カテゴリー「日常」の記事

しだれ桜

2018年4月5日(木) by キヨタカ

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 実家から修善寺に戻る。
 
実家滞在中に桜は散ってしまったが、かわりに本館のしだれ桜が満開。
 
今年も見事な姿を披露してくれた。
 
 
実はこの桜、危うく伐採の危機に直面した事がある。
 
この施設のオーナーの知り合いの自称霊能者が、「しだれ桜は下向きに咲くので運気を下げる・・・」と主張。
 
それを真に受けて、伐採される事になってしまったのだ。
 
 
ところが、カクカクシカジカの事情で伐採は中止、運よく生き延びる事が出来た。
 
木が成長してここまで見事な花を咲かせるには、相当な年月が必要だ。
 
下向きに咲く桜の姿は、私にとっては恩寵が天から地上に向かって燦々と降り注ぐようなエネルギーを感じる。
 
桜の枝が垂れ下がれば、それだけ運気も向上すると思う。
 
人間の勝手な事情を乗り越えて、生き延びる事が出来て本当によかったheart04

不可思議な法則と美

2018年3月28日(水) by キヨタカ

 リーラスペースは春の草花が満開で、とても幸せな気分に❤️
 
最近ハートにエネルギーが一段とシフトしているのは、長年の瞑想のお陰だと感謝しているのだが・・・
 
もしかしたら、春の陽気と桜フェロモン(エフェドリン)のせいかも知れない。
 
 
原因は何であれ、「ただ生きている事で幸せな気分」なのが嬉しい。
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昨年植えた桃の木に、再び花が咲いた!
 
花びらの数は数学的に決まっていて、1、2、3、5、8、13、21、34、55、・・・
とフェボナッチ数列に従っているそうだ。
 
 
試みに、桃の花びらの数を数えたら5枚。
 
ついでに、桜もゆきやなぎの花びらも調べて見たら5枚。
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法則通りだったので感動!
 
 
 
 
 
 
嬉しくなって、スイセンの花びらを数えたら、残念な事に6枚でフェボナッチ数列ではなかった(ρ_;)
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こぶしは花びらがすぐに散るので、幾つなのか良くわからない。
 
椿は、花弁が多過ぎてこれまた判別不能。
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全て例外のない法則はない、というのが法則なのだろうが・・・
 
人間には計り知れない不可思議な法則が全宇宙を貫いているのは確かだ。
 
直感的にその法則を感じる事で、人は自然の美しさを感じるのだろう。
 

見過ごしていた!

2018年3月27日(火) by キヨタカ

リーラスペースは、少し遅めの春の真っ盛りヽ(´▽`)/Img_1066
 
桜やこぶしの花が咲き乱れ、富士山の美しい姿が遠くに霞んでいる。
 
部屋には、美しいモーツアルトの曲が流れていて・・・
 
やっぱりここは、『地上天国』に違いない。

 

最近、と言ってもこの一週間くらいだけど、モーツアルトにハマっている。

きっかけは、たまたまYouTubeで見つけた『ピアノ協奏曲第20番』

モーツアルトと言えば、どこかノホホンとしていて、天上界の住人が奏でる浮世離れした音楽と言う印象が強いが・・・

この曲は、とてもドラマチックで情感に富み、「あれベートーベンかな?」とすら思わせる。

こんな素敵な曲を見過ごしていたとは、今では信じられない!

 

クラッシック音楽ファンにとってはつとに有名で、モーツアルトを代表する曲の一つだとか。

実はベートーベンもすごく気に入っていて、この曲のカデンツァ(最終部の即興的演奏)も作ったと言う。

モーツアルトを題材にした映画「アマデウス」のエンディングにも、使われていることを後から知り驚いているshock

 
既に知っていたのに見過ごしていた。
 
音楽のみならず、幸せも健康も悟りも、それは既にそこにある。
 
単に見過ごしていただけなんだろうcoldsweats02
 

鏡から離れて・・・

2018年2月1日(木) by キヨタカ

現在、実家(栃木県小山市)に滞在中。
 
昨年末の2度目の骨折を乗り越えて、再び歩けるようになった母。
 
しかし以前と比べて、かなり足もとが覚束なくなりつつある。
 
会うたびに確実に老いる母の姿を見るにつけて、「生・老・病・死」という人間の根源的苦悩に直面せざるを得ない自分がいた。
 
母という鏡を通して、自分の老後の悲惨な末期が頭をよぎり始め・・・
 
ハッ!
 
と気づいて、今へ戻った。
 
 
自分の老後が、悲惨な末期となるのか、至福に満ちたものになるのか。
 
それは全て、今の自分の在り方しだい。
 
今へ戻ると、自由が手に入る。
 
自分の意識の鏡の中に悲惨な未来が映っている事に気づいたら、直ちにそこから離れて今へ戻る。
 
すると、未来は自由に選択できるようになる。
 
 
「想定の法則」で有名なネヴィル ゴダードにこんな言葉がある。
 
Leave the mirror and change your face.
 
Leave the world alone and change your conceptions of yourself.
           ~ Neville Goddard
 
(鏡に映る自分の顔が嫌だったら、)
 
鏡から離れて自分の顔つきを変えなさい。
 
世界を離れて一人になり、自分の自己概念を変えなさい。
 
 
ニューエージの他愛のない言葉として、今まではなんとなく読み過ごしていた。
 
しかしこの言葉を深く理解すれば、人生が 地獄から天国へ一変する可能性を秘めている言葉である事が最近よく理解できるようになった。
 
単なる気の利いた言葉なんかではなく、彼の深い人生体験からにじみ出た人生哲学のエッセンスに違いない。

大丈夫?口撃

2018年1月25日(木) by キヨタカ

 2度目の大腿骨骨折で意気消沈していた母だが、奇跡的に回復。
 
最近は再び向こうから電話がかかってくるようになった。
 
有難い事ではあるのだが・・・
 
そっちは雪が積もって車が出ないだろう?大丈夫?」
 
「食料は買いだめしておかないとね、食べ物大丈夫?」
 
「毎日寒くて風邪引いてない、大丈夫?」
 
「まさか冬なのに海に行ってないよね?大丈夫?」
 
「お前の事が心配で、心配で・・・大丈夫?」
・・・
 
子供の頃から、この「大丈夫?口撃」を日常茶飯事に受けて育てられてしまった。
 
だから、随分と自分の可能性にブレーキがかかってしまい、
 
後でこのブレーキを外すことに相当の時間とお金を費やした。
 
今でも、あの時この「大丈夫?口撃」を受けなければ・・・と思う事が多々ある。
 
 
だからついつい・・・
 
「そんなに俺の事を心配しても、何の役にも立たなかったよ!」
 
「人の事より、また転ばないよう自分の心配をしろよ!」
 
と反撃し始めて、ハッと気づいた。
 
母にとっては、心配する事が唯一の愛情表現なのだ。
 
 
気を取り直して・・・
 
「心配してくれてありがとう。そっちの体調はどう?」
 
と問い返してみた。
 
すると、
 
「 最近は食が細くなり胸がつかえて・・・」
 
「お父さんと同じで食道がんかも?」
 
等々、切々と症状を訴え始めた。
 
そこで「大丈夫、心配だけど?」
 
と聞き返したら、「多分大丈夫だから安心してね」
 
とすごく嬉しそうに答えて、電話が切れた。
 
 
不思議なものである。
 
相手の土俵に無理やり乗せられて「大丈夫?口撃」を受けると腹が立つ。
 
しかし、相手を理解して相手の土俵に乗ってあげると、事がスムーズに運ぶ。
 
被害者意識を止めて、主体的に相手の土俵に立つ。
 
すると、相手との相撲を楽しめるようになる。
 
「右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出しなさい」マタイ福音書5:39
 
キリストの有名な言葉の真意も、この辺りににありそうだ。

雪降る夜

2018年1月22日(月) by キヨタカ

 お昼頃から雪となり、午後3時過ぎにはすっかり銀世界に。
 
夜になると車の通りも途絶え、一切の騒音が止んでいる。
 
 
雪降る夜は静かなものだが・・・
 
今回は格別の静かさ!
 
 
ようやく内側の静けさに寛ぎ始めたので、そう感じるのかも知れない。
 
静かさと安らぎと至福は、結局のところ同じだな。

ハエにとっては・・・

2018年1月21日(日) by キヨタカ

我が家にはテレビがない。
 
しかし新車のカーナビには、テレビ機能が付いていて・・・
 
ひょいとTVスイッチを押して見たら、また不倫報道をしている┐(´д`)┌ヤレヤレ
 
 
世の中のニュースには、どうでも良い事が星の数ほどあるけれど・・・
 
マスコミがスクープなどと大騒ぎする、不倫報道なんかはその最たるものだろう。
 
 
愛の形態は千差万別。
 
誰かが他の誰を愛したからといって、関係者意外は迷惑にならないのだから、一般の人にとってはどうでも良い事のはず。
 
こうも頻繁に不倫報道がマスコミを賑わせるのは、それだけ人々の関心があればこそ。
 
 
ユダヤの陰謀論に関し、大衆を愚民化する政策として、3S政策なるものがあったという。
 
3Sとは、Screen(スクリーン=映画)、Sport(スポーツ=プロスポーツ)、Sex(セックス=性産業)。
 
戦後GHQは日本の占領を確実に遂行するため、積極的に3S政策を推し進めたらしい。
 
今ある週刊誌の記事から3Sを取り除いたら、残りのページは殆どなくなってしまう。
 
だから、GHQの政策が大成功を納めたとも言える。
 
 
しかし肝心のアメリカなんか、3Sの権化みたいな人が大統領になれる。
 
だから3Sとは、マンドの本質に関わるもっと根深い問題だ。
 
マインドは、どうでも良いことに関心を示して大騒ぎする。
 
マインドはうるさい。
 
ブンブン飛びまわるハエのようだ。
 
 
仏教系タントラの元祖サラハの経典に、人間のマインドをハエになぞらえた一節があある。
 
ハエにとっては、腐った肉の臭いが良い香りで、白檀の香りは臭い。
 
TO A FLY THAT LIKES THE SMELL OF PUTRID
 
MEAT, THE FRAGRANCE OF SANDALWOOD IS FOUL.
 
 
マスコミの売上は、寄ってたかるハエの量に正比例する。
 
だから、必然的に腐った肉をニュースにせざるを得ない。
 
 
ウンザリして、TVのスイッチを切った。
 
すると、内側からほのかに白檀の香りが漂って・・・
 
と思ったら、車の芳香剤の香りだった。
 
でも、腐った肉の臭いよりは遥かに上等かも・・・( ̄ー+ ̄)

命日

2018年1月19日(金) By キヨタカ

今日は、インドの神秘家OSHOの命日。
 
28年前の今日、突然に肉体を離れた。
 
 
当時私は、OSHOのいるインドのプーナアシュラムに長期滞在中。
 
当初は3週間滞在の予定だった。
 
ところが、アシュラムの門を入った直後に意識がマインドからハートにシフト!
 
その甘美な感覚の虜になり・・・
 
3ヶ月→1年→2年とズルズル滞在を延長、ちょうど2年半に及ぶところだった。
 
 
その頃、OSHOの体調が悪いという事はもちろん知っていた。
 
しかし「肉体や思考を完全に超越した覚者だから、あと10年くらいくらいは元気でいてくれるだろう」と、勝手に思い込んでいた。
 
だから突然の訃報に接して、自分の父親が亡くなった時以上の衝撃を受けた。
 
 
OSHOの遺体は、この日の内に火葬場で荼毘に付された。
 
一緒に火葬場に行き、一睡もせずに火葬の様子を見守りつつ瞑想した。
 
ブッダ以来の覚者と思わせるカリスマ性と革新的な瞑想技法に惹かれて、人生を賭けてOSHOの下に馳せ参じた。
 
ところが、私を最後まで導いてくれる事なくあっさりと去ってしまった。
 
旅の途中で、たった一人で放り出された感覚に襲われて・・・
 
明日からどうして生きて行ったら良いものか途方に暮れて、その夜は不安感や絶望感で一杯だった。
 
 
ところがその翌朝、アシュラムの門を入ってビックリ!
 
アシュラムの雰囲気は、いつも通りハートフルで濃密で活気に満ちていた。
 
OSHOの肉体が不在にも関わらず、そこかしこにOSHOの臨在を非常に強く感じる。
 
むしろ肉体を離れた事で、その臨在は一挙に広がり始めたようだった。
 
 
あれから30年近くが経つ。
 
しかし、 あの時に感じたハートの感覚は同じもの。
 
それに対して、「OSHOの」というレッテルはもう貼らない。
 
それはただ、「在る」という実存感覚であり、なんとも説明し難いが、確かに永遠不変にここに在る。
 
それは初めから存在していて、今もあり、私が去るときもそのまま在るだろう。
 
OSHOという存在に触れなければ、この感覚を味わうチャンスは来世になっていたかも知れない。
 
OSHOという類稀なる覚者に、心より感謝!!

反省

2018年1月18日(木) by キヨタカ

普段は瞑想に関心のある方以外とは、瞑想の話はしない事にしている。
 
興味のない人と話をしても、話が噛み合わないし、時に軽蔑されたり反発されたりする体験が色々とあったから。
 
 
先日、ウィンドサーフィンでお世話になっている方と食事をして、会話の流れが自然と瞑想の話になった。
 
しかしこの時は、瞑想にとても関心を持ってくれた。
 
28歳で会社を辞めて本格的に瞑想を探求し始めた私のストーリーが、その方にとっては衝撃的だった様子。
 
「瞑想って何?」
 
「会社を辞めてまで学ぶ必要がある?」
 
等々、色々と質問ぜめに会った。
 
 
そこで、『瞑想とは気づきそのものに目覚める事でマインドから自由になる手段』
であることを、瞑想の初心者向けに説明。 
 
「青空と雲」、「映画とその背景のスクリーン」さらには「意識の鏡」の例えを使い、初心者でも分かる様に丁寧にやさしく説明。
 
瞑想に関心のある方にはお馴染みの例えだし、瞑想会ではしょっちゅう語っている事だから、当然わかってくれると思った。
 
 
ところが・・・
 
「真剣に誠実に話を聞いたつもりだけど、さっぱり理解でないのでショック!」
 
というフィードバックをもらい、私もショックshock
 
よくよく考えてみれば、「気づきそのものに気づく」などということは、瞑想の世界では究極のテーマだ。
 
それを安易に伝えようとしても、伝わらないのは当然だろう。
 
ウィンドサーフィンの初心者に、いきなりバックループ(回転技)を教えようとする様なものだ。
 
わからない事を正直にわからないと言ってくれたこの方の真摯な姿勢に、とても感動した。
 
さらには、私の方こそ「専門バカ」の一種である「瞑想バカ」に陥っていたと、しきりに反省している。
 
今度お会いする時は、全く別の角度から話してみようと、今から楽しみ♫

有難うヽ(´▽`)/

2018年1月13日(土) by キヨタカ

 今日も、顔も心臓も麻痺せず元気。
 
日々是好日。
 
生きていること自体が奇跡です。
 
しかも・・・死んでも死なない、私がある(I AM)
 
有難うヽ(´▽`)/

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