カテゴリー「日常」の記事

ミニマリズム

2018年7月25日(水) by キヨタカ

 目の手術から2週間経過。
 
手術直後は眼圧が上がってしまい、2日連続で点滴を受けた。
 
「もしかしたらこのまま緑内障で失明か・・・shock
 
という恐怖に襲われたが、最近は症状も安定。
 
 
明日になれば手術後2週間プラス1日だから、半月が経過することになる。
 
わずか1日の差だけれど、「半月経過」と考えるととても気が楽。
 
明日の検査で問題がなければ、そろそろ海に行けるかも知れない。
 
 
目の手術を契機として、余計な物を処分する事にエネルギーを注いでいる。
 
贅沢はしていないつもりだったが、いざ整理を始めると、よくもまあこんなにガラクタを集めたものだと我ながら呆れる┐(´д`)┌ヤレヤレ
 
以前『断捨離』の影響でかなり徹底的に所有物を絞り込んだが、いつの間にか元の木阿弥になってしまった。
 
 
アメリカでは、最低限度の所有物で生活しようという「ミニマリズム」が流行っているらしい。
 
拡大再生産を煽る資本主義は、情報化社会とあいまって、世界は物と情報で溢れかえってしまった。
 
今や生命体としての地球の存続さえ危ぶまれ、 人間としての本当の幸せを見失ってしまったようだ。
 
こうした『ミニマリズム』が唱えられるのも、当然だろう。
 
 
『断捨離』も『ミニマリズム』も『瞑想』も、人間の本質に立ち返るという点で同じライン上にある。
 
物や情報を一つ一つ捨てる度に・・・
 
「本当の喜びは内側にあるんだな〜」
 
と、何やら新しい発見をしている感じがあって楽しい♫

金魚の糞

2018年7月13日(金) by キヨタカ

 目の手術が終わってから、2晩続けて奇妙な夢を見た。
 
初日は、真夜中にふと目を覚ますと見知らぬ女性が枕元に立っていた。
 
よく見ると片足が消えている。
 
足がないんだから幽霊だと思い、
 
「あなた、足がないですよ!」
 
と幽霊に向かって叫んでいた。
 
 
自分の叫び声で目を覚ましたのだが・・・
 
幽霊なんだから、足がなくて当たり前か┐(´д`)┌ヤレヤレ
 
もしかしたら最近亡くなったいとこが、お別れの挨拶に来たのかも( ̄Д ̄;;
 
何はともあれ、幽霊を見ても怖がらなかった自分を褒めてあげたい。
 
 
今朝は、高校の期末テストを控え図書館に籠っている夢を見た。
 
ところが勉強しようとしても全く頭が働かずに焦っている。
 
「このままでは落第するshock
 
これは高校時代に目の手術でしばらく学校を休んだ時に、実際に体験した焦り。
 
昔はよくこの夢に苛まれた。
 
最近は全く見なくなったのだが・・・
 
先日の手術の影響で、まだ潜在意識に残っていた「焦り」の感覚が浮上したのだろう。
 
 
会社を辞めてサニヤシンになって以来、ずっとドロップアウトの人生を送っている。
 
にもかかわらず、今だに落第の夢を見るのだから我ながら呆れる。
 
以前は、こうした理不尽な焦りや恐怖の夢を見る事自体が許せなかったけれども、
 
今では、夢は夢として笑えるようになった。
 
 
焦りも不安も恐怖も、本当の自分ではない。
 
しかし睡眠中となると、夢として意識の表面に浮上する。
 
しかしそれは、断じて本当の私ではない。

Kingyonofun

 
本当の私が金魚だとしたら、せいぜい金魚の糞に過ぎない。
 
金魚は生きている限り、糞も出る。
 
私だって生きている。
 
だったら、糞も含めて金魚を愛でたいものである。

実家にて

2018年7月6日(金) by キヨタカ

 私の家は親戚の数が多く、従兄弟も入れると100人を優に超える。
 
形式ばった付き合いは苦手なのだが、実家に帰るとそうも行かない。
 
親戚やら母の知り合いが我が家を訪問する度に、どうでも良い会話に付き合う事になる。
 
 
先日帰った時も、母が懇意にしていた着付けの先生が来訪。
 
母が関係していた世界ではかなり成功しているそうだが、やたら元気で外交的なこの手のタイプは特に苦手・・・(ρ_;)
 
 
ところが久しぶりに会話をしてみると、とても深く繫る感覚があり驚いた。
 
聞けば昨年の始めに突然夫を亡くし、精神的危機をようやく乗り越えたところだそう。
 
以前のように賑々しい一方的なお喋りは影を潜め、相手に対して心を開きじっくり耳を傾けるスペースが生まれている。
 
だから、話題が日常会話を超えてお互いの生死感やら瞑想にまで及び、とても有意義な時間を過ごす事ができた。
 
突然の夫の死が、彼女にとても大きな変容をもたらしたようだ。
 
 
身近な愛する人を失った悲しみは、察するに余りある。
 
通常は敢えて用事を作って忙しくしたり、酒やテレビや趣味等々で穴を埋めようとする。
 
しかしいくら誤魔化しても、もがけばもがくほど虚無感に苛まれる事になる。
 
むしろこの穴を埋める事なくあるがままにそっくり受け入れることで、他人をそのまま受容する新たなスペースが生まれる。
 
その意味では、愛する人を失う体験は精神的に成長する大いなるチャンスとも言えるだろう。

誕生日

2018年6月26日(火) by キヨタカ

 昨日は私の64回目の誕生日🎂
Img_0061
 
お友達から花をプレゼントされて、記念写真をパチリ。
 
 
最近はあちこちで地震や噴火が頻発、訳の解らない事件も多発してどうも落ち着かない世の中。
 
パートナーのヨガビによると・・・
 
「地球は今、熱したフライパンの上でポップコーンがポンポン跳ねている状態」
 
なんだとか。
 
地球の波動が上がり人類が次のステップへ移行するど真ん中では、これも仕方あるまい。
 
 
 
「地上天国の雛形をこの修善寺の地に創る」
 
と言う夢を掲げてスタートしたリーラスペースだが・・・
 
最近ではその夢も淡くなり・・・
 
 
白隠禅師の坐禅和讃にある通り・・・
 
衆生本来仏なり 
・・・
当所即ち蓮華国 
この身即ち仏なり 
 
と言う事なんだろう。
 
 
つまり、今自分のいるところが地上天国なのだ。
 
だから私が何処に行こうとも、そこが地上天国となる(*^-^)

医は仁術なり

2018年6月21日(木) by キヨタカ

(昨日の日誌の続き・・・)
 
母が体調を崩し点滴を受けた。
 
3日間連続で点滴を受けたにも関わらず、水も食事も全く喉を通らない。
 
「原因がわからないので、次のステップとして胃カメラを飲ませまる」
 
と主治医の老先生は言う。
 
「そんな必要はない。点滴をやめてしばらくすれば回復するはず」
 
と私の直感が言うのだが、プロの医者の意見を無碍に断るわけにもいかない。
 
困ったもんだ。
 
 
そこで母を説得して、なんとか水分を取らせようしたのだが・・・
 
キヨタカ:「頑張って、水くらい飲んで!」
 
母:「飲めない(-ε-)」
 
キ:「そんな事言わずに、少しだけ飲んで!!」
 
母:「飲めないものは飲めない。病人に対する配慮がない\(*`∧´)/」
 
と頑なに拒否。
 
お互いに不穏なムードが漂う雰囲気となってしまった(;д;)
 
 
4日目にやって来られた訪問医療の先生は、若手だがとても穏やかな人だった。
 
「点滴や胃カメラをさせたくない」
 
旨を伝えると・・・
 
「実は私もそう思います」
 
と私の直感に同意してくれた。
 
若先生が言うには、
 
「自分は病気で、飲み食いが出来ない」
 
と頑なに思い込んでいる母親の精神状態がネックになっているとの事。
 
 
問題は、どうやって母親の思い込みを解除して水を飲ませるかと言う事だが・・・
 
この若先生の、母への対応は実に見事だった。
 
先生:「4日も食事が喉を通らないなんて、大変ですね〜?」
 
母:「ハイ」
 
先生:「早く良くなりたいですか〜?」
 
母:「ハイ」
 
先生:「どうしたら、良くなると思いますか〜?」
 
母:「せめて、飲み物くらいでも喉を通れたら・・・」
 
先生:「じゃあ頑張って、試しに水でも少しだけ飲んでみますか〜?」
 
母:「ハイ」
 
・・・と若先生の誘導に見事にのせられて水を2口もゴックンしたのである。
 
嚥下(えんげ)障害も無いことも分かり、これで一安心。
 
それからは、みるみる快方に向かい始めた。
 
 
この若先生の問診の様子を見ていて、カウンセリング等のコミュニケーションの基本である、
 
『相手の世界を尊重し、相手の目線にまで降りて、相手の気持ちを察する』
 
と言う基本原理の大切さを改めて思い知らされた。
 
 
正しいことを「正しい」とストレートに主張しても、正しい事は相手には伝わらない。
 
上から目線で正しさを主張されると、腹が立ってノー!と言いたくなる。
 
相手の世界を尊重する事ではじめて、コミュニケーションが可能となる。
 
 
相手と心が通じ合うことを、フランス語で「ラポール/橋をかける」と言う。
 
ラポールについては、カウンセリングやNLP(神経言語プログラム)等でそのテクニックは色々と勉強したハズだったが・・・
 
頑固な母親を前にして、すっかり忘れていた。
 
 
この若先生の見事な対応を見て、ラポールの大切さを思い起こした。
 
ラポールのテクニックとして、ミラーリングやペーシング等々様々なものがある。
 
この若先生も、色々と勉強しただろうが・・・
 
結局は、テクニックを超えた患者への愛情がその根本にあると感じた。
 
『医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救うを以て志とすべし』(貝原益軒)
 
と言う江戸時代の教えが、この先生の中に活きているのを知り嬉しかった。

友達を"捨てられる人"ほど・・・

2018年6月20日(水)by キヨタカ

 漫画家の弘兼憲史によると、友達を"捨てられる人"ほど人生が充実する そうだが・・・
 
なかなか人間関係をバッサリ切り捨てるのは難しい。
 
ましてや相手が、肉親しかも親となると・・・( ̄Д ̄;;
 
 
先日のワンデーイベント2日前から、母親の胃の調子が悪くなった。
 
歳の割に大食いなので、しばらく食べなければ治るに決まっている。
 
しかし母から何度も電話があり、
 
「これが最期かも知れない゚゚(´O`)°゚」
 
と、今にも死にそうな声で見舞いに来るように切々と訴える。
 
そこで止むを得ず、数日を一緒に過ごす羽目になった。
 
 
母によると、「数日間、水も食事も一切喉を通らない!」
 
ので点滴を毎日しているとのこと。
 
そこで、
 
「点滴なんか毎日するから、水も食事も体が欲しないんだよ!」
 
と点滴を打つのを止めるよう説得。
 
ところが、
 
「点滴を打つ病人なのに、私の気持ちを全く理解してくれない\(*`∧´)/」
 
と激怒されてしまった。
 
 
「あんたこそ、息子の気持ちを全く理解してくれない!」
 
「親を"捨てられる人"ほど人生が充実する !!」
 
と逆ギレして暴言を吐きたくなったが、そこはじっと我慢して・・・
 
翌日のワンデーイベントでは、ジベリッシュをリードしながら、自分でも口にしてはいけない暴言を沢山吐き出した。
 
さらに、ハートの瞑想によって開かれた参加者のハートのエネルギーが、私のハートを極限まで広げてくれた。
 
お陰でワンデーイベントの翌日からは、とても優しく母親の世話をする事ができた。
 
 
私の態度が変化した事で、母親の状態もガラリと変化。
 
ようやく味噌汁を少し飲めるようになり、
 
「優しい息子がいて、私は幸せ(o^-^o)」とのたまわく。
 
「俺の方こそ、長生きしてくれて有難う」
 
と率直に言えた。
 
定期的に行う瞑想会の効果を、今更ながら実感している。
 
参加者も喜び、主催する私はさらに喜ぶ。
 
こんな素敵なイベントは、他になかなかないだろう。
 
・・・との自画自賛はさておき、母が回復するにあたりとても強力なヘルプがあった。
 
実は・・・(続く)

歪んだメガネでも・・・

2018年6月14日(木)by キヨタカ

 目の検査の為、一週間をコンタクトレンズ無しで過ごした。
 
高校生の時に白内障の手術をしたので、コンタクトレンズ無しではまともな日常生活が送れない。
 
一応特別仕様のメガネもあるのだが、強度が強すぎて周囲が歪む。
 
だから 、5分くらいしかかけていられない(。>0<。)
 
 
 
最初は本もメールもパソコンもほとんど見ないで 、やむを得ない時のみメガネを短時間つけて過ごした。
 
ところが、数日もすると合わないはずのメガネがいつの間にか目に馴染んでき来たではないか!
 
一昨日辺りからは車も運転出来るようになり、肉体の適応能力の高さに我ながら驚いた。
 
 
アメリカの某大学の心理学部で行われた、「歪んだメガネ」の実験を思い出した。
 
上下左右が逆さまに映る「歪んだメガネ」を被験者にかけさせて何が起こるのかを観察する実験だ。
 
このメガネをかけると世界がひっくり返って見えるので、もちろん被験者はまともに歩くことすら出来ない。
 
しかし数日もするとだんだんと慣れてきて、やがて普通に日常生活が送れるようになったという。
 
実験が終わりメガネを外して正常な状態にしたら「被験者がひっくり返った」というオチなのだが・・・
 
この一週間を過ごして、あの実験は本当だったのだと納得。
 
 
我々がこの世に生まれた時は、誰だって真っさらな白紙状態にある。
 
そこに両親や教師や社会から、非常に歪んだ様々な条件付けが植え付けられる。
 
それはちょうど歪んだメガネをかけさせられるようなもの。
 
まだ幼い無我の状態でかけさせられたメガネは、すっかり身体の一部となり、歪んでいる事すら気づかなくなってしまう。
 
歪んだメガネでもそれにすっかり馴染んでしまうと、それを取り除くのは非常に困難となる。
 
メガネを外すには、相当の痛みや苦痛が伴うのも仕方がないだろう。

本の問い合わせの件(お尋ね)

2018年6月12日(火) by キヨタカ

H・J さんから、下記の通り本の問い合わせがありました。
 
注文可能ですので、その旨の返信メールをしましたが、そちらに届きません。
 
恐れ入りますが、リーラスペースまでお電話を下さい。
 (Tel 0558-74-1118)
 
Re: 初めまして。
 
天野さんの本を読ませていただいています。『恩寵の扉が開くまで 2』が欲しくて、探しています。
 
分けていただくことはできるのでしょうか?
 
By H・J

瞑想の功徳

2018年6月2日(土) by キヨタカ

 私が学生時代に、瞑想を志した理由・・・
 
それは「瞑想すれば頭が良くなる」と言う話をとある本で読んだから・・・(^_^;)
 
 
『瞑想とは「今・ここ」に在ることで、結果を求めてはいけない!』
 
と言う事は良く理解していた筈だけれども、そう言われていたにも関わらず瞑想の功徳はずっと追い求めていた。
 
瞑想すれば、頭が良くなる。
 
病気が治り健康になる。
 
異性にモテるようになる。
 
金運が上がりお金持ちになる。
 
etc、etc・・・
 
 
あれから数十年の時が過ぎ、そろそろ瞑想の功徳を客観的に総括できる年齢となった。
 
そこで、自分の瞑想人生を振り返ってみたのだが・・・
 
結局のところ瞑想しても相変わらず頭は良くならず、病気もするし、異性にはモテず、とてもお金持ちとは言えないままだ。
 
 
しかしながら、絶対的な功徳が一つある(* ̄0 ̄)ノ
 
それは『幸せになる』と言うことだ。
 
瞑想すれば、病気は治らないかもしれないが、『幸せな病人』になる。
 
お金持ちにはならないかもしれないが、『幸せな貧乏人』になる。
 
恋人はいなくても、『幸せな独り者』になる。
 
 
私の友人で、
 
「何もしないで起こるに任せる」
 
と言う教えを徹底して実行し・・・
 
結果的にホームレスになった人がいる。
 
しかし彼は、それでも何もしないツワモノだった。
 
するとまもなく某聖職者と偶然に出逢い、
 
「あなたみたいに幸せなホームレスにお会いしたのは初めて(*^-^)」
 
と感動を与え、それが縁で素晴らしい住居と仕事をゲットした。
 
 
結局のところ、あるがままの状態の自分を受け入れて、それに感謝して、喜びに満ちている事が先決なのだろう。
 
『今・ここ』が幸せなら、その幸せはずっと続く。
 
なぜなら、『今・ここ』は永遠に存在しているからだ。
 
そう言う人に、運命の女神は微笑まざるを得まい。

道元って凄い人?

2018年5月31日(木)by キヨタカ

 昨晩実家から修善寺に戻り、ホッと一息。
 
昨年末に2度目の骨折をしてから、母の短期記憶が極端に弱り始めた。
 
数分前の出来事が思い出せず、いつも探し物ばかりしている。
 
 
典型的な認知症のは ずだが・・・
 
医者に相談すると、そうでもないらしい。
 
典型的な認知症の場合、食事直後に食べた事を忘れてまた食べ始めたりするそうだ。
 
今年96歳になるので、単に「年相応の認知機能の衰え」との事。
 
 
そうは言っても、毎回探し物に付き合わされるので、ついイラっとなったりして・・・
 
私にとって今の母親は、瞑想で味わう「愛」のスペースが本物かどうかを試す、「試金石」となっている。
 
 
学生時代に禅の修行に憧れた頃は、曹洞宗の開祖『道元禅師』が私にとってヒーローだった。
 
幼少にして父母と死別し、世俗を一切投げうって生涯独身で真理の探究のみに生涯を捧げたストイックさに憧れた。
 
 
しかし今となっては、道元ってそれほど凄い人だったのか、よく分からない。
 
世俗から離れて山に籠もって瞑想に専念すれば、それなりの境地に達するのはそれほど難しいことではない。
 
むしろ男女関係や親子関係のしがらみの中で、それから逃げずにいる方が大切なのではあるまいか?
 
少なくとも今の私にとっては、年老いた母と向き合い、母親を通して自分にも確実に忍び寄る老いと死を見つめる事が、最高の有難い修行となっている。

より以前の記事一覧

メインホームページ

リンク

無料ブログはココログ