カテゴリー「フーマン」の記事

フーマンの言葉2

3月15日(火) 曇り時々晴れ by ヨガビジャ


フーマンの言葉はセッション中のキヨタカの通訳のまま、できるだけ正確に記載しました。
意味の通じにくいところがあるかもしれませんが、フーマンの言葉の流れを感じていただきたく、あえて文章には手を加えませんでした。

フーマンのワークを受けられた方は、すぐに思い起こせると思います。

フーマンのワークは受けていないけど、リーラスペースのリトリートや新宿瞑想会に参加された方は「アティーシャのハート瞑想」を思い出してみてください。

私は最近アティーシャとは少し違いますが、次のように祈っています。


・今、地上で起きているすべての痛みや悲しみを自分のものとして感じます。

 (TVで流れる被災の映像、自分の恐怖や痛みを思い起こす…なんでもO.K)

・それを<感じて>やさしくつつみ、愛を注ぎます。

・その愛がハートいっぱいに広がり、どんどん自分の体の大きさを超えて広
 がって行くのを感じます。

 それは私の個として境界をぼかしつつ、被災地や周辺、日本、すべての
 人々を包みさらに広がっていきます。

最初はイメージすることが役立つかもしてませんが、だんだん実感できてきたら、そのハートの感覚に止まり続けることでそれは自動的に起きていきます。

ぜひ、ご自分にあったやり方をみつけてください。


今まさに、私たちは『一体であるという源泉との深い繋がり』を体験しようとしている…私にはそう感じられてしかたありません。


***


・・・ハートというのは すべて分かち合うことです


ハートというのは こう出ていくものです

(ハートを両手で指し示し、左右に広げながら)

同時に 内側にも入ります

非常に神秘的です

その本性は すべてを一つにするものです

いつでも ただ内側に入っていられるだけではないのです


それは サークル サークルのようです

なにか ここ(ハート)にあるものがある

いつでも分かち合いたい そして与えたい

驚きでしょう?


通常 マインドというのは奪いたい

この人生でなにが得られるだろうか?

体というものはニードがある たとえば食物のニードとか

マインドは 知識とか 世の中からなにかを取りたい


ここ(ハート)は ただ与えるものがあります

とてもおもしろいです とても神秘的です

そして 極端に真実です


そして 誰に対しても 触れると その人の人生を変えます

ちょうど 神の手が出ていくようなものです
(ハートから手が伸びている感じ)

全員を こう触れるようなものです


そして すべてが変わります

その同じ手が 人々のために祈ったり 助けたり 

沈黙して 人々のために ただ祈ります

その本性が そういうものなのです


あなたの中でそれが起こった時に

この手はちょうどこんな感じです
(両手をハートの前に持ってきて左右にゆっくり開いていく)


ここが開き始めると 目覚め始める… 

あなたの中にあるものが

だんだん 外に出ていくようになります

そして 出たり入ったりするのを感じるでしょう


あなたが なにをやっている訳ではないのです

なにかをトライしたり 助けようとしたりもしません

ただ自然に起こるのです それがビューティフルなのです


すべての人間がそれを持っています

すべての人はその潜在的可能性を持っています 誰もがそうです

究極的に 誰もがそこに到達するでしょう

それが 人間と他の存在の違いです

人間のハートは非常に特別です


もし 人間がハートを発展させなかったら それは人間とはいえません

どれだけ 彼らが目覚めてもです 彼らは人間ではないのです


人間と他の存在、他の植物や動物との違いは

特別な種族に属するからです

ハートという装置を持っている というのが違いなのです


これを目覚めさせることができる

そして劇的にすべてを変えることができる

ただちに究極の真実に触れることができる


すべての人間がこれを持っているのです

しかし 彼らはそれを使いません

彼らのハートは泣いています

それを開くために なにが真実なのかを感じたいのです

でも 彼らはそうしません


だから 今 地上はこんな状態なのです

もっと もっと もっと 悪くなっていくでしょう

人類にハートが開くまでこうです


人々は お互いを兄弟として認識し始めます 奪う必要性なしに

自然な分かち合える能力です ただ分かち合うのです

あなたと コンピューターをシェアできる

食物を 私とシェアできる

私の 知識を分ち合える

あなたの 知識も分かち合える

どんな形をとろうとも すべてを分かち合うということです


人間のハートが 唯一 希望なのです

この人類にとって

それ以外の希望はないのです

知識ではダメです


一体であるという 源泉との深い繋がりが必要です

今 私たちはそこにいるのです


あなたが この真実を理解すると

すべてはリアルではないと感じます どうでもいいのです

もう関係ないことなんです

ちょうど 子供がおもちゃで遊んでいるようなものです

それが 究極の真実です


ある人にとって ここに到達するのは

たくさんの瞑想と瞑想状態を通り抜けていく必要がある

プレゼンスとか、アブソルートとか、いろんな違ったワークが必要です

でもある人にとっては

直接にそれを目覚めさせることができるのです

それだけなのです

それは潜在的可能性です 違った可能性です・・・

フーマンの言葉1

3月15日(火) 曇り時々晴れ by ヨガビジャ


私がフーマンから受けた個人セッションの中で、今日本で起きている状況下で、一人一人が自分という存在とその在り方を問い直すきっかけになりそうな言葉がありますのでここに記載します。

内容はフーマンのワークを受けた方に向けられていますが、「恩寵の扉が開くまで」を読まれただけの方でも、衝撃を受けたり、涙があふれたり、繋がりを感じられる方もいらっしゃいますので、きっとそういった方たちにとっても、なにかのインスピレーションを受け取ることができると感じますので、ここに公開します。


まさに「今」、誰もが直面していることです。

この痛みに満ちた現実の意味を、誰もが直面しなければならない。
もう先延ばしにすることはできません。


***

私がワークする全員は だんだん人類を助けるようになるでしょう

あなたやキヨタカ 誰もがそうです

将来、地上にはたくさんの破局が訪れます

日本全体が混乱します

あなた方は それに奉仕して光を代表するのです

光のある種のエナジーフィールドを作るのです


自分の光を目覚めさせる潜在的可能性がある人々が

あなたに惹かれるでしょう

あなたは彼らを癒し 助けなくてはいけません

目覚めることを助けるのです

みんな そうです

それぞれ違ったやり方で あなたの個人的なやり方で

過去生において あなたが行っていたやり方が戻ってきます

全員ではなく 大部分の人がそうです


私は あなたが個人的に目覚めることだけにワークしているのではないのです

相手を目覚めさせ 助け 自信をもたせることをも助けているのです


それはただちの将来ではありません

だんだん開いてくるでしょう

それに対しては タイミングというのがあります・・・

痛みの理解

5月22日(土) 晴れ by ヨガビジャ


数日間、本当に久しぶりにソロ・リトリートに入っていました。

今回のソロ・リトリートでは、フーマンの個人セッションのMDを最初から聞き直しました。
初めてのセッションから9年の年月が過ぎ、あの頃フーマンが何度も私に伝えようとしていたことが、やっと深く体験的に理解できるようになりました。

フーマンのワークを受けつつもある一時期、自分の成長は完全に止まってしまったように感じられ、どうしようもない閉塞感に苦しんだ時期がありました。

その時フーマンは、「あなたが外側のことで忙しくして成長を感じることができなくても、あなたの中でそれはちゃんと成長を続けている。あなたにはただ時間とスペースが必要なのだ…。」と何度も励ましてくれました。
でも、この時の自分の感情や精神状態では、どんなフーマンの励ましの言葉も素直に受け取ることができなくて、ただただ焦りや痛みの中で時間は過ぎていきました。

・・・そして、ずいぶんの年月が過ぎてしまいましたが、、
今回、この時のフーマンの言葉は嘘ではなかったことを実感することができて、あらためて感謝の想いでいっぱいです。


実は最近、瞑想会やリトリートで「ハートを感じようとすると同時に痛みを感じるので、どうしても躊躇してしまう…」というお話を耳にしました。

今回私が聴いたセッションの中で、痛みについてフーマンが語っている言葉が、そういった人たちの助けになるかもしれないと感じましたので、ここに紹介します。


『ハートが目覚めることで、
 痛みと同時に深いフィーリングがあります。
 痛みに付け加えて…。

 その深い方にワークすることによって、
 痛みを感じる強さというのができてきて
 痛みが消えていきます。


 痛みというのはシンプルに、
 なにかが正しくないということなのです。
 それが痛みなのです。

 なにかあなたの中に正しくないことがあるか、
 誰か他の人に正しくないことがあるか。

 それが痛みが指し示しているのです。
 なにかを示している。

 それは悪くはない、
 良くもない。
 ある装置なのです。
 それを示す方便なのです。

 あなたの魂の強さが、
 ちょっと痛みを感じるけど、
 すぐに手放します。
 そして自分のハートの沈黙に休むのです。

 あなたのハートの中にはたくさんの平和と沈黙があります。

 ・・・・・

 よりあなたが平和を感じると、
 痛みがやってきても短くしか残りません。

 でもそういう痛みを深刻に受け止めないように。

 それは大きなことではないのです。
 人生の一部なのです。
 誰もがそれをある程度は持たなくてはいけない。

 たとえあなたが非常に非常にハッピーでも、
 他の人の痛みというのを感じることができます。

 だから、痛みは自然なことです。
 大きなことにしないように。

 そしてそれを感じて更に深く入るように・・・』
 
 
私のように痛みやネガティブな思考や感情があることで、「自分はダメだ」とか「成長していない」と感じられる方は少なくないのではないでしょうか?

でもそれが更なる痛みを生み出し、そこから抜けられない悪循環を作り出していると、今ならはっきりと分かります。
(実は、その当時も分かっていたかもしれません。でも分かっていてもどうしようもないことってありますよね。ヴァサナ(マインドの潜在的傾向)なのでしょう・・)

私たちは時として、痛みにフォーカスし過ぎてしまうことがあるようです。

でもフーマンの言うように、痛みを深刻に捉えず自然な人生の一部と理解することができたら、不必要な痛みの悪循環に陥らずに済むかもしれません。

「恩寵の扉が開くまで」補足説明7

9月7日(月) 薄曇り by ヨガビジャ


<最後に>


2000年にアジズが初来日して以来、明らかに社会的状況のみならず目に見えないスピリチュアルな世界での状況も変わってきているように思われます。

最近時間の流れが、1日24時間あるように感じられない方も多いのではないでしょうか?


アジズの初期のリトリートでは1日に6,7時間、本当に多くの人が苦労して坐り続け、[SP]のワークに取り組みました。

でも今は、あの時と同じ時間とエネルギーを労さずして、プレゼンスの安定化が可能になっています。

(最近では、プレゼンス→ビーイング→ハートというワークの境界が曖昧に
 なり、プレゼンスとビーイングがセットでワークされている(起きている)
 ケースも見られます)

本当に驚くべき事ですが、リトリート初参加の方でも、場合によっては1回のリトリートで初期の頃の3,4回のリトリートに参加したくらいの理解と体験が得られる感じなのです。


フーマンはすべての準備を整えてボディを去った、そう感じます。

アジズやフーマンのワークをされて来た方々の中には、独自に瞑想会やヒーリングを始められている方もおられます。
おそらくフーマンは、このように自分の生徒たちが他の人々と坐り、彼らがそういった人々にエネルギー的に影響を与えることを意図していたのではないか?と私は感じています。

そして今は、本当に時代が私たちを後押ししています。
悟ったマスターが傍にいなくても、誠実に道を求めるなら必ず辿り着ける、そんな確信があるのです。

スピリチュアルな道を歩む時、もちろんひとりで歩む事もできますが、すでに何人かが通った道を、同じ想いを持った人々と歩むことで、その道中は理解を深める会話を楽しむ事もできるますし、お互い助け合う事もできます。

具体的にいうと、一度でも瞑想会などの機会で、ご自分の「理解と体験を確実なもの」にされましたら、その後のワークはより容易で、進歩が加速される可能性があることです。

先ほど「時代が後押ししている」と書きましたが、瞑想会ではそれにプラスして「場のエネルギー」も私たちを後押しをするのです。

なにかのご縁で「アジズとの対話」や「恩寵の扉が開くまで」を手に取っていただけたのですから、そのエッセンスを最大限に受け取っていただき、体験をされ、ご自身の成長の糧にしていただけたら、本当に幸いです。


とても長い文章となりましたが、僭越ながら何かの参考になればと思い書かせていただきました。
読んでいただいてありがとうございます。

「恩寵の扉が開くまで」補足説明6

9月5日(土) 晴れ by ヨガビジャ


<フーマンの目に映るのは…>


あと「恩寵の扉が開くまで」を読まれる時に、意識して読まれるといいかも?と思う事が一つあります。

それはフーマンがキヨタカに語りかける時、通常私たちが一人の人間と対峙するのとは、違ったレベルで接しているということです。

分かりやすく言うと、パーソナリティ(人格)としてのキヨカタに語りかけている時と、「This」としてのキヨタカ(厳密にいうと「This」を体験しているキヨタカ)に語りかけている場合とがあるといえます。


「恩寵の扉…1」では、フーマンはキヨタカの様々な質問に答えました。

それは、おそらく想像ですが、キヨタカの質問に答える事で、彼に必要な情報を与える事と同時に、彼のマインドをリラックスさせる目的があったのではないかと思います。

マインドをリラックスさせることなしに、彼のプレゼンスをビーイングへと手放させ、さらに「This」の体験へと導いて行くことは不可能だったのでしょう。
この理由から「恩寵の扉…1」では、キヨタカのパーソナリティへの働きかけにウエイトが占められていたと思います。

それに対し「恩寵の扉…2」では、キヨタカのパーソナリティには極力触れず、「This」に目を向けさて、そこに留まることにエネルギーを注いでいました。

「2」においてフーマンは、

『もしあなたが私を「フーマン」にすると、あなたは「キヨタカ」という
 立場からやってくるようになる。』と言っています。
また、『私はフーマンではない』とも。
(私をフーマンにするとあなたはキヨタカになる、という事)

これはフーマンがキヨタカを、『自分と同じ「This」の違った表現』として見ていた事の顕われであり、またキヨタカ自身にもその事をみるように(理解するように)促しました。

フーマンの視点においては、目の前の相手は「魂でありThis」なのです。
フーマンはパーソナリティとしての相手には関心がなく、必要に応じてその人の人間の部分に繋がっているだけでした。


ですから、もしキヨタカを直接知っている人がこの本を読まれたら、フーマンの言うキヨタカ像と自分の中のキヨタカ像にギャップを感じたり、そのギャップからこの本の信憑性に疑いを持たれる方がみえるかもしれませんが、以上述べたように、フーマンの視点は私たちとは違う事を考慮すると、この辺の事も理解しやすいかもしれません。


私たちもフーマンのように、相手をパーソナリティとして見るのではなく、その奥にある魂/Thisとして認識できたら、私たちの人間関係は劇的に変化するのかもしれません。

(つづく)

「恩寵の扉が開くまで」補足説明5

9月4日(金)曇り by ヨガビジャ


<「恩寵の扉…2」で生じた混乱>
 
 
「恩寵の扉…2」が世に出た事で、アジズのワークがフーマンによって否定されたように感じて、これまでアジズのワークを継続されてきた方の中には、混乱されている方がみえるのではないか?と感じます。


なぜなら本の冒頭に、「恩寵の扉…2」を公表する事へのためらいがあったことが書かれていますが、それはアジズとフーマンの違ったサジェスチョンにより、キヨタカ自身が悩み混乱した経緯から、本を読みこれからこのワーク始めようとしている方やその途上の方に、自分と同じ混乱や誤解を招くではないか?と危惧したからです。
 
キヨタカは当時、アジスとフーマンのワークの矛盾で随分悩んでいました。

このことをなんとか自分の中で知的に理解して、納得のいくひとつの結論を導き出そうとしましたが、結局それはできませんでした。

ある段階でアジズとフーマンの矛盾するサジェスチョンから、フーマンの教えに沿っていくことを決めましたが、その後も「やはりアジズの方が…」という思いにかられました。

自分の選んだ道に疑心暗鬼になり「なにが正しいのか分からない…」
そんな悶々と過ぎて行く長い時間の末に、自ずと理解は訪れた、、、
そんな感じでした。

ですから、この本を読まれて今は腑に落ちずすっきりしない感じがあったとしても、無理に今結論を導き出そうとしないことも、一つの選択肢かと思われます。
  
「知らないことにくつろぐ」ことで、思考を超えた理解が訪れる、
そういうことがあるのだと思います。
 
ただもう一度明確にしておきますが、「…アジズの教えと彼の道は、成長のある特定の時期に必要なものであった…」とフーマンが語っているように、フーマンはアジズのワークを全面否定してるのではありません。

相手や状況によって、とても流動的かつスポンテニアスにフーマンは語りますので、そのニュアンスをぜひ感じ取っていただきたいと思います。

(つづく)

「恩寵の扉が開くまで」補足説明4

9月3日(木) 晴れ by ヨガビジャ

<別のプレゼンスのワーク>

この事に関しては、私には自分がフーマンに言われた事しか書けませんが、
参考までに書きます。

アジズ方式のプレゼンスのワークがサード・アイに意識を向けるように、私の場合は常にハートに留まるようにサジェスチョンを受けました。
なぜなら、そこにあなたのプレゼンスはあるからと。
それが私にとってのプレゼンスのワークでした。
それと同時に、ハートに寛ぎ消え去りなさいということでした。

これはサード・アイに意識を向けてプレゼンスに留まり、ビーイング(ハラ)に寛いでいく、アジズの方法と基本的には変わりはないと思います。
ただ、働きかける場所とタイミングが違うだけだと理解しています。

おそらくフーマンのワークを受けられた方は、それぞれにまた違ったサジェスチョンがあったと思います。

それが個人に対応したフーマンのワークのすばらしさではありますが、だからこそフーマンがボディを離れた今となっては、今後ワークを続ける上での困難さではあるでしょう。

これから「アジズとの対話」や「恩寵の扉が開くまで」を参考にワークをされようとしている方は、自分にとってこれと思われる事をしばらくやってみて、その瞬間瞬間、自分の感覚に繊細でいて「なにが自分に正しいか?」を<感じられる>ことをお勧めします。

フーマンは「スピリチュアルな道を歩む上での繊細さ」の必要を、私のセッションの中で語った事がありました。

私は、思考する事ではなく静かに在ることによって訪れる「知 - knowing 」が、私たちにはすでに備わっている感じがするのです。

マスターの臨在に元では、私たちはその自己「知」に目を向けることをしなくなりがちです。
でもマスター不在の今、ひとりひとりが自らの「知」に目覚めて行く事が、私には最善のことに思われます。
 
 
 
今回、なぜこれだけ細かい事を書くかというと、「アジズとの対話」の発売以降、本を読みながら独自に[SP]のワークをしていらっしゃる方が多くおられる事を知りました。
でも、ご自分で[SP]のワークしていく中で、実際自分が体験している事と本に書かれている事とが違っていたり、本に書かれているように進まない事で自分のやり方に疑心暗鬼になり、八方塞がりを感じられている方が少なくないのです。

ですから、個人差によって「必ずしも本の通りに行かなくてもいい」ということと、ご自身の感覚を信頼する事に慣れていくことを提案したいのです。

(つづく)

「恩寵の扉が開くまで」補足説明3

9月2日(水) 曇り時々 by ヨガビジャ


<ステート・オブ・プレゼンスのワークは自分には必要か?>


このことについて質問されることもあります。

(ここでいうステート・オブ・プレゼンスとは、アジズ方式のプレゼンスのワークを指します。以下[SP]とします)

この事を判断する一つの基準ですが(あくまでも私個人の考えです)、、

自分はマインドが強いと感じない(あまりマインドに振り回されない)、
瞑想には比較的すんなりと入る事ができる、
思考より感覚タイプだと感じる、、etc

一概にはいえませんが、こういった方は必ずしも、SP(アジズ式のです、念のため)のワークは必要ないのではないかと思います。

稀にこれらの方の中には、すでにハートや全身でプレゼンスの感覚を持っておられる方がおみえになるようです。

しかし、感情量が豊かでコントロールできない時があったり、様々な理由で瞑想に入る事が困難な方の場合には、[SP]に働きかける事はとても有効だと思います。
 
 
<プレゼンスのワークの重要性>


プレゼンズ(自分は在るという感覚)のワークがなぜ大切かというと、プレゼンスのないビーイング(くつろぎ)は単なるスペース・アウトした状態ですし、プレゼンスのないハートはただ無自覚な躁(または鬱)の状態をもたらします。

プレゼンスを安定化させることは、外側の出来事やパーソナティからの分離を可能とし、「魂としての自己」を認識する第一歩となります。
プレゼンズがないと、この肉体・思考・感情との同一性から完全に自由になるのは困難なのです。

(ここではあくまでもアジズとフーマンのワークを前提に書いています。それ以外のワークを否定するつもりはありません)

(つづく)

「恩寵の扉が開くまで」補足説明2

9月1日(火) 晴れ by ヨガビジャ


<教えと対象者について>


「恩寵の扉…2」において、一見するとフーマンはアジズのワークを否定しているかのような表現があります。

これらの箇所では、キヨタカ個人のワークのプロセスとして、もしくは、すでにアジズのワークを継続していて、次のステップに進もうとしている生徒たちを対象に話していると考えていいでしょう。

「一般論的」なアジズ云々というより、上記の対象者の「今のこの時期」においては、、という文脈で読まれると、理解しやすいかもしれません。

また、「フーマンはプレゼンスのワークを重視していない」と感じられる方もいらっしゃるようですが、フーマンは「プレゼンスのワークはすべての人に必要だ」とはっきりと語っています。
ただ、「必ずしもアジズのやり方だけがすべてではない」と言っているに過ぎません。

過去に禅の道を歩んだ方や、インテリでマインド志向の人には向いていると話していますね。

また、「女性にはプレゼンスのワークは必要ない」とは言ってはいません。
あくまでもその人のタイプと状態によると思われます。

あまりマインドの強くない人の場合は、頭(サード・アイ)に意識を集中させるやり方は不自然な状態を生み出すと、私には語っていました。

(つづく)

「恩寵の扉が開くまで」補足説明1

8月31日(月) 雨 by ヨガビジャ


数ヶ月前、まだ「恩寵の扉が開くまで2」が発売される前のことですが、
Pちゃんがリーラスペースにやって来てこんなことを言いました。

「キヨちゃん、今、本を書いてるけど(恩寵の扉が開くまで2」のこと)、
 一般向けにフーマンさんが語ってるとこってあるの?
 どこが一般向けで、どこがキヨちゃん個人に言ってるか、
 読む人、解らないんじゃない??」と。

私も少なからず、Pちゃんと同じ疑問を感じていました。

いずれこのことに関しては、自分なりに感じる事を書きたいと思っていましたが、「恩寵の扉…2」が出版されたことですし、そろそろトライしてみようと思います。
 
 
<フーマンの語りかけている相手は…>

「恩寵の扉…1」では、フーマンはキヨタカの様々な質問に答えたり、キヨタカに伝える必要があると思われる彼の過去生について多くの事を語りました。

ですから、読者の方でたまたまキヨタカと同じ疑問を持っていれば、フーマンの言葉を自分への答えのように感じるかもしれませんし、キヨタカの過去生について語っている部分では、自分の過去生ではないけど、「なるほど、そういうこともありうるのか?(そういう考え方もありなのか?)」的な理解にも繋がる事はあるのではないかと思います。

しかし「恩寵の扉…2」になると、キヨタカは「カルマとブループリントの違い」の質問以外にもたくさんの質問を持って来たにもかかわらず、この時フーマンは質問に答えるより、キヨタカを「This」の留まらせることに焦点を合わせているため、「恩寵の扉…1」のような広範囲に渡る質疑応答にはなりえませんでした。

その「This」へと導くために語られるフーマンの言葉は、過去生には禅の修行でマインドを極限まで使い、また今生においても禅に始まり、OSHOの弟子として色々なワークを受け、その後も様々なマスターの元で学び瞑想をしてきた、そんなキヨタカに向けられたものです。

ひとりひとりは違ったバックグランドを持ち、今この瞬間にもそれぞれ違った問題を抱えている訳ですから、万人向けの教えというものは存在しないのではないか?と、私は感じています。

しかし、今こうしてこの本に目を通して見ると、たとえ特定の一個人の体験であっても、そこにはある一つのスピリチュアルなワークのプロセスを見通す事ができますし、過去の伝統や他の教えとの関連を照合して、理解のためのヒントとなり得る文脈をそこに見てとることもできます。

その具体的な箇所については、読まれる方の多様さを考えたら、それらを逐一ここで上げることは無意味に思われますし、「最善」は、この本を手に取られたひとりひとりがご自身の感覚にチューニングされ、「なにが自分にとっての真実か?」を感知されることではないかと考ています。

しかし、これまでに質問や感想の形で寄せられる文面の多くに、共通している疑問がいくつかありますので、「恩寵の扉が開くまで」を読む上での補足説明として、私なりの理解ここに書き記したいと思った次第です。


ただし、そこに真実があるかどうかの判断は個々人にお任せするとして、あくまでも自己責任において読み進められることをお願いします。
(ちなみに私はアジズの個人セッションは受けましたが、リトリートには参加していません。このことも踏まえてお読み下さい)

(つづく)

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