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事件に思うこと

2018年6月12日(火) 晴れ 
 

最近胸の痛む事件が多いです。 
 
幼い子供が虐待の末に死んでしまったり、 
新幹線で襲われた女性を庇った男性が殺されてしまったり、、 
 
犯人は許せない、極刑に、という意見を見かけますが、こういった事件は単に法で裁けばそれで終しまいとは思えず考えさせられます。 
 
このように事件として私たちの目に触れるのおそらく氷山の一角。 
この瞬間にも人知れず起きている、あるいは潜在的にその可能性を秘めている人、状況はそこかしこにあるように感じます。 
 
以前「人類が存在しなければ地上は生き物にとって楽園となるだろう」という言葉を目にしました。 
 
人はほかの生物と違い高度な社会性を持ち、霊的にも科学の分野でも進化の可能性を秘めると同時に、それが故に迷い道を誤り、自分自身や他者、ひいては自然環境、社会・国家・民族という集団単位にまで多大な打撃を与えうる存在であることは過去の歴史をみれば明らかです。 
 
そして最近は「なぜこの行動に至ったのか?」と思う事件がとても多いと思います。 
 
事件を起こした犯人の背景が少しずつ明るみなるつれ、これは犯人や家族といった特定の誰かを断罪すればおしまい、、などというものではない、そう思われてしかたありません。 
 
「犯人はどうしてこの行動をとったのか?」「周囲の人間になにができたのか?」などなど様々なことが頭を過ります。 
 
子供の物事の捉え方はとても柔軟です。 
経験が少なく、善悪の判断もなく、無知故に、この現実はひとつの限定されたものではなく、粘土のように変幻自在であらゆることが可能な世界、それが子供にとっての現実でしょう。 
 
でも、年を経て酸いも甘いも経験を重ね、現実とは堅固な形をとったたった1つの事実、そう認識を変えながら大人になっていくのかもしれません。 
 
こういった事件の犯人たちは、その厳然たる現実(=あくまで彼らにとって)に取り囲まれ、他の可能性が見出せなくなったのではないかと思います。 
 
今回の事件について正確なことは知りませんが、「自分は軽んじられている」「価値のない人間だ」「連れ子のせいで夫に捨てられるかもしれない」など、不安から始まり妄想であったものが、いつしか本人たちにはそれが紛れもない事実であり現実となった… 
 
まるで鏡の迷宮に閉じ込められて 
他にはなにも見えない、抜け出せない、、 

考えることはもう、これをどう終わらせるかだけ 
 
もし誰かが、「あなたがみているのは必ずしも現実ではないよ」と優しく言ってあげられたら、、それが難しいことは分かっているけど、違った結末があったのでは…と思ってしまいます。 
 
このような事件は特別な誰かの話ではなく、誰にでも、どこででも潜在的に起こりうる(起こっている)ことなのだと思います。 
 
そしてそのひとつひとつが、私たちに人としての進化の意図を問い、自分自身がその流れの身を置いているのだということを思い起こさせてくれているように感じます。 
 

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コメント

yogabija 僕もそのように感じます。

母が2か月ほど前に肺炎、その後すぐ胆嚢炎で敗血症の治療をして2か月間身体拘束、その処置が終わりリハビリかと思ったらガンがあること、そして余命を告げられました。

もうすぐ95なのでそんなに長くないかもとは思っていましたけど、また医師の余命宣告が正しいとは限らないとわかっていても動揺しました。

そしてその夜(昨日)、久しぶりに開いた「存在の詩」に

『人間の内なる現実を知った人は地上に起こることは何であれすべての人間に責任があると言う』(原文の助詞を変えました)
『ベトナムで起こったことが何であろうと それはただニクソンたちだけに責任があるのではない』(原文の時制を変えました)さらに続く。。。。
とありました。

僕は何故かこの話に、初めて目にした時から 確信があるのです。

これが動機でサンニャシンになりました。

僕は学生の時、刑法を学んでいたのですけど、刑罰で犯罪はなくならないことがわかりました。

そこでカール・ロジャースに代表される人間中心の心理療法・カウンセリングやゲシュタルトセラピーを学びました。

そこで起きることは 空に流れて来る雲(起こること)の解釈の変化だと僕は理解しました。

黒い雲が僕を覆い、うっとうしい雨が降り、僕はびしょ濡れ、気持ち悪い。
それが
暑い日は雲が熱を遮断してくれる。雲がもたらす雨は野菜・穀物を育ててくれるし、カラカラの大地を潤してくれる。僕のこころも。。。。
それに、雲によっては太陽の光を反射して虹を見せてくれたり、朝焼けや夕焼けを見せてくれる。

こんなような雲との関わりの解釈がネガティブからポジティブに変わる。柔軟性のない
囚われから解放されていく。楽になる!

人間性心理学は僕を、僕達をある意味で開放しました。でも、世界で起き続ける紛争や戦争を含めて犯罪は減りません。

そこでoshoに関わり始めました。

ダイナミックやジベリッシュで僕の中はてんてこ舞い。そして自分の中の紛争や戦争は起きそうですけど、自分以外へのその広がりはたぶんなさそうです。僕だけの思い込みかもしれませんけど。。。。

僕は僕のブラックボックスを知り始めたと同時に気づきも育ちつつあるようです。

僕が変わって行けば、友達や知り合いに僕の体験を伝え、また伝えなくても、彼らが何か感じるかもしれない。

今のところ、これが前に書いた僕の確信の理由と僕の責任のようです。

たぶん osho だったと思うのですが、
存在するのはただ個人であり国や社会には実体がない
というのを読んだことがあります。

どんなに法律を変えようと誰が政治をしようと、
個人が変わらない限り国も社会も変わらない。

ひとりひとりが己のブラックボックスから目を背けず、
責任をとり始めれば、外側で起きていることは他人事では
なくなり、変化は身近な人から社会へと波及していくのでしょうね。


2017年にラスベガスのホテルから下の野外コンサート会場に向かってライフルを乱射し、58人を殺害、546人に重軽傷を負わせる事件があったのを覚えている人も多いと思います。犯人は自殺したため、その動機がわからず、亡くなった犯人の脳をスタンフォード大学神経病理学研究室に送って脳の病理学的問題か調べたそうです(結果を読んでいません)。
衝動抑制や意思を司る脳の部位に腫瘍や損傷などの疾患があると暴力的になることがあるそうです。

でも、腫瘍や疾患は珍しいものじゃなく、発病者のほとんどは殺人鬼にはならないとのこと。
別の脳科学研究所では「大量殺人者の脳を見て犯行との関連が分かったり、意味のある発見ができたとしたら驚きです」「おそらく犯人の脳はごく普通のものでしょう」とコメントしたそうです。
ある研究者たちは暴力的サイコパスの脳をスキャンしてその特異性を報告しています。
でも、犯罪を犯していない人に、「あなたの脳は殺人者の脳特性を持っています」という理由で予防的手術や精神病理学的介入は犯罪抑止としてもできないでしょう。少なくても自由意思で受け入れるのでなければそのようなことが起きないことを願います。
また、この研究者も自身の脳にサイコパス傾向があることを認めているそうです。

スタンフォードで犯人の脳に病理学的疾患が見つからなければ、心理的・社会的問題ということになるのでしょう。以上『WIRED』参照。

確か2005年にカリフォルニア大学のベンジャミン・リベット(生理学者・医師)が僕達の行為・考え・感情等の脳の活動プロセスについて実験をし、『マインド・タイム』というタイトルで出版しました。

僕の大雑把な理解ではこのように述べています。

「行為・考え・感情等の全ての脳の活動は脳の無意識から始まり、その後二つに分かれる。一つは目の前に何かが飛んで来た時、自動的に目がふさがる反射。二つ目は無意識にに始まった情報を観る意識、自由意志の段階。」
これによって、リベットはヒト、人間と言うべきでしょうか、人間には意識・自由意思が働くがゆえに責任が生まれる と述べているものと僕は理解しています。

『WIRED』の別の記事によると、ドイツで行われた実験でもリベット同様に、無意識でのシグナルから0,2秒までなら自由意思により無意識で始まった決定を中断・拒否できると追試されたようです。

さらに2008年の実験では、『自由意思がない』等情報を与えられた被験者は不正や非協力的になるという傾向が強まるとありました。

最新のもの、また反対の結果を知っている方がいたら教えてください。

Oshoが「闇に意識という光を当てるのだ」「意識が拡大すればするほど僕達の責任も大きくなる」と言っていたのを想い出す内容でした。

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