えつつ、ビーイングへと明け渡す。
 
吸うときも吐くときも、呼吸のギャップを意識できる事が望ましい。
 
特に、吐いた後のギャップに溶け去れたら、素晴らしい(*^-^)
 
 
特別にこの瞑想をする時間を確保する必要はない。
 
朝から晩まで、呼吸している限り、この瞑想を続けることができる。
 
実は寝ている時も、呼吸しているのだから、この瞑想が可能。
 
つまり、この瞑想は理論的には24時間いつでも、どこでも、何をしていても、する事ができる。
 
『I AMの目覚め』への、とても簡単かつ非常に効果的な技法であると自負している。
 
皆さん、是非トライしてみて下さいネ!

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