カテゴリー「日常」の記事

鏡から離れて・・・

2018年2月1日(木) by キヨタカ

現在、実家(栃木県小山市)に滞在中。
 
昨年末の2度目の骨折を乗り越えて、再び歩けるようになった母。
 
しかし以前と比べて、かなり足もとが覚束なくなりつつある。
 
会うたびに確実に老いる母の姿を見るにつけて、「生・老・病・死」という人間の根源的苦悩に直面せざるを得ない自分がいた。
 
母という鏡を通して、自分の老後の悲惨な末期が頭をよぎり始め・・・
 
ハッ!
 
と気づいて、今へ戻った。
 
 
自分の老後が、悲惨な末期となるのか、至福に満ちたものになるのか。
 
それは全て、今の自分の在り方しだい。
 
今へ戻ると、自由が手に入る。
 
自分の意識の鏡の中に悲惨な未来が映っている事に気づいたら、直ちにそこから離れて今へ戻る。
 
すると、未来は自由に選択できるようになる。
 
 
「想定の法則」で有名なネヴィル ゴダードにこんな言葉がある。
 
Leave the mirror and change your face.
 
Leave the world alone and change your conceptions of yourself.
           ~ Neville Goddard
 
(鏡に映る自分の顔が嫌だったら、)
 
鏡から離れて自分の顔つきを変えなさい。
 
世界を離れて一人になり、自分の自己概念を変えなさい。
 
 
ニューエージの他愛のない言葉として、今まではなんとなく読み過ごしていた。
 
しかしこの言葉を深く理解すれば、人生が 地獄から天国へ一変する可能性を秘めている言葉である事が最近よく理解できるようになった。
 
単なる気の利いた言葉なんかではなく、彼の深い人生体験からにじみ出た人生哲学のエッセンスに違いない。

大丈夫?口撃

2018年1月25日(木) by キヨタカ

 2度目の大腿骨骨折で意気消沈していた母だが、奇跡的に回復。
 
最近は再び向こうから電話がかかってくるようになった。
 
有難い事ではあるのだが・・・
 
そっちは雪が積もって車が出ないだろう?大丈夫?」
 
「食料は買いだめしておかないとね、食べ物大丈夫?」
 
「毎日寒くて風邪引いてない、大丈夫?」
 
「まさか冬なのに海に行ってないよね?大丈夫?」
 
「お前の事が心配で、心配で・・・大丈夫?」
・・・
 
子供の頃から、この「大丈夫?口撃」を日常茶飯事に受けて育てられてしまった。
 
だから、随分と自分の可能性にブレーキがかかってしまい、
 
後でこのブレーキを外すことに相当の時間とお金を費やした。
 
今でも、あの時この「大丈夫?口撃」を受けなければ・・・と思う事が多々ある。
 
 
だからついつい・・・
 
「そんなに俺の事を心配しても、何の役にも立たなかったよ!」
 
「人の事より、また転ばないよう自分の心配をしろよ!」
 
と反撃し始めて、ハッと気づいた。
 
母にとっては、心配する事が唯一の愛情表現なのだ。
 
 
気を取り直して・・・
 
「心配してくれてありがとう。そっちの体調はどう?」
 
と問い返してみた。
 
すると、
 
「 最近は食が細くなり胸がつかえて・・・」
 
「お父さんと同じで食道がんかも?」
 
等々、切々と症状を訴え始めた。
 
そこで「大丈夫、心配だけど?」
 
と聞き返したら、「多分大丈夫だから安心してね」
 
とすごく嬉しそうに答えて、電話が切れた。
 
 
不思議なものである。
 
相手の土俵に無理やり乗せられて「大丈夫?口撃」を受けると腹が立つ。
 
しかし、相手を理解して相手の土俵に乗ってあげると、事がスムーズに運ぶ。
 
被害者意識を止めて、主体的に相手の土俵に立つ。
 
すると、相手との相撲を楽しめるようになる。
 
「右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出しなさい」マタイ福音書5:39
 
キリストの有名な言葉の真意も、この辺りににありそうだ。

雪降る夜

2018年1月22日(月) by キヨタカ

 お昼頃から雪となり、午後3時過ぎにはすっかり銀世界に。
 
夜になると車の通りも途絶え、一切の騒音が止んでいる。
 
 
雪降る夜は静かなものだが・・・
 
今回は格別の静かさ!
 
 
ようやく内側の静けさに寛ぎ始めたので、そう感じるのかも知れない。
 
静かさと安らぎと至福は、結局のところ同じだな。

ハエにとっては・・・

2018年1月21日(日) by キヨタカ

我が家にはテレビがない。
 
しかし新車のカーナビには、テレビ機能が付いていて・・・
 
ひょいとTVスイッチを押して見たら、また不倫報道をしている┐(´д`)┌ヤレヤレ
 
 
世の中のニュースには、どうでも良い事が星の数ほどあるけれど・・・
 
マスコミがスクープなどと大騒ぎする、不倫報道なんかはその最たるものだろう。
 
 
愛の形態は千差万別。
 
誰かが他の誰を愛したからといって、関係者意外は迷惑にならないのだから、一般の人にとってはどうでも良い事のはず。
 
こうも頻繁に不倫報道がマスコミを賑わせるのは、それだけ人々の関心があればこそ。
 
 
ユダヤの陰謀論に関し、大衆を愚民化する政策として、3S政策なるものがあったという。
 
3Sとは、Screen(スクリーン=映画)、Sport(スポーツ=プロスポーツ)、Sex(セックス=性産業)。
 
戦後GHQは日本の占領を確実に遂行するため、積極的に3S政策を推し進めたらしい。
 
今ある週刊誌の記事から3Sを取り除いたら、残りのページは殆どなくなってしまう。
 
だから、GHQの政策が大成功を納めたとも言える。
 
 
しかし肝心のアメリカなんか、3Sの権化みたいな人が大統領になれる。
 
だから3Sとは、マンドの本質に関わるもっと根深い問題だ。
 
マインドは、どうでも良いことに関心を示して大騒ぎする。
 
マインドはうるさい。
 
ブンブン飛びまわるハエのようだ。
 
 
仏教系タントラの元祖サラハの経典に、人間のマインドをハエになぞらえた一節があある。
 
ハエにとっては、腐った肉の臭いが良い香りで、白檀の香りは臭い。
 
TO A FLY THAT LIKES THE SMELL OF PUTRID
 
MEAT, THE FRAGRANCE OF SANDALWOOD IS FOUL.
 
 
マスコミの売上は、寄ってたかるハエの量に正比例する。
 
だから、必然的に腐った肉をニュースにせざるを得ない。
 
 
ウンザリして、TVのスイッチを切った。
 
すると、内側からほのかに白檀の香りが漂って・・・
 
と思ったら、車の芳香剤の香りだった。
 
でも、腐った肉の臭いよりは遥かに上等かも・・・( ̄ー+ ̄)

命日

2018年1月19日(金) By キヨタカ

今日は、インドの神秘家OSHOの命日。
 
28年前の今日、突然に肉体を離れた。
 
 
当時私は、OSHOのいるインドのプーナアシュラムに長期滞在中。
 
当初は3週間滞在の予定だった。
 
ところが、アシュラムの門を入った直後に意識がマインドからハートにシフト!
 
その甘美な感覚の虜になり・・・
 
3ヶ月→1年→2年とズルズル滞在を延長、ちょうど2年半に及ぶところだった。
 
 
その頃、OSHOの体調が悪いという事はもちろん知っていた。
 
しかし「肉体や思考を完全に超越した覚者だから、あと10年くらいくらいは元気でいてくれるだろう」と、勝手に思い込んでいた。
 
だから突然の訃報に接して、自分の父親が亡くなった時以上の衝撃を受けた。
 
 
OSHOの遺体は、この日の内に火葬場で荼毘に付された。
 
一緒に火葬場に行き、一睡もせずに火葬の様子を見守りつつ瞑想した。
 
ブッダ以来の覚者と思わせるカリスマ性と革新的な瞑想技法に惹かれて、人生を賭けてOSHOの下に馳せ参じた。
 
ところが、私を最後まで導いてくれる事なくあっさりと去ってしまった。
 
旅の途中で、たった一人で放り出された感覚に襲われて・・・
 
明日からどうして生きて行ったら良いものか途方に暮れて、その夜は不安感や絶望感で一杯だった。
 
 
ところがその翌朝、アシュラムの門を入ってビックリ!
 
アシュラムの雰囲気は、いつも通りハートフルで濃密で活気に満ちていた。
 
OSHOの肉体が不在にも関わらず、そこかしこにOSHOの臨在を非常に強く感じる。
 
むしろ肉体を離れた事で、その臨在は一挙に広がり始めたようだった。
 
 
あれから30年近くが経つ。
 
しかし、 あの時に感じたハートの感覚は同じもの。
 
それに対して、「OSHOの」というレッテルはもう貼らない。
 
それはただ、「在る」という実存感覚であり、なんとも説明し難いが、確かに永遠不変にここに在る。
 
それは初めから存在していて、今もあり、私が去るときもそのまま在るだろう。
 
OSHOという存在に触れなければ、この感覚を味わうチャンスは来世になっていたかも知れない。
 
OSHOという類稀なる覚者に、心より感謝!!

反省

2018年1月18日(木) by キヨタカ

普段は瞑想に関心のある方以外とは、瞑想の話はしない事にしている。
 
興味のない人と話をしても、話が噛み合わないし、時に軽蔑されたり反発されたりする体験が色々とあったから。
 
 
先日、ウィンドサーフィンでお世話になっている方と食事をして、会話の流れが自然と瞑想の話になった。
 
しかしこの時は、瞑想にとても関心を持ってくれた。
 
28歳で会社を辞めて本格的に瞑想を探求し始めた私のストーリーが、その方にとっては衝撃的だった様子。
 
「瞑想って何?」
 
「会社を辞めてまで学ぶ必要がある?」
 
等々、色々と質問ぜめに会った。
 
 
そこで、『瞑想とは気づきそのものに目覚める事でマインドから自由になる手段』
であることを、瞑想の初心者向けに説明。 
 
「青空と雲」、「映画とその背景のスクリーン」さらには「意識の鏡」の例えを使い、初心者でも分かる様に丁寧にやさしく説明。
 
瞑想に関心のある方にはお馴染みの例えだし、瞑想会ではしょっちゅう語っている事だから、当然わかってくれると思った。
 
 
ところが・・・
 
「真剣に誠実に話を聞いたつもりだけど、さっぱり理解でないのでショック!」
 
というフィードバックをもらい、私もショックshock
 
よくよく考えてみれば、「気づきそのものに気づく」などということは、瞑想の世界では究極のテーマだ。
 
それを安易に伝えようとしても、伝わらないのは当然だろう。
 
ウィンドサーフィンの初心者に、いきなりバックループ(回転技)を教えようとする様なものだ。
 
わからない事を正直にわからないと言ってくれたこの方の真摯な姿勢に、とても感動した。
 
さらには、私の方こそ「専門バカ」の一種である「瞑想バカ」に陥っていたと、しきりに反省している。
 
今度お会いする時は、全く別の角度から話してみようと、今から楽しみ♫

有難うヽ(´▽`)/

2018年1月13日(土) by キヨタカ

 今日も、顔も心臓も麻痺せず元気。
 
日々是好日。
 
生きていること自体が奇跡です。
 
しかも・・・死んでも死なない、私がある(I AM)
 
有難うヽ(´▽`)/

まさか!

2018年1月11日(木) by キヨタカ 

結婚披露宴の定番スピーチに、「三つの坂」というのがある。 

「上り坂」に「下り坂」そして「まさか!」の三つだ。 

最近健康問題に関して、この「まさか!」に直面した。 
 
 
「生・老・病・死」は、誰もが避ける事のできない宿命だ。 
 

  年齢を重ねると、肉体のそこかしこに具合の悪い箇所が出てくるのは仕方あるまい。

しかし私の場合、還暦の数年前から体調がすこぶる良くなった。 
 
7年前に「血糖値が高い」と医者に言われてから、運動と食事管理を徹底した事が功を奏したのだろう。 
 
体重も12キロ落とし、スマートなアスリート体型になった。 
 
お陰様で過去5〜6年は病気にもかからず、体調はほぼ好調で気分が落ち込む事もほとんどなくなった。
 
「120歳まで生きるつもり!」

Hqdefaultとついこの間まで豪語していたのだが・・・

 
 
2ヶ月前のある朝、歯磨きをしながら洗面台の鏡を見てびっくり仰天shock
 
顔が歪んで、バイク事故当時のビート・タケシみたいになっている。
 
数日経過しても治る気配がなく、「一生このままかも知れない」とすら思い始めた。
 
知り合いから、
 
「脳梗塞かも知れないから、病院へ行った方が良い」
 
と言われ、某病院でMRI検査を生まれて初めて受ける事になった。
 
 
幸いMRI画像診断では脳機能に異常はナシ。
 
顔面神経が麻痺する、典型的な「ベル麻痺」と診断された。
 
医者によると、
 
「原因は不明だが、何らかのストレスあるいはウィルスに起因する可能性がある」
 
との事で、抗生物質と炎症を抑えるステロイド系の飲み薬を処方された。
 
 
ストレスが原因と言われても、思い当たる節があまりない。
 
強いて言うなら、「こんなにストレスのない人生を送って良いのだろうか?」
というストレスくらいか・・・?
 
ウィルス感染と言われても、体内でウィルスが暴れている気配は一切感じない。
 
原因不明のままに、薬で症状を抑えることに疑問を感じ、サイキックリーディングが得意な友人のKさんに相談した所・・・
 
「おめでとうございます。鹿児島イベントで「サトルボディーレベルでエネルギーの爆発があり「無」のスペースに入りました。
 
新しい次元にシフトすると、古い余分なエネルギーがリリースされます。
 (略)
そのせいで右側の顔面神経が感電したような状態になって、麻痺しています。
 
新しいエネルギーと、キヨタカの肉体やサトルボディーの整合が起こるのに、2週間
 
麻痺が治るまでは、6〜7週間かかります。
 
医者に処方された薬(抗生物質と炎症を抑えるステロイド)は飲まないように!」
 
というリーディング結果となった。
 
 
薬を飲まないで治そうと決めたけれども、最初は大きな不安が伴った。
 
しかしプロフェッショナルの治療家Fさんからも次のアドヴァイスがあり、自分自身に内在する自己治癒の力に委ねる事にした。
 
ベル麻痺は、予後良好です。
 
ほっといても、身体が勝手に治しますので、まずは安心してくださいね。
 
自分で治そうとするマインドと同化して、不安になってもがいても、細胞自身の智恵 
を信頼して勝手に治ると思って、らく〜にしてても、時間がきたらどちらも治ってしまいます。
 
らくーにしてる時は、ビーングと繋がりますので、治りが良いでしょう。
 
両者のアドヴァイスに従い、自分の身体の叡智に身を委ねた結果・・・
本当に6週間後には完治してしまった。
 
私は何もしなかったのに、身体が勝手に治してくれたのである。
 
実に有難い。
 
 
今回はベル麻痺で済んだが、「まさか」はいつやってくるかはわかない事を身を以て知った。
 
もしかしたら、明日「心臓麻痺」で昇天するかも知れない。
 
だから、120歳まで生きる事にこだわるのはヤメた。
 
今日も一日、ベル麻痺にも心臓麻痺にもならず、元気に過ごせた。
 
それで、充分。
 
日々是れ好日
 
今日一日を、愛と平和と喜びに満ちて過ごそう。

幽体離脱

2018年1月8日(月)by キヨタカ

 
最後に日誌を書いてから、あっという間に6週間が過ぎた。
 
例年だと、年末年始は何かと慌ただしい。
 
そこで今年は、この時期を優雅に過ごすべく、暫くセッション等を思いきって休むことにした。
 
お陰様で、今年はとてもゆったりとした年末年始を迎える事が出来た・・・
 
筈だったのだが・・・( ̄Д ̄;;
 
 
実は12月の初めに、ショートステイ滞在中の母が再び転倒、骨折(ρ_;)
 
母のケアのために何回も実家と修善寺間を往復ドライブをすることになり、例年以上に慌ただしい日々を過ごしてしまった。
 
 
母は2年前に右足を骨折して入院、手術をしたのだが、今度は左足の同じ箇所。
 
幸い手術後の経過が良く、数日前に無事に退院する事が出来た。
 
今はまだ歩行器を使っているけれども、95歳の誕生日を過ぎて再び歩けるようになったので驚いている。
 
「転倒→大腿骨骨折→入院・手術→寝たきり→認知症」
 
というのが、高齢者がたどる典型とのこと。
 
2度も奇跡的に歩けるようになったのだから、高齢者の希望の星として余生を全うして欲しいものである。
 
 
早朝トイレに行こうとベットから降りた時に転倒したらしい。
 
しかし 、ショックで転倒時の母の記憶は曖昧になっている。
 
母の話を良く聞いてみると、その時にどうやら幽体離脱を体験したらしい。
 
 
母:「記憶が曖昧だけど、自分が床に転がっている姿が見えたのよ。」
 
キヨタカ:「それって、俗に言う臨死体験じゃない?」
 
母:「上の方から、見ているのよ。」
 
キヨ:「骨折のショックで、魂が体から離れちゃったんだね!?
そのまま、ス〜ッと体から抜け出せば良かったのに!」
 
母:「体からは抜けたけど、何処へ行っていいか判らないし・・また体に戻っちゃった」
 
キヨ:「(死んだ)お父さんか姉貴がやって来て、行き先を教えてくれなかったの?」
 
母:「誰も来なかった。」
 
キヨ:「じゃ臨死体験じゃなくて、単なる幽体離脱だね。」
 
母:「魂が肉体を離れるって、こんな感じかしらね。だったら死ぬのも怖くないね。」
 
キヨ;「素晴らしい体験が出来て、良かったね(*^-^)」
 
 
瞑想を始めて30年経つけど、まだ臨死体験も幽体離脱も体験していない。
 
さすがに年の頃というべきか、幽体離脱体験は母に先を越されてしまった。

台風と浄化

2017年10月23日(月) by キヨタカ

大型台風も過ぎ去り、今日は快晴!
 
素晴らしい秋空が広がったヽ(´▽`)/
 
 
台風が日本列島を通過する度に、様々な被害がもたらされる。
 
だから台風はない方が良いかというと、そういう訳にもいかない。
 
台風は海水温度が上昇すると発生するが、台風のお陰で海をかき混ぜて海水温度を下げるという重要な役割がある。
 
地球環境がそのバランスを取り戻す為の浄化作用として、実は必要不可欠な大自然の恵みなのだ。
 
あの激しい風雨があればこそ、今日のこの清々しい日を味わうことが出来る。
 
 
瞑想とは、思考や感情のその先、つまり分厚い雲に覆われた背後にある真実の青空を目覚めさせる手段だ。
 
伝統的な瞑想技法では、雲を無視してダイレクトに青空にアプローチしようとする。
 
 
シンプルな生活をしていた古代の人々であれば、思考や感情を覆う雲もシンプルだから、その技法でも十分に青空にアクセス可能だ。
 
しかし、複雑に進化したマインドを持つ現代人が、伝統的な瞑想技法を行うと、その効果はとても限定的なものとなる。
 
場合によっては、さらなる抑圧の雲を作り出してしまう結果になりかねない。
 
 
リーラスペースの瞑想会では、必ず「浄化を伴う瞑想技法」を行うようにしている。
 
先日(21日/土曜日)行われた新宿瞑想会では、ブリージングの技法を使って、魂の覚醒を促す新たな試みをした。
 
わずか2時間程度の瞑想会ではちょっと無謀な試みにも思えたが、参加者全員がかなり準備のできている方々ばかりだったので、とてもスムーズにワークが進んだ。
 
ブリージングの後では、魂の目覚めが自然に起こり、「ただ在ることの喜び」を体験的に分かち合う事ができたように思う。
 
先日の瞑想会で、リーラスペースのワークが新たな次元へ導かれ始めたことを確信した。
 
 
次回の新宿瞑想会は、11月25日(土)を予定している。
 
今年最後となるので、ぜひお見逃しなく!

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