カテゴリー「日常」の記事

アルテ

2018年11月23日(金) by キヨタカ

 私が最初の本「アジズとの対話」を出版したのが、2003年の5月のこと。
 
少数の探求者向けに、ホームページでセッション内容をアップしたところ・・・
 
「とても素晴らしいので、本を出版しませんか?」とのメールを頂いた。
 
それが、出版社(株)アルテの市村さんとの出逢いだ。
 
 
アジズとの体験を理解してくれた事が嬉しくて、即座にOKしたものの・・・
 
出版不況のご時世でもあり、いつ潰れても不思議はない。
(一説によると、中小企業十年後の倒産率は70〜90%とか(^_^;) )
 
潰れなくとも出版会社の常識として、売れない本は即座に廃刊の憂き目に遭う。
 
だから、数年後には廃刊になっても仕方ないと思っていた。
 
 
ところがそれから現在まで5冊の本を出し、現在も細々とではあるが売り続けて頂いている。
 
運が良いのは私だけではく、市村さんも相当に事業運が良いのだろう。
 
 
最初にお会いした当時は、出版会社を辞めて独立したばかり。
 
繊細で声も小さく、ちょっと頼りない。
 
「アート系出版を目指しarteと名付けた」と言うだけに、社長というよりは内向的な芸術家という印象だった。
 
 
昨日、アルテの出版関係者の忘年会があった。 
 
最初の出版打ち合わせ以来 、直接顔をあわせるのは15年ぶりだ。
 
久しぶりにお会いしてみると、非常に元気溌剌として筋骨隆々。
 
話される声も私よりも大きいくらいで、自信がみなぎっている。
 
非常に逞しく変貌したその姿に、とても感動した。Img_0011
 
 
聞けばあれからフルコンタクト系の空手を修行していて、今では空手師範を副業としているとのこと。
 
出版業も、アドラー心理学ブームに乗り絶好調の様子だ。
 
目先の損得よりも、世の中で長く読み継がれる本をずっと出版し続けてきた功徳が報われているに違いあるまい。
 
 
この日も参加者の半数以上がアドラー心理学関係者で占められ、現場で日々アドラー心理学を実践されている方々の貴重なお話が聞けて楽しかった。
 
アドラー心理学は、個人をそれ以上分割できない存在であると考え、その人にふさわしい目的に向かって行動する存在とみなす。
 
だから個人の創造力、創造性を高く評価する。
 
抑圧された心理的牢獄からの解放だけではなく、より積極的に潜在能力の開花をサポートする心理学だとも言える。
 
 
数年前は、マインドフルネスがブームだったから、その内に「覚醒系の瞑想」ブームが訪れるに違いない。
 
新しい本の出版を依頼されたので・・・
 
「時節が到来したら 必ず出します」と約束。
 
今後の楽しみが一つ増えた♫

ズーム革命

2018年11月14日(水) by キヨタカ

 最近、毎日ズームのお世話になっている。
 
ズーム(ZOOM)とは、ビデオ通話ソフトの一種。
 
代表的なものはスカイプ(Skype)で、私も以前からオンライン個人セッション等で使用していた。
 
しかし途中で途切れたり、音楽を流せなかったりして制約が多かった。
 
 
大企業では、数百万円をかけた専用のビデオ会議システムの導入が人気らしい。
 
しかし個人企業とも言えないリーラスペースにとっては、高嶺の花。
 
そんなシステムは、無いのと一緒である。
 
さらに、何と言ってもスカイプの最大の魅力は、無料! 
 
「不自由を常と思えば不足なし」と、
 
家康の心境で自分を納得させてそれなりに満足していたのだが・・・
 
 
3ヶ月前のある日、友人に言われてズーム(ZOOM)なる新しいソフトを試しに使ってみたところ・・・
 
その簡易性、安定性、多人数通話(100名?)の可能性、画面共有で音楽や動画も流せて、その圧倒的な革新性にビックリshock
 
しかも基本無料の太っ腹である。
 
さっそく全てのオンラインセッションをズームに切り替え、毎日快適に過ごしている。
 
 
ズーム(ZOOM)は企業向けWEB会議システム開発企業からスピンアウトしたもので、通話から発展したスカイプとコンセプトが違う。
 
だから、複数の人々との対話がスムーズになるよう、様々に優れたデザインがされている。
 
これはもしかしたら、とんでもないソフトかもしれない。
 
そう思い、さっそくネット検索したところ、ズームに関する情報が満載!
 
 
このシステムを有効活用したら、働き方に革命が起こるに違いない。
 
実際に、例えば全ての業務打ち合わせにズームを導入し、オフォスを廃止してしまった会社も色々と出現しつつあるそうだ。
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さらに、 「 Zoom革命」を標榜する、ズームを熱く語るサイトを発見。
 
日本初のZoomの著書があると言うので、さっそくkinkle版を購入した。
 
これがまた、新しい可能性を色々と垣間見させてくれる不思議な魅力ある本だった。
 
そのお陰で、 最近はますますZoomにハマる日々を過ごしている。

カマキリはいいよな〜

2018年11月11日(日) by キヨタカ

車で出かけようとしたら、カマキリも一緒に行きたがっているようだった。 
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カマキリはいいよな〜
 
自分で空を飛べるから・・・
 
好きな所へ飛んで行ける。
 
鳥だって、いいよな〜
 
自由に大空を羽ばたける。
 
自分は空を飛べないから、車を使わないと遠くへ行けない(>_<)
 
 
しかしカマキリも鳥も、車を運転出来ない。
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だからと言って、人間っていいよな〜
 
・・・とは思わないはず。
 
 
自分にないものを求めて、人間はもがき苦しむ。
 
仏教では、「求める物が得られないこと」を求不得苦 
(ぐふとくく)と言って戒めている。
 
だから、「求めない」ことが大切だと思い込んでいたけれど・・・
 
カマキリも鳥も、車や飛行機を発明出来ない。
 
ないものを求めたからこそ、人間は進歩して来た。
 
だから、「求める」とは人間にとってとても大切な事なんだろう。
 
 
人は誰もがその人特有の潜在的可能性を秘めている。
 
しかし何の因果かその可能性の扉は閉まっていて、通常はその可能性にすら気づかない。
 
しかし本気で瞑想を始めると、潜在的可能性に気づき始め、それを求め始める。
 
しかしそが現実化するには、乗り越えられないように思える壁がある。
 
だからこそ、苦しい。 
 
しかし本気でもがき苦しんでこそ、潜在的可能性の扉が開く。
 
嘆き苦しむ者は幸いなり(* ̄0 ̄)ノ

ミニマリズム

2018年7月25日(水) by キヨタカ

 目の手術から2週間経過。
 
手術直後は眼圧が上がってしまい、2日連続で点滴を受けた。
 
「もしかしたらこのまま緑内障で失明か・・・shock
 
という恐怖に襲われたが、最近は症状も安定。
 
 
明日になれば手術後2週間プラス1日だから、半月が経過することになる。
 
わずか1日の差だけれど、「半月経過」と考えるととても気が楽。
 
明日の検査で問題がなければ、そろそろ海に行けるかも知れない。
 
 
目の手術を契機として、余計な物を処分する事にエネルギーを注いでいる。
 
贅沢はしていないつもりだったが、いざ整理を始めると、よくもまあこんなにガラクタを集めたものだと我ながら呆れる┐(´д`)┌ヤレヤレ
 
以前『断捨離』の影響でかなり徹底的に所有物を絞り込んだが、いつの間にか元の木阿弥になってしまった。
 
 
アメリカでは、最低限度の所有物で生活しようという「ミニマリズム」が流行っているらしい。
 
拡大再生産を煽る資本主義は、情報化社会とあいまって、世界は物と情報で溢れかえってしまった。
 
今や生命体としての地球の存続さえ危ぶまれ、 人間としての本当の幸せを見失ってしまったようだ。
 
こうした『ミニマリズム』が唱えられるのも、当然だろう。
 
 
『断捨離』も『ミニマリズム』も『瞑想』も、人間の本質に立ち返るという点で同じライン上にある。
 
物や情報を一つ一つ捨てる度に・・・
 
「本当の喜びは内側にあるんだな〜」
 
と、何やら新しい発見をしている感じがあって楽しい♫

金魚の糞

2018年7月13日(金) by キヨタカ

 目の手術が終わってから、2晩続けて奇妙な夢を見た。
 
初日は、真夜中にふと目を覚ますと見知らぬ女性が枕元に立っていた。
 
よく見ると片足が消えている。
 
足がないんだから幽霊だと思い、
 
「あなた、足がないですよ!」
 
と幽霊に向かって叫んでいた。
 
 
自分の叫び声で目を覚ましたのだが・・・
 
幽霊なんだから、足がなくて当たり前か┐(´д`)┌ヤレヤレ
 
もしかしたら最近亡くなったいとこが、お別れの挨拶に来たのかも( ̄Д ̄;;
 
何はともあれ、幽霊を見ても怖がらなかった自分を褒めてあげたい。
 
 
今朝は、高校の期末テストを控え図書館に籠っている夢を見た。
 
ところが勉強しようとしても全く頭が働かずに焦っている。
 
「このままでは落第するshock
 
これは高校時代に目の手術でしばらく学校を休んだ時に、実際に体験した焦り。
 
昔はよくこの夢に苛まれた。
 
最近は全く見なくなったのだが・・・
 
先日の手術の影響で、まだ潜在意識に残っていた「焦り」の感覚が浮上したのだろう。
 
 
会社を辞めてサニヤシンになって以来、ずっとドロップアウトの人生を送っている。
 
にもかかわらず、今だに落第の夢を見るのだから我ながら呆れる。
 
以前は、こうした理不尽な焦りや恐怖の夢を見る事自体が許せなかったけれども、
 
今では、夢は夢として笑えるようになった。
 
 
焦りも不安も恐怖も、本当の自分ではない。
 
しかし睡眠中となると、夢として意識の表面に浮上する。
 
しかしそれは、断じて本当の私ではない。

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本当の私が金魚だとしたら、せいぜい金魚の糞に過ぎない。
 
金魚は生きている限り、糞も出る。
 
私だって生きている。
 
だったら、糞も含めて金魚を愛でたいものである。

実家にて

2018年7月6日(金) by キヨタカ

 私の家は親戚の数が多く、従兄弟も入れると100人を優に超える。
 
形式ばった付き合いは苦手なのだが、実家に帰るとそうも行かない。
 
親戚やら母の知り合いが我が家を訪問する度に、どうでも良い会話に付き合う事になる。
 
 
先日帰った時も、母が懇意にしていた着付けの先生が来訪。
 
母が関係していた世界ではかなり成功しているそうだが、やたら元気で外交的なこの手のタイプは特に苦手・・・(ρ_;)
 
 
ところが久しぶりに会話をしてみると、とても深く繫る感覚があり驚いた。
 
聞けば昨年の始めに突然夫を亡くし、精神的危機をようやく乗り越えたところだそう。
 
以前のように賑々しい一方的なお喋りは影を潜め、相手に対して心を開きじっくり耳を傾けるスペースが生まれている。
 
だから、話題が日常会話を超えてお互いの生死感やら瞑想にまで及び、とても有意義な時間を過ごす事ができた。
 
突然の夫の死が、彼女にとても大きな変容をもたらしたようだ。
 
 
身近な愛する人を失った悲しみは、察するに余りある。
 
通常は敢えて用事を作って忙しくしたり、酒やテレビや趣味等々で穴を埋めようとする。
 
しかしいくら誤魔化しても、もがけばもがくほど虚無感に苛まれる事になる。
 
むしろこの穴を埋める事なくあるがままにそっくり受け入れることで、他人をそのまま受容する新たなスペースが生まれる。
 
その意味では、愛する人を失う体験は精神的に成長する大いなるチャンスとも言えるだろう。

誕生日

2018年6月26日(火) by キヨタカ

 昨日は私の64回目の誕生日🎂
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お友達から花をプレゼントされて、記念写真をパチリ。
 
 
最近はあちこちで地震や噴火が頻発、訳の解らない事件も多発してどうも落ち着かない世の中。
 
パートナーのヨガビによると・・・
 
「地球は今、熱したフライパンの上でポップコーンがポンポン跳ねている状態」
 
なんだとか。
 
地球の波動が上がり人類が次のステップへ移行するど真ん中では、これも仕方あるまい。
 
 
 
「地上天国の雛形をこの修善寺の地に創る」
 
と言う夢を掲げてスタートしたリーラスペースだが・・・
 
最近ではその夢も淡くなり・・・
 
 
白隠禅師の坐禅和讃にある通り・・・
 
衆生本来仏なり 
・・・
当所即ち蓮華国 
この身即ち仏なり 
 
と言う事なんだろう。
 
 
つまり、今自分のいるところが地上天国なのだ。
 
だから私が何処に行こうとも、そこが地上天国となる(*^-^)

医は仁術なり

2018年6月21日(木) by キヨタカ

(昨日の日誌の続き・・・)
 
母が体調を崩し点滴を受けた。
 
3日間連続で点滴を受けたにも関わらず、水も食事も全く喉を通らない。
 
「原因がわからないので、次のステップとして胃カメラを飲ませまる」
 
と主治医の老先生は言う。
 
「そんな必要はない。点滴をやめてしばらくすれば回復するはず」
 
と私の直感が言うのだが、プロの医者の意見を無碍に断るわけにもいかない。
 
困ったもんだ。
 
 
そこで母を説得して、なんとか水分を取らせようしたのだが・・・
 
キヨタカ:「頑張って、水くらい飲んで!」
 
母:「飲めない(-ε-)」
 
キ:「そんな事言わずに、少しだけ飲んで!!」
 
母:「飲めないものは飲めない。病人に対する配慮がない\(*`∧´)/」
 
と頑なに拒否。
 
お互いに不穏なムードが漂う雰囲気となってしまった(;д;)
 
 
4日目にやって来られた訪問医療の先生は、若手だがとても穏やかな人だった。
 
「点滴や胃カメラをさせたくない」
 
旨を伝えると・・・
 
「実は私もそう思います」
 
と私の直感に同意してくれた。
 
若先生が言うには、
 
「自分は病気で、飲み食いが出来ない」
 
と頑なに思い込んでいる母親の精神状態がネックになっているとの事。
 
 
問題は、どうやって母親の思い込みを解除して水を飲ませるかと言う事だが・・・
 
この若先生の、母への対応は実に見事だった。
 
先生:「4日も食事が喉を通らないなんて、大変ですね〜?」
 
母:「ハイ」
 
先生:「早く良くなりたいですか〜?」
 
母:「ハイ」
 
先生:「どうしたら、良くなると思いますか〜?」
 
母:「せめて、飲み物くらいでも喉を通れたら・・・」
 
先生:「じゃあ頑張って、試しに水でも少しだけ飲んでみますか〜?」
 
母:「ハイ」
 
・・・と若先生の誘導に見事にのせられて水を2口もゴックンしたのである。
 
嚥下(えんげ)障害も無いことも分かり、これで一安心。
 
それからは、みるみる快方に向かい始めた。
 
 
この若先生の問診の様子を見ていて、カウンセリング等のコミュニケーションの基本である、
 
『相手の世界を尊重し、相手の目線にまで降りて、相手の気持ちを察する』
 
と言う基本原理の大切さを改めて思い知らされた。
 
 
正しいことを「正しい」とストレートに主張しても、正しい事は相手には伝わらない。
 
上から目線で正しさを主張されると、腹が立ってノー!と言いたくなる。
 
相手の世界を尊重する事ではじめて、コミュニケーションが可能となる。
 
 
相手と心が通じ合うことを、フランス語で「ラポール/橋をかける」と言う。
 
ラポールについては、カウンセリングやNLP(神経言語プログラム)等でそのテクニックは色々と勉強したハズだったが・・・
 
頑固な母親を前にして、すっかり忘れていた。
 
 
この若先生の見事な対応を見て、ラポールの大切さを思い起こした。
 
ラポールのテクニックとして、ミラーリングやペーシング等々様々なものがある。
 
この若先生も、色々と勉強しただろうが・・・
 
結局は、テクニックを超えた患者への愛情がその根本にあると感じた。
 
『医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救うを以て志とすべし』(貝原益軒)
 
と言う江戸時代の教えが、この先生の中に活きているのを知り嬉しかった。

友達を"捨てられる人"ほど・・・

2018年6月20日(水)by キヨタカ

 漫画家の弘兼憲史によると、友達を"捨てられる人"ほど人生が充実する そうだが・・・
 
なかなか人間関係をバッサリ切り捨てるのは難しい。
 
ましてや相手が、肉親しかも親となると・・・( ̄Д ̄;;
 
 
先日のワンデーイベント2日前から、母親の胃の調子が悪くなった。
 
歳の割に大食いなので、しばらく食べなければ治るに決まっている。
 
しかし母から何度も電話があり、
 
「これが最期かも知れない゚゚(´O`)°゚」
 
と、今にも死にそうな声で見舞いに来るように切々と訴える。
 
そこで止むを得ず、数日を一緒に過ごす羽目になった。
 
 
母によると、「数日間、水も食事も一切喉を通らない!」
 
ので点滴を毎日しているとのこと。
 
そこで、
 
「点滴なんか毎日するから、水も食事も体が欲しないんだよ!」
 
と点滴を打つのを止めるよう説得。
 
ところが、
 
「点滴を打つ病人なのに、私の気持ちを全く理解してくれない\(*`∧´)/」
 
と激怒されてしまった。
 
 
「あんたこそ、息子の気持ちを全く理解してくれない!」
 
「親を"捨てられる人"ほど人生が充実する !!」
 
と逆ギレして暴言を吐きたくなったが、そこはじっと我慢して・・・
 
翌日のワンデーイベントでは、ジベリッシュをリードしながら、自分でも口にしてはいけない暴言を沢山吐き出した。
 
さらに、ハートの瞑想によって開かれた参加者のハートのエネルギーが、私のハートを極限まで広げてくれた。
 
お陰でワンデーイベントの翌日からは、とても優しく母親の世話をする事ができた。
 
 
私の態度が変化した事で、母親の状態もガラリと変化。
 
ようやく味噌汁を少し飲めるようになり、
 
「優しい息子がいて、私は幸せ(o^-^o)」とのたまわく。
 
「俺の方こそ、長生きしてくれて有難う」
 
と率直に言えた。
 
定期的に行う瞑想会の効果を、今更ながら実感している。
 
参加者も喜び、主催する私はさらに喜ぶ。
 
こんな素敵なイベントは、他になかなかないだろう。
 
・・・との自画自賛はさておき、母が回復するにあたりとても強力なヘルプがあった。
 
実は・・・(続く)

歪んだメガネでも・・・

2018年6月14日(木)by キヨタカ

 目の検査の為、一週間をコンタクトレンズ無しで過ごした。
 
高校生の時に白内障の手術をしたので、コンタクトレンズ無しではまともな日常生活が送れない。
 
一応特別仕様のメガネもあるのだが、強度が強すぎて周囲が歪む。
 
だから 、5分くらいしかかけていられない(。>0<。)
 
 
 
最初は本もメールもパソコンもほとんど見ないで 、やむを得ない時のみメガネを短時間つけて過ごした。
 
ところが、数日もすると合わないはずのメガネがいつの間にか目に馴染んでき来たではないか!
 
一昨日辺りからは車も運転出来るようになり、肉体の適応能力の高さに我ながら驚いた。
 
 
アメリカの某大学の心理学部で行われた、「歪んだメガネ」の実験を思い出した。
 
上下左右が逆さまに映る「歪んだメガネ」を被験者にかけさせて何が起こるのかを観察する実験だ。
 
このメガネをかけると世界がひっくり返って見えるので、もちろん被験者はまともに歩くことすら出来ない。
 
しかし数日もするとだんだんと慣れてきて、やがて普通に日常生活が送れるようになったという。
 
実験が終わりメガネを外して正常な状態にしたら「被験者がひっくり返った」というオチなのだが・・・
 
この一週間を過ごして、あの実験は本当だったのだと納得。
 
 
我々がこの世に生まれた時は、誰だって真っさらな白紙状態にある。
 
そこに両親や教師や社会から、非常に歪んだ様々な条件付けが植え付けられる。
 
それはちょうど歪んだメガネをかけさせられるようなもの。
 
まだ幼い無我の状態でかけさせられたメガネは、すっかり身体の一部となり、歪んでいる事すら気づかなくなってしまう。
 
歪んだメガネでもそれにすっかり馴染んでしまうと、それを取り除くのは非常に困難となる。
 
メガネを外すには、相当の痛みや苦痛が伴うのも仕方がないだろう。

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