家族との過ごし方

ふるさとになる

2018年8月5日(日) 晴 
 
キヨタカの実家に通うようになってずいぶん経つちますが、最初の頃は実家の周辺をドライブしているとキヨタカが、 
 
ここ、ボクが通った小学校! ここが中学! 
 
ここにお父さんの会社の社宅があって、 
ボクが子供時代を過ごしたところ! 
 
桜の木がたくさんあって 
春はすごくきれいで天国みたいだったよ!
( )

という具合に、何度も私に説明するのを不思議に感じていたんです。 
 
なぜなら私が実家に行ったとしても、ここが小学校、ここが中学校と人に
何度も話すとは思えないから。  
もちろん学校の近くを通った時は「ここに通ってたよ」と1度はキヨタカに伝えましたけどね。 
 
私には自分が育った土地に思い入れがないようです。 
 
今回も実家の最寄り駅から電車に乗ったのですが、たまたま乗った車両が最終車両だったので、無人の運転席の窓越しに後ろへと流れていく線路と景色を眺めていました。 

 
川に架かる橋を渡りつつ、ふと、 
 
ふるさと・・・という言葉が脳裏を過りました。 
 
えっ?
(o ̄;) 
 
と、自分でも驚きました。 

ふるさとなんて言葉、口にするどころか思ったこともなかったから。 
 
なんだろ...?
(・・;) 
  
と思いながら、窓を流れていく線路を漫然と眺めて続けていて気づきました。  

 
自分にはふるさと言えるような場所はなく、それが寂しいと感じたこともなく、ただそういうものだと思ってたのだと。 
 
そして、きっとふるさとというのは、その土地や風景に温かかったり、やさしかったりの感情がそこにあるとき、その人にとってのふるさとになるのではないかと。 
 
もちろん、ここで過ごした時間に楽しさが皆無だったはずはないけど、緊張を強いられる家庭環境で育つと成長するにつれ、心には少しずつ暗い靄がかかり重くなっていく。そしてその心が映し出す風景は曇天の空のように薄暗かった、のかもしれない。 

 
きっとそんな心持ちで過ごしてきた場所なので、懐かしさよりは切り離してしまいたい過去になっていた気がします。 
  

今回、突然降って湧いたような、ふるさとという言葉の意味が分かりました。 
 
父と歩いた病院への道のり、温泉の送迎バスの車中などなど、、 
それらの風景に柔らかな感情が合わさり、やっと私にとってのふるさとになりつつある、ということなのだと思います。

生還しました

2018年8月3日(金) 晴 
 
無事名古屋から生還しました。 
 
そう言いたくなるほどの暑さでした sun 
 
これまで一貫してエアコンは使わない派の父でしたが、
前回の説得が功を奏し、私が到着したらちゃんとエアコンは稼働中。 
かつてない涼しいわが家でした。 
 
が・・・私の部屋にはエアコンはなく、毎年扇風機でやり過ごしてきたのですが、さすがに今回はマズイ気がして。。 

 
実は父のためにネットで購入したクールパッド(体を冷やす寝具用マット)が実家に届いたのですが、父に渡す前に自分で試してみたら、思った以上のひんやり感
sweat02 

逆に、これではエアコンをつけた部屋で父が使ったら体が冷えすぎると思い、一晩私が使いました。 
 
でもその後も名古屋の気温はどんどん上がり、これなしで寝たら自分が危ない気がして、結局ずっと私が使っていました。 
 
 
いやー、ほんと、 
 
 
今日も1日生きてて偉い
sign01( TT)ノ  
 
 
そう自分に言ってあげたくなる猛暑でした。 

 
 
だって「不要な外出を避けてください」と
テレビで呼びかけてるのに、1日はバスを乗り継いで温泉へ、1日は病院(徒歩で20分弱)なんですよ、85歳が。 
 
キヨタカが何度も「病院&温泉に行くならタクシーを使って!」と
メールをくれても、 
 
 
父:前はもっと暑かった。 

  最近は風があるから大丈夫。( ̄⊥ ̄) キッパリ  

 
と取り合いません。 
 
 
病院では案の定、 
 
 
先生:血圧が高いですね?歩きましたか?
 

 
と問われ、 
 
 
はい、バス停から♪(ウソ、家から) 
( ̄∇ ̄;)  

 
と答える私。 

 
 
はたから見れば、
高齢者と一緒に危険レベルの炎天下を歩いてる私って、老人虐待を疑われ職務質問されるギリなラインではないかと思ったりして・・・ 
 
 
でも一昨日の夜、 
 
 
父:明日、温泉行くか?
( ̄⊥ ̄)   

 
と言われ、 
 
 
私:止めようよ、この前も行ったし、 
 
  外出を控えるようにテレビも言ってるでしょ?
( ; 。 ̄)  

 
 
父:なんてことないわ。 
 
  前はもっと暑かった。
(^) 

 
 
という有無を言わせぬ
父の言葉に、 
 
 
もしかして虐待受けてるの
私の方・・・?( ̄⊥ ̄lll) 

 
 
という思いが脳裏を過ぎったのでした。
 
 
父、どうしちゃったの?レベルに元気です。
<(^)> 
 

日常の中の祈りの種

2017年4月2日(日) 曇り  
 
最近は自分も人生の半ばを過ぎ、高齢者と接する機会が多いので、自然といろんなことを考えさせられます。
( ̄⌒ ̄; ) 
 
私の母はよく「悪いねー
sweat01」と言います。  

体が不自由で周囲の人の手を煩わせるのが申し訳ないということなのでしょうけど、毎回毎回言われ続けるとちょっと重たく感じます。 
 
そこで、「悪いね」は1回で十分だから、あとの悪いねは「ありがとう」に替えたら?と提案しました。 

 
「ありがとう」という言葉はいつ誰に言われてもうれしいものです。 
ありがとうの一言で、少しくらいの疲れなら吹き飛んで、もうちょっとだけがんばれそうな気がしますから。 
 
じつは自分が子供のころ、父から「ありがとう」を言われた記憶がありません。 
 
孫が出来、さらに歳をとってひ孫ができ、少しずつ角がとれていった父ですが、初めて幼い孫たちに向け「ありがとね」と言う父を見て、不思議な感じを覚えたのを思い出します。 
 
父、ありがとうって言えるんだっ!Σ( ̄□ ̄; )! 
 

みたいな。。 
 
そして、その頃から時は流れ、歳をとった親たちを
誘い旅行に行ったり、母が腰を痛めて家を出て一人暮らしの父の元を訪れるたびに、私への「ありがとう」も増えました。 

 
それを初めて聞いたころ、 
 
「お父さんがありがとうって言ったよっ!」と
姉にメールしたら、 
 
「うそっ!ほんとにっ!?
( ̄◇ ̄;) !! 」と返事がきたんでしたっけ。。  

この「ありがとう」という言葉、子供の頃にあまり聞けなかったからこそ、今その言葉の持つ優しさや力、意味が深く感じられる気がします。だから今はこの家庭に生まれてきてよかったと思えます。 

 
今回も別れ際、父の「ありがとう」の言葉を聞き、「本当に体に気をつけて<元気でね> 」と言って別れてきました。 
 
その時の「ありがとう」と「元気でね」の感覚の余韻
を胸に車窓の景色を眺めていたら、「元気でね」は「祈り」なんだと気づきました。 

 
リトリートでは神聖な次元や聖なる母に、別な宗教では世界人類の平和に祈ったりしますが、その祈りと同じ質を日常の些細な会話の中に見出せたことに驚きととも喜びを感じました。 
 
心からの「ありがとう」や「元気でね」は祈りの種なのだと思います。 
 
 
相手のすべてを肯定できる 
 
(正しいからでなく) 
 
 
今の自分をありのまま受け入れられる 
 
(よいことをしたからではなく) 

 
 
目の前の相手と繋がれる 
 
(そうしようとしなくても) 
 
 
祈りは起こる 
 
・・・広がる 
 
自分も広がる 

 
 
偉大なこと、神聖なこと、遥か遠く.... と思っていたものは、周囲の小さなことの中に隠れていた。 
 
そんな発見が今回もありました。 
 

父の持ち味なんです

2017年4月1日(土) 雨  
 
今日から4月ですね
cherryblossom 

 
昨日名古屋から戻りました。 
 
やはり行けばいろいろと感じることの多い実家ですが、こうして通うことは今の自分にとっては必要でありいいことのようです。 
 
今回も父がいろんな面でいい味?を出していました。 
 
 
ヘルパーさん曰く、 
 
私が来ると布団やパジャマが干してあって、よくやってみえますよ。 
おみそ汁も作られている様ですしね♪
^^ 
 
とお褒めの言葉を受けました。。 
 

この日もヘルパーさんが買い物に行ってくれて一通りの仕事終え、父のいるコタツで今日の作業と父の様子を記録して、最後にハンコをもらっていたのですが、、 
 
父はすでに首から市営交通の敬老パスを下げ、上着もはおってでかける気満々の様子。 
 
いつものんびりな父が「珍しいなあ・・・」と思っていたのですが、ヘルパーさんが帰った途端その理由が判明。 
 
いそいそと玄関に向かう父の手には、たった今ヘルパーさんが買ってきた温かい焼き芋 heart02 が握られていました。
 
 
よがび:えっ!? 焼き芋、持って行くの? ( ̄◇ ̄;) エッ? 
 

父:バス停に着くまでにちょうど食えるんだ・・・( ̄ー ̄)  
 
 

よがび:(だから早く出掛けたかったんだ・・・ 
     温かいうちに食べたかったわけね
^^; ) 
 
    じゃ、行ってらっしゃ・・・ 
 
    あれ? お父さん、サングラスは??(・・?) 
 
 
父:・・・忘れた、、いも持ったから・・・
( ̄⊥ ̄; )  
 
 
よがび:(コタツの上からサングラスを持ってきて) 
 
    はい、行ってらっしゃいっ! 
 
 
父:うん。。(バタン!) 
 
 
で、続きの掃除をしていたら、また玄関の扉が開いた様子。  
 
 
よがび:あれ? どうしたの??
(・・?) 
 
 
父:間違えて草履を履いとった・・・(靴に履き替えながら)
 
  こうやっていつもバスに乗遅れるんだ。。( ̄⊥ ̄; )  
 
 
よがび:ははは・・・ 
 
    じゃ、気を
つけてね〜 (; ̄∇ ̄)ノ 
 
 
という一幕。 
 
いや、ほんと楽しませてくれます。。 
 
 
じつは私も外で食べたり飲んだりするのは好きなのですが、母や姉は行儀が悪いと嫌っていました。 
 
世間の常識があったり、人それぞれの常識があったり、なにが正しいかで議論するより楽しさを選びたいと思う私は、父と同じ異端者なのかな〜?
^^; 
 

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