気づいたこと

新しい年に

2018年1月17日(水) 雨 
 
年が明けて早くも半月が過ぎました。。 
 
私とキヨタカの
暮れから新年にかけての過ごし方は、この伊豆に住み始めた頃とは随分様変わりしました。 
 
特にここ2年は両方の親の骨折、手術、介護認定の申請、腰痛、入所、入退院などなど、、なぜか12月、1月に集中していました。 
 
ですから、ほっとして自分のペースに戻るのはだいたいこの時期になっています。 
 
自分の子供の頃の成長と変化を思い起こし、また、親が老いて衰えてゆく様を目の当たりしていると、成人してから中年に向かう頃の身体や体力、健康はもっとも変化が少なく安定していたのだなと思います。 
 
子供の頃は目前に広がる世界は無限の可能性を秘めた未知としてその目に映り
、そして(自分の親を観る限り)高齢者と呼ばれる頃になると、自分の後にでき道の方へとその視線の多くは向けられている様です。そしておそらく、これからどれほど続くか見通せない先も、後ろに続く道の延長線上にあることに疑いはないようです。
 
だから今私が立つ人生の半ばを過ぎたこの場所は、その両方を見渡すことができる位置としてとても興味深い時だと感じています。  
 
これは数日前に撮った部屋からの朝焼けです。 
 

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 新年の抱負は 
 ほとんど考えない私ですが 
 
 いま自分がいる場所で 
 大きく見渡せる年にしたい 
 
 そう思えた1枚です 



人生という季節

2017年12月9日(土) 晴れ 
 
数日前、朝食を済ませ名古屋に行く準備をしていたら、キヨタカにどこからか電話がありました。 
 
ところどころ聞こえる感じから「なにかのトラブルかな?」と思っていたら、キヨタカのお母さんの施設からの
電話で、お母さんが部屋で転んだので病院に連れて行きます、MRIを撮りその結果次第で入院の可能性がありますとのこと。

 
この時は「たぶん入院はないのでは…?」と先方が予想していたので、私は名古屋行きの準備を続けていたのですが、2、3時間たったころ骨折が判明。 
 
すでに別件の用事で出掛けていたキヨタカは急遽実家へ直行。 
迷った末、
私も名古屋行きをキャンセルして小山に向かいました。 
 
私はあまり臨機応変に動ける方ではないので突然の予定変更は苦手で、ちょっと右往左往してしまいます。 
 
電車に乗ってしばらくすると落ち着いてきて、窓の外を流れていく景色を眺めていて思いました。 
 
こうしてなにかの出来事で大騒ぎしたり、なにごともなく淡々と過ぎる日もあり、、人生って季節が巡るのと変わらないなあ…って。 
 
青々と茂っていた木がその葉を赤く染めて散ってゆくように、人も、環境も、出来事も、ただ変わっていく。 
 
自分がそこに意味をつけなければただ<そうである>だけ。 
いいも悪いもない。 
 
1本の電話からいろんな感情や思考が動いたけど、人生という季節なんだ…と感じたら動揺がなくなりました。 

変わりゆく風景の中の登場人物のひとりとして、私もただ生きればそれでいい、そう思えたら、人生をもう少しだけ気楽に生きられそうな気がしてきました。。
 

変われるという希望

2017年11月25日(金)晴れ 
 
昨日キヨタカと話をしていたら、ふと以前読んだ「求めない」という本を思い出し久しぶりに開いてみました。 
 
この本は、<求めない  すると  〜〜 >のフレーズが散文のように繰り返されます。その中に、 
 
求めないーー  すると  失望しない 
 
というのがありました。 
 
子供のころ私もそう思って、なにも期待しないと心に決めたことを思い出しました。 
 
そうすると確かにがっかりすることがなくなり、心に波風が立たなくなりました。 
 
でも、やはり子供は求めないといけない存在なんだと、この本を
久しぶりに手に取ったことで思いました。 

 
親への期待、将来への期待、自分の欲望をもってもいいんだという感覚。 
  
求めたものを得られても得られなくても、初めから諦めてしまったら心の波風に動揺することはなくなっても、穏やかさや温もり、うれしい感覚、自分はここにいていいんだという自分の根っこをこの大地に広げることはできない。 
 
初めてこの本を読んだ時はスルーしたフレーズなのに私も変わったのかな? 
 
いくつになっても成長できる、変化できるというのは、人の一番の希望なのかもしれないと思いました。

 


止まるとそこに

2017年11月19日(日)晴れ 
 
先日実家に行った時の
買い物帰り、とてもきれいな天使の梯子に遭遇しました。 

 
171115_154021 
雲間から 
 光が滝のように 
 溢れていて 
 
 日常に神聖さが 
 舞い降りたようでした 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして今朝の富士山。 
 
P1010013_2 数日前の
冷え込んだ日に 
 父が言った通り
 
 富士山はまっ白な 
 雪をまとっていました 
 
 
 
 
P1010010_2 
日常の中で目にする 
 雄大な自然や美しさは 
 点滅する横断歩道を渡ろうと 
 走り出す私の足を止め、 

 そんなに急いでどこへ・・・? 
 と問いかけてきます。 
 

笑う

2017年11月18日(土)曇り 
 
 
楽しいから笑う 
 
うれしいから笑う 
 
じゃなくて 
 
笑いたいから笑う 
 
で、いいんじゃない? 
 
 
名古屋から戻り思ったこと
flair  
 

 
C2c784b5s_2
 もちろん 
 
 楽しい 
 うれしい 
 
 大歓迎
heart02 
 
 
 
 
 
 
(どこかから拝借した写真。こちらまで口元が緩みます^^

花の意味

2017年3月24日(金) 晴れ by ヨガビジャ 
 

今わが家はリトリートで飾られた花のいい香りで満たされています♪
  

キッチンの窓際には庭の花をいけた花瓶があって、その水仙が朝の光に映えてきれいです。 
 
Img_1542
 上下逆の三角がふたつ重 
 なっているんですね  

 
 
なんとなく 
 調和のイメージかな? 

 
 
 
 
Img_1544 
光に開いてる姿は 
 完璧に美しい 
 
 ただそれを喜び 
 楽しみたいです
 
 でも終わりの時は 
 
確実に近づいていて

 
 
 
 
Img_1547 
まだ現われてはいない 
 果てゆく
姿を含めて目の前の 
 きれいな花を見られたら 
 
 小さな花の存在は 

 小さくなんかなくて  
 

 ほのかに愛おしく 
 より美しい存在に感じられて、 
 
 
つくづくすべてに意味をもたらすのは自分なのだなと思いました。

  
 

小さな心地よさ

2016年6月14日(火) 晴れ時々曇り by ヨガビジャ 
 
 
昨日の雨が上がり今朝は青空が広がりました。 
乾きかけの洗濯物にはありがたい晴れ間です sun

今日は火曜特売に合わせて取っておいた<会員様5%OFF感謝券>をもってアピタへ買い物にでかけました。 

 
到着したのは9時半前だったためそれほど混んではいませんでした。 
 
私がキュウリの山積みから新鮮そうなのを物色していたら、「ハイッ!」とビニール袋が私の目の前に差し出されました。 
 
私と同じく
キュウリを選んでいた女性が、私の分のビニール袋を手渡しながら、 
 
女性:いるでしょう? 
 
よがび:はい! ありがとうございます。 
 
女性:・・・どれが新鮮かしらね〜? 
 
よがび:私は固めでトゲトゲしたものを選んでますよー 
 
女性:そうよね? なかなかないわね〜・・・
 
よがび:えっと、下の方にあるのが新鮮そうですよ♪ 
 
女性:あら、ほんと! 上のはもう乾燥しかかってるかしら? 
 
よがび:こんなに選べるのも早く来た特権ですね! 
 
女性:そうよね! そのために早く来たんだも
の。 
 
    ♪
(* ̄∇ ̄) (⌒-⌒ ) ♪  
 
などと他愛のない会話をしてそれぞれ次の売り場へと向かいました。 
 
この見ず知らずの人との何気ない会話で心がほんわか♡して、あ〜、人って他愛のないこととか高尚なこととか関係なく、共感することに心地よさを覚えるのだなと感じました。 
 
そして一通り買い物を済ませ冷凍食品の前を通り過ぎると、暑かった
数日前、コンビニへ「みぞれ」を買いに寄ったらなかったことを思い出し、アイスクリームのコーナーを覗いたら、ありました。 
 
Img_1024 私は練乳がけが好きなのですが 
 今日はこんなのを見つけました。 
 
 九州名物 『白熊』 
 
名前は聞いたことがあるけど見つけたのは
初めなので迷わず購入。 
 
今日の父(熊本出身)へのメールネタはこれにしようっ!
^^ 
 
お父さん、これ食べたことある?(・・?)  
 
きっとこの他愛のないやりとりも、共感や交流を求めてのことなのでしょうね。 
 
内容や結果(反応)と関係なく、ただ私が心地いいからしているのであって、それを父のためとか言ってしまったら、それはもう違うんですね。( ・_・ )ウン
 
 

準備中の覚書

2016年4月25日(月) 晴れ by ヨガビジャ 
 
 
自分が自分自身であることを否定したら人生はむずかしい。
 

 
布団を干しながら浮かんだこと。
 
160425_100412_4
 今週末から 
 リトリートです 
 
 わずかな晴れ間も 
 貴重です 
 
ここは朝晩冷え込むことがあるので、参加される方は暖かい服装もご用意ください
^^

ひとりごと

2016年4月22日(金) 曇りのち晴れ by ヨガビジャ 
 
数ヶ月前から私の部屋には
これがあります。 

160422_091203 父がくれた 
 ドライフルーツ 
 
 キヨタカがよく 
 ナッツやくだものを 

 食べているので
 私たちはこういうのが 
 好きだと思ったようです 
 
 
私はそれほど自然食にこだりはなくて、軽くケミカルなものは避けたいかな?って感じなのですが、さて、この赤青黄色と三色揃った父の気持ちをどうしたものかと…思いつづけてはや何ヶ月。 
 
父の気持ちも、食べ物としても無下にはしたくないので、水に浸して色抜きしてから食べようかな?
^^;  
 
人の気持ちは微妙だなと思う時があります。 

 
父は最近よく、 
 
父:あいつ(母)は、おれが買って来たもんは食わんのだ・・・
( ̄⊥ ̄) 
 

と言います。 
 
父:この前(たぶんずっと前)、 
  長いパンにクリームが挟まっとるやつ(小倉ネオサンド)を買ったら、 
 
  こんなの体に悪いからいらな
 (;-_-) =3 と言いいよる 
 
  文句ばかり言うからもうなにも買わんことにした…
( ̄⊥ ̄メ)  

 
よかれと思って買ったものを拒否される父の気持ちも分かるけど、マーガリンは良くないと思っている母の気持ちも分かる。。 
 
相手をどんなに悪く言っても、その根底にはまだ喜ばせたい気持ちがあるのを感じます。少なくとも父には。(ただし自分の相手への言動について無意識なのはふたりとも同じ)
 
家族と接していると、人はひとつの感情だけを選ぶことはできないのではないかと思います。 
 
感情は喜怒哀楽と言うけれど、きっちりと別れているワケじゃなくて、ある感情とある感情が合わさっていたり、時にはすべてが合わさってるように感じことがあります。 
 
感情は深い  
愛おしくもあり腹立たしく  
楽しくもあり一抹の哀しみ 
どれかひとつなら 
ラクなのにと思うけど 
  

柔和な如来も 
憤怒の明王も 
愛に悲しみを 
怒りに愛を 
宿していると感じるから 
きっと 
なにも間違ってはいないのだと思う
 
ただそう感じた…というだけの 
ひとりごとでした。。

 

ここにあるすべて

2016年3月25日(金) 曇り by ヨガビジャ 

 

親たちと過ごすことは、今となっては自分に標準装備されている感情や思考、それらからくる反応に直面しに行くような感じです。 
 
先日の母との会話です。 
 
よがび:今、歯医者さんにかかっているけど 
    なかなか治療が終わらないの。 
 
母:またどうかしたの?
(・・ ;) 
 

よがび:ブリッジの下の歯が虫歯になってたの。 
    乳歯が抜けても永久歯が出て来なかったことが 
    何度かあったからね〜

    ブリッジが2カ所もあるのよね。。 (^^;ゞ  
 
母:あんたがお腹にいたとき、 

  お父さんが珍しく牛乳を買って来たから  
  お母さんに飲ませてくれるのかと思ったら 
  自分が飲んでるのよ、お父さんっ! 
 
  だから歯が足りないのは、お父さんのせいよ!ヾ(`⌒ ´メ)ノ″ 

 
という具合に、私の話すことすべてがお父さんネタにすり替わります。 
それも何十年も昔の話で・・・( ̄⊥ ̄lll) 
 
母は今腰が痛くて、それでもいくらかの家事はしないといけないのでストレスがあるの分かるのですが、かなりネガティブです。
若い元気な頃からその傾向はあったので今は尚更なんでしょうけど。 
 
今回おもしろいことに気づいたんです♪ 
 
私も元々母に似て深刻になりがちでネガティブな傾向があるのですが、自分の周りが超ネガティブな人ばっかりだと、 
 
ネガティブではいられなくなるんですよっ!!
ヾ(≧▽≦)ノ 
 
笑うしかないっていうか、ね。 
深刻になれない。 
 
昔は家族といるのがキツくて避けていた時期があるけど、骨折した骨が治癒すると前より丈夫になるみたいに、心の痛みも負荷がかかり続けることで逆に強くなるのではないかと思いました。 
 
なんとなく、自分がここにいる理由がみえてきたような。。 
そのために家族も、あらゆる関係性も、出来事も、状況も、存在するのでしょうね。 
 
ここにあるすべて  
無意味なものはないのですね。 

 
 

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