« 好奇心 | トップページ | しまっちゃった »

「恩寵の扉が開くまで」補足説明5(再掲載)

2014年11月6日(木) 曇り by ヨガビジャ  **修善寺日誌より再掲載** 


5、
「恩寵2」で生じた混乱  
 
「恩寵2」が世に出たことで、アジズのワークがフーマンによって否定されたように感じ、これまでアジズのワークを継続されてきた方の中には混乱している方もみえるようです。 
 
本の冒頭に「恩寵2」を出版することへの躊躇いがあったことが書かれていますが、それはアジズとフーマンからの異なるサジェスチョンにより、キヨタカ自身が混乱し悩んだ経験から、本を読みこれからこのワーク始めようとしている方やその途上の方に、自分と同じ混乱や迷いを招くではないかと危惧したからです。 
 
キヨタカは当時、アジスとフーマンの矛盾の間で随分悩んでいました。 
 
このことを自分の中で知的に理解し、
なんとか納得のいくひとつの結論を導き出そうとしましたが、結局それはできませんでした。 
 
ある段階で、アジズとフーマンの矛盾するサジェスチョンからフーマンの教えに従うことを選びましたが、その後も「やはりアジズの方が…」という迷いにとらわれました。 
 
自分の選んだ道に疑心暗鬼になり「なにが正しいのか分からない…」、そんな悶々と過ぎる時間の末に
自ずと理解は訪れました。 
 
ですからこの本を読まれ、今は腑に落ちずすっきりしないとしても、無理に今結論を導き出そうとしないことも立派な選択肢のひとつと思われます。 

 「知らないことにくつろぐ」ことで思考を超えた理解が訪れることもあるからです。 
ただ、もう一度明確にしておきますが、「アジズの教えと彼の道は成長のある特定の時期に必要なものであった…」とフーマンが語っているように、フーマンはアジズのワークを全面的に否定してるのではありません。 

相手や状況によって、とても流動的かつスポンテニアスにフーマンは語りますので、そのニュアンスをぜひ感じ取っていただきたいと思います。 
 
(つづく)

« 好奇心 | トップページ | しまっちゃった »

フーマン」カテゴリの記事

コメント

拝啓、、、、。

    一歌

       ”断腸に

             右往左往と

                      別れ道

                             どちらが正か
 
                                      知らずとも往く”

           Yょㇼ

                                                  敬白

”右行けど

      左に行けども

              帰する地は

                     一歩と動かぬ
 
                             いまここと知る” 

  by yogabi
                                  草々

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 好奇心 | トップページ | しまっちゃった »

メインホームページ

リンク