カテゴリー「日常」の記事

医は仁術なり

2018年6月21日(木) by キヨタカ

(昨日の日誌の続き・・・)
 
母が体調を崩し点滴を受けた。
 
3日間連続で点滴を受けたにも関わらず、水も食事も全く喉を通らない。
 
「原因がわからないので、次のステップとして胃カメラを飲ませまる」
 
と主治医の老先生は言う。
 
「そんな必要はない。点滴をやめてしばらくすれば回復するはず」
 
と私の直感が言うのだが、プロの医者の意見を無碍に断るわけにもいかない。
 
困ったもんだ。
 
 
そこで母を説得して、なんとか水分を取らせようしたのだが・・・
 
キヨタカ:「頑張って、水くらい飲んで!」
 
母:「飲めない(-ε-)」
 
キ:「そんな事言わずに、少しだけ飲んで!!」
 
母:「飲めないものは飲めない。病人に対する配慮がない\(*`∧´)/」
 
と頑なに拒否。
 
お互いに不穏なムードが漂う雰囲気となってしまった(;д;)
 
 
4日目にやって来られた訪問医療の先生は、若手だがとても穏やかな人だった。
 
「点滴や胃カメラをさせたくない」
 
旨を伝えると・・・
 
「実は私もそう思います」
 
と私の直感に同意してくれた。
 
若先生が言うには、
 
「自分は病気で、飲み食いが出来ない」
 
と頑なに思い込んでいる母親の精神状態がネックになっているとの事。
 
 
問題は、どうやって母親の思い込みを解除して水を飲ませるかと言う事だが・・・
 
この若先生の、母への対応は実に見事だった。
 
先生:「4日も食事が喉を通らないなんて、大変ですね〜?」
 
母:「ハイ」
 
先生:「早く良くなりたいですか〜?」
 
母:「ハイ」
 
先生:「どうしたら、良くなると思いますか〜?」
 
母:「せめて、飲み物くらいでも喉を通れたら・・・」
 
先生:「じゃあ頑張って、試しに水でも少しだけ飲んでみますか〜?」
 
母:「ハイ」
 
・・・と若先生の誘導に見事にのせられて水を2口もゴックンしたのである。
 
嚥下(えんげ)障害も無いことも分かり、これで一安心。
 
それからは、みるみる快方に向かい始めた。
 
 
この若先生の問診の様子を見ていて、カウンセリング等のコミュニケーションの基本である、
 
『相手の世界を尊重し、相手の目線にまで降りて、相手の気持ちを察する』
 
と言う基本原理の大切さを改めて思い知らされた。
 
 
正しいことを「正しい」とストレートに主張しても、正しい事は相手には伝わらない。
 
上から目線で正しさを主張されると、腹が立ってノー!と言いたくなる。
 
相手の世界を尊重する事ではじめて、コミュニケーションが可能となる。
 
 
相手と心が通じ合うことを、フランス語で「ラポール/橋をかける」と言う。
 
ラポールについては、カウンセリングやNLP(神経言語プログラム)等でそのテクニックは色々と勉強したハズだったが・・・
 
頑固な母親を前にして、すっかり忘れていた。
 
 
この若先生の見事な対応を見て、ラポールの大切さを思い起こした。
 
ラポールのテクニックとして、ミラーリングやペーシング等々様々なものがある。
 
この若先生も、色々と勉強しただろうが・・・
 
結局は、テクニックを超えた患者への愛情がその根本にあると感じた。
 
『医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救うを以て志とすべし』(貝原益軒)
 
と言う江戸時代の教えが、この先生の中に活きているのを知り嬉しかった。

友達を"捨てられる人"ほど・・・

2018年6月20日(水)by キヨタカ

 漫画家の弘兼憲史によると、友達を"捨てられる人"ほど人生が充実する そうだが・・・
 
なかなか人間関係をバッサリ切り捨てるのは難しい。
 
ましてや相手が、肉親しかも親となると・・・( ̄Д ̄;;
 
 
先日のワンデーイベント2日前から、母親の胃の調子が悪くなった。
 
歳の割に大食いなので、しばらく食べなければ治るに決まっている。
 
しかし母から何度も電話があり、
 
「これが最期かも知れない゚゚(´O`)°゚」
 
と、今にも死にそうな声で見舞いに来るように切々と訴える。
 
そこで止むを得ず、数日を一緒に過ごす羽目になった。
 
 
母によると、「数日間、水も食事も一切喉を通らない!」
 
ので点滴を毎日しているとのこと。
 
そこで、
 
「点滴なんか毎日するから、水も食事も体が欲しないんだよ!」
 
と点滴を打つのを止めるよう説得。
 
ところが、
 
「点滴を打つ病人なのに、私の気持ちを全く理解してくれない\(*`∧´)/」
 
と激怒されてしまった。
 
 
「あんたこそ、息子の気持ちを全く理解してくれない!」
 
「親を"捨てられる人"ほど人生が充実する !!」
 
と逆ギレして暴言を吐きたくなったが、そこはじっと我慢して・・・
 
翌日のワンデーイベントでは、ジベリッシュをリードしながら、自分でも口にしてはいけない暴言を沢山吐き出した。
 
さらに、ハートの瞑想によって開かれた参加者のハートのエネルギーが、私のハートを極限まで広げてくれた。
 
お陰でワンデーイベントの翌日からは、とても優しく母親の世話をする事ができた。
 
 
私の態度が変化した事で、母親の状態もガラリと変化。
 
ようやく味噌汁を少し飲めるようになり、
 
「優しい息子がいて、私は幸せ(o^-^o)」とのたまわく。
 
「俺の方こそ、長生きしてくれて有難う」
 
と率直に言えた。
 
定期的に行う瞑想会の効果を、今更ながら実感している。
 
参加者も喜び、主催する私はさらに喜ぶ。
 
こんな素敵なイベントは、他になかなかないだろう。
 
・・・との自画自賛はさておき、母が回復するにあたりとても強力なヘルプがあった。
 
実は・・・(続く)

歪んだメガネでも・・・

2018年6月14日(木)by キヨタカ

 目の検査の為、一週間をコンタクトレンズ無しで過ごした。
 
高校生の時に白内障の手術をしたので、コンタクトレンズ無しではまともな日常生活が送れない。
 
一応特別仕様のメガネもあるのだが、強度が強すぎて周囲が歪む。
 
だから 、5分くらいしかかけていられない(。>0<。)
 
 
 
最初は本もメールもパソコンもほとんど見ないで 、やむを得ない時のみメガネを短時間つけて過ごした。
 
ところが、数日もすると合わないはずのメガネがいつの間にか目に馴染んでき来たではないか!
 
一昨日辺りからは車も運転出来るようになり、肉体の適応能力の高さに我ながら驚いた。
 
 
アメリカの某大学の心理学部で行われた、「歪んだメガネ」の実験を思い出した。
 
上下左右が逆さまに映る「歪んだメガネ」を被験者にかけさせて何が起こるのかを観察する実験だ。
 
このメガネをかけると世界がひっくり返って見えるので、もちろん被験者はまともに歩くことすら出来ない。
 
しかし数日もするとだんだんと慣れてきて、やがて普通に日常生活が送れるようになったという。
 
実験が終わりメガネを外して正常な状態にしたら「被験者がひっくり返った」というオチなのだが・・・
 
この一週間を過ごして、あの実験は本当だったのだと納得。
 
 
我々がこの世に生まれた時は、誰だって真っさらな白紙状態にある。
 
そこに両親や教師や社会から、非常に歪んだ様々な条件付けが植え付けられる。
 
それはちょうど歪んだメガネをかけさせられるようなもの。
 
まだ幼い無我の状態でかけさせられたメガネは、すっかり身体の一部となり、歪んでいる事すら気づかなくなってしまう。
 
歪んだメガネでもそれにすっかり馴染んでしまうと、それを取り除くのは非常に困難となる。
 
メガネを外すには、相当の痛みや苦痛が伴うのも仕方がないだろう。

本の問い合わせの件(お尋ね)

2018年6月12日(火) by キヨタカ

H・J さんから、下記の通り本の問い合わせがありました。
 
注文可能ですので、その旨の返信メールをしましたが、そちらに届きません。
 
恐れ入りますが、リーラスペースまでお電話を下さい。
 (Tel 0558-74-1118)
 
Re: 初めまして。
 
天野さんの本を読ませていただいています。『恩寵の扉が開くまで 2』が欲しくて、探しています。
 
分けていただくことはできるのでしょうか?
 
By H・J

瞑想の功徳

2018年6月2日(土) by キヨタカ

 私が学生時代に、瞑想を志した理由・・・
 
それは「瞑想すれば頭が良くなる」と言う話をとある本で読んだから・・・(^_^;)
 
 
『瞑想とは「今・ここ」に在ることで、結果を求めてはいけない!』
 
と言う事は良く理解していた筈だけれども、そう言われていたにも関わらず瞑想の功徳はずっと追い求めていた。
 
瞑想すれば、頭が良くなる。
 
病気が治り健康になる。
 
異性にモテるようになる。
 
金運が上がりお金持ちになる。
 
etc、etc・・・
 
 
あれから数十年の時が過ぎ、そろそろ瞑想の功徳を客観的に総括できる年齢となった。
 
そこで、自分の瞑想人生を振り返ってみたのだが・・・
 
結局のところ瞑想しても相変わらず頭は良くならず、病気もするし、異性にはモテず、とてもお金持ちとは言えないままだ。
 
 
しかしながら、絶対的な功徳が一つある(* ̄0 ̄)ノ
 
それは『幸せになる』と言うことだ。
 
瞑想すれば、病気は治らないかもしれないが、『幸せな病人』になる。
 
お金持ちにはならないかもしれないが、『幸せな貧乏人』になる。
 
恋人はいなくても、『幸せな独り者』になる。
 
 
私の友人で、
 
「何もしないで起こるに任せる」
 
と言う教えを徹底して実行し・・・
 
結果的にホームレスになった人がいる。
 
しかし彼は、それでも何もしないツワモノだった。
 
するとまもなく某聖職者と偶然に出逢い、
 
「あなたみたいに幸せなホームレスにお会いしたのは初めて(*^-^)」
 
と感動を与え、それが縁で素晴らしい住居と仕事をゲットした。
 
 
結局のところ、あるがままの状態の自分を受け入れて、それに感謝して、喜びに満ちている事が先決なのだろう。
 
『今・ここ』が幸せなら、その幸せはずっと続く。
 
なぜなら、『今・ここ』は永遠に存在しているからだ。
 
そう言う人に、運命の女神は微笑まざるを得まい。

道元って凄い人?

2018年5月31日(木)by キヨタカ

 昨晩実家から修善寺に戻り、ホッと一息。
 
昨年末に2度目の骨折をしてから、母の短期記憶が極端に弱り始めた。
 
数分前の出来事が思い出せず、いつも探し物ばかりしている。
 
 
典型的な認知症のは ずだが・・・
 
医者に相談すると、そうでもないらしい。
 
典型的な認知症の場合、食事直後に食べた事を忘れてまた食べ始めたりするそうだ。
 
今年96歳になるので、単に「年相応の認知機能の衰え」との事。
 
 
そうは言っても、毎回探し物に付き合わされるので、ついイラっとなったりして・・・
 
私にとって今の母親は、瞑想で味わう「愛」のスペースが本物かどうかを試す、「試金石」となっている。
 
 
学生時代に禅の修行に憧れた頃は、曹洞宗の開祖『道元禅師』が私にとってヒーローだった。
 
幼少にして父母と死別し、世俗を一切投げうって生涯独身で真理の探究のみに生涯を捧げたストイックさに憧れた。
 
 
しかし今となっては、道元ってそれほど凄い人だったのか、よく分からない。
 
世俗から離れて山に籠もって瞑想に専念すれば、それなりの境地に達するのはそれほど難しいことではない。
 
むしろ男女関係や親子関係のしがらみの中で、それから逃げずにいる方が大切なのではあるまいか?
 
少なくとも今の私にとっては、年老いた母と向き合い、母親を通して自分にも確実に忍び寄る老いと死を見つめる事が、最高の有難い修行となっている。

しだれ桜

2018年4月5日(木) by キヨタカ

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 実家から修善寺に戻る。
 
実家滞在中に桜は散ってしまったが、かわりに本館のしだれ桜が満開。
 
今年も見事な姿を披露してくれた。
 
 
実はこの桜、危うく伐採の危機に直面した事がある。
 
この施設のオーナーの知り合いの自称霊能者が、「しだれ桜は下向きに咲くので運気を下げる・・・」と主張。
 
それを真に受けて、伐採される事になってしまったのだ。
 
 
ところが、カクカクシカジカの事情で伐採は中止、運よく生き延びる事が出来た。
 
木が成長してここまで見事な花を咲かせるには、相当な年月が必要だ。
 
下向きに咲く桜の姿は、私にとっては恩寵が天から地上に向かって燦々と降り注ぐようなエネルギーを感じる。
 
桜の枝が垂れ下がれば、それだけ運気も向上すると思う。
 
人間の勝手な事情を乗り越えて、生き延びる事が出来て本当によかったheart04

不可思議な法則と美

2018年3月28日(水) by キヨタカ

 リーラスペースは春の草花が満開で、とても幸せな気分に❤️
 
最近ハートにエネルギーが一段とシフトしているのは、長年の瞑想のお陰だと感謝しているのだが・・・
 
もしかしたら、春の陽気と桜フェロモン(エフェドリン)のせいかも知れない。
 
 
原因は何であれ、「ただ生きている事で幸せな気分」なのが嬉しい。
Photo
 
昨年植えた桃の木に、再び花が咲いた!
 
花びらの数は数学的に決まっていて、1、2、3、5、8、13、21、34、55、・・・
とフェボナッチ数列に従っているそうだ。
 
 
試みに、桃の花びらの数を数えたら5枚。
 
ついでに、桜もゆきやなぎの花びらも調べて見たら5枚。
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法則通りだったので感動!
 
 
 
 
 
 
嬉しくなって、スイセンの花びらを数えたら、残念な事に6枚でフェボナッチ数列ではなかった(ρ_;)
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こぶしは花びらがすぐに散るので、幾つなのか良くわからない。
 
椿は、花弁が多過ぎてこれまた判別不能。
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全て例外のない法則はない、というのが法則なのだろうが・・・
 
人間には計り知れない不可思議な法則が全宇宙を貫いているのは確かだ。
 
直感的にその法則を感じる事で、人は自然の美しさを感じるのだろう。
 

見過ごしていた!

2018年3月27日(火) by キヨタカ

リーラスペースは、少し遅めの春の真っ盛りヽ(´▽`)/Img_1066
 
桜やこぶしの花が咲き乱れ、富士山の美しい姿が遠くに霞んでいる。
 
部屋には、美しいモーツアルトの曲が流れていて・・・
 
やっぱりここは、『地上天国』に違いない。

 

最近、と言ってもこの一週間くらいだけど、モーツアルトにハマっている。

きっかけは、たまたまYouTubeで見つけた『ピアノ協奏曲第20番』

モーツアルトと言えば、どこかノホホンとしていて、天上界の住人が奏でる浮世離れした音楽と言う印象が強いが・・・

この曲は、とてもドラマチックで情感に富み、「あれベートーベンかな?」とすら思わせる。

こんな素敵な曲を見過ごしていたとは、今では信じられない!

 

クラッシック音楽ファンにとってはつとに有名で、モーツアルトを代表する曲の一つだとか。

実はベートーベンもすごく気に入っていて、この曲のカデンツァ(最終部の即興的演奏)も作ったと言う。

モーツアルトを題材にした映画「アマデウス」のエンディングにも、使われていることを後から知り驚いているshock

 
既に知っていたのに見過ごしていた。
 
音楽のみならず、幸せも健康も悟りも、それは既にそこにある。
 
単に見過ごしていただけなんだろうcoldsweats02
 

鏡から離れて・・・

2018年2月1日(木) by キヨタカ

現在、実家(栃木県小山市)に滞在中。
 
昨年末の2度目の骨折を乗り越えて、再び歩けるようになった母。
 
しかし以前と比べて、かなり足もとが覚束なくなりつつある。
 
会うたびに確実に老いる母の姿を見るにつけて、「生・老・病・死」という人間の根源的苦悩に直面せざるを得ない自分がいた。
 
母という鏡を通して、自分の老後の悲惨な末期が頭をよぎり始め・・・
 
ハッ!
 
と気づいて、今へ戻った。
 
 
自分の老後が、悲惨な末期となるのか、至福に満ちたものになるのか。
 
それは全て、今の自分の在り方しだい。
 
今へ戻ると、自由が手に入る。
 
自分の意識の鏡の中に悲惨な未来が映っている事に気づいたら、直ちにそこから離れて今へ戻る。
 
すると、未来は自由に選択できるようになる。
 
 
「想定の法則」で有名なネヴィル ゴダードにこんな言葉がある。
 
Leave the mirror and change your face.
 
Leave the world alone and change your conceptions of yourself.
           ~ Neville Goddard
 
(鏡に映る自分の顔が嫌だったら、)
 
鏡から離れて自分の顔つきを変えなさい。
 
世界を離れて一人になり、自分の自己概念を変えなさい。
 
 
ニューエージの他愛のない言葉として、今まではなんとなく読み過ごしていた。
 
しかしこの言葉を深く理解すれば、人生が 地獄から天国へ一変する可能性を秘めている言葉である事が最近よく理解できるようになった。
 
単なる気の利いた言葉なんかではなく、彼の深い人生体験からにじみ出た人生哲学のエッセンスに違いない。

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