カテゴリー「書籍・雑誌」の記事

書店にて

2017年5月25日(木) by キヨタカ

現在実家に滞在中。
 
午前中病院で母の診察を済ませ、その足で地元の大型スーパーに立ち寄り、化粧品のお買い物。
 
この年齢(94歳)で、まだお洒落に余念がないのが凄い。
 
「本を見たい」と言うので、隣の書店に連れて行く。
 
書店に寄るとほぼ反射的に「スピリチュアル」コーナーへ身体が向かってしまうのが、自分でも可笑しい。
 
 
ふと見ると、「恩寵の扉が開くまで」が置いてあるΣ( ゜Д゜)ハッ!20170524_222008
 
超マイナーな出版社から8年も前に発行された本が、こんな田舎の本屋に置いてあるなんて奇跡だ!!
 
つい嬉しくなって、
 
「この本の作者:天野清貴って、私のことだよ」
 
と、 思わず母に伝えてしまった。
 
すると・・・
 
「読んで見たいから、これを買う」
 
と言うではないか(^-^;
 
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「読んで見たいと」言う母の気持ちは嬉しいけれども・・・
 
関係性やらセクシャリティーやら、ちょっと年老いた母親に読ませるには赤裸々過ぎる内容だ。
 
 
「これ、内容が難し過ぎるから・・・」
 
と説得して、記念撮影で済まして貰った。

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・・・で、結局母のお気に入りの作家 五木寛之の本をプレゼント。
 
「ただ生きていく、それだけで素晴らしい」
 
これなら母も安心して読めるにちがいない。
 
「あなたは、あなたのままでいい」
 
その理解が単なるマインドの理解を超えて実存のレベルで起こる事、それが瞑想だ。

読書体験

2016年12月27日(火) by キヨタカ

 先日、リーラスペースをヘルプしてくれているAさんとスカイプした時のこと。
 
「最近この本にハマっている 」
 
と言いいながなら、ニッコリと掲げてくれた本を見て驚いた。
 
何と、「恩寵の扉が開くまで Part1」 だった。
 
 
「どこが気に入ったの?」
 
と聞いたら・・・
 
「例えば、
 
キヨタカが真実を得るのではなく・・・キヨタカは消え去るという言葉が、
 
あたかもフーマンが直接自分に語りかけるように感じるから」
 
とのこと。
 
 
もう何年もリーラスペースと関わってくれていてる人なので、
 
「何を今更┐(´д`)┌ヤレヤレ」
 
と最初は思ったけど・・・
 
良く振り返ってみると、自分もまさに同じような読書体験を何度もしているのを思い出した。
 
 
例えば、最近の私のお気に入りは、ガンガジの『ポケットの中のダイヤモンド』51xuxfbgol_sx340_bo1204203200_
 
もう10年も前に購入して、一通り読んで本棚にしまい込んでいた。
 
数日前に、何気なく彼女の本をパラパラとめくったら・・・
 
ガンガジが彼女の師 パパジに言われた言葉
 
「何もしないでいなさい・・・この瞬間にじっとしていなさい」
 
と言う文字が飛び込んできた。
 
すると、そのままスーッとこの本の世界に入り込んでしまった。
 
 
 
「私が追い求めていた充足感はと平和はここにあること、
それはこれまでもずっとここにあったということ、そしてそれがなくなる可能性はない、ということが明らかになったのです」
 
「このことに気づいたとき、私という存在の物語から、物語の奥底にいつもあった存在の終わりのない深みへと、驚くべきフォーカスの転換が起こりました」
 
等々・・・
 
彼女が師とのやりとりを通して目覚めが起こった様子が、とても誠実な言葉で書かれている。
 
この本を読みながら、あたかも私がガンガジになって師とのやりとりを追体験しているような、実に不思議な体験をした。
 
 
正直に言うと、私はガンガジが苦手な方だった。
 
とても素敵な人とは思うのだが、彼女の言い方にどうしも学校の先生のような説教臭さを感じてしまいビデオなんかも最後まで見ていられない。
 
そんな私でありながら、こうした貴重な読書体験をするのだから、面白い。
 
 
おそらくAさんは、私と同じような追体験をしたに違いない。
 
読書とは、人と人との出会いと同じで、それぞれのタイミングがある。
 
ずっと前から知っていた人が、ある日を境にとても大切な人になったり、いつの間にか縁遠くなってしまったり・・・
 
出会いのタイミングを大切にしたいものだ。

消極的人生のすすめ

2016年8月7日(日) by キヨタカ

 走れエイトマ〜ン♪弾よりも早く♫Unknown
 
エイトマンは、 私が小学生の頃大好きだった漫画だ。
 
弾よりも速く、鋼鉄よりも強く・・・無敵の力を持ったヒーローに憧れた。
 
作者は、桑田二郎。
 
かつて手塚治を凌ぐほど人気を誇った、有名な漫画家だ。
 
42歳の厄年を境に少年漫画界から身を引き、精神世界の漫画化を始めたそうだ。
 
 
先日、そんな桑田氏の本を読む機会があった。
 
タイトルは、「消極的人生のすすめ」
 
競争社会で立身出世を是とした人生を歩むエイトマン世代が読んだら、腰を抜かすほど価値観がひっくり返るかもしれない。Unknown_6
 
 
タイトルこそ過激(?)だが、読んでみると、至極まともな事が書かれている。
 
大宇宙の進化の法則に基づく魂の目覚めを、とても解りやすく説いていて、あっという間に読み終わった。
 
 
「人生に起こる全ての苦悩と災いは、未熟な精神が進化の法則から脱線することで起こる」
 
と、非常に手厳しい。
 
しかし単なる見解ではなく、本人が自らの苦悩を通りぬけて達した知見であることが読み取れるので説得力がある。
 
 
今の時代は価値観も多様化しているので、競争社会に背を向けて独自の道を歩んでおられる方も多いはず。
 
とは言え、今や世界全体が資本主義社会の最終段階の行き詰まりで喘いでいる。
 
そうした現実の世界で苦しんでいる人々にとって、そこから抜け出すとても良い手がかりを与えてくれそうだ。
 
 
人生は、幸せな方が良いに決まっている。
 
しかし、「苦悩や災いは魂の目覚めを促すとてもありがたい体験だと」と達観さえできれば、
肉体次元を超えた究極の幸せへの道が開ける。
 
そうした世界へ誘う手引書として、本書は「超・積極的人生のすすめ」とタイトルをつけ直しても遜色ないと思う。

ヌーヴォー?

2016年6月24日(金) by キヨタカ

(株)アルテから、 既出版本の校正依頼があった。
 
アジズ&フーマン関連本は既に校正済み。
 
そこで、「覚者を求めて」のみを、校正を兼ねて一気に読み返した。
 
久しぶりに読んだが、自分の本なので言うのも 気がひけるけど・・・(^-^;
 
とっても面白かった。
 
 
この本を読むと、著者のキヨタカ氏(・・・私のことだけど)は随分と恵まれた環境にいたようだ。
 
若い時から、恩寵によるサポートを受けていたことがよくわかる。
 
ところが本人は、全くその事に気付けない。
 
「覚者を求めて」、長い長い旅に出る。
 
そして、 あまりに長過ぎる探求の果てに、ようやく理解が訪れる。
 
「〜にもかかわらず、私は在る」
 
 
答えがこんなにシンプルだったら、もっと早い時期に気づいてしかるべきだが・・・
 
人生とは、スポーツやゲームと同じで、結果よりもプロセスそのものに意味がある。
 
単に結果だけが重要なら、野球でもサッカーでも、ジャンケンかくじ引きで勝敗を決すればことは簡単だ。
 
しかし、それじゃつまらない。
 
心と体と魂がぶつかり合い、全力でゲームに取り組むプロセスの中に、ドラマが生まれ感動が起こる。
 
 
ところで、私は下戸でお酒は飲めないが・・・ Beaujolais_villages_primeur_louis_j
 
ワインは毎年の新酒とは別に、長年熟成された年代物が珍重されるそうだ。
 
意識の探求だって、「ヌーヴォー」と「ヴィンテージ」があり、それぞれ味わいが違う。
 
「私は在る」という理解は同じだが、そこへ至る熟成期間が長ければ、そうでしか得られない味が醸し出される。
 
 
こうした観点からすると、私はカビの生えた「ヴィンテージ」であるはずなのだが・・・
 
実際の所、全くそんな感じはしない。
 
毎日、朝起きるたびに、新しい気づきがある。
 
その新しい気づきとは・・・
 
「〜にもかかわらず、私は在る」
 
という事なのだが、それは毎朝フレッシュで、「ヌーヴォー」なのだ。

病気は治る!

2016年6月15日(水) by キヨタカ

昨日倉庫を整理していたら、とても懐かしい本が出てきた。Unknown
 
川竹文夫著「幸せはガンがくれた」
 〜心が治した12人の記録〜
 
ガンは治る。進行したガンも、手遅れになってしまった末期ガンも、やはり治る。
 
と、最初のページから強烈な書き出しだ。
 
 
川竹氏は元NHKの番組ディレクター。
 
自身が肝臓ガンを発病。
 
その体験をきっかけに、ガンの自然退縮や生還者の取材を始め・・・
 
NHKのスペシャル番組 『人間はなぜ治るのか』を制作。
 
当時大きな反響を呼んだが、その時の取材を元に書かれた本である。
 
 
15年ほど前、私の姉がガンになった。
 
「ガンは治るよ!」
 
と姉を励まし、
 
早速この本を姉に贈った。
 
姉はとても感動して、川竹氏主催の患者の会にも入って前向きに生き始めた。
 
しかし、残念ながら亡くなってしまった。
 
 
その後、ガンを患った親戚やら友人やらが代替医療の甲斐もなく次々と亡くなっていく様子を知り・・・
 
安易に「ガンは簡単に治るよ!」とは言わなくなってしまった。
 
自分にとって正しい事が、そのまま相手にとって正しい事ではないからである。
 
 
 
しかし、今でも「ガンは治る」と確信している。
 
それどころか、最近では「病気は本来治るもの」という絶対的な確信を持ち始めている。
 
ガンや糖尿病など、生活習慣病が治るのは当たり前だ。
 
身体は車と同じく魂を載せる道具だ。
 
間違った運転をすれば、車はすぐにポンコツになる。
 
正しい運転をすれば、車は最高の性能を発揮するのと同じ理屈だ。
 
 
さらには、病気の原因がDNAに起因するものであっても治る。
 
意識の力で、DNAを望む姿に改善できるからである。
 
身体は道具ではあるが、車と違い単なる物質ではない。
 
意識と密接につながり、絶えず新陳代謝をくりかす有機体だ。
 
意識が変化することで、DNAも変化する事は、科学的にも立証されつつある事実である。
 
 
しかしそのためには、自分の病気に対する責任を完全に認める必要がある。
 
自分の病気は自分が創った。
 
だから、自分の病気は自分で治せるのだ。
 
 
この本の最後のページも、なかなか強烈な言葉で締めくくられている。
 
一人でも前例があれば、あなたが二人目になれる。
 
前例がなければ、あなたが一人目になれる。

既に知っている感覚

2015年10月4日(日) by キヨタカ

 
 『素数はなぜ人を惹きつけるか』を読んだ。Unknown
 
数学に疎い人にも解りやすく書かれていて、あたかも小説のようにスラスラと読める。
 
サイエンスライター竹内氏の面目躍如たる本。
 
数学が苦手だった私でも、高校生の時にこうした楽しい本を読んでいたら、得意科目になっていたかも・・・?
 
 
数学の世界には、『ミレニアム懸賞問題』というものがあるそうだ。
 
もし証明できたら、100万ドル(約1億2千万円)もらえるという。
 
その中で最も有名なのが、『リーマン予想』
 
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リーマンが発見した、素数の公式だと言う。
 
そして・・・
 
「ゼータ関数の自明でない零点は、その実部がすべて1/2の直線上にある筈だ」
 
 
何が何だかさっぱり解らない・・・(@Д@;
 
 
ところが、この本を読むと・・・
 
何となく解ったような氣がするから可笑しい。
 
だがそれは単なる錯覚に過ぎず、本当は何も解ってはいないはず。
 
あたかも、悟りについて易しく書かれた本を読むと、何となく悟ったような錯覚に陥るのと似ている。
 
 
しかし、この『解ったという感覚』には、一種独特の不可思議な快感がある。
 
『魂の琴線に触れる』感覚だ。
 
 
日常生活のさまざまな場面で、このような感覚がやってくる。
 
大自然の中で美しい光景に出会った時や美しい音楽を聞いた時、学問の過程で深淵な真実の一部を垣間見た時、またある時は温泉 に入ってホッと一息ついた時等々・・・
 
マインドは理解できなくても、その奥底にある魂は『既に知っている』のだ。
 
 
人間には知りえない真実が、この大宇宙に根本原理として潜んでいる。
 
それが宇宙の叡智であり、神と言ってもいい。
 
そして、その叡智あるいは神の分霊(分霊)が、私たちの魂だ。
 
だからこそ、この『既に知っている感覚』を大切にしたい。

生きているから

2015年7月28日(火) by キヨタカ

 車を運転している方ならお馴染みのJAF.

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私もガス欠等で、何度かお世話になった(^-^;

毎月送られてくる会報誌の裏表紙には、星野富弘さんの素敵な詩と画が掲載されている。

 

今月の詩は・・・

痛みを感じるのは

生きているから

       悩みがあるのは

       生きているから

                傷つくのは

                生きているから

                       私は今 かなり 生きているぞ

 

裏表紙を開くたびに、毎回ハッとさせられる。

真理とは、何か深遠彼方にある難解なものではない。

普段は見過ごされがちな日常生活の中にあって、発見されるのを辛抱強く待っている。

 

星野さんは、体育教師として指導中に脊椎損傷。

首から下の運動機能が奪われてしまった。

しかし、肉体的自由のかわりに・・・と言っては失礼かも知れないが、心の自由に目覚めた。

星野さんの詩や画が心に響くのは、それらが理屈ではなく、曇りのない純粋な心に写った真実を、やさしい言葉と絵でさりげなく表現しているからだろう。

他人を攻撃せずにはいられない人

2015年7月26日(日) by キヨタカ

 精神世界や宗教にのめり込む人の中には、『優しい人』がかなり多い。
 
とても『良い人』であり、性善説の世界観を自然に持っている。
 
困った人があればなんとか助けようとし、助けられないと『自分のせい』だと思い込む。
 
両親から大切に育てられ、幼少期のトラウマが少ないから、とても純真だ。
 
社会の修羅場で奮闘中の人々から見れば、『お目出度い人』に映るだろう。
 
 
そういう人は、とてもスムーズに社会生活を送れるかと言うと、そうも行かない。
 
普通の人以上に他人から攻撃されたり、被害にあったりする場合もある。
 
人間社会というのは、一筋縄ではいかないものだとつくづく思う。
 
 
私なんかも、かなりお目出度い方。
 
「キヨタカさん、どう思いますか? どうしたらいいですか? ?」
 
と相談されるので、真摯に相手の事を思いやり正直に答えると・・・
 
「そんな事を言うなんてヒドイ、とっても傷ついた\(*`∧´)/」
 
と叱られて・・・
 
こちらが平謝りするまで執拗に攻撃される事が、以前は良く起こった。
 
最初は、なぜ相手が突然怒るのか理解できなくて、キョトンとするのだが・・・
 
「相手への気遣いが足りなく、申し訳なかった(ρ_;)」
 
と罪悪感を感じて、結局は猛省する羽目に陥るのである。
(どこかで、ハメられた感は拭えないのだが・・・)
 
 
そんなお目出度い人が読んだら、結構役立つと思われる本を読んだ。
 
精神科医の片田珠美さんの本だ。Images
 
著書の一部を紹介しよう。
 
相手に罪悪感を抱かせるうえで何よりも有効なのは、自分が被害者のふりをすることである。   
 
そうすれば、自分の責任は全て否認できるのだから。 
 
そのため、何か具合の悪いことがあっても、悪いのは常に他の誰かであり、自分はあくまでも被害者なのだという印象を周囲に与えようとする。
 
 ターゲットにされやすいのが、誰かが困っているとすぐに同情して、助けてあげたい、慰めてあげたい、守ってあげたいなどと思うような人なのは、決して偶然ではない。
 
こんなふうに優しい人は、少しでも責められると、悪いのは自分なのかと罪悪感を抱きやすいので、攻撃対象として打ってつけなのである。
 
 
これを読めば、けっこう救われる人もいるのではないか?
 
 
問題は、「他人を攻撃せずにはいられない人」の側なのに、自分は「攻撃される人」の側と心底思い込んでいる人たちの事。
 
この本は、他人から攻撃されて苦悩している患者の声を分析したもの。
 
だから攻撃する側の人が読んでも、その事にはなかなか気づけないだろう。
 
攻撃される被害者が、実は別の人に対しては攻撃側に転じる事も多々あるから、実際にはさらにややこしい。
 
 
私としては、なんとかその事を相手に伝えられないものかと苦慮するけれども・・・
 
片田さんは達観している。
 
ほとんどの場合、攻撃欲の強い人は変わらない。

自分の過ちや間違いを認めようともしない。

・・・

「あなたのせいで不幸になった」とか、

「あなたのせいで仕事がうまくいかなかった」と責められたら・・・

「私にそんな力があるとは思えませんけど」と答えるのがいいかもしれない。
 
との事である。

ノンデュアリティ?

2015年6月2日(火) by キヨタカ

  弊著「覚者を求めて」は、スピリチュアル・マガジンStar Peopleの連載記事が元になっている。

その編集部から、「天野さんをぜひ掲載したく・・・」との依頼があった。

ほんの僅かではあるが、写真入りで本を紹介してくれるので大変有り難い。

 

先日、掲載された雑誌が届いたので、さっそく開いたが・・・Unknown

予想通り「ノンデュアリティのティーチャー」というカテゴリーで紹介されていた。

ノンデュアリティ(非二元)特集という事だったので、それなりの覚悟はしていた。

特集記事によると、「悟り(エンライトメント)」時代から、”ノンデュアリティ(非二元)”の時代に入った、とか。

なぜかと言うと、

「悟りや覚者の長い歴史を経るうちに、悟りに多くの誤ったイメージがつくようになり」 

「悟った人を必要以上に神格化してしまったから」

「余計なイメージが付かない”ノンデュアリティ(非二元)”が欧米では使われるようになった」

そうだ。

 

確かにその通りではあるが、私にとっての”ノンデュアリティ(非二元)”は、20世紀末に一大ブームとなっていたアドヴァイタの教えに直結している。

非常にシンプルに

「私は既にそれだ」

「私はいない」

「いまここに何の問題もない」

と金科玉条の如く繰り返す教えで、瞑想の深さや神聖な次元との繋がりを感じられない教師が多かった。

どんな問題を相談しても・・・

「悩んでいるあなたはいない」とか「いまここに何の問題もない」と、あらかじめ決まっているフレーズでお茶を濁す。

アジズは、「似非(えせ)アドヴァイタ」と呼んで徹底的に批判していた。

 

そうしたシンプルな教えで満足出来るのだったら、それはそれで素晴らしいから、私は批判はしない。

発行人の今井氏によれば、願望実現系のスピリチュアルに対比して”ノンデュアリティ(非二元)”という言葉を使っているそうだ。

非常に大雑把なくくりであれば、それでよしとしよう。

それでもまだ、少し違和感はある。

そもそも私はティーチャーではく、探求した結果を分かち合っているにすぎない。

しかし何をどうカテゴライズしようとしても、「私が在る(I AM)」という真実は微動だにしない。

それが、一番大切な事だ。

プレゼンスを思い起こす

2015年5月18日(月) by キヨタカ

最近、『アジズとの対話』を購入されたNさんから、メールを頂いた。
 
まさに求めていた本でした!Unknown
 
しかしSP確立にはまだまだ修行がいるようです。
 
ケータイの待ち受けにAre you in a state of presence?と入れて、見るたびにハッとしています。
 
良い本の出版をありがとうございました!
 
by N
 
 
『アジズとの対話』は、私の個人的な探究の記録をたまたま本にしたもの。
 
ごく一部の探究者以外には、理解できないだろうと思い込んでいた。
 
出版社から依頼を受けた時に、私自身・・・
 
「いったいこの本を理解してくれる人が本当にいるのか?」
 
と、半信半疑だった。
 
 
実際に出版してみると、予想外の評判を呼んで、嬉しい誤算が続いている。
 
『アジズとの対話』は、従来の本にはない、いくつかの『画期的な』内容が書かれている。
 
その一つが、『プレゼンス(Presence)を思い起こす』ワークだ。
 
「気づきの主体に気づく」というプレゼンスに関しては、最近では詳細に言及されている本も多い。
 
しかし「プレゼンスを絶えずキープする事」の重要性を、探究者の立場を踏まえて情熱的に説いた本はあまりない。
 
特に 修行好きなタイプの読者には、大変に好評を得ている。
 
 
ただ、それぞれの道にはそれぞれ陥りやすい罠がある。
 
修行系の人が陥り易い罠は、『プレゼンスの確立(or安定/定着)』を目指す事で、未来を作り出してしまう可能性にある。
 
プレゼンスとは『今に在る事』なのに、今をなえがしろにしてしまうのだ。
 
 
『衆生本来仏なり』
 
とは、有名な白隠禅師の言葉。
 
修行した結果、仏となるのではない。
 
我々は本来、初めから仏なのだ。
 
だから本来仏である事実にハッと気づいて、仏に戻るという事が、思い起こすワークだと言える。
 
『仏となろうとするよりも、仏である方が造作がなく近道』
 
と、盤珪禅師も語っている。
 
 
ケータイの待ち受けにAre you in a state of presence?と入れて、見るたびにハッとする、Nさんの方法は素晴らしい。
 
ぜひとも、プレゼンスを思い起こすワークに専念してほしい。
 
やがて、驚くべき真実が自ずと開示されて行くだろう。

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