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2016年10月

過去は今に

2016年10月29日(土) 曇り by ヨガビジャ 
 

ここのところ毎月、小山と名古屋に行くのがルーチンワークのようになってきました^^ 
 
でも名古屋に関しては私がこんなに通うことになるとは、父も、家族も、当の本人である私ですら思いもよりませんでし
た。^^; 

 
実際父の独り暮らしが始まって以来、周囲の誰もが確実に「ボケ」が進むと予想していたので、生活の変化に父が適応できるかの確認も含め、私は最初の数ヶ月のつもりで通い始めたのですが・・・

 
なんと、キヨタカが日誌で書いたように 父の認知症は母がいた時よりはるかに改善
sign02という結果に。。
 
介護認定の再審査の時は、
 
審査官:お母さんがいなくなっていかがですか? 
 
父:・・・極楽
( ̄⊥ ̄) キッパリ 
 
 
審査官:ストレスがなくなって楽になったんですね? 
 
父:・・・そう
 ( ̄⊥ ̄) キッパリ 
 
 
よがび:(ああ、次の要介護認定はもう無理だ… 
_| ̄|○ ) 
 
 
という感じでした。  
 
実際、父は私が行かなくてもちゃんと生活できるのだと思います。 
それでもなぜ私が実家に通うかといえば、父と過ごす時間が楽しいからだと思います。 
 
子供の頃、求めても決して得られなかった安らげる「家」としての存在を初めて感じているのかもしれません。 
 
たまにキヨタカが言います。 
「いつもケンカをして問題だらけだったわけではなく、家族の団欒のようなことだってあったんじゃないの?
(・・ ;) 」と。 

 
確かにそうかもしれません。 
でも少しばかりのポジティブは突発的なネガティブはもちろん、継続的なネガティブの中ではないに等しいものなってしまいます。特に無力な子供にとっては。 
 
ある時期の子供にとって家は世界なのだと思います。 
 
安ぎのある家の存在は子供に「世界には安らぎがある」という自然な感覚を生み出すように思います。それは生きる上でベースとなる無意識な「信頼」の感覚といえるかもしれません。 
 
私にはそういったベースがないことが、様々な生き難さの原因のひとつだったと感じています。 
 
私は実家に行くと、布団を干したり衣替えを手伝ったり、日用品の買い物や掃除、食事を作ったりしています。 
 
そして夕食時、健康のためという名目のお猪口一杯の晩酌をテレビを観ながら父と楽しみます。 
スポーツやバラエティ、旅の番組では「ここ、行ったね!」とか、
動物番組やビックリ映像ではふたりで声を上げて笑っています。 
 
きっと父も私も昔からこれを求めていて得ることができなかったのでしょう。さまざまな理由で。 
 
たくさん笑った後の帰りの新幹線の中で、私は自分の中の変化を感じます。 
 
少し軽くなって、ハートを中心にほのかな温かさが広がる感じといいましょうか… 
癒しが起きている感じです。 
 
 
・・・ 
 
今回感じたことを忘れないようここに記しておきたいと思います。
 
・・・ 
  
出発間際の車両に乗り込み、窓側の席に座って荷物を整え 
一息ついたら動き出す車窓 
 
窓の外には 
澄んだ大きな青空とビルや民家が続く街並 
 
私はさっきまであの街の中にいた 
 
でもこの空は見えていなかった  
 
私を取り囲む現実はリアルだけれど 

自分の認識の外にも世界はある 
 
これらすべてを1つとして認識できたら
私にとっての世界はまた変わる気がする

 

国道414

2016年10月13日(木) 曇り by ヨガビジャ 
 

一昨日、キヨタカと沼津に出掛けて用事を済ませ、その後キヨタカはウィンドサーフィンへ、私はバスに乗って帰宅しました。 
私はバスや電車に乗るのが好きなんです♪ 
 
沼津駅始発の伊豆長岡駅行きのバスを国道沿いのバス停で待っていました。 
 
海に突き出した半島の海沿いの街によく見る景色。 
何十年もそこにあったような古い家を交えほぼ隙間なく並ぶ軒先。 
その家々の間には細い路地が不規則に奥へと伸びていて、その先がどうなっているのか好奇心が騒ぎます。 
 
私が立っていたバス停はそんな風景の中、交通量の多い片側一車線の国道にありました。 
 
狭い路肩、民家の塀を背中に感じながら立ち、私の右手には国道へと繋がる細い路地。そこから出てくる車にとっては見通しの悪いT路路なので、正面には確認のミラーが2つ設置されています。 
 
そのミラーの中を通り過ぎて行く車と、久しぶりの秋の青空を漫然と眺めていると、突如車の往来が止み無音のヴェールに包まれます。 
 
しばらくすると再び耳に慣れた往来の音。 
 
そしてまた無音。 
 
無音に包まれ目を閉じると 
私が誰だか分からないような 
そもそも存在などしていなかったような 
感覚をおぼえます 
 
目を開ければ 
元通りの世界と私 
 
他がなければ私はない 
私がなければ他は存在しない 
 
普段
認識している世界がひとつあるのではなく 
世界は重なりあって存在する 
私はそのひとつを選んでいるにすぎない 
 
そんな思いが
交錯した 
国道414号 

秋の景色の中で

2016年10月6日(木) 晴れ by ヨガビジャ 
 

昨夜の暴風雨も過ぎ久しぶりの富士山です。 
 
Img_1268
 大きな空と 
 凛とした富士山 
  
 
 
 
Img_1286
 自然公園の 
 
切り株のきのこ  

 
 さっき目にした 
 空と富士山の清々しい感じとは 
 ちょっと違って 
 

Img_1287 周囲はまだ
 まどろんでいるよう・・・ 

 
 

Img_1294
 道端でじっと動かない 
 沢ガニ  

 
 死んでるのかな?
(・・?) 

  
 と、小枝でツンツンしたら 
 ハサミで威嚇されました
annoy
 
 
Img_1296 
 緩やかな坂の様子から察するに 
 夕べは川のようになって 
 流されまいと一晩中格闘して 

 
 放心してたのかも?
(* ̄ 。 ̄) ホケー 
 

 
Img_1297_2
 
 淡いオレンジ色のきのこ
 
 
 
 
 
 
 
 
Img_1323 帰り道 
 
 
 
 見送られ
 

 
 
Img_1325
 日はのぼる 
 
 
 

Img_1330_2 大きな自然の循環の中で 
 自分も生かされてるんだ… 
 と感じつつ 
 着いた先には味覚の秋
maple 
 
ごち
heart01です。。(-- )(-- )
 
 

ちょっと変えてみたら

2016年10月5日(水) 曇り by ヨガビジャ 
 
 

今年は雨が多く晴れの日が少ないせいか野菜が高いですね。。(・・ ;) 
 

それはうちの庭でも同じで、駐車場の栗を毎年イノシシと競い合ってとっているのですが、今年は小さい上に数が少ないので全部イノシシに譲ることにしました。 

 
でもなぜだか、富士見荘の庭にはみ出している、お隣の栗の木の栗だけは例年になく豊作です♪(^-^) 

そして、毎日せっせと集めたその栗が小さめのどんぶりに一杯になったので、今朝茹でて朝ごはんにしました。 

Photo おいし〜note 
 と、一皿食べたあたりで 
 飽きて来て・・・
( ; ̄- ̄)=3 ゲフッ 
 
 
  
 どうしようかな〜?と思っていたら
 
数日前、友だちからいただいた 
 手作りの栗きんとんの茶巾絞りを 
 思い出し、真似して作ってみました 


本当はリトリートの準備で忙しいのですけどね、ちょっと息抜きしたくなったんです。
(^^;ゞ 

 
Photo_2
 茹でた栗を半分に切って 
 スプーンで取り出します 
 
 ちょうどさつまいもも 
 あったのでグリルで焼き、 
 その熱々のお芋をザルで裏ごしして、 
 食感を残したかったので 
 濾しきれないつぶつぶも投入 
 

 
見た目をきれいにしたかったので
皮は剥いて入れなかったけど、 
 
ポリフェノールがいっぱいよっ♪
( ) 

とか言って、夕ご飯のキヨタカのサラダのトッピングにする予定
good 
 
この栗とさつまいもをお鍋に入れて、少しだけあった牛乳と豆乳と、これまた少し残ったココナツミルクを入れて火にかけかき混ぜること十数分。 
 
味見をしたら素朴な甘さでこのままでもよかったけど、はちみつを入れた方がキヨタカが好きそうなのではちみつを追加。 
 
サランラップでくるめば茶巾絞りになったけど、面倒なのでタッパーにぎゅうぎゅう詰めて、、 
 
Photo_3 芋ようかんに 
 ならないかなあ〜
o(^-^)o 
 と今粗熱をとってます。 
 
 
 いつもの味覚を 
 いつもとちょっと違った形にしただけで
 豊かになった気分です♪
^^ 
 

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