おしらせ

 :::::   タロットリーディングの無料モニターは終了しました  :::::  

 
   お申込みいただき
ありがとうございました。<(_ _*)> 

明日から帰省します

2018年8月10日(金) 晴れ 
 
名古屋の猛暑を経験したからといっても暑いものは暑いです。
 (^-^;
 
明日からお盆の帰省です
car
 

 
送り盆と迎え盆の2日を除く、実質丸2日間のうちに4組の来客と未確定が2組。 
いつもの家事とお母さんの荷物の片付けと準備。 
 
できるのか、自分・・・?(
 ̄∇ ̄;)
 
 

車で例えるなら、たぶん私は小回りが利き燃費のいい軽自動車rvcar 
優れた馬力、耐久性、居住性などは持ち合わせてはいません。 
 

だから軽自動車は軽自動車なりに快適でエコな走行を心がけ、地道にゴールを目指しましょう。。 
 
行ってきます。
(^-^)
 

 180807_184300


 
 
 
 
 
 富士山はいいね、と 
 
 また伊豆が近づく車中で 
 話すのでしょうね 

 

羽化(昆虫が苦手な人は閲覧注意)

2018年8月8日(水) 晴れのち曇り 
 
今朝、鳥さんたちのごはんを庭で撒いていたら、モクレンの葉っぱの裏に白いもがありました。 
 
何かと思って近づいたらセミの幼虫が羽化の真っ最中。 
 
 
Img_1952 
かわいいなあ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Img_1970 
私には天使に
 見えるのですが。。 
 
 小さな羽根が 
 クリオネみたい 
 
 
 
 
 
 
 
Img_1978_2 
20分後 
 
 
 
 
 
 
 
 いのちって 
 かわいいと 
 感じてしまう 

ふるさとになる

2018年8月5日(日) 晴 
 
キヨタカの実家に通うようになってずいぶん経つちますが、最初の頃は実家の周辺をドライブしているとキヨタカが、 
 
ここ、ボクが通った小学校! ここが中学! 
 
ここにお父さんの会社の社宅があって、 
ボクが子供時代を過ごしたところ! 
 
桜の木がたくさんあって 
春はすごくきれいで天国みたいだったよ!
( )

という具合に、何度も私に説明するのを不思議に感じていたんです。 
 
なぜなら私が実家に行ったとしても、ここが小学校、ここが中学校と人に
何度も話すとは思えないから。  
もちろん学校の近くを通った時は「ここに通ってたよ」と1度はキヨタカに伝えましたけどね。 
 
私には自分が育った土地に思い入れがないようです。 
 
今回も実家の最寄り駅から電車に乗ったのですが、たまたま乗った車両が最終車両だったので、無人の運転席の窓越しに後ろへと流れていく線路と景色を眺めていました。 

 
川に架かる橋を渡りつつ、ふと、 
 
ふるさと・・・という言葉が脳裏を過りました。 
 
えっ?
(o ̄;) 
 
と、自分でも驚きました。 

ふるさとなんて言葉、口にするどころか思ったこともなかったから。 
 
なんだろ...?
(・・;) 
  
と思いながら、窓を流れていく線路を漫然と眺めて続けていて気づきました。  

 
自分にはふるさと言えるような場所はなく、それが寂しいと感じたこともなく、ただそういうものだと思ってたのだと。 
 
そして、きっとふるさとというのは、その土地や風景に温かかったり、やさしかったりの感情がそこにあるとき、その人にとってのふるさとになるのではないかと。 
 
もちろん、ここで過ごした時間に楽しさが皆無だったはずはないけど、緊張を強いられる家庭環境で育つと成長するにつれ、心には少しずつ暗い靄がかかり重くなっていく。そしてその心が映し出す風景は曇天の空のように薄暗かった、のかもしれない。 

 
きっとそんな心持ちで過ごしてきた場所なので、懐かしさよりは切り離してしまいたい過去になっていた気がします。 
  

今回、突然降って湧いたような、ふるさとという言葉の意味が分かりました。 
 
父と歩いた病院への道のり、温泉の送迎バスの車中などなど、、 
それらの風景に柔らかな感情が合わさり、やっと私にとってのふるさとになりつつある、ということなのだと思います。

生還しました

2018年8月3日(金) 晴 
 
無事名古屋から生還しました。 
 
そう言いたくなるほどの暑さでした sun 
 
これまで一貫してエアコンは使わない派の父でしたが、
前回の説得が功を奏し、私が到着したらちゃんとエアコンは稼働中。 
かつてない涼しいわが家でした。 
 
が・・・私の部屋にはエアコンはなく、毎年扇風機でやり過ごしてきたのですが、さすがに今回はマズイ気がして。。 

 
実は父のためにネットで購入したクールパッド(体を冷やす寝具用マット)が実家に届いたのですが、父に渡す前に自分で試してみたら、思った以上のひんやり感
sweat02 

逆に、これではエアコンをつけた部屋で父が使ったら体が冷えすぎると思い、一晩私が使いました。 
 
でもその後も名古屋の気温はどんどん上がり、これなしで寝たら自分が危ない気がして、結局ずっと私が使っていました。 
 
 
いやー、ほんと、 
 
 
今日も1日生きてて偉い
sign01( TT)ノ  
 
 
そう自分に言ってあげたくなる猛暑でした。 

 
 
だって「不要な外出を避けてください」と
テレビで呼びかけてるのに、1日はバスを乗り継いで温泉へ、1日は病院(徒歩で20分弱)なんですよ、85歳が。 
 
キヨタカが何度も「病院&温泉に行くならタクシーを使って!」と
メールをくれても、 
 
 
父:前はもっと暑かった。 

  最近は風があるから大丈夫。( ̄⊥ ̄) キッパリ  

 
と取り合いません。 
 
 
病院では案の定、 
 
 
先生:血圧が高いですね?歩きましたか?
 

 
と問われ、 
 
 
はい、バス停から♪(ウソ、家から) 
( ̄∇ ̄;)  

 
と答える私。 

 
 
はたから見れば、
高齢者と一緒に危険レベルの炎天下を歩いてる私って、老人虐待を疑われ職務質問されるギリなラインではないかと思ったりして・・・ 
 
 
でも一昨日の夜、 
 
 
父:明日、温泉行くか?
( ̄⊥ ̄)   

 
と言われ、 
 
 
私:止めようよ、この前も行ったし、 
 
  外出を控えるようにテレビも言ってるでしょ?
( ; 。 ̄)  

 
 
父:なんてことないわ。 
 
  前はもっと暑かった。
(^) 

 
 
という有無を言わせぬ
父の言葉に、 
 
 
もしかして虐待受けてるの
私の方・・・?( ̄⊥ ̄lll) 

 
 
という思いが脳裏を過ぎったのでした。
 
 
父、どうしちゃったの?レベルに元気です。
<(^)> 
 

台風のさなか

2018年7月29日(日) 曇りのち晴れ 

 
昨日は台風に揺れる我が家でひとり、ロウソクと懐中電灯で過ごしました。 
 
何年ぶりかしら? 
たしか東日本大震災のとき以来? 

 
もちろん、 

窓の外では木々がざわめき 
雨は激しく雨戸を叩いていたけど、 
ロウソクと懐中電灯の灯りはやさしくて静か、 

時の流れまで変わったかのよう。 
 
明日の名古屋行きの
準備で 
頭の中はいっぱいだけど、 

停電のおかげで忙しい頭も強制終了。  
 
キッチンのテーブルでひとり、 
この懐かしい灯りを眺めてたら 
すーっとその場に落ちていった。 
 
ひさしぶりに聴くラジオからは懐かしい音楽が流れ、 
子供のころ家族でロウソクを灯し 
台風の夜を過ごしたことを思い出した。 
 
あの時は家の前の電柱にカミナリが落ちる 
オマケ付きだっけ。。 
 
大きくて強い音と光と地響きにびっくりしたけど 
怖くはなかった。 
 
それから私は、 
「好きな音は?」と訊かれると「カミナリ!」と答え 
数名の大人たちを戸惑わせたのだった。。
<(^)>アマノジャク 

 
記憶の底の底にあった記憶が掘り起こされ 
タイムトラベルをしてました
typhoon

スズメに思うこと

2018年7月9日(月) 晴れのち曇り  
 
(一昨日に書いてアップできなかった日誌です) 
 
***
 
今日は朝から久しぶりの青空が雲間にちらほら見えて
ます sun  

 
心なしか鳥のさえずりも昨日までより軽やかに感じます。  
 
たまった洗濯物を一気に片付けて、しばらく干してない布団を干しまくるぞー
sign01の勢いの今朝の自分。オー! (o) > 
 
鳥のさえずりが軽やかに感じるといっても、今の私の心模様でそう感じているだけかもしれない。。

 
明日が今朝と同じでも、私の心が雨模様なら、
軽やかな鳥のさえずりも私の耳には届かない。 
 
昨日You Tubeで、スピリテュアル・カウンセラーの江原さんが、昨今の事件について語っている動画を少しだけ観ました。 
 
その中で「人がしあわせだったらこんな事件は起きないんです」江原さんは語っていました。 
 
それを聴いていたら、人はみな自分をしあわせにする責任(?)があるんだ...
と思いました。 
 
昨日、『スズメを見てるとほんわかした気分になって癒される』と私は書いたけど、それって「スズメがしあわせ」だから、私はそのご相伴にあずかってるんじゃないかと思えてきました( ̄⌒ ̄;  
 
それなら単純に、この世界や目の前の人をしあわせにしたいなら、ただ自分がしあわせになればいいはず。 
 
「これがああなったら、あれが手に入ったらしあわせ」とか考えている「今しあわせじゃない私が」、他の誰かをしあわせにできるはずないよね....
_;  
 
昨日は「
スズメと自分なにが違うんだろ?」と思ったけど、たぶんスズメは無条件に喜んでる気がする。 
 
もちろんスズメだってネコに襲われれば怖いしパニックになるけど、「いつもしあわせでいたい」とか「不幸は避けよう」とか、無駄な緊張や努力はしていないんだ、きっと。 
 
それがないことがしあわせ。
 
プラスするんじゃなくて、余分なものをマイナスすれば、すでにしあわせなんじゃない・・・
(*・◇・*)? 
 
スズメに思うことが多すぎな日々です。chick 
 
PS.文字が大きくなったり小さくなったりするの、直すのに疲れちゃったのでのそのままアップしました。
_||

朝の待ち人

2018年7月6日(金) 雨 
 
いつの頃からか忘れたけど、朝スズメにお米をあげるのが日課です。 
 
けさも早朝からの雨にもかかわらず、スズメたちが屋根や庭木に止まって待っていました。 
 
チュン、チュンとさえずりながら庭でお米を啄む姿がかわいくて、 
 
なんだかとても癒されます
。。
@(・●・)@ ホワーン...  
 
ただごはんを食べてるだけで、それを眺めてる人間をこんなにほんわかした気分にしてるなんて、当のスズメたちは知るはずないよね。  

ってうか、、 
 
ご飯を食べてる私をみて 
ほんわかする人なんているのだろうか・・・
 
 
なにが違うんだろ? _ 
 
 
Img_0069_3 自分が幸せでいるのも
 人を幸せにするのも 
 そんなに難しいことでは 
 ないんじゃない? 
 
 
 以前撮った写真。 
 5、6羽でごはんを食べてる
写真も 
 あったはずだけど 
 みつからなくて残念!
 


ウトウトしてます

2018年7月4日(水) 雨のち曇り時々晴れ 
 
昨日キヨタカの実家から戻りました。 
 
実家には毎回パソコンを持参で行くのですが、腰を落ち着けてみている時間がなかなか取れないので、家に戻るとメールやいつものホームページをのんびりチェックします。 
 
でも昨日は、電源コードがコンセントに接続していないのに気づかないまま使用していて、バッテリーが空になってしまいました。 
 
以前なら電源コードを接続すればすぐに画面が表示されたのですが、最近私のパソコンは古くなったせいか、ずっと画面は真っ暗なまま。 
仕方なくMac Bookを閉じて充電を待ちます。 
 
もういいかな?とフタを開けもうんともすんとも言いません。 
もうしばらく放置して再び開けてもまだダメ。 
 
それでまたフタをして別な用事を済ませて、遠目にチラッとパソコンを見ると、スリープランプがゆったりと消えたり点いたりしています。 
 
その様子が、キヨタカのお母さんがリビングの椅子でウトウトしている姿を彷彿とさせてくれて。。
 
 
お年を召すと人もパソコンもウトウトして、やがて静かに永眠?
^^;   
 
でも
食欲不振で大騒ぎして「これで最期...
(T_T)」とキヨタカを何度も呼びつけるお母さんは、きっと私のパソコンより長生きするに違いない。(* ̄ー ̄*) 

 

私のしたいこと

2018年6月23日(土) 雨 
 
先の日誌の流れからですが、、 
 
「自分の現実」に閉塞感を感じたり無限ループに入ってると感じたら、
私はタロットカードを引きます。 
 
現実へのフォーカスが特定の部分に限定され視界が狭くなり、思考の柔軟さが失われてると感じたとき、カードは私のマインドに風穴を開け新鮮な空気を運んでくれるから。 
 
タロットは私にとって身近な話し相手のような存在です。 
 
そこそこの年数、自分なりの方法でカードの使用してきたので自分をみることには慣れたのですが、他の人をみる経験は少ないです。 
 
でも、昨今の事件をみるにつけ感じる「どうしてそうなのか?」という、人間という存在に対する関心や知りたいという想いをもう自分の中で無視できなくなってきました。 
 
なのでやっと本題なのですが、再びタロットリーディングのモニターを募り理解を深めたいと思っています。 
 
そしていつか誰かの鏡となって、今はその人の目に映らない別の現実や新たな可能性を伝えることができたらいいなと思います。 
 
具体的なことはまた別途お知らせします。 
 
Photo_3 
 
  
 
 
 
 
 
 
 自分自身でいて 
 恐れず 軽やかに 
 自由に生きたい 
 

問いかけ

2018年6月22日(金) 晴れ 
 

先日の日誌(事件に思うこと)と同じ視点で書かれた、お笑いタレント・カンニング竹山さんの記事を見つけました。

 
彼は「肝心なことが報道されていない」として、問題の
核心をより深く理解することの必要性と、このような事件を繰り返さないために「なにができるか」を個々人に問いかけ、そこにマスコミ本来の役割と可能性を見出しているように感じました。 
興味のある方はご覧ください。↓ 

新幹線死傷、虐待殺人の容疑者らの生い立ちが知りたい 
 
これらの事件から私の思考が行き着く先は、人は誰もが同じ現実を生きているのではないということ。 
 
きっと現実というのは人の数だけあってそれゆえに、自分は理解されないとか、相手が理解できないとか、互いに分かり合えないとか、、そんなことが日常茶飯事なのだと思います。 
 
新幹線の事件、虐待死させてしまった事件、その加害者たちにとっては「自分の現実」だけが唯一の絶対的事実になっていった。 
 
でも、している行為やその程度こそ違え、起きていることの構造自体は私も同じです。
 
今この状況(=あくまで自分の認識)ではこうすべきで、それが当たり前。そんな狭い独自の世界観の中で考え、感じて、行動してるのですから。
 
問題となるは、これまで通りの思考や行動が立ち行かなくなり、苦痛を感じそこから抜け出そうとしても、固定化された「自分の現実」から逃れられなくなったとき。  
 
自ら作り上げた現実にからめとられ身動きがとれなくなったときに必要なのは、客観的視点とそれに基づいた新しい現実の認識だと感じます。 
 
その人にとって他者の存在がとても重要だと思うのです。 
 
誰かの現実という壁が壊せないほど強固になってしまう前に、誰かが声をかけられたら、、、 
 
そう思うにつけ、自分になにができるか、なにがしたいか?を問いかけられてるように感じます。 

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