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日常の中の祈りの種

2017年4月2日(日) 曇り  
 
最近は自分も人生の半ばを過ぎ、高齢者と接する機会が多いので、自然といろんなことを考えさせられます。
( ̄⌒ ̄; ) 
 
私の母はよく「悪いねー
sweat01」と言います。  

体が不自由で周囲の人の手を煩わせるのが申し訳ないということなのでしょうけど、毎回毎回言われ続けるとちょっと重たく感じます。 
 
そこで、「悪いね」は1回で十分だから、あとの悪いねは「ありがとう」に替えたら?と提案しました。 

 
「ありがとう」という言葉はいつ誰に言われてもうれしいものです。 
ありがとうの一言で、少しくらいの疲れなら吹き飛んで、もうちょっとだけがんばれそうな気がしますから。 
 
じつは自分が子供のころ、父から「ありがとう」を言われた記憶がありません。 
 
孫が出来、さらに歳をとってひ孫ができ、少しずつ角がとれていった父ですが、初めて幼い孫たちに向け「ありがとね」と言う父を見て、不思議な感じを覚えたのを思い出します。 
 
父、ありがとうって言えるんだっ!Σ( ̄□ ̄; )! 
 

みたいな。。 
 
そして、その頃から時は流れ、歳をとった親たちを
誘い旅行に行ったり、母が腰を痛めて家を出て一人暮らしの父の元を訪れるたびに、私への「ありがとう」も増えました。 

 
それを初めて聞いたころ、 
 
「お父さんがありがとうって言ったよっ!」と
姉にメールしたら、 
 
「うそっ!ほんとにっ!?
( ̄◇ ̄;) !! 」と返事がきたんでしたっけ。。  

この「ありがとう」という言葉、子供の頃にあまり聞けなかったからこそ、今その言葉の持つ優しさや力、意味が深く感じられる気がします。だから今はこの家庭に生まれてきてよかったと思えます。 

 
今回も別れ際、父の「ありがとう」の言葉を聞き、「本当に体に気をつけて<元気でね> 」と言って別れてきました。 
 
その時の「ありがとう」と「元気でね」の感覚の余韻
を胸に車窓の景色を眺めていたら、「元気でね」は「祈り」なんだと気づきました。 

 
リトリートでは神聖な次元や聖なる母に、別な宗教では世界人類の平和に祈ったりしますが、その祈りと同じ質を日常の些細な会話の中に見出せたことに驚きととも喜びを感じました。 
 
心からの「ありがとう」や「元気でね」は祈りの種なのだと思います。 
 
 
相手のすべてを肯定できる 
 
(正しいからでなく) 
 
 
今の自分をありのまま受け入れられる 
 
(よいことをしたからではなく) 

 
 
目の前の相手と繋がれる 
 
(そうしようとしなくても) 
 
 
祈りは起こる 
 
・・・広がる 
 
自分も広がる 

 
 
偉大なこと、神聖なこと、遥か遠く.... と思っていたものは、周囲の小さなことの中に隠れていた。 
 
そんな発見が今回もありました。 
 

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コメント

つながりたいけれど、なかなかそれが難しいのが家族。
そこで起こった祈りは偉大で神聖なことだと感じました。
ハートからの祈りは色々なものを溶かしてくれますね、それはまさに変容ですね。

つながりたいと思っていたときはつながれず
それを諦め疎遠になり、
あるときからなんの期待もなく接していたら
今のような状況になっているのですから
不思議なものですね。。


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