フーマン

フーマンの言葉2/東日本大震災にむけて(再掲載)

2014年11月14日(金) 晴れ by ヨガビジャ ** 再掲載 ** 
 
 
(東日本大震災から4日後)  
 

フーマンの言葉は、セッション中のキヨタカの通訳のまま、できるだけ正確に記載しました。 
 
意味の通じにくいところがあるかもしれませんが、フーマンの言葉の流れを感じていただきたく、あえて文章には手を加えませんでした。 
 
フーマンのワークを受けられた方は、すぐに思い起こせると思います。 
フーマンのワークは受けていないけど、リーラスペースのリトリートや新宿瞑想会に参加された方は「アティーシャのハート瞑想」を思い出してみてください。  
 
私は最近、アティーシャとは少し違いますが、次のように祈っています。 
 
・今、地上で起きているすべての痛みや悲しみを、自分のものとして感じます。 
(TVで流れる被災地の映像、自分の恐怖や痛みを思い起こすなどなんでもO.K)  
 
・それを「感じて」やさしく包み、愛を注ぎます。   
 
・その愛がハートいっぱいに広がり、
どんどん自分の体を超えて広がっていくの 
 感じます。 それは、私の「個」として境界をぼかしつつ、被災地や周辺、日本、 
 すべての人々を包み、さらに広がっていきます。  

 
最初はイメージすることが役に立つかもしてませんが、徐々に実感できてきたら、そのハートの感覚に止まり続けることで、それは自動的に起きていきます。   
ぜひ、ご自分にあったやり方をみつけてください。 
 
今まさに、私たちは、『一体であるという源泉との深い繋がり』を体験しようとしている、私にはそう感じられてしかたありません。 

 
 
*** 
 
 
・・・ 
 
ハートというのは  すべて分かち合うことです 
 
 
ハートというのは  こう出ていくものです   
 
(ハートを両手で指し示し、左右に広げながら) 
 
 
同時に  内側にも入ります 
 
非常に神秘的です 
 
 
その本性は  すべてを一つにするものです 
 
いつでも  ただ内側に入っていられるだけではないのです 
 
それは  サークル  サークルのようです  
 
 
なにか  ここ(ハート)に  あるものがある  
 
いつでも分かち合いたい 
 
そして  与えたい 
 
 
驚きでしょう? 
 
 
通常  マインドというのは奪いたい 
 
この人生でなにが得られるだろうか? 
 
体というものはニードがある 
 
たとえば  食物のニードとか 
 
マインドは  知識とか 
 
世の中からなにかを取りたい 
 
 
ここ(ハート)は  ただ与えるものがあります 
 
とても  おもしろいです 
 
とても  神秘的です 
 
そして  極端にリアルです 
 
 
そして  誰に対しても 触れるとその人の人生を変えます  
 
 
ちょうど  神の手が出ていくようなものです  
 
(ハートから手が伸びている感じ) 
 
 
全員を  こう触れるようなものです 
 
そして  すべてが変わります 
 
その同じ手が  人々のために祈ったり  助けたり 
 
沈黙して 
 
人々のために  ただ祈ります 
 
 
その本性が  そういうものなのです 
 
 
あなたの中で  それが起こった時 
 
この手はちょうどこんな感じです 
 
(両手をハートの前に持ってきて左右にゆっくり開いていく) 
 
 
ここが開き始めると  目覚め始める 
 
あなたの中にあるものが  だんだん外に出ていくようになります  
 
そして  出たり入ったりするのを感じるでしょう 
 
 
あなたが  なにをやっている訳ではないのです 
 
なにかをトライしたり  助けようとしたりもしません  
 
ただ  自然に起こるのです 
 
それが  ビューティフルなのです 
 
 
すべての人間が  それを持っています  
 
すべての人は  その潜在的可能性を持っています 
 
誰もがそうです 
 
 
究極的に  誰もがそこに到達するでしょう 

 
それが  人間と他の存在の違いです 
 
人間のハートは  非常に特別です 
 
 
もし  人間がハートを発展させなかったら 
 
それは  人間とはいえません  
 
どれだけ  彼らが目覚めてもです 
 
彼らは  人間ではないのです 
 
 
人間と他の存在、 
 
他の
物や物との違いは 

特別な  種族に属するからです  
 
 
ハートという装置を持っている 
 
それが  違いなのです 
 
 
これを  目覚めさせることができる 
 
そして  劇的にすべてを変えることができる  
 
ただちに  究極の真実に触れることができる 
 
 
すべての人間がこれを持っているのです 
 
しかし  彼らはそれを使いません 
 
彼らのハートは泣いています  
 
 
それを開くために  なにが真実なのかを感じたいのです  
 
でも  彼らはそうしません 
 
 
だから  今  地上はこんな状態なのです  
 
もっと   もっと   もっと   悪くなっていくでしょう  
 
人類にハートが開くまでこうです 
 
 
人々は  お互いを兄弟として認識し始めます 
 
奪う必要性なしに 
 
 
自然な分かち合える能力です 
 
ただ分かち合うのです 
 
 
あなたと  コンピューターをシェアできる 
 
食物を  私とシェアできる 
 
私の  知識を分ち合える 
 
あなたの  知識も分かち合える  
 
どんな形をとろうとも 
 
すべてを分かち合うということです 
 
 
人間のハートが   唯一   希望なのです 
 
この人類にとって 
 
 
それ以外の  希望はないのです 
 
知識ではダメです 
 
一体であるという   源泉との深い繋がりが必要です 
 
 
今   私たちはそこにいるのです 
 
 
あなたが  この真実を理解すると  
 
すべてはリアルではないと感じます 
 
どうでもいいのです 
 
もう関係ないことなんです  
 
ちょうど  子供がおもちゃで遊んでいるようなものです 
 
 
それが  究極の真実です 
 
 
ある人にとって   ここに到達するには  
 
たくさんの瞑想と瞑想状態を  通り抜けていく必要がある  
 
プレゼンスとか   アブソルートとか 
 
いろんな違ったワークが必要です 
 
 
でも  ある人にとっては 
 
直接に  それを目覚めさせることができる  
 
 
それだけなのです 
 
それは潜在的可能性です 
 
違った可能性です・・・ 
 
  

フーマンの言葉1/東日本大震災にむけて(再掲載)

2014年11月13日(木) 晴れ by ヨガビジャ ** 再掲載 ** 
 
 
(東日本大震災から4日後) 
 
 
私のフーマンとのセッションの中で、現在の日本の状況下で、ひとりひとりが「自分という存在」を問い直すきっかけになりそうな言葉がありますので、ここに公開します。 
 
内容はフーマンのワークを受けた方に向けられています。 
ですが、「恩寵の扉が開くまで」を読まれた方の中には、衝撃を受けたり、涙があふれたり、繋がりを感じられる方もおられるので、そういった方たちにとっても、きっとなにかのインスピレーションを得られると感じます。 
 
まさに「今」、誰もが直面していることです。  
 
この痛みに満ちた現実の意味と、誰もが直面しなければならない。 
もう先延ばしにすることはできません。 
 
(長文ですので、区切りのいいとろで2つに分けました)  
 
 
***  
 
 
私がワークする全員は 
 
だんだん人類を助けるようになるでしょう 
 
あなたやキヨタカ   誰もがそうです  
 
 
将来、地上にはたくさんの破局が訪れます 
 
日本全体が混乱します 
 
 
あなた方はそれに奉仕して 光を代表するのです 
 
光の  ある種のエナジーフィールドを作るのです 
 
 
自らの光を目覚めさせる潜在的可能性のある人々が 
 
あなたに惹かれるでしょう 
 
あなたは彼らを癒し助けなくてはいけません 
 
目覚めることを助けるのです 
 
 
みんな  そうです 
 
それぞれ違ったやり方で 
 
あなたの個人的なやり方で 
 
過去生においてあなたが行っていたやり方が戻ってきます 
 
全員ではなく大部分の人がそうです 
 
 
私はあなたが個人的に目覚めることだけに 
 
ワークしているのではないのです 
 
相手を目覚めさせ、
助け、自信をもたせることをも助けているのです 
 
それはただちの将来ではありません 
 
だんだん開いてくるでしょう 
 
それに対しては 
 
タイミングというも
のがあります・・・ 

 
(つづく) 

 

痛みの理解(再掲載)

2014年11月12日(水) 曇り by ヨガビジャ ** 再掲載 **
 
 
久しぶりにソロ・リトリートに入っていました。   
今回のソロ・リトリートでは、フーマンのセッションのMDを最初から聞き直しました。 
 
初めてのセッションから9年の年月が過ぎ、あの頃フーマンが何度も伝えようとしたことが、やっと深く体験的に理解できてきました。 
 
フーマンのワークを受けていたある時期、私の成長は完全に止まり、逆行すらしているように感じられて、どうしようもない閉塞感に襲われました。   
 
その時フーマンは、「あなたが外側のことで忙しくして、成長を感じることができなくても、あなたの中でそれはちゃんと成長を続けている。あなたにはただ時間とスペースが必要なのだ…」と励ましてくれました。 
 
でも、この時の自分の感情や精神状態では、どんなフーマンの励ましも素直に受け取ることができなくて、ただただ焦りと痛みの中で時は過ぎていきました。
 
あれからずいぶん経ちますが
、 今回この時のフーマンの言葉は嘘ではなかったことを実感することができて、あらためて感謝の想いを感じました。  

 
実は最近、瞑想会やリトリートで、「ハートを感じようとすると同時に痛みを感じるので、どうしても躊躇してしまう…」というお話を耳にしました。 
 
今回、私が聴いたセッションの中で、痛みについてフーマンが語っている言葉が、そういった人たちの助けになるかもしれないと感じましたので、ここに紹介します。 
 
 
*** 
 
 
ハートが目覚めることで   
 
痛みと同時に   深いフィーリングがあります 
 
痛みに付け加えて・・・ 
 
 
その深い方にワークすることによって 
 
痛みを感じる強さというのができてきて 
 
痛みは消えていきます 
 
 
痛みというのはシンプルに 
 
なにかが正しくない   ということなのです 
 
それが痛みなのです 
 
 
なにか   あなたの中に正しくないことがあるか 
 
誰か   他の人に正しくないことがあるか 
 
それを痛みが指し示しているのです 

 
なにかを示している 
 
それは悪くはない 
 
良くもない 
 
 
ある装置なのです 
 
それを示す方便なのです 
 
 
あなたの魂の強さは 
 
ちょっと痛みを感じるけど 
 
すぐに手放します 
 
 
そして   自分のハートの沈黙に休むのです 
 
 
あなたのハートの中には 
 
たくさんの平和と沈黙があります 
 
 
・・・・・  
 
 
よりあなたが平和を感じると 
 
痛みがやってきても   短くしか残りません 
 
 
でも   そういう痛みを 
 
深刻に受け止めないように 
 
 
それは   大きなことではないのです 
 
人生の一部なのです 
 
誰もがそれをある程度は持たなくてはいけない 
 
 
たとえ   あなたが非常に非常にハッピーでも 
 
他の人の痛みというのを感じることができます 
 
 
だから   痛みは自然なことです 
 
大きなことにしないように 
 
そして  それを感じて 
 
更に深く入っていくように・・・ 
 
 
*** 
 
 
痛みやネガティブな思考、感情によって「自分はダメだ」とか「成長していない」と感じられる方は、少なくないのではないでしょうか?   
 
でも、それが更なる痛みを生み出し、そこから抜けられない悪循環を生み出していることが、
今でははっきり分かります。  

本当はその当時も分かっていたかもしれません。でも、分かっていても自分ではどうしようもないこともあります。これをヴァサナ(マインドの潜在的傾向)というのかもしれません。
 
私たちは時として、痛みに過敏に反応しフォーカスし過ぎてしまうようです。   
 
でもフーマンの言うように、痛みを深刻に捉えず、自然な人生の一部として受け入れるなら、不必要な痛みの悪循環に陥らずに済むかものしれません。 
 

「恩寵の扉が開くまで」補足説明の補足

2014年11月9日(日) 曇り by ヨガビジャ  ** 追加 ** 

 
これまでの補足説明を見直していて、思い出したことがあるので追加です。 
 
直接、本の内容に関することではないのですが、プレゼンスに関する誤解と、プレゼンスのワークからビーイングに移行するときに起きがちだったことを、ここに記載しておきます。
 
 
***
 
 
プレゼンスとは? 

何人かの方は、プレゼンスが安定化したら思考はなくなり、感情に振り回されることもなくなると考えられているようですが、そうではありません。 
 
こうした考えによって、すでにプレゼンスを体験しているにもかかわらず、それを評価することができず、延々とプレゼンスを求めつづける、ということがありました。 
 
プレゼンスは青空のようです。 
 
青空の存在に気づき、それこそが自分の「主体」であることが認識できても、雲としての思考や感情がなくなる訳ではありません。 
ですから、思考や感情の波の有無は、プレゼンスの評価にはつながりません。 
  
ある時は、空いっぱいに雲が広がり、自分はこのどんよりした雲だとしか感じられないこともあるでしょう。 
 
でも、少しでも青空(プレゼンス)の経験があれば、わずかな雲の隙間にそれを見つけ、そこに戻ることができます。思考でも、感情でもない、自分自身に、戻ることができる、プレゼンスのワークはその始まりなのです。 
 
そして、プレゼンスの感覚(認識)はワークが進むに従って変化していきます。 
 
キヨタカの場合は、アジズ方式のプレゼンスのワークで、明晰さとともに、
確固とした気づきの塊のようなエネルギーを感じていたそうです。(身体の中心に太い柱のようなエネルギーが立ってる感じと言っていました)
 
その後、その
確固としたエネルギーをビーイングへと手放していく過程で、それはくつろぎの感覚とともに広がっていくのですが、同時に希薄になり、弱まっていく感覚があるため、せっかくのプレゼンスが失われていくみたいで、ビーイングにくつろぐことが難しかったようです。
 
最終的には、アジズ方式のプレゼンスのワークでは、強いプレゼンス(=私は在るという感覚)から、それはより広がった、遍在する意識の感覚へと変化していきます。 
そうなると、日常生活の中でも自然とそれとともに在れるようになっていき、思考や感情があっても、あまりそれに影響を受けなくなっていきます。 
 
これらのことは、リトリート参加者の方にとって、ある量のプレゼンスのワークした後、ビーイングへと移行していく時に生じがちな、つまづきのポイントでした。 
 
最近のリトリートでは、プレゼンスとビーイングはほとんどセットのようにワークしていますので、こういったことはみられなくなりましたが、参考までに追加させていただきました。
 

「恩寵の扉が開くまで」補足説明7(再掲載)

2014年11月8日(土) 曇り by ヨガビジャ  **修善寺日誌より再掲載**  
 
 
7、最後に 
 
2000年にアジズが初来日したあたりから、社会情勢のみならず、
明らかにスピリチュアルな世界にも変化の波は押し寄せているように感じます。 
 
最近は時間の流れが、昔の1日24時間と同じには感じられない方も多いのではないでしょうか? 

アジズの初期のリトリートでは1日に6、7時間、多くの生徒が本当に苦労して坐り続けSPに取り組みました。 
 
でも、今はあの時と同じ時間とエネルギーを労することなく、プレゼンスの安定化が可能になってきています。 
 
最近では、プレゼンス→ビーイング→ハートというワークの境界が曖昧になり、プレゼンスとビーイングが同時にワークできるようになってきました。 
 
本当に驚くべきことですが、リトリート初参加の方でも1回のリトリートで初期の頃の3、4回のリトリートに匹敵するほどの、理解と体験が得られるようです。 
 
 
フーマンは、すべての準備を整えてボディを去ったと感じています。 
 
アジズとフーマンのワークに取り組んでこられた方々の中には、独自の瞑想会やヒーリングを始められている方もおられます。 
おそらくフーマンは、このように自分の生徒たちが他の人々と坐り、彼らが人々にエネルギー的に影響を与えることを意図していたに違いありません。 
 
そして今、本当に時代は私たちを霊的な進化へと後押ししています。 
 
悟ったマスターが傍にいなくても、誠実に道を求めるなら必ず辿り着ける、そんな確信があります。 
 
そして、スピリチュアルな道を歩む時、もちろんひとりで歩むこともできますが、すでに何人かが通った道を、同じ想いを持った人々と歩むことで、互いに助け合うことができます。 
 
実際的にいうなら、一度でも瞑想会などの機会でご自分の「理解と体験」を確実なものにされたら、その後のワークはより容易になり、進歩が加速される可能性が高いということです。 
 
先ほど「時代が後押しして」と書きましたが、瞑想会ではそれにプラスして「場のエネルギー」もサポートます。 
 
なにかのご縁で「アジズとの対話」や「恩寵の扉が開くまで」を手に取っていただけたのですから、そのエッセンスを最大限に受け取っていただき、体験され、ご自身の成長の糧にしていただけたら、これに勝るしあわせはありません。


とても長い文章となりましたが、僭越ながら何かの参考になればと思い書かせていただきました。おつきあいいただきありがとうございます。 
 
(おしまい)


「恩寵の扉が開くまで」補足説明6(再掲載)

2014年11月7日(金) 曇り by ヨガビジャ  **修善寺日誌より再掲載**  
 
 
6、フーマンの目に映るのは… 
 
「恩寵の扉が開くまで」を読まれるにあたって、ぜひ理解しておいていただきたいことがあります。 
 
それはフーマンがキヨタカに語りかける時、通常私たちが一人の人と向き合うのとは違ったレベルで対峙しているということです。 
 
具体的にいいますと、パーソナリティ(人格)としてのキヨカタに語りかけている時と、Thisを体験しているキヨタカ(正確にいうとThisとしてのキヨタカ)に語りかけている場合とがあるということです。 
 
「恩寵1」では、フーマンはキヨタカの様々な質問に答えました。 
 
それはおそらく想像ですが、キヨタカの質問に答えることで彼に必要な情報を与えると同時に、彼のマインドをリラックスさせる必要があったのではないかと思います。 
マインドをリラックスさせることなしに彼のプレゼンスをビーイングへと手放させ、さらにThisの体験へと導くことは不可能だったのでしょう。 
 
この理由により「恩寵1」では、キヨタカのパーソナリティへの働きかけにウエイトが占められていたと思います。 
 
それに対し「恩寵2」では、キヨタカのパーソナリティには極力触れず、Thisに目を向けさせ、そこに留まることにエネルギーを注いでいました。 
 
「恩寵2」においてフーマンは、
『もし、あなたが私を「フーマン」にすると、 
 あなたは「キヨタカ」という立場からやってくるようになる』と言っています。 
あるいは『私はフーマンではない』と。 
これはフーマンが極力、キヨタカのパーソナティを機能させないための言葉だったのだ思います。

そして、このことは、フーマンはキヨタカを「自分と同じThisの違った表現」として見ていたことを示しており、またキヨタカにもそのように自分自身を認識するよう何度も促しました。 
 
フーマンの視点においては、目の前の相手は「魂」であり「This」なのです。 
 
本来フーマンは、パーソナリティとしての相手には関心がなく、必要に応じてその人の人間の部分に繋がっているに過ぎませんでした。 
 
ですから、もしキヨタカを直接知っている人がこの本を読まれたら、フーマンのいうキヨタカ像と自分の中のキヨタカ像にギャップを感じて、そのギャップからこの本の信憑性に疑いを持たれるかもしれません。 
 
しかし、すでに述べましたように、フーマンの視点は一般的な私たちの視点とは違うことを忘れなければ、この本の理解もさらに深まることと思います。 
 
私たちもフーマンのように相手をパーソナリティとして見るのではなく、その奥にある魂やThisとして認識することができたら、私たちの関係性はもとより、世界は劇的に変化することでしょう。 
 
(つづく)

「恩寵の扉が開くまで」補足説明5(再掲載)

2014年11月6日(木) 曇り by ヨガビジャ  **修善寺日誌より再掲載** 


5、
「恩寵2」で生じた混乱  
 
「恩寵2」が世に出たことで、アジズのワークがフーマンによって否定されたように感じ、これまでアジズのワークを継続されてきた方の中には混乱している方もみえるようです。 
 
本の冒頭に「恩寵2」を出版することへの躊躇いがあったことが書かれていますが、それはアジズとフーマンからの異なるサジェスチョンにより、キヨタカ自身が混乱し悩んだ経験から、本を読みこれからこのワーク始めようとしている方やその途上の方に、自分と同じ混乱や迷いを招くではないかと危惧したからです。 
 
キヨタカは当時、アジスとフーマンの矛盾の間で随分悩んでいました。 
 
このことを自分の中で知的に理解し、
なんとか納得のいくひとつの結論を導き出そうとしましたが、結局それはできませんでした。 
 
ある段階で、アジズとフーマンの矛盾するサジェスチョンからフーマンの教えに従うことを選びましたが、その後も「やはりアジズの方が…」という迷いにとらわれました。 
 
自分の選んだ道に疑心暗鬼になり「なにが正しいのか分からない…」、そんな悶々と過ぎる時間の末に
自ずと理解は訪れました。 
 
ですからこの本を読まれ、今は腑に落ちずすっきりしないとしても、無理に今結論を導き出そうとしないことも立派な選択肢のひとつと思われます。 

 「知らないことにくつろぐ」ことで思考を超えた理解が訪れることもあるからです。 
ただ、もう一度明確にしておきますが、「アジズの教えと彼の道は成長のある特定の時期に必要なものであった…」とフーマンが語っているように、フーマンはアジズのワークを全面的に否定してるのではありません。 

相手や状況によって、とても流動的かつスポンテニアスにフーマンは語りますので、そのニュアンスをぜひ感じ取っていただきたいと思います。 
 
(つづく)

「恩寵の扉が開くまで」補足説明4(再掲載)

2014年11月5日(水) 曇り by ヨガビジャ  **修善寺日誌より再掲載** 
 
 
4、
別のプレゼンスのワーク 
 
このことついては、私には自分がフーマンに言われたことしか書けませんが参考までにシェアします。 
 
アジズ方式のプレゼンスのワークがサード・アイに意識を向けるように、私は常にハートに留まるようにフーマンに言われました。
そして同時にハートにくつろぎそこへと消え去るようにと、それが私にとってのプレゼンスのワークでした。 
 
これはサード・アイに意識を向けてプレゼンスに留まり、ビーイング(ハラ)にくつろいでいくアジズの方法と基本的に変わりはないと思います。
ただ働きかける場所とタイミングが違うだけと理解しています。 
 
おそらくフーマンのワークを受けられた方は、それぞれにまた違ったサジェスチョンがあったと思います。 
 
それが個人に対応したフーマンのワークのすばらしさではありますが、だからこそフーマンがボディを離れた今となっては、今後ワークを続ける上での困難さなのでしょう。 
 
これから「アジズとの対話」や「恩寵の扉が開くまで」を参考にワークをしようとされている方は、自分にとってこれと思われることをしばらくやってみて、その瞬間のご自身の感覚に繊細でいて、「なにが自分に正しいか?」を「感じる」ことをお勧めします。 
 
フーマンは「スピリチュアルな道を歩む上での繊細さ」の必要を私のセッションの中で語っていました。 
 
私は、思考から至る理解ではなく、静かに在ることによって訪れる「知 - knowing 」とでもいうものが、私たちにはすでに備わっていると感じます。 
 
マスターの臨在に元では、私たちはその「自己知」に目を向けなくなりがちです。 
 
でもマスター不在の今、ひとりひとりが自らの「知」に目覚めていくことが最善であり、今の時代に合った新たなスピリチュアルなワークの始まりといえるでしょう。 
 
今回なぜこれほど細かいことを書くかというと、「アジズとの対話」が出版されてから本を頼りに独自にSPのワークをしている方がかなりおられることを知りました。 
 
でも、ご自身でSPのワークしていく中で、自分が体験していることと本に書かれていることが違っていたり、本に書かれているように進まないことで疑心暗鬼になり八方塞がりに陥っている方が少なくないのです。 
 
ですから、個人差によって「必ずしも本の通りに行かなくてもいい」ということと、自分の感覚により繊細になり、開き、信頼すること、それに慣れていくことを私は提案したいのです。 
 
(つづく)

「恩寵の扉が開くまで」補足説明3(再掲載)

2014年11月4日(火) 晴れ by ヨガビジャ  **修善寺日誌より再掲載** 
 
  
3−1、
ステート・オブ・プレゼンスのワークは自分には必要か? 
 
このことについてよく質問されることがあります。 
 
(ここでいうステート・オブ・プレゼンスとは、アジズ方式のプレゼンスのワークを指します。以下<SP>とします) 
 
あくまでも私個人の考えですが、 
 
・自分はマインドが強いと感じない(あまりマインドに振り回されない) 
 
・必ずしも知的理解が伴わなくてもワークに取り組むことに抵抗はない 
 
・瞑想には比較的すんなりと入ることができる 
 
・思考より感覚タイプだと感じる・・・など 
 
一概にはいえませんが、こういった方は必ずしもSPのワーク
は必要ないと思います。 
稀にこれらの方の中には、すでにハートや全身でプレゼンスの感覚を持っておられる方がいます。(それに気づいていないケースが多いです)
 
しかし、感情量が豊かでコントロールできないことがあったり、様々な理由で瞑想に入るのが困難な場合にはSPのワークはとても有効だと思います。 
 
 
3-2、プレゼンスのワークの重要性 
 
プレゼンズ(「私は在る=
主体そのもの」の認識と体験)のワークがなぜ大切かというと、プレゼンスのないビーイング(くつろぎ)は単にスペース・アウトした状態にもなりえますし、プレゼンスのないハートはただ無自覚な躁(または鬱)の状態をもたらすことがあります。 

プレゼンスを安定化させることは、外側の出来事やパーソナティからの分離を可能にし、「真実の自己」として生きることの第一歩となります。 
 
プレゼンズがないと、この肉体・思考・感情との同一化から完全に自由になるのは困難なのです。 
 
(ここではあくまでもアジズとフーマンのワークを前提に書いています。それ以外のワークを否定するつもりはありません) 
 
(つづく)

「恩寵の扉が開くまで」補足説明2(再掲載)

2014年11月3日(月) 晴れ by ヨガビジャ  **修善寺日誌より再掲載** 
 
 
 
2、フーマンの教えと対象者について 
 
「恩寵2」では一見すると、フーマンはアジズのワークを否定しているかのような表現が見受けられます。 
 
これらの箇所では、キヨタカ個人のワークのプロセスとして、もしくは、すでにアジズのワークから継続して次のステップに進もうとしている生徒たちを対象に語りかけていると考えていいでしょう。 
 
一般論的なアジズ云々…というのではなく、上記対象者の「今この時期においては」というニュアンスで読まれると理解しやすいかもしれません。  
 
また、フーマンはハート志向であり、
プレゼンスのワークを重視していない」と思われている方も見受けられますが、フーマンは「プレゼンスのワークはすべての人に必要だ」とはっきりと語っています。 
 
ただ「必ずしもアジズのやり方だけがすべてではない」と言っているに過ぎません。(ここは明確にしておいてください) 
 
過去に禅の道
(おそらく公案を用いる流派)を学んだ人や、インテリでマインド志向の人には向いていると本にも書かれています。

それと「女性にプレゼンスのワークは必要ない」とは言ってはいません。 
このことについては、その人のタイプや状態、タイミングなどを重視している印象がありました。 
 
マインド志向でない人の場合、頭(サード・アイ)に意識を集中させるやり方は不自然な状態を生み出すと、私には語っていました。 
 
(つづく)

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